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96話・駆け引き

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 湯が沸いた頃に階下に降り、鍵を貰って浴室へと向かう。
 よく考えたら、鎧を外したゼルドさんと一緒にお風呂に入るのは初めてだ。ギルドの客室で療養していた時に髪を洗ってもらったりはしたけれど、ゼルドさんは湯舟には入らず着衣のままだった。

 脱衣所で服を脱ぎ、腰に手拭いを巻いた状態でゼルドさんと向き合う。

 身体を拭く時に何度も触れたことはあるし、鎧を外した時にちらりと胸元を見たことはある。でも、上半身全てを見たのは初めてで、僕は思わずゼルドさんの裸体に釘付けとなってしまった。
 鍛え上げられた胸板は厚い。がっしりとした肩周りと腕は軽々と大剣を振るうだけの筋肉がついている。何より胸元にある傷痕が目を引いた。

「これも十年前の傷ですか」
「ああ、スルトで負った。モンスターの攻撃を防ぎきれず、鎧が壊れてしまってな」

 幾ら腕利きの騎士で、良い装備を身に付けていたとしても全てを防げるわけじゃない。ダンジョンの大暴走スタンピードを収束させるために、ゼルドさんは身体を張って戦ってくれたのだ。

 ゼルドさんの脚の間に座るようにして、二人で湯に浸かる。

「ダールも背中に大きな傷痕があるんですよ。滝壺から落ちた時の怪我かな。びっくりしました」
「背中を見たのか」
「再会した日にギルドに泊まったじゃないですか。あの時に」
「……そうか」

 浴槽の縁に置かれていた腕が僕に回され、ぎゅっと抱きしめられる。そのままゼルドさんは黙り込んでしまった。
 湯で温まってから洗い場に出ようとしたけれど、何故か腕は離れない。

「あの、身体を洗いたいんですけど」
「すまない」

 謝りながらも腕の拘束はゆるめず、僕をその場に押し留めた。肩に乗せられたゼルドさんの頭に頬を擦り寄せ、目を細める。

「お背中流しましょうか」
「ああ、頼む」

 ゼルドさんを洗い場の椅子に座らせ、後ろに立つ。湯を満たした木桶を持ち上げようとしたら取り上げられてしまい、本当に背中を洗うことしか許されなかった。手拭いに石鹸をつけて泡立ててから、広い背中を擦っていく。

「小さな傷がたくさんありますね」
「鍛錬や任務で負ったものだ」

 ゼルドさんの背中には大小様々な傷痕があった。ほとんど騎士時代のもののようで、新しい傷は見当たらない。

「ダールも傷痕だらけなんですよ。背中の傷以外にも、腕とか脚とか」
「そうか」
「僕を木の上に避難させて自分だけ危ない場所に突っ込んで……本当にダールは昔から向こう見ずで」

 背中を洗いながら、ここにはいない幼馴染みの話をする。ゼルドさんは遮ることなく僕の話を聞き、時おり相槌を打った。

「ありがとう。君はもう一度湯に浸かるといい。身体が冷えてしまう」
「わかりました」

 湯舟に戻り、髪や身体を洗うゼルドさんの背中を眺める。
 表情は見えないけれど、感情が揺らぐ様子が伝わってきた。わずかに声色や態度に表れていることに、彼は気付いているだろうか。

 交代で身体を洗って風呂から上がり、食堂で夕食を済ませて部屋へと戻った。

「明日から普通通りの生活に戻しますね。洗濯も自分でします」
「洗濯くらい宿の者に頼んでも……」
「いえ、僕が」

 まだ僕に何もさせたくないみたいだけど、これ以上周りに頼る生活に慣れるわけにはいかない。身の回りのことは自分でやらなくては。

「では、私も一緒に」
「大丈夫ですよ。宿屋の中庭だし、もう危ないことはないですし」

 タバクさんは捕まった。僕を狙う人はもういないのだから付き添う必要も警戒する必要もない。
 その言葉を聞いて、ゼルドさんは表情をこわばらせた。床に座ってリュックを広げる僕を見下ろしている。

「ライルくん」
「はい?」

 荷物の仕分けをする手は止めず、視線も向けずに返事をした。
 失礼な態度だと自分でも思う。こんな風に一歩退けば、あちらから踏み込んでくれると経験から知っている。僕からではなく、ゼルドさんから求めてほしくて、わざと感情を揺さぶった。

 ゼルドさんは床に膝をつき、僕の両肩を掴んで無理やり視線を合わせた。追い詰められたような表情で僕を見つめ、次の瞬間にはきつく抱きしめられる。「痛い」と訴えても腕の力が弱められることはなかった。

「私を突き放すようなことを言わないでくれ」

 耳元に聞こえる思い詰めたような声に、ふるりと身体が震えた。今、ゼルドさんの心を占めているのは僕だ。敢えて答えず、抱きしめ返すこともしないでいると、更に腕の力が強くなった。

「君を守れず、心の内を察することもできない私に愛想を尽かしたのか」

 僕から愛想を尽かすなんて有り得ない。
 縋りたいのは、いつだって僕のほうだ。

「……私から離れないでくれ、ライルくん」

 震える声で懇願され、歓喜が胸に込み上げる。

 わざとダールの話をして、ゼルドさんよりダールを頼りにしていると印象付けた。感情を揺さぶり、嫉妬するように仕向けた。

「ゼルドさんから離れない限り、僕は離れません」

 だから安心してください、と言えば、ゼルドさんは安堵の息を漏らした。

 ようやくゆるめられた腕の中、振り返って向き合えば、切なげに眉を寄せた顔が間近にあった。すぐに唇を重ね、彼の太い首に縋りつく。
 貪るような深い口付けを交わすうちに不安な気持ちが少しずつ消えていった。



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