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97話・あおる

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 何度も何度も角度を変えて唇を重ね合う。胸に空いた隙間を相手の存在で埋めたくて、互いの身体を力一杯抱きしめた。そばにあった僕のベッドへと倒れ込むと、ゼルドさんがハッと我に返った。

「すまない、傷は?」
「痛くないですよ。もう塞がってますから」

 ほら、とシャツをめくる。腰骨より少し上の位置にある傷痕を見せれば、ゼルドさんはまた辛そうに眉を寄せた。大きな手のひらが優しく労わるように傷痕を撫でる。

「私が守れなかったばかりに、綺麗な身体にこんな傷を作って」

 真新しい傷痕がゼルドさんの罪悪感を刺激する。傷の大小ではなく、負った時の状況がゼルドさんを追い詰める。彼には一切非がないというのに。

 周辺の皮膚より赤みがかり、僅かに段差ができているそこに、ゼルドさんが唇を寄せた。舌が這い、傷痕をなぞる。

「んっ……」

 くすぐったさに身をよじると、腰を掴まれ固定された。逃げる気なんて微塵もないのに、ゼルドさんは僕が離れることを許さない。荒い呼吸が腹部にかかり、熱い吐息が漏れた。

「ライルくん」
「……はい?」

 十分に傷痕を確かめてから、ゼルドさんが屈めていた上半身を起こした。

「あちらへ。私のベッドに移ろう」

 彼の表情はまだ辛そうで、何を考えているのか手に取るようにわかった。

 このベッドには忌まわしい記憶が刻み込まれている。タバクさんに襲われた僕だけではなく、駆け付けて現場を目撃したゼルドさんにも。彼の脳裏にはあの日の光景がまだ焼き付いていることだろう。

「ダメです。ここで」

 仰向けに倒れたまま手を伸ばし、腕を掴む。

「嫌なこと、ぜんぶ忘れさせてください」

 お願い、と懇願すれば、返事をする前に再び覆いかぶさってきた。泣きそうな顔を僕に寄せ、啄むような口付けを繰り返す。

「もっと深く」

 口を開けて促すと、また舌が差し込まれた。息継ぎの間すら惜しんで舌を絡める。優しく口内を舐められるたびに頭の芯が甘く痺れた。

「……タバクさんより気持ちいぃ」

 僅かに口が離れた隙にこぼした吐息混じりの呟きに、ゼルドさんが目を見開いた。

「あの男は、君に口付けをしたのか」
「ん……無理やりされて、嫌だった」

 答えながら、自分から唇を寄せた。
 タバクさんへの怒りや嫉妬、僕への独占欲が彼の中で渦巻き、今にも爆発しそうなほどに張り詰めている。そうなるようわざと仕向けた。いつまでも壊れものに触るような扱いをされたくなかったから。

「薬のせいで逃げられなくて、色々触られて」

 自分の手でタバクさんから触れられた箇所をするりと撫でると、後追いするみたいにゼルドさんの大きな手のひらが身体を這った。邪魔なシャツをめくり、震える指でボタンを外し、肌を晒す。

「ゼルドさん以外のひとに触られたくなかった」
「……だから君は、自分を……?」

 再び指先が傷痕をなぞる。
 塞がったばかりで他より薄い皮膚は触れられた感覚を鋭敏に拾った。

「血を見たら、萎えるって」

 あの時タバクさんが言った言葉だ。
 手っ取り早く行為を中断させるには血を流せばいい。薬でぼんやりした頭を必死に働かせて導き出した方法は本当に行き当たりばったりで、後先なんかまったく考えてなかった。
 怪我をした結果、自分の無力さを痛いほど自覚させられた。まるで呪縛だ。タバクさんが捕まった後も、僕はずっと縛られている。

「私は、」

 ゼルドさんの瞳が揺らぎ、目尻から大粒の涙がこぼれた。露わになった僕の胸や腹を濡らしていく。

「私は君を失うのが怖い。あの時だけではない、今もだ。いつか情けない私を見限って、他へ気持ちを移してしまうのではないか、と」

 死にかけた僕を見た時、ゼルドさんは冷静に医者の手配をしたとダールから聞いた。大人だから、元騎士だから、そういった状況に慣れているのだろうと思っていた。
 貞操は守ったつもりだけれど穢されたことに変わりはない。落ち着いて対応できたのは気持ちが冷めてしまったからではないかと疑った。僕が助かったことを喜んでくれたのも、その後大事にしてくれたのも、ゼルドさんが優しいから。弱った僕を見捨てられないから。それだけだ、と。

 もっと執着してほしくて、僕はゼルドさんの感情を揺さぶり続けた。大事な友だちのダールだけでなく、タバクさんから襲われたことまで利用して。

 そんなことをしなくても、ゼルドさんも僕と同じ不安をずっと抱えていたというのに。

「僕をゼルドさんのものにして」

 ゼルドさんが離れないなら何でもいい。
 ずっと一緒にいられるのなら構わない。

「もう止めてやれないぞ」
「いやだと言ってもやめないで」

 痛いくらいに抱きしめられて、ああ、と安堵の息が漏れた。
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