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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第二話「ビアガーデン・ライムライト」⑶
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ピアノの演奏が終わる。客達は割れんばかりに、拍手を送った。
ピアニストは次の演奏をレコードに任せ、カウンターへ移動した。
「マスター! ギムレットひとつ!」
椅子に座り、イムラを呼ぶ。
イムラは「やれやれ」と肩をすくめ、カウンターへ戻る。由良も後に続いた。
「シトロンさん、仕事中ですよ。アルコールは控えてください」
「他に何を飲めって言うのよ?」
「ミントアイスティーはいかがです? 喉にいいですよ」
「えー。ミントなら、ミントリキュールが飲みたーい」
「私はミントアイスティーがいいです。ください」
ピアニストは怪訝そうに、由良を見た。
「貴方、客でしょ? ビアガーデンで酒を頼まないなんて、正気?」
「人を探していまして。酔うと困るんです」
由良はピアニストにも、未練街に来た目的を話した。
二人の前に、うっすら黄緑色に輝くミントアイスティーが出される。輪切りのライムとミントが添えられ、見た目にも清涼感があった。飲むと、口の中がスーッとする。ピアニストも渋々飲んでいた。
「残念だけど、私もその人のことは知らないわ。主人は洋燈町からだいぶ離れた街に住んでいるし、私がここへ来たのだってつい最近だもの」
「最近って、いつですか?」
「んー……五年か六年くらい前?」
「それ、最近って言わないですよ」
「うるさいわねぇ。〈探し人〉の一年は一日みたいなもんでしょ? 誤差よ、誤差」
にしても、とピアニストは憐れそうに由良を見た。
「人探しに魔女を頼るなんて、よっぽど切羽詰まってるのね」
「変ですか?」
「この街における最終手段だもの。一国の王に直談判しに行くようなものよ。普通なら、人探しを生業にしている〈探し人〉に頼むわ。まぁ、夜明けまでに探し出すなんて、魔女にしかできないでしょうけど」
「貴方の〈心の落とし物〉は……ピアノを弾くこと?」
「まぁね。ここへ来る前は日本中のピアノを弾いて回ったわ。でも、まともに聴いてくれる人はいなかった。人間には私の姿が見えないし、演奏も聴こえなかったの。たまに気づいてくれる人はいたけど、ピアノの故障だとか心霊現象だとか気味悪がられるばかり。本当の私も満足してくれないし、嫌気が差してここへ来たってわけ。まさか、〈未練溜まり〉でピアニストとして雇ってもらえるとは思わなかったけどね」
ピアニストは愛おしそうにピアノを眺めた。
「あの子は未練街で拾ったのよ。せっかくいい音出すのに、捨てられて蚤の市で売られてた。せっかく楽器の〈心の落とし物〉として生まれたのに、弾く人間がいないなんて可哀想よ」
ピアニストは残りのミントアイスティーを飲み干し、演奏へ戻った。レコードを止め、再び軽快な手つきで演奏を始める。
今度は歌いながらピアノを弾いた。古いミュージカル映画の曲だ。ハスキーで力強い歌声が屋上を超え、辺り一帯に響き渡る。下の商店街にも届いているかもしれない。
「あのピアニストの方、シトロンさんって言うんですか?」
「芸名だそうですよ。正しくはシトロン・ヴェールです。本名は『ダサいから』と教えてくれません」
カルパッチョを食べ終え、今度は甘いものが食べたくなった。由良はメニュー表から「キーライムパイ」という見知らぬパイを見つけ、それを頼んだ。
出てきたのは、うっすら黄身がかった生地の上に、薄くスライスされた生のライムがのっているパイだった。柑橘系の強烈な酸味を、コンデンスミルクの甘味が中和する。
「ライムのパイ、ですか」
「正確にはキーライムです。生地が黄色いのは、キーライムの果汁が入っているからです。キーライムの皮や果肉は緑ですが、果汁は黄色なんですよ」
食べながら、シトロンの演奏する姿を眺める。生のキーライムはさらに酸っぱい。酸味の影響か、視界が歪んだ。
(……変だ。目の前の景色が二重に見える)
由良の目には、二人のシトロンが重なって見えていた。屋上のビアガーデンでピアノを弾いているシトロンと、狭いステージでピアノを弾いているシトロン。客の雰囲気も違う。決定的だったのは、ステージのシトロンには共に演奏する仲間がいた。
なぜこのような景色が見えるのか、由良は分からなかった。ただ、自分が何を見ているのかは理解した。
(これはシトロンさんの記憶だ。シトロンさんを作っている、未練そのものだ)
ピアニストは次の演奏をレコードに任せ、カウンターへ移動した。
「マスター! ギムレットひとつ!」
椅子に座り、イムラを呼ぶ。
イムラは「やれやれ」と肩をすくめ、カウンターへ戻る。由良も後に続いた。
「シトロンさん、仕事中ですよ。アルコールは控えてください」
「他に何を飲めって言うのよ?」
「ミントアイスティーはいかがです? 喉にいいですよ」
「えー。ミントなら、ミントリキュールが飲みたーい」
「私はミントアイスティーがいいです。ください」
ピアニストは怪訝そうに、由良を見た。
「貴方、客でしょ? ビアガーデンで酒を頼まないなんて、正気?」
「人を探していまして。酔うと困るんです」
由良はピアニストにも、未練街に来た目的を話した。
二人の前に、うっすら黄緑色に輝くミントアイスティーが出される。輪切りのライムとミントが添えられ、見た目にも清涼感があった。飲むと、口の中がスーッとする。ピアニストも渋々飲んでいた。
「残念だけど、私もその人のことは知らないわ。主人は洋燈町からだいぶ離れた街に住んでいるし、私がここへ来たのだってつい最近だもの」
「最近って、いつですか?」
「んー……五年か六年くらい前?」
「それ、最近って言わないですよ」
「うるさいわねぇ。〈探し人〉の一年は一日みたいなもんでしょ? 誤差よ、誤差」
にしても、とピアニストは憐れそうに由良を見た。
「人探しに魔女を頼るなんて、よっぽど切羽詰まってるのね」
「変ですか?」
「この街における最終手段だもの。一国の王に直談判しに行くようなものよ。普通なら、人探しを生業にしている〈探し人〉に頼むわ。まぁ、夜明けまでに探し出すなんて、魔女にしかできないでしょうけど」
「貴方の〈心の落とし物〉は……ピアノを弾くこと?」
「まぁね。ここへ来る前は日本中のピアノを弾いて回ったわ。でも、まともに聴いてくれる人はいなかった。人間には私の姿が見えないし、演奏も聴こえなかったの。たまに気づいてくれる人はいたけど、ピアノの故障だとか心霊現象だとか気味悪がられるばかり。本当の私も満足してくれないし、嫌気が差してここへ来たってわけ。まさか、〈未練溜まり〉でピアニストとして雇ってもらえるとは思わなかったけどね」
ピアニストは愛おしそうにピアノを眺めた。
「あの子は未練街で拾ったのよ。せっかくいい音出すのに、捨てられて蚤の市で売られてた。せっかく楽器の〈心の落とし物〉として生まれたのに、弾く人間がいないなんて可哀想よ」
ピアニストは残りのミントアイスティーを飲み干し、演奏へ戻った。レコードを止め、再び軽快な手つきで演奏を始める。
今度は歌いながらピアノを弾いた。古いミュージカル映画の曲だ。ハスキーで力強い歌声が屋上を超え、辺り一帯に響き渡る。下の商店街にも届いているかもしれない。
「あのピアニストの方、シトロンさんって言うんですか?」
「芸名だそうですよ。正しくはシトロン・ヴェールです。本名は『ダサいから』と教えてくれません」
カルパッチョを食べ終え、今度は甘いものが食べたくなった。由良はメニュー表から「キーライムパイ」という見知らぬパイを見つけ、それを頼んだ。
出てきたのは、うっすら黄身がかった生地の上に、薄くスライスされた生のライムがのっているパイだった。柑橘系の強烈な酸味を、コンデンスミルクの甘味が中和する。
「ライムのパイ、ですか」
「正確にはキーライムです。生地が黄色いのは、キーライムの果汁が入っているからです。キーライムの皮や果肉は緑ですが、果汁は黄色なんですよ」
食べながら、シトロンの演奏する姿を眺める。生のキーライムはさらに酸っぱい。酸味の影響か、視界が歪んだ。
(……変だ。目の前の景色が二重に見える)
由良の目には、二人のシトロンが重なって見えていた。屋上のビアガーデンでピアノを弾いているシトロンと、狭いステージでピアノを弾いているシトロン。客の雰囲気も違う。決定的だったのは、ステージのシトロンには共に演奏する仲間がいた。
なぜこのような景色が見えるのか、由良は分からなかった。ただ、自分が何を見ているのかは理解した。
(これはシトロンさんの記憶だ。シトロンさんを作っている、未練そのものだ)
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