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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十話「惑わしの水路」⑶
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船頭は由良が乗りやすいよう、ボートを歩道へ着けていた。由良がボートに戻ると、早々に歩道から離れた。
「気は済みましたか?」
由良は答える代わりに、質問を返した。
「あの男性はどうしてしまったんでしょうか? 曲にしか聞こえないのに、『人の声』だと言うんです。それとも、私の耳がおかしいのでしょうか?」
「いいえ、お二人とも正常ですよ。電話がお二人に合わせているんです」
「……どういうことですか?」
船頭はオールを漕ぎながら答えた。
「その電話は、『望みの音』を聞ける電話なんだそうです。あの場にいらっしゃった〈探し人〉の主人は、恋人を事故で亡くされました。突然のできごとで無念だったのでしょう、彼女の痕跡を探すため、〈探し人〉を生み出されました」
「……」
「〈探し人〉であるあの方が〈未練溜まり〉にいらっしゃるということは、どんな形であれ、主人のほうは恋人の死を忘れられたのでしょう。ですが、〈探し人〉は探すのが役目。〈未練溜まり〉にいらしてなお、恋人の痕跡を探しまわり、やがてこの水路へ行き着き……離れられなくなった。今の彼は、もはや誰の声にも耳を貸しません。貴方が何を聞いたか存じませんが、忘れたほうが賢明かと」
由良には電話の音声が、祖母が好きだった「蛍の集会所」に聞こえた。声でなかった原因は、由良が祖母の声を一度も聞いたことがないからだろう。
もし、由良が祖母の声を知っていたら、男性と同じように、電話ボックスから動けなくなっていたかもしれない。
「なぜ、そんな危険な電話を野放しにしているんです? 一刻も早く処分したほうがいいじゃないですか」
「私には見えないのでなんとも……いっそ、水路を埋めてしまうのが一番なんですけどね。物資運搬に便利だからって、永遠野様も子供達も渋られているんです」
「いや、埋めるのはちょっと」
電話は相変わらず鳴り続けている。
由良は煩わしくなり、船頭から渡されていた耳栓をつけた。水路は再び闇に包まれ、電話ボックスも受話器も見えなくなった。
さらに進むと、懐かしい香りが漂ってきた。懐虫電燈のコーヒーの香りだ。
(こんなところに喫茶店があるわけがない)
と思ったのもつかの間、ボートが角を曲がった先に、懐虫電燈が建っていた。
「なっ?!」
「急に立つと落ちますよ。座ってください」
思わず立ち上がってしまい、船頭に注意される。耳栓をとおしているので、声がはっきりと聞こえる。
懐虫電燈の他にも、かつて洋燈商店街にあった定食屋や駄菓子屋などが、歩道に所狭しと並んでいる。先ほどの男性のように迷い込んできたのか、どの店も〈探し人〉達でにぎわっていた。
「水路にもお店があるんですか?」
「ございませんよ」
「でも、ほら」
「ございませんって」
船頭は頑なに、店の存在を認めようとしない。ボートのスピードが上がる。
その時、懐虫電燈から若い女性の店員が出てきた。祖父の手帳に挟まっていた、若かりし頃の祖母の写真と瓜二つだ。顔も服装も、写真のままだった。
女性は由良と目が合うと、にっこり微笑んだ。ボートへ歩み寄り、手を差し伸べる。女性からふんわりと、懐虫電燈のコーヒーの香りがした。
女性は口をパクパクと動かし、由良に話しかけた。
「……、……」
「待って。今、耳栓を外すから」
由良は女性が何を言っているのか聞こうと、耳栓を外した。外す直前、「駄目!」と船頭の焦る声が聞こえた。
「みゃッ!」
「あいたっ」
次の瞬間、黒猫が由良の顔に仮面を押しつけた。
たちまち、由良の視覚と嗅覚は封じられる。目の前が真っ暗になり、香りどころか酸素も満足に吸えない。
唯一、解放されていた聴覚が、女性の声を聞き取った。だが、
「~♪」
(え?)
それは言葉ではなかった。
……「蛍の集会所」。電話ボックスの受話器から聞こえた幻聴と、同じ旋律だった。
女性は由良がなかなか降りないのでしびれを切らしたのか、由良の手をつかみ、引っ張り上げようとした。
表面はつるつるしているものの、弾力はない。例えるなら、写真を貼り合わせて作ったような手だった。当然あるはずの体温も感じない。触れられた一瞬で、異質だと気づいた。
「離し……!」
突如、曲が止まった。船頭が由良の耳に耳栓を入れたのだ。
同時に、引っ張っていた手が離れる。耳栓を通し、船頭の呆れた声が届いた。
「ですから、申し上げましたのに。なにを目にしても、耳にしても、動じてはなりません、と。ここは"惑わしの水路"なのですから」
「気は済みましたか?」
由良は答える代わりに、質問を返した。
「あの男性はどうしてしまったんでしょうか? 曲にしか聞こえないのに、『人の声』だと言うんです。それとも、私の耳がおかしいのでしょうか?」
「いいえ、お二人とも正常ですよ。電話がお二人に合わせているんです」
「……どういうことですか?」
船頭はオールを漕ぎながら答えた。
「その電話は、『望みの音』を聞ける電話なんだそうです。あの場にいらっしゃった〈探し人〉の主人は、恋人を事故で亡くされました。突然のできごとで無念だったのでしょう、彼女の痕跡を探すため、〈探し人〉を生み出されました」
「……」
「〈探し人〉であるあの方が〈未練溜まり〉にいらっしゃるということは、どんな形であれ、主人のほうは恋人の死を忘れられたのでしょう。ですが、〈探し人〉は探すのが役目。〈未練溜まり〉にいらしてなお、恋人の痕跡を探しまわり、やがてこの水路へ行き着き……離れられなくなった。今の彼は、もはや誰の声にも耳を貸しません。貴方が何を聞いたか存じませんが、忘れたほうが賢明かと」
由良には電話の音声が、祖母が好きだった「蛍の集会所」に聞こえた。声でなかった原因は、由良が祖母の声を一度も聞いたことがないからだろう。
もし、由良が祖母の声を知っていたら、男性と同じように、電話ボックスから動けなくなっていたかもしれない。
「なぜ、そんな危険な電話を野放しにしているんです? 一刻も早く処分したほうがいいじゃないですか」
「私には見えないのでなんとも……いっそ、水路を埋めてしまうのが一番なんですけどね。物資運搬に便利だからって、永遠野様も子供達も渋られているんです」
「いや、埋めるのはちょっと」
電話は相変わらず鳴り続けている。
由良は煩わしくなり、船頭から渡されていた耳栓をつけた。水路は再び闇に包まれ、電話ボックスも受話器も見えなくなった。
さらに進むと、懐かしい香りが漂ってきた。懐虫電燈のコーヒーの香りだ。
(こんなところに喫茶店があるわけがない)
と思ったのもつかの間、ボートが角を曲がった先に、懐虫電燈が建っていた。
「なっ?!」
「急に立つと落ちますよ。座ってください」
思わず立ち上がってしまい、船頭に注意される。耳栓をとおしているので、声がはっきりと聞こえる。
懐虫電燈の他にも、かつて洋燈商店街にあった定食屋や駄菓子屋などが、歩道に所狭しと並んでいる。先ほどの男性のように迷い込んできたのか、どの店も〈探し人〉達でにぎわっていた。
「水路にもお店があるんですか?」
「ございませんよ」
「でも、ほら」
「ございませんって」
船頭は頑なに、店の存在を認めようとしない。ボートのスピードが上がる。
その時、懐虫電燈から若い女性の店員が出てきた。祖父の手帳に挟まっていた、若かりし頃の祖母の写真と瓜二つだ。顔も服装も、写真のままだった。
女性は由良と目が合うと、にっこり微笑んだ。ボートへ歩み寄り、手を差し伸べる。女性からふんわりと、懐虫電燈のコーヒーの香りがした。
女性は口をパクパクと動かし、由良に話しかけた。
「……、……」
「待って。今、耳栓を外すから」
由良は女性が何を言っているのか聞こうと、耳栓を外した。外す直前、「駄目!」と船頭の焦る声が聞こえた。
「みゃッ!」
「あいたっ」
次の瞬間、黒猫が由良の顔に仮面を押しつけた。
たちまち、由良の視覚と嗅覚は封じられる。目の前が真っ暗になり、香りどころか酸素も満足に吸えない。
唯一、解放されていた聴覚が、女性の声を聞き取った。だが、
「~♪」
(え?)
それは言葉ではなかった。
……「蛍の集会所」。電話ボックスの受話器から聞こえた幻聴と、同じ旋律だった。
女性は由良がなかなか降りないのでしびれを切らしたのか、由良の手をつかみ、引っ張り上げようとした。
表面はつるつるしているものの、弾力はない。例えるなら、写真を貼り合わせて作ったような手だった。当然あるはずの体温も感じない。触れられた一瞬で、異質だと気づいた。
「離し……!」
突如、曲が止まった。船頭が由良の耳に耳栓を入れたのだ。
同時に、引っ張っていた手が離れる。耳栓を通し、船頭の呆れた声が届いた。
「ですから、申し上げましたのに。なにを目にしても、耳にしても、動じてはなりません、と。ここは"惑わしの水路"なのですから」
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