魔王軍に転生した元人事部長、三十路ボディで職場改革します~おっさん、異世界で“人事改革”はじめました

中岡 始

文字の大きさ
16 / 91
第3章 希望の一手、最下級兵ゴブタの発見

申請書と副官と、ちょっとした賭け

しおりを挟む
石造りの廊下を抜け、リリシアの執務室に辿り着いたのは、朝の始業時間より少し前だった。  
薄曇りの空が高窓から差し込む中、山本は扉を軽くノックする。

「入れ」

冷たい声が扉の向こうから返ってくる。  
山本は扉を押し開け、手にした筒状の申請書を持って一歩踏み込んだ。

部屋は質素だが整っていた。壁際には文献がびっしりと詰まった書架、中央の机には整然と並べられた報告書の山。  
その奥で、リリシアは椅子に背筋を伸ばして座り、書類に視線を落としていた。

彼女の目が一度だけ山本に向けられたが、その表情には相変わらず感情の起伏はない。

「何の用だ。報告書か、また視察の許可でも求めに来たか」

山本は机の前まで歩み寄ると、申請書をすっと机上に置いた。

「転属の申請です。ある兵士を、遊撃斥候部隊へ仮配属させたい」

その一言に、リリシアの手が止まった。  
細く長い指がペンを離し、視線が申請書へと移動する。

羊皮紙を一枚めくり、数行読んだだけで彼女の眉がわずかに動いた。

「……ゴブタ?」

読み上げた名に、僅かな疑念と呆れが混ざった声が滲む。

「その兵は、下級の中でも下の下だ。補給班の雑用係。事故報告の常連で、指導歴も短い。転属対象として名が挙がること自体が珍しい」

「ええ、だからこそです」

山本は一歩引かず、静かに言った。

「今まで見過ごされてきた“資質”がある。戦場で命を落とす前に、正しい配置に就かせたい。それが叶うなら、試す価値はあります」

「資質? それは君の目に見えたという“光”の話か」

「ええ、それもありますが、それだけじゃありません。目に見える行動のパターン、反応の速さ、状況の読み取り。全て観察した上で判断しています。単なる感情論ではありません」

リリシアは書類をもう一度読み直し、黙り込んだ。  
彼女にとって、規定に沿わない特例は好ましくない。魔王軍の制度は古く、柔軟性を欠く場面も多い。  
それを承知の上での提案であることを、山本はよく理解していた。

「この配置換えが認められるとしても、仮配属は一ヶ月が限度。試用期間だ。成果が出なければ、君の推薦そのものが“誤判断”と見なされる」

「構いません。そのつもりで書いています」

「山本孝一。君にはすでに魔王直々の猶予が一ヶ月与えられている。その中で成果を上げる必要があるのに、最も評価の低い兵士に時間を費やすのは、合理的ではない」

「合理的かどうかを決めるのは、結果が出た後でいい」

その言葉に、リリシアの目がわずかに鋭くなる。

「……その兵士に賭けるのか。今の時点では、他の誰も評価していない存在に」

「“他の誰も”が見落としているからこそ、価値があるんです。  
もしこの配置が当たれば、他の兵士たちにも希望が芽生えます。“あのゴブタが配属されたなら、自分にもチャンスがあるかもしれない”と」

「民心操作か?」

「違います。“信頼の補強”です。組織にとって、人材を正しく見ようとする姿勢は最も基礎的な信用です。  
誰かが見てくれていると感じることで、士気も安定する。これは戦術でも戦略でもなく、“組織運営”の基本です」

リリシアは息を吐くように、椅子にもたれた。

窓の外からは、訓練場の掛け声が遠くに聞こえてくる。

「申請は……受理する。だが条件をつける。一ヶ月以内に、遊撃隊の戦果、損耗率、通信精度。三つの指標で成果が出なければ、君の推薦は撤回される」

「了解しました」

「場合によっては、推薦そのものの資格も再検討されることになる。責任は重い」

山本はわずかに口元を引き締め、頷いた。

「望むところです」

言葉には揺るぎがなかった。

彼にはわかっていた。今の自分に与えられた命は、すでに一ヶ月という期限付きのものでしかない。  
魔王ヴァルグラドの言葉は明確だった。「成果がなければ処刑」  
それが、冗談や比喩ではないことも、日々のやりとりから十分に感じている。

「どうせ、与えられた時間は限られている。ならば、その中で自分にしかできない一手を打つべきです。  
ゴブタのような存在が活躍すれば、それはこの軍の中に“変化の余地”があると証明することになる。  
たとえ小さなことでも、前例になる。それを作る価値は、きっと大きい」

「……」

リリシアは返答をしなかった。  
だが彼女の手は、すでに申請書の下部に受理印を押していた。

魔族文字で刻まれた軍印が、鮮やかに赤い色で滲む。  
それはまさに、山本にとっての“初めての公式な一手”が認められた証だった。

彼は丁寧に頭を下げ、書類を回収して立ち上がった。

「ありがとうございます。報告は随時、あなたに提出します」

「当然だ。私が判断する」

「ええ、それが筋でしょう」

山本が静かに部屋を後にすると、リリシアはしばらく書類を睨み続けていた。

誰もが見捨てた“最下級兵”に、ひとりの人間が賭けた。

合理性は薄い。だが、そこに揺るぎない“判断の意志”がある。

そしてその意志は――たとえ敵国の者であっても――どこか懐かしい感覚を呼び起こすのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

アワセワザ! ~異世界乳幼女と父は、二人で強く生きていく~

eggy
ファンタジー
 もと魔狩人《まかりびと》ライナルトは大雪の中、乳飲み子を抱いて村に入った。  村では魔獣や獣に被害を受けることが多く、村人たちが生活と育児に協力する代わりとして、害獣狩りを依頼される。  ライナルトは村人たちの威力の低い攻撃魔法と協力して大剣を振るうことで、害獣狩りに挑む。  しかし年々増加、凶暴化してくる害獣に、低威力の魔法では対処しきれなくなってくる。  まだ赤ん坊の娘イェッタは何処からか降りてくる『知識』に従い、魔法の威力増加、複数合わせた使用法を工夫して、父親を援助しようと考えた。  幼い娘と父親が力を合わせて害獣や強敵に挑む、冒険ファンタジー。 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます

天田れおぽん
ファンタジー
 ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。  ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。  サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める―――― ※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

処理中です...