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【番外編】最終話以降のお話
27話・浮気疑惑
しおりを挟む「ひとりで出掛ける……?」
土曜の夜。あとは寝るだけとなった時に言われた言葉を穂堂はそのまま聞き返した。一緒に暮らし始めてから休日に別行動するなんてことはなかった。
「急な話ですんません。用事が出来ちゃって」
「いえ、構いませんよ」
「オレの代わりにお土産渡してきてくれます?」
「そうですね、そうします」
山登りと湧き水を汲んだ帰りに買った土産がたくさんある。共に渡しに行く予定だったのだが、急用が出来たのでは仕方がない。穂堂は詳しく理由を聞かずに快諾した。
翌朝、出掛ける阿志雄を見送ってから穂堂もマンションを出た。
以前は平気だったのに、今はひとりで自宅にいると落ち着かない気持ちになる。阿志雄の帰宅予定時間は未定で、決まり次第連絡が入ることになっている。
「いらっしゃい徹くん、来てくれて嬉しいわ」
「お邪魔いたします奥様」
「んもう、翁崎家は徹くんの実家なんだから『ただいま』でいいのよ」
「それはちょっと」
翁崎家の玄関に着くなり、これまで何十回と繰り返されてきたやり取りが始まる。穂堂が訪ねてきた際の定番になっており、最後は二人とも顔を見合わせてプッと吹き出した。
「真司くんはお出掛けですってね。徹くんをよろしくお願いしますってわざわざ電話くれたのよ」
「そうなんですか」
今日の訪問自体は昨日の朝には決まっており、その後別の用事が確定した時点で阿志雄は志麻に連絡を入れていた。
「せっかく来たのに阿志雄いないんだ~」
リビングには普段翁崎家にいない人物が陣取っていた。彼女は三人掛けソファのど真ん中で足を組み、つまらなそうに唇を尖らせている。
「こんにちは奏さん」
「一ヶ月ぶりね、徹くん」
株式会社ケルストの大阪支社長・翁崎 奏は穂堂を無理やり自分の隣に座らせた。
「いっつもふたりで来てるんでしょ?阿志雄は自宅で羽伸ばしてるワケ?」
夫の実家に顔を出すことが苦手な彼女は自分の感覚を基準に物を言う。飾らず思ったままを口に出すのは奏の長所であり短所でもある。
以前やりあった際に阿志雄のことを気に入ったらしい。いないと分かった途端やや不機嫌になっている。
「用事があるとかで、ひとりで出掛けていきました」
「ふうん。徹くんが一緒じゃ都合が悪い用事なのかしら」
「これ、奏。変なこと言わないの!」
「だってアイツ、何より徹くんを優先するようなこと言ってたじゃない。それなのに、お休みの日に放ったらかしなんて」
ほんの少し棘が含まれた問いかけを、そばにいた志麻がたしなめた。当の穂堂は特に気にした様子もなく平然としている。
「阿志雄くんにも付き合いがありますから」
「ま。ヨユーの発言ね~!」
「奏っ!」
奏はまったく反省した素振りを見せずにニヤニヤと笑っていたが、不意にテーブルに置かれた土産の包みに気が付いた。
「なぁにコレ」
「真司くんと徹くんがくれたお土産よ。昨日一緒にお出掛けしてきたのよね?」
志麻に尋ねられ、穂堂は昨日のことを話した。
十数年前に先代社長と一緒に登った山へ行ったことや、同行した鍬沢や御霊泉の話も交えて。
これまでの穂堂は話し掛けられても最低限の言葉で返し、余分なことは言わなかったが、今の彼からは次々と言葉が溢れてくる。身振り手振りを交えて懸命に伝えようとする姿に、本当に楽しかったのだと志麻たちは感じた。
「でもさぁ、なんで山?」
「ちょっと体型が気になり始めたので、運動のために」
「徹くん痩せてるじゃない」
「……そ、それが、その」
奏に詰め寄られ、穂堂は無意識のうちに両手で腹部を押さえた。仕事内容が変わったり食事量が増えたせいで腹回りが気になり始めたは言えず、恥ずかしそうに俯いている。
「阿志雄が痩せろって言ったの?」
「いえ。でも、運動しようと誘ってくれました」
そこで奏はあることに気が付いた。志麻たちに聞こえぬよう穂堂の耳元に顔を寄せる。
「ねえ、それって『夜のお誘い』だったんじゃない?それなのに、山登りに行っちゃったんだ?」
「か、奏さん何を」
「徹くんてアッチ方面鈍そうだもんね。まあ、そういうトコが可愛いんだけど」
姉代わりである奏は、話しやすいが時々返答に困る話題を振ってくる。しかも今回は穂堂と阿志雄の関係に関わる内容だ。あまりにも露骨な話に穂堂は何も言い返すことが出来なくなった。
「阿志雄、欲求不満になってたりして」
「えっ」
思わぬ言葉に穂堂が声を上げると、奏の唇が弧を描いた。佐々原を袖にした穂堂に意地悪をしたかったのだろう。ニンマリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、「浮気されても知らないわよ」と耳元で囁く。
浮気の可能性など考えたこともない穂堂は、即座に否定しようと口を開きかけたところで黙り込んだ。
自分の察しの悪さで不満を抱かせていたのではないか。不平不満を言われたことはないが、口に出さないだけで本当は色々と言いたいことがあるのではないか。いつかのように、陰で我慢をさせてしまっているのではないか。
そう思った途端に不安に襲われた。
「わ、私は……」
焦る穂堂に奏が言葉を続ける。
「今日だって、ひとりでどこに行ってるやら」
「──っ」
僅かに芽生えた不安が今のひと言で心の大半を占める。指摘されるまで何の疑問もなかったのに、急に阿志雄の『用事』が気に掛かった。
「真司くん、ご実家に行ったんじゃないの?」
そこに志麻が割り込んだ。
お誘いやら欲求不満のくだりは聞こえていなかったようだが、阿志雄の行き先について奏が言及したのは聞こえたらしい。
「阿志雄くんがそう言ったのですか」
「行き先は聞いてないけど、お土産買ったなら届けに行くんじゃないかしら」
穂堂の実家代わりである翁崎家には毎回土産を渡しに寄っている。たまには阿志雄も自分の実家に顔を出すのではないか、と志麻は言っているのだ。
「阿志雄くんの、実家……」
「え、まさか、徹くん知らないの?」
「はい」
「あっちの家族に会ったことは?」
「ありません」
「はぁ~~~???」
奏が呆れて頭を抱えた。
志麻も難しい顔でこめかみを押さえている。
「真司くん、うちにはすぐ挨拶に来てくれたから、てっきり自分のご実家にも話をしていると思っていたんだけど」
「まずかったでしょうか」
「そうねぇ。交際云々は言えないかもしれないけど、一緒に暮らしているんだから一度はご挨拶すべきだと思うわ」
「そっ、そうですよね……」
家族だからといって全てを明かす必要はないが、同居人ならば緊急時に連絡することもあるだろう。最低限、連絡先の交換くらいはしておくべきだと志麻は考えている。
これまで阿志雄から実家や家族について聞いたことがなかった。自分自身が複雑な環境で育ったからか、穂堂はそういったプライベートな話題は無意識のうちに避けていた。
「電話してみたら?もし実家にいるなら、そのまま電話越しにあっちのご家族に挨拶しちゃいなさいよ」
テーブルに置いてあったスマホを奏が差し出し、穂堂は震える手でそれを受け取る。言われるがままに阿志雄に電話をかけると、一回目のコール音が途切れる前に繋がった。
『穂堂さん、どうしました?』
「阿志雄くん……」
ザワザワとした雑踏と共に聴こえてくる受話器越しの優しい声に、不安な気持ちがほんの少しだけ軽くなった。どうやらまだ移動中のようで、駅のアナウンスが響いている。
しかし、奏に唆されて掛けたものの、特に用事があるわけでもない。出掛けに何も聞かなかったくせに今さら行き先を尋ねるわけにもいかず、穂堂は口籠った。
『何かあったんすか、大丈夫?』
「す、すみません。なんでもないんです」
『?それならいいんですけど』
いつになく歯切れの悪い返事に疑問を抱いたようだが、阿志雄はそれ以上追及しなかった。
『阿志雄くん、そろそろ行くよー』
『あ、ハイッ!……すみません穂堂さん。帰りの時間が分かったらオレから連絡するんで!』
「えっ、阿志雄く──」
通話はそこで途切れた。
隣で会話を聞いていた奏は、つまらなさそうに「なぁんだ、男友達と一緒か~」とボヤいた。
「今のは……」
電話の向こうで阿志雄を呼ぶ声がした。
穂堂は声の主を知っている。
伊賀里 十和。
阿志雄が憧れている先輩社員だ。
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