読めない喫茶店

宇野片み緒

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いつものように

13.外面百点

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 今は職場の昼休みだ。澤口は個人の席で表情豊かに携帯を眺めていた。飛架理のツイッターアカウントが急に消えていて、同情するやら面白いやら。ついに親に見つかったのだろう。
「何見てるんですかあ?」
 背後から急に、媚売り女と評されている同期社員が覗き込んだ。気難しい目の青年は、画面を身に寄せ咄嗟に隠す。女は困り顔を作って「えー」とおどけて見せた。そこは謝れや、と口に出そうなのを堪える澤口。それから彼女は、パーソナルスペースを脅かすほど手を近づけて、個包装の温泉まんじゅうを彼の机に一つ置いた。食べ物が来た嬉しさより距離感の不快さが勝る。
「係長から。別府行ったお土産やねんて」
 彼女も関西出身らしく、澤口にとっては馴染み深い方言で話す。係長は今日は外回りだ。
「どうも」
 澤口は目を合わさないまま淡々と述べ、再び携帯を構おうとする。職場ではこう、というわけではない。この同期のことだけが生理的に無理で、仕事仲間と割り切れずに避けているのだ。
「そうや。澤口さんって筋トレとかしてます?」
 続けて話しかけられたので、ぎょっとした。顔だけは美人と称して過言ではないその女は、強気そうな目を弧にして、キンキン響く声で述べる。
「澤口さんけっこう筋肉あるじゃないですか。うち、外回り耐えれるように体力つけたくて。もしジムとか通ってたら紹介してくださいよ」
 面倒くさ、と如実に顔に出てしまう澤口だった。確かに、通っているジムが近くにある。別にマッチョを目指しているわけではない。ただ健康維持のために、人並みよりは運動しておくことが漠然と趣味なのだ。社交辞令で顔を見て、投げやりに答えた。
「特に何もしてません」
「えー、絶対嘘や」
 まだ配り終えていない温泉まんじゅうが入っている箱と、壁のデジタル時計を見比べつつ、女は笑顔で「また聞きまあす」と足早に去った。二度と来るなと心の中で悪態をつく。
 この通り態度を調節できない澤口だが、実は営業成績は優秀である。給料に繋がるノルマとなれば、爽やかな営業スマイルも、誇張気味なセールストークも上々に出来るのだ。係長がいつも「外面百点」とちゃかしてくるが、声色や表情から誉め言葉のニュアンスを感じとれるため、喧しくは思うが気にならない。他の社員も同様。ただこの同期の媚び売り女だけは、違った。彼女が便乗して言う「外面百点」だけ、響き方が生々しいのだ。器用に八方美人できない人格を否定されたように感じ、しんどくなる。そして、彼女は実際否定しているのだろう。

 冬は七時で既に暗い。帰路、疲れた心が自然に喫茶エプロンへと向いた。
「や、澤口さん。仕事帰りですか。おかえりなさい」
 珍妙な空間にゆらりと響く、緩慢な掠れ声に安堵する。おかえりなさいという言葉選びが実に松虫らしかった。杖をついているのは未だ変わらず、乾いた音が床を叩く。ただいまと口を動かすと、肩の力が優しく抜けた。大きなこうもり傘を、赤茶の机に引っ掛けて席に着く。
 注文をしようと狭い店内を見回す。新しい貼り紙を見つけ、澤口はにやりとした。



 ひらがなのようにも漢字のようにも見える短い言葉。眉間に皺を寄せ、読みを考える。
「しっぷ?」「とうふ」
 恒例の漫才のように連なる、誤答と正解。松虫は少し考え込んでから、
「ええと、デザートが出来てしまいそうなのですけれども」
 と申し訳なさげに首をすくめた。
「じゃ、カレーとしっぷで。アレンジ思いつくの早すぎませんか」
「ふふ、慣れて参りました」
 蹄のような杖の音が厨房に消えていく。小さな猫背を、しんみりと見送った。
 棚の雑誌類のタイトルを、流し見ながら完成を待つことにする。自然に関する言葉は何度も目に入った。最新の年月日の物もあり、店主の現行の趣味と分かる。心許なく、澤口は松虫が居る方角へ目線を投げた。厨房にはくりぬき窓があり、インド布のカーテンで目隠ししてある。その奥から、香辛料独特のエスニックな匂いが漂ってくる。杖の要る足で登山は厳しいだろう。ふと、この喫茶店が幻想の山小屋のように感じられて、嬉しいような悲しいような思いが押し寄せた。
 少しして料理がよたよたと運ばれてきた。両手持ちの盆と、右に重心が傾いたまま進もうとするずり足。今にも転んで料理をぶちまけそうな不安定さ。澤口は慌てて立ち上がり、小走りで近づいて受け取った。松虫は気恥ずかしそうに手もみして、詰まりながら話す。
「お、お、どうも、すみません。その、片手で持って、片手で杖をついて、運ぶ、という器用なことが、私、どうにも出来ませんもので」
「はいはい。お気になさらず」
 わざと軽く言う。店主は苦笑して、白髪混じりの頭を縦に一度ゆっくり振った。
 仕事疲れの青年は、金のクロッシュを大いに期待して開く。中には、ほのかに橙色を感じる黒カレーがソースポット入りで居た。そしてカレーの相棒に玄米ご飯。脇の小皿に、ジャム乗せレアチーズケーキに見えるデザート。その下には大きな枇杷葉が敷かれていた。さらに洒落た耐熱グラスに入っている濃い色彩の暖かい茶。華やかなセットに澤口は目を丸くする。店主が嬉しそうな笑顔で料理の紹介を始める。得意げなひそひそ声だった。
「こちら、ビワカレーと、ビワジャム添えのとうふケーキと、ビワ茶です」
「何そのビワ尽くし」
 笑顔で突っ込む澤口。えっへん、と言わんばかりに松虫は述べた。
「ビワはですね、実は湿布になる薬木なんです。古来から、ビワの葉療法と呼ばれる方法がございまして、温めて貼ると痛みによく効くんですよ」
 そして自らの、びっこを引いている左足に視線を落とした。「へえ、湿布」と感心する澤口。
「そう、湿布。え、それから、ですね。心の痛みにも、よく効きますから。どうぞ」
 松虫が心配そうに補足したので、澤口は目を白黒させた。今日はまだ何も話していないのに。
「すみません。表情、気をつけたつもりだったんですが」
 営業的な笑みを咄嗟に見せると、店主は柔和に微笑んだ。
「やっぱり。ああ、いえ、確かに今日は、お顔に出ていなかったですけれど、澤口さんがお仕事帰りに寄られる時って、いつも何かあった後だから……」
 己の単純な習性に呆れる。途端に甘えが溢れ、無理に平常にしていた眉が崩れた。人を気遣える心のゆとりが羨ましい。ビワ茶を口に運ぶ。烏龍茶に似た懐かしい風味に、泣きかけた。
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