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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第二話「ビアガーデン・ライムライト」⑷
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未練の記憶はピアノを弾き歌うシトロンに重なったまま、目まぐるしく変化する。音や声はなく、無声映画を見ているようだった。
仲間達と共に演奏するシトロン。ステージが終わると、給仕として店を手伝っていた。
場面は切り替わり、客だった男性と店で結婚式を開いている。演奏仲間やお客さんから花束を贈られ、幸せそうだった。
背景が変わり、シトロンは子供を連れて街を歩いていた。買い物帰りなのか、食料品で大きく膨らんだビニール袋を提げていた。
ふと、シャッターの閉まった店の前で足を止める。看板は色褪せていたが、かつてシトロンがピアノを弾いていた店だった。
帰宅し、夫に詰め寄るシトロン。何を話しているかは聞こえなかったが、途中で夫を責めるのをやめ、ショックで立ち尽くした。
そのあたりから口の中の酸味が収まってきた。映像も徐々に薄れ、完全に見えなくなった。後には清々しい顔でピアノを弾く、〈探し人〉のシトロンだけが残った。
「イムラさん、パイに変な薬でも入れました?」
「まさか! お口に合いませんでしたか?」
「いえ、とっても美味しかったんですけど……」
由良はたった今見た光景を、イムラに話した。
イムラは「なるほど」と、切る前のキーライムを持ってきて見せた。輪切りにしたものよりも光が強く、このまま間接照明として使えそうなくらいだった。
「こちらは当店で使っているキーライムです。未練街で作られたものでして、他の食材より心果を多く含んでおります。心果は純粋な思い出ゆえに染まりやすく、ささいなキッカケで記憶を吸ってしまいます。おそらくお客様が食べられたキーライムに、シトロンさんの記憶が混じってしまったのでしょう」
「それマズくないですか? 他人の記憶を覗き見れちゃうってことですよね?」
「えぇ。そこまで長く見られることは滅多にないのですが。見えたとしても一瞬だけなので気になりませんし。もしかしたら、お客様は見えやすい体質なのかもしれませんね」
由良はドキッとした。普段から〈心の落とし物〉や〈探し人〉が見えるのだ、今さら何が見えてもおかしくない。
「見えちゃった時って、どうしたらいいんですか? 少なくとも、本人には謝っておいた方がいいですよね?」
イムラは首を振った。
「逆です。何か見たり聞いたりしても詮索しないのが一番です。辛い思い出を抱えていらっしゃる方もいらっしゃいますから」
「シトロンさんも?」
イムラは大きく頷いた。
「ご想像どおり、シトロンさんのご主人は大切な場所……働いていたジャズ喫茶店を失い、そのショックでピアノが弾けなくなってしまわれました。シトロンさんはご主人の代わりにピアノを弾いて回り、新たな居場所を探されていたんですよ。まぁ、いずれの場所も彼女を受け入れてはくれませんでしたが。私があと少し洋燈町に残れていれば、彼女の居場所になれたかもしれないのに」
ミントアイスティーのライムは残そうと思っていたが、うっかり食べてしまった。ライムの爽やかな香りが、鼻をかすめる。
同時に、子供の頃のある記憶が頭に浮かんだ。真夏の昼下がりで、由良は懐虫電燈でライムソーダを飲みながら宿題をしていた。他に客がいないのをいいことに、四人がけのテーブルを独り占めにしていた。
そこへ、時々来る初老の男性客がやって来た。男性客は由良が飲んでいるライムソーダを見て、足を止めた。
「それ、美味しいかい?」
「うん」
「自家製のシロップなんです。イムラさんには敵いませんが」
「それはぜひ飲ませていただきたいですな」
男性客はカウンターの席に座ると、由良と同じライムソーダを頼んだ。
「来月には移転するので、馴染みの店を回っているんです」
「イムラさんもですか。商店街がますます寂しくなりますね」
祖父は名残惜しそうに背を向ける。
何も知らない由良は無邪気に、男性客にたずねた。
「おじさん、ライム好きなの?」
「うん」
男性客は由良を振り向き、微笑んだ。
「私は自分の店の名前につけるくらい、ライムに目がないんだ」
記憶はそこで途切れる。
由良は目の前にいる〈探し人〉のイムラにも訊いてみた。
「イムラさん、ライムお好きなんですか?」
「えぇ」
イムラはパカッと目を開いた。
「目がライムになるくらい好きです」
「うわぁ」
イムラの瞳は輪切りにしたライムのように、全体が複雑な光沢のある黄緑色で、ふちが緑色だった。
(第三話へつづく)
仲間達と共に演奏するシトロン。ステージが終わると、給仕として店を手伝っていた。
場面は切り替わり、客だった男性と店で結婚式を開いている。演奏仲間やお客さんから花束を贈られ、幸せそうだった。
背景が変わり、シトロンは子供を連れて街を歩いていた。買い物帰りなのか、食料品で大きく膨らんだビニール袋を提げていた。
ふと、シャッターの閉まった店の前で足を止める。看板は色褪せていたが、かつてシトロンがピアノを弾いていた店だった。
帰宅し、夫に詰め寄るシトロン。何を話しているかは聞こえなかったが、途中で夫を責めるのをやめ、ショックで立ち尽くした。
そのあたりから口の中の酸味が収まってきた。映像も徐々に薄れ、完全に見えなくなった。後には清々しい顔でピアノを弾く、〈探し人〉のシトロンだけが残った。
「イムラさん、パイに変な薬でも入れました?」
「まさか! お口に合いませんでしたか?」
「いえ、とっても美味しかったんですけど……」
由良はたった今見た光景を、イムラに話した。
イムラは「なるほど」と、切る前のキーライムを持ってきて見せた。輪切りにしたものよりも光が強く、このまま間接照明として使えそうなくらいだった。
「こちらは当店で使っているキーライムです。未練街で作られたものでして、他の食材より心果を多く含んでおります。心果は純粋な思い出ゆえに染まりやすく、ささいなキッカケで記憶を吸ってしまいます。おそらくお客様が食べられたキーライムに、シトロンさんの記憶が混じってしまったのでしょう」
「それマズくないですか? 他人の記憶を覗き見れちゃうってことですよね?」
「えぇ。そこまで長く見られることは滅多にないのですが。見えたとしても一瞬だけなので気になりませんし。もしかしたら、お客様は見えやすい体質なのかもしれませんね」
由良はドキッとした。普段から〈心の落とし物〉や〈探し人〉が見えるのだ、今さら何が見えてもおかしくない。
「見えちゃった時って、どうしたらいいんですか? 少なくとも、本人には謝っておいた方がいいですよね?」
イムラは首を振った。
「逆です。何か見たり聞いたりしても詮索しないのが一番です。辛い思い出を抱えていらっしゃる方もいらっしゃいますから」
「シトロンさんも?」
イムラは大きく頷いた。
「ご想像どおり、シトロンさんのご主人は大切な場所……働いていたジャズ喫茶店を失い、そのショックでピアノが弾けなくなってしまわれました。シトロンさんはご主人の代わりにピアノを弾いて回り、新たな居場所を探されていたんですよ。まぁ、いずれの場所も彼女を受け入れてはくれませんでしたが。私があと少し洋燈町に残れていれば、彼女の居場所になれたかもしれないのに」
ミントアイスティーのライムは残そうと思っていたが、うっかり食べてしまった。ライムの爽やかな香りが、鼻をかすめる。
同時に、子供の頃のある記憶が頭に浮かんだ。真夏の昼下がりで、由良は懐虫電燈でライムソーダを飲みながら宿題をしていた。他に客がいないのをいいことに、四人がけのテーブルを独り占めにしていた。
そこへ、時々来る初老の男性客がやって来た。男性客は由良が飲んでいるライムソーダを見て、足を止めた。
「それ、美味しいかい?」
「うん」
「自家製のシロップなんです。イムラさんには敵いませんが」
「それはぜひ飲ませていただきたいですな」
男性客はカウンターの席に座ると、由良と同じライムソーダを頼んだ。
「来月には移転するので、馴染みの店を回っているんです」
「イムラさんもですか。商店街がますます寂しくなりますね」
祖父は名残惜しそうに背を向ける。
何も知らない由良は無邪気に、男性客にたずねた。
「おじさん、ライム好きなの?」
「うん」
男性客は由良を振り向き、微笑んだ。
「私は自分の店の名前につけるくらい、ライムに目がないんだ」
記憶はそこで途切れる。
由良は目の前にいる〈探し人〉のイムラにも訊いてみた。
「イムラさん、ライムお好きなんですか?」
「えぇ」
イムラはパカッと目を開いた。
「目がライムになるくらい好きです」
「うわぁ」
イムラの瞳は輪切りにしたライムのように、全体が複雑な光沢のある黄緑色で、ふちが緑色だった。
(第三話へつづく)
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