上 下
10 / 142
第2章 疑惑の社員食堂

10話・本社の母

しおりを挟む


阿志雄あしおくん。君が帰ってくるのを待っていたんです。聞きたいことがありまして」

 カバンを拾い上げ、中の商品サンプルの無事を確認していた阿志雄は、穂堂ほどうの言葉にまたカバンを落とした。
 友人という立場を得たものの、それは阿志雄のゴリ押しに穂堂が折れただけ。関心を持ってもらえたということは親密度が上がった証拠だと舞い上がっているのだ。

「何でも聞いてくださいッ!」
「……とりあえず、君はカバンをもう少し大事にしましょうか。傷んでしまいますよ」

 再び床に落とされたカバンを拾って差し出すと、阿志雄は感激した表情で受け取った。
 ブンブンと勢い良く振られる尻尾の幻が見える。僅かな時間に随分懐かれたものだ、と穂堂は小さく息をついた。






 商品サンプルを開発部に返却し、上司に帰社した旨を連絡した(先に一報を入れるようにと穂堂が促した)後、社員食堂へと向かう。
 ランチタイムが終わり、片付けや翌日の仕込みを済ませ、調理補助の二人は退勤している。残っているのは食堂のおばちゃん、和地わじだけ。この時間帯は誰も食堂には近寄らない。話をするにはうってつけの場所だ。

「君が食事中に言った言葉の意味を教えてください」

 三人で食堂の片隅にあるテーブルを囲み、穂堂が話を切り出す。
 今日の昼前、ここで親子丼を食べながら、阿志雄は『なんか違う』と違和感を口にした。食材の違いに気付いての発言か、と尋ねているのだ。

「オレなんか言いました?」
「覚えてないんですか」
「美味かったのは覚えてますけど」
「…………」

 阿志雄の返答に、神妙な顔付きで座っていた和地ががくりと肩を落とした。明確な理由を期待していたが、阿志雄は思ったことを口に出しただけ。特に深い意図や意味はなかった。

「私は、君が食材の違いに気付いたのだと思っていましたが……」
「そんなん気付くわけないですよ。たまーに接待で美味いもん食わせてもらいますけど、それだって『美味い』しか分かんないし」

 東京支社に居た頃は有名店に行く機会も少なくなかった。良い食材と巧みな調理技術で生み出された洗練された料理も、阿志雄にしてみればどれも一律『美味いもの』という認識だ。

「ただ、三年前に食べた時となんか違うなって思ったんです。そりゃ当時とメニューは違いますけど、なんていうかこう……」

 三年前の本社研修時、教育係の伊賀里いがりや他の新入社員たちと一緒に昼食を取った。その時の記憶はまだ阿志雄の中で少しも色褪せていない。だからこそ感じた違和感。

「ていうか穂堂さんも同じもん食べたんだから、もし違いがあるなら分かるんじゃないですか?」
「……それが無理なんです。おそらく本社勤務で毎日食堂で食べている者ほど気付けない。というより何も言えないでしょう」
「はぁ?どういうことですか」

 意味が分からない、と阿志雄は首を傾げた。
 味に慣れ親しんでいるのなら、なおさら小さな違いに気付けるはずだと思ったからだ。

「本社勤務の者は和地さんに胃袋を掴まれています。和地さんは本社社員の母と言っても過言ではありません。食事にケチをつけるような発言は周りが許しませんし、そもそも和地さんに嫌われるような発言は出来ません」
「ほ、穂堂さん、言い過ぎじゃ……」
「いえ、真実です。我々は完全に支配下に置かれております」
「言い方!!」

 過剰に持ち上げられた和地は青い顔で否定するが、穂堂は終始真顔である。本気でそう考えているし、言い方はともかく事実なのだろう。
 気さくで優しく、一人一人に温かな言葉を掛け、美味しい食事を提供する和地に対し、本社社員が文句など言えるはずがない。何より、和地自身が食材の味の変化を感じさせないようメニューに工夫を施していた。よほど食にこだわりがあるか勘が鋭い者しか気付けない。

 和地の話と経理部で得た情報を聞き、阿志雄はようやく事態を把握した。何故自分に話を聞きたがっているのかも。
 阿志雄はまだ和地の支配下に置かれてはおらず、思ったことをそのまま口に出せる。しかし、多少の違和感には気付けても、それが何なのかまでは分からない。

「なるほど。でも、この件に関してはオレより適任がいます」
「どなたですか」
「オレと一緒に東京支社から転勤してきた奴がいるんですよ。そいつに聞きましょう」

 そう言って、阿志雄は会社支給の携帯で目的の人物を呼び出した。



      【調理師 和地 董子わじ とうこ
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

熱のせい

yoyo
BL
体調不良で漏らしてしまう、サラリーマンカップルの話です。

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

発禁状態異常と親友と

ミツミチ
BL
どエロい状態異常をかけられた身体を親友におねだりして慰めてもらう話

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

ペットボトルはミルクティーで 〜呉服屋店長は新入社員に狙われてます!〜

織緒こん
BL
pixivより改題して転載しています。(旧題『干支ひとまわりでごめんなさい〜呉服屋店長ロックオン〜』) 新入社員 結城頼(23)×呉服屋店長 大島祥悟(35)  中堅呉服店の鼓乃屋に勤める大島祥悟(おおしましょうご)は、昇格したばかりの新米店長である。系列店でも業績のいい店舗に配属されて、コツコツと仕事をこなしながら、実家で父が営むカフェの手伝いをする日々。  配属先にはパワハラで他店から降格転勤してきた年上の部下、塩沢(55)と彼のイビリにもめげない新入社員の結城頼(ゆうきより)がいた。隙あらば一番の下っ端である結城に仕事を押し付け、年下店長を坊や扱いする塩沢の横暴に、大島は疲れ果て──

sugar sugar honey! 甘くとろける恋をしよう

乃木のき
BL
母親の再婚によってあまーい名前になってしまった「佐藤蜜」は入学式の日、担任に「おいしそうだね」と言われてしまった。 周防獅子という負けず劣らずの名前を持つ担任は、ガタイに似合わず甘党でおっとりしていて、そばにいると心地がいい。 初恋もまだな蜜だけど周防と初めての経験を通して恋を知っていく。 (これが恋っていうものなのか?) 人を好きになる苦しさを知った時、蜜は大人の階段を上り始める。 ピュアな男子高生と先生の甘々ラブストーリー。 ※エブリスタにて『sugar sugar honey』のタイトルで掲載されていた作品です。

処理中です...