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六十、
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しかし、今から後悔しても遅いのだ。ケリーがいなくなった事実は変わらないし、そもそも一人暮らしが寂しいというのも今更の話で、あれこれ嫌と言うのは我儘だろう。帰る前に、俺が困らないようにたくさんの料理を作ってくれたのだし、辛いと思うだけなのは違う気がする。
そう自分の中でなんとか折り合いをつけたつもりでいても、何度も思考は悪い方へと流れていって、その度に自己嫌悪に苛まれることとなった。
(眠い……。)
バイトが終わって、アパートで課題を広げるが眠気に襲われて集中できず、一度シャーペンを置いた。得意なはずの数学でも、今は数字の羅列にしか見えず嫌になってしまう。微かに頭も痛いように感じ、息を吐き出して目を閉じた。
(肩こりからくる頭痛……かな。)
ケリーに血を吸われていた時には感じなかった肩こりが、久しぶりに頭痛とともに現れた。肩をまわすが楽になる気配は無い。こういう体の不調とも、これからは向き合っていかなくてはならないのかと尚更嫌になってくる。一度楽を知ってしまうと余計に、だ。
(治すだけ治しといて放っておくなんてずるい……いや、待て。ケリーのせいにするな。)
一瞬でもケリーを非難しようとした自分に気付き、愕然とする。また思考が悪い方へと流れていってしまっていた。あれだけ良くしてもらっておいてそんな風に思ってしまうほど今の自分は落ちぶれているのかと、本当に嫌になってくる。
なんだか疲れてしまった、と床に倒れこんだ。そういえば一人の時はよく床に寝転がっていたが、ケリーと暮らし始めた時からしていなかった。
(ケリーは、元いた世界で料理作ってるんだろうな。)
俺のことなんてきっと気にせず。
優しくて明るい吸血鬼と、面倒くさがりで暗い俺。今思えば正反対過ぎた。きっとケリーは友人も多いだろうし、話してはいなかったけど恋人もいたかもしれない。意外と俺はケリーのことを深く知らなかったと、今になって思った。というより、ケリーも俺のことを深くは知らなかっただろう。俺もケリーも、聞かれたら自身のことも答えていたけど、自分から語ることはなかった。俺がお母さんのことを話したのは命日の墓参りの予定を偶然尋ねられたからだし、ケリーが料理人だと知ったのも俺が尋ねたからだった。もっと込み入った話も聞いたら答えてくれたのかもしれないけど、元々人と深く関わるのは苦手で避けていた為、聞こうとすら思わなかったのだ。
だが、今でも別に深く知ろうとすれば良かったとは思わない。知ってしまっていたらもっと離れるのはつらかったと思う。
暫く仰向けでぼんやりと天井を見ていたが、電気の光が眩しくてごろんと寝返りをうった。ベッドの下を覗き込むような体勢になり、そこに何かがあるのに気づいた。ベッドの下には何も置いていないので、それだけがポツンとそこにあった。
(なんだ?あれ)
気になって一度起き上がって、ベッドの側に寄る。手を伸ばせば届く距離だった。覗き込みながら手を伸ばすと、手前に引き寄せて部屋の電気に照らされたそれを見て瞬時に理解し、思わずギュッと握り締めた。
「テテ……」
縁が黄色の、小さな平たいテテのお皿。懐かしいそれを見た瞬間、胸の中がいっぱいになった。一緒にパンを焼いた日に見たあの皿ではない。すっかり見慣れた色の小さな可愛らしいお皿がそこにはあった。
(なんでここにあるんだろう。)
そういえば、お墓参りから帰ってきて晩ごはんを食べている時に清水が来て、テテはカーテンの裏に隠れていた。その時にお皿は見当たらなくて、きっとテテはベッドの下に隠したのだろう。そのまま忘れてしまっていたのかもしれないが、あの日にテテが食べていたのは豆腐だったし、皿は見た目にはあまり汚れていないようにも見えた。
「はは、賢い子なのに、忘れてるなんて可笑しい」
テテのおっちょこちょいな面が垣間見えたような気がして思わず笑みが溢れた。しかし、面白いと思えたのは一瞬だった。テテのいた痕跡をこうして見つけてしまうと、もうダメだった。
(……会いたい…)
皿を胸に抱くと、目頭が熱くなる。
(ケリーと、テテに会いたい。)
芽生えた思いは止まらず、しかし、実際に声に出すのは苦しくて出来なくて、思いは心の中で叫び始めた。
「急なお別れ程悲しいものはない」、それは母が亡くなった夢を見た時に思い出したことだった。それを意識したから、一週間の猶予があると前向きに思い込もうとして穏やかに過ごそうと努めた。しかし、俺はもう一つ考えなきゃいけないことがあった。急でも急でなくても、寂しいものは寂しいのだ。それは一人で暮らし始めてから、ケリーに会う日まで身をもって知っていたはずだった。それなのにどうして、安直に「大丈夫」だと思ったのだろう。大丈夫な訳が無かったのだ。テテのお皿を見ただけで苦しい程寂しくなる俺が、大丈夫な訳が無かった。
ポタ、ポタと頬から滑り落ちる涙がカーペットに吸い込まれていく。自分の体が鉛のように重くなった気がして、辛くなってまた床に寝転んだ。体を丸めるようにして、テテのお皿を胸に抱いたまま。そうしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
そう自分の中でなんとか折り合いをつけたつもりでいても、何度も思考は悪い方へと流れていって、その度に自己嫌悪に苛まれることとなった。
(眠い……。)
バイトが終わって、アパートで課題を広げるが眠気に襲われて集中できず、一度シャーペンを置いた。得意なはずの数学でも、今は数字の羅列にしか見えず嫌になってしまう。微かに頭も痛いように感じ、息を吐き出して目を閉じた。
(肩こりからくる頭痛……かな。)
ケリーに血を吸われていた時には感じなかった肩こりが、久しぶりに頭痛とともに現れた。肩をまわすが楽になる気配は無い。こういう体の不調とも、これからは向き合っていかなくてはならないのかと尚更嫌になってくる。一度楽を知ってしまうと余計に、だ。
(治すだけ治しといて放っておくなんてずるい……いや、待て。ケリーのせいにするな。)
一瞬でもケリーを非難しようとした自分に気付き、愕然とする。また思考が悪い方へと流れていってしまっていた。あれだけ良くしてもらっておいてそんな風に思ってしまうほど今の自分は落ちぶれているのかと、本当に嫌になってくる。
なんだか疲れてしまった、と床に倒れこんだ。そういえば一人の時はよく床に寝転がっていたが、ケリーと暮らし始めた時からしていなかった。
(ケリーは、元いた世界で料理作ってるんだろうな。)
俺のことなんてきっと気にせず。
優しくて明るい吸血鬼と、面倒くさがりで暗い俺。今思えば正反対過ぎた。きっとケリーは友人も多いだろうし、話してはいなかったけど恋人もいたかもしれない。意外と俺はケリーのことを深く知らなかったと、今になって思った。というより、ケリーも俺のことを深くは知らなかっただろう。俺もケリーも、聞かれたら自身のことも答えていたけど、自分から語ることはなかった。俺がお母さんのことを話したのは命日の墓参りの予定を偶然尋ねられたからだし、ケリーが料理人だと知ったのも俺が尋ねたからだった。もっと込み入った話も聞いたら答えてくれたのかもしれないけど、元々人と深く関わるのは苦手で避けていた為、聞こうとすら思わなかったのだ。
だが、今でも別に深く知ろうとすれば良かったとは思わない。知ってしまっていたらもっと離れるのはつらかったと思う。
暫く仰向けでぼんやりと天井を見ていたが、電気の光が眩しくてごろんと寝返りをうった。ベッドの下を覗き込むような体勢になり、そこに何かがあるのに気づいた。ベッドの下には何も置いていないので、それだけがポツンとそこにあった。
(なんだ?あれ)
気になって一度起き上がって、ベッドの側に寄る。手を伸ばせば届く距離だった。覗き込みながら手を伸ばすと、手前に引き寄せて部屋の電気に照らされたそれを見て瞬時に理解し、思わずギュッと握り締めた。
「テテ……」
縁が黄色の、小さな平たいテテのお皿。懐かしいそれを見た瞬間、胸の中がいっぱいになった。一緒にパンを焼いた日に見たあの皿ではない。すっかり見慣れた色の小さな可愛らしいお皿がそこにはあった。
(なんでここにあるんだろう。)
そういえば、お墓参りから帰ってきて晩ごはんを食べている時に清水が来て、テテはカーテンの裏に隠れていた。その時にお皿は見当たらなくて、きっとテテはベッドの下に隠したのだろう。そのまま忘れてしまっていたのかもしれないが、あの日にテテが食べていたのは豆腐だったし、皿は見た目にはあまり汚れていないようにも見えた。
「はは、賢い子なのに、忘れてるなんて可笑しい」
テテのおっちょこちょいな面が垣間見えたような気がして思わず笑みが溢れた。しかし、面白いと思えたのは一瞬だった。テテのいた痕跡をこうして見つけてしまうと、もうダメだった。
(……会いたい…)
皿を胸に抱くと、目頭が熱くなる。
(ケリーと、テテに会いたい。)
芽生えた思いは止まらず、しかし、実際に声に出すのは苦しくて出来なくて、思いは心の中で叫び始めた。
「急なお別れ程悲しいものはない」、それは母が亡くなった夢を見た時に思い出したことだった。それを意識したから、一週間の猶予があると前向きに思い込もうとして穏やかに過ごそうと努めた。しかし、俺はもう一つ考えなきゃいけないことがあった。急でも急でなくても、寂しいものは寂しいのだ。それは一人で暮らし始めてから、ケリーに会う日まで身をもって知っていたはずだった。それなのにどうして、安直に「大丈夫」だと思ったのだろう。大丈夫な訳が無かったのだ。テテのお皿を見ただけで苦しい程寂しくなる俺が、大丈夫な訳が無かった。
ポタ、ポタと頬から滑り落ちる涙がカーペットに吸い込まれていく。自分の体が鉛のように重くなった気がして、辛くなってまた床に寝転んだ。体を丸めるようにして、テテのお皿を胸に抱いたまま。そうしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
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