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第2章 疑惑の社員食堂
10話・本社の母
しおりを挟む「阿志雄くん。君が帰ってくるのを待っていたんです。聞きたいことがありまして」
カバンを拾い上げ、中の商品サンプルの無事を確認していた阿志雄は、穂堂の言葉にまたカバンを落とした。
友人という立場を得たものの、それは阿志雄のゴリ押しに穂堂が折れただけ。関心を持ってもらえたということは親密度が上がった証拠だと舞い上がっているのだ。
「何でも聞いてくださいッ!」
「……とりあえず、君はカバンをもう少し大事にしましょうか。傷んでしまいますよ」
再び床に落とされたカバンを拾って差し出すと、阿志雄は感激した表情で受け取った。
ブンブンと勢い良く振られる尻尾の幻が見える。僅かな時間に随分懐かれたものだ、と穂堂は小さく息をついた。
商品サンプルを開発部に返却し、上司に帰社した旨を連絡した(先に一報を入れるようにと穂堂が促した)後、社員食堂へと向かう。
ランチタイムが終わり、片付けや翌日の仕込みを済ませ、調理補助の二人は退勤している。残っているのは食堂のおばちゃん、和地だけ。この時間帯は誰も食堂には近寄らない。話をするにはうってつけの場所だ。
「君が食事中に言った言葉の意味を教えてください」
三人で食堂の片隅にあるテーブルを囲み、穂堂が話を切り出す。
今日の昼前、ここで親子丼を食べながら、阿志雄は『なんか違う』と違和感を口にした。食材の違いに気付いての発言か、と尋ねているのだ。
「オレなんか言いました?」
「覚えてないんですか」
「美味かったのは覚えてますけど」
「…………」
阿志雄の返答に、神妙な顔付きで座っていた和地ががくりと肩を落とした。明確な理由を期待していたが、阿志雄は思ったことを口に出しただけ。特に深い意図や意味はなかった。
「私は、君が食材の違いに気付いたのだと思っていましたが……」
「そんなん気付くわけないですよ。たまーに接待で美味いもん食わせてもらいますけど、それだって『美味い』しか分かんないし」
東京支社に居た頃は有名店に行く機会も少なくなかった。良い食材と巧みな調理技術で生み出された洗練された料理も、阿志雄にしてみればどれも一律『美味いもの』という認識だ。
「ただ、三年前に食べた時となんか違うなって思ったんです。そりゃ当時とメニューは違いますけど、なんていうかこう……」
三年前の本社研修時、教育係の伊賀里や他の新入社員たちと一緒に昼食を取った。その時の記憶はまだ阿志雄の中で少しも色褪せていない。だからこそ感じた違和感。
「ていうか穂堂さんも同じもん食べたんだから、もし違いがあるなら分かるんじゃないですか?」
「……それが無理なんです。おそらく本社勤務で毎日食堂で食べている者ほど気付けない。というより何も言えないでしょう」
「はぁ?どういうことですか」
意味が分からない、と阿志雄は首を傾げた。
味に慣れ親しんでいるのなら、なおさら小さな違いに気付けるはずだと思ったからだ。
「本社勤務の者は和地さんに胃袋を掴まれています。和地さんは本社社員の母と言っても過言ではありません。食事にケチをつけるような発言は周りが許しませんし、そもそも和地さんに嫌われるような発言は出来ません」
「ほ、穂堂さん、言い過ぎじゃ……」
「いえ、真実です。我々は完全に支配下に置かれております」
「言い方!!」
過剰に持ち上げられた和地は青い顔で否定するが、穂堂は終始真顔である。本気でそう考えているし、言い方はともかく事実なのだろう。
気さくで優しく、一人一人に温かな言葉を掛け、美味しい食事を提供する和地に対し、本社社員が文句など言えるはずがない。何より、和地自身が食材の味の変化を感じさせないようメニューに工夫を施していた。よほど食にこだわりがあるか勘が鋭い者しか気付けない。
和地の話と経理部で得た情報を聞き、阿志雄はようやく事態を把握した。何故自分に話を聞きたがっているのかも。
阿志雄はまだ和地の支配下に置かれてはおらず、思ったことをそのまま口に出せる。しかし、多少の違和感には気付けても、それが何なのかまでは分からない。
「なるほど。でも、この件に関してはオレより適任がいます」
「どなたですか」
「オレと一緒に東京支社から転勤してきた奴がいるんですよ。そいつに聞きましょう」
そう言って、阿志雄は会社支給の携帯で目的の人物を呼び出した。
【調理師 和地 董子】
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