258 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第二話「ビアガーデン・ライムライト」⑶
しおりを挟む
ピアノの演奏が終わる。客達は割れんばかりに、拍手を送った。
ピアニストは次の演奏をレコードに任せ、カウンターへ移動した。
「マスター! ギムレットひとつ!」
椅子に座り、イムラを呼ぶ。
イムラは「やれやれ」と肩をすくめ、カウンターへ戻る。由良も後に続いた。
「シトロンさん、仕事中ですよ。アルコールは控えてください」
「他に何を飲めって言うのよ?」
「ミントアイスティーはいかがです? 喉にいいですよ」
「えー。ミントなら、ミントリキュールが飲みたーい」
「私はミントアイスティーがいいです。ください」
ピアニストは怪訝そうに、由良を見た。
「貴方、客でしょ? ビアガーデンで酒を頼まないなんて、正気?」
「人を探していまして。酔うと困るんです」
由良はピアニストにも、未練街に来た目的を話した。
二人の前に、うっすら黄緑色に輝くミントアイスティーが出される。輪切りのライムとミントが添えられ、見た目にも清涼感があった。飲むと、口の中がスーッとする。ピアニストも渋々飲んでいた。
「残念だけど、私もその人のことは知らないわ。主人は洋燈町からだいぶ離れた街に住んでいるし、私がここへ来たのだってつい最近だもの」
「最近って、いつですか?」
「んー……五年か六年くらい前?」
「それ、最近って言わないですよ」
「うるさいわねぇ。〈探し人〉の一年は一日みたいなもんでしょ? 誤差よ、誤差」
にしても、とピアニストは憐れそうに由良を見た。
「人探しに魔女を頼るなんて、よっぽど切羽詰まってるのね」
「変ですか?」
「この街における最終手段だもの。一国の王に直談判しに行くようなものよ。普通なら、人探しを生業にしている〈探し人〉に頼むわ。まぁ、夜明けまでに探し出すなんて、魔女にしかできないでしょうけど」
「貴方の〈心の落とし物〉は……ピアノを弾くこと?」
「まぁね。ここへ来る前は日本中のピアノを弾いて回ったわ。でも、まともに聴いてくれる人はいなかった。人間には私の姿が見えないし、演奏も聴こえなかったの。たまに気づいてくれる人はいたけど、ピアノの故障だとか心霊現象だとか気味悪がられるばかり。本当の私も満足してくれないし、嫌気が差してここへ来たってわけ。まさか、〈未練溜まり〉でピアニストとして雇ってもらえるとは思わなかったけどね」
ピアニストは愛おしそうにピアノを眺めた。
「あの子は未練街で拾ったのよ。せっかくいい音出すのに、捨てられて蚤の市で売られてた。せっかく楽器の〈心の落とし物〉として生まれたのに、弾く人間がいないなんて可哀想よ」
ピアニストは残りのミントアイスティーを飲み干し、演奏へ戻った。レコードを止め、再び軽快な手つきで演奏を始める。
今度は歌いながらピアノを弾いた。古いミュージカル映画の曲だ。ハスキーで力強い歌声が屋上を超え、辺り一帯に響き渡る。下の商店街にも届いているかもしれない。
「あのピアニストの方、シトロンさんって言うんですか?」
「芸名だそうですよ。正しくはシトロン・ヴェールです。本名は『ダサいから』と教えてくれません」
カルパッチョを食べ終え、今度は甘いものが食べたくなった。由良はメニュー表から「キーライムパイ」という見知らぬパイを見つけ、それを頼んだ。
出てきたのは、うっすら黄身がかった生地の上に、薄くスライスされた生のライムがのっているパイだった。柑橘系の強烈な酸味を、コンデンスミルクの甘味が中和する。
「ライムのパイ、ですか」
「正確にはキーライムです。生地が黄色いのは、キーライムの果汁が入っているからです。キーライムの皮や果肉は緑ですが、果汁は黄色なんですよ」
食べながら、シトロンの演奏する姿を眺める。生のキーライムはさらに酸っぱい。酸味の影響か、視界が歪んだ。
(……変だ。目の前の景色が二重に見える)
由良の目には、二人のシトロンが重なって見えていた。屋上のビアガーデンでピアノを弾いているシトロンと、狭いステージでピアノを弾いているシトロン。客の雰囲気も違う。決定的だったのは、ステージのシトロンには共に演奏する仲間がいた。
なぜこのような景色が見えるのか、由良は分からなかった。ただ、自分が何を見ているのかは理解した。
(これはシトロンさんの記憶だ。シトロンさんを作っている、未練そのものだ)
ピアニストは次の演奏をレコードに任せ、カウンターへ移動した。
「マスター! ギムレットひとつ!」
椅子に座り、イムラを呼ぶ。
イムラは「やれやれ」と肩をすくめ、カウンターへ戻る。由良も後に続いた。
「シトロンさん、仕事中ですよ。アルコールは控えてください」
「他に何を飲めって言うのよ?」
「ミントアイスティーはいかがです? 喉にいいですよ」
「えー。ミントなら、ミントリキュールが飲みたーい」
「私はミントアイスティーがいいです。ください」
ピアニストは怪訝そうに、由良を見た。
「貴方、客でしょ? ビアガーデンで酒を頼まないなんて、正気?」
「人を探していまして。酔うと困るんです」
由良はピアニストにも、未練街に来た目的を話した。
二人の前に、うっすら黄緑色に輝くミントアイスティーが出される。輪切りのライムとミントが添えられ、見た目にも清涼感があった。飲むと、口の中がスーッとする。ピアニストも渋々飲んでいた。
「残念だけど、私もその人のことは知らないわ。主人は洋燈町からだいぶ離れた街に住んでいるし、私がここへ来たのだってつい最近だもの」
「最近って、いつですか?」
「んー……五年か六年くらい前?」
「それ、最近って言わないですよ」
「うるさいわねぇ。〈探し人〉の一年は一日みたいなもんでしょ? 誤差よ、誤差」
にしても、とピアニストは憐れそうに由良を見た。
「人探しに魔女を頼るなんて、よっぽど切羽詰まってるのね」
「変ですか?」
「この街における最終手段だもの。一国の王に直談判しに行くようなものよ。普通なら、人探しを生業にしている〈探し人〉に頼むわ。まぁ、夜明けまでに探し出すなんて、魔女にしかできないでしょうけど」
「貴方の〈心の落とし物〉は……ピアノを弾くこと?」
「まぁね。ここへ来る前は日本中のピアノを弾いて回ったわ。でも、まともに聴いてくれる人はいなかった。人間には私の姿が見えないし、演奏も聴こえなかったの。たまに気づいてくれる人はいたけど、ピアノの故障だとか心霊現象だとか気味悪がられるばかり。本当の私も満足してくれないし、嫌気が差してここへ来たってわけ。まさか、〈未練溜まり〉でピアニストとして雇ってもらえるとは思わなかったけどね」
ピアニストは愛おしそうにピアノを眺めた。
「あの子は未練街で拾ったのよ。せっかくいい音出すのに、捨てられて蚤の市で売られてた。せっかく楽器の〈心の落とし物〉として生まれたのに、弾く人間がいないなんて可哀想よ」
ピアニストは残りのミントアイスティーを飲み干し、演奏へ戻った。レコードを止め、再び軽快な手つきで演奏を始める。
今度は歌いながらピアノを弾いた。古いミュージカル映画の曲だ。ハスキーで力強い歌声が屋上を超え、辺り一帯に響き渡る。下の商店街にも届いているかもしれない。
「あのピアニストの方、シトロンさんって言うんですか?」
「芸名だそうですよ。正しくはシトロン・ヴェールです。本名は『ダサいから』と教えてくれません」
カルパッチョを食べ終え、今度は甘いものが食べたくなった。由良はメニュー表から「キーライムパイ」という見知らぬパイを見つけ、それを頼んだ。
出てきたのは、うっすら黄身がかった生地の上に、薄くスライスされた生のライムがのっているパイだった。柑橘系の強烈な酸味を、コンデンスミルクの甘味が中和する。
「ライムのパイ、ですか」
「正確にはキーライムです。生地が黄色いのは、キーライムの果汁が入っているからです。キーライムの皮や果肉は緑ですが、果汁は黄色なんですよ」
食べながら、シトロンの演奏する姿を眺める。生のキーライムはさらに酸っぱい。酸味の影響か、視界が歪んだ。
(……変だ。目の前の景色が二重に見える)
由良の目には、二人のシトロンが重なって見えていた。屋上のビアガーデンでピアノを弾いているシトロンと、狭いステージでピアノを弾いているシトロン。客の雰囲気も違う。決定的だったのは、ステージのシトロンには共に演奏する仲間がいた。
なぜこのような景色が見えるのか、由良は分からなかった。ただ、自分が何を見ているのかは理解した。
(これはシトロンさんの記憶だ。シトロンさんを作っている、未練そのものだ)
0
あなたにおすすめの小説
子供って難解だ〜2児の母の笑える小話〜
珊瑚やよい(にん)
エッセイ・ノンフィクション
10秒で読める笑えるエッセイ集です。
2匹の怪獣さんの母です。12歳の娘と6歳の息子がいます。子供はネタの宝庫だと思います。クスッと笑えるエピソードをどうぞ。
毎日毎日ネタが絶えなくて更新しながら楽しんでいます(笑)
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
必ず会いに行くから、どうか待っていて
十時(如月皐)
BL
たとえ、君が覚えていなくても。たとえ、僕がすべてを忘れてしまっても。それでもまた、君に会いに行こう。きっと、きっと……
帯刀を許された武士である弥生は宴の席で美しい面差しを持ちながら人形のようである〝ゆきや〟に出会い、彼を自分の屋敷へ引き取った。
生きる事、愛されること、あらゆる感情を教え込んだ時、雪也は弥生の屋敷から出て小さな庵に住まうことになる。
そこに集まったのは、雪也と同じ人の愛情に餓えた者たちだった。
そして彼らを見守る弥生たちにも、時代の変化は襲い掛かり……。
もう一度会いに行こう。時を超え、時代を超えて。
「男子大学生たちの愉快なルームシェア」に出てくる彼らの過去のお話です。詳しくはタグをご覧くださいませ!
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる