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春編③『緑涼やか、若竹の囁き』
第四話「竹林の迷家」⑵
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由良は玄関で靴を脱ぎ、客間へ通された。
内装も和モダンで、丸窓や欄間にはカラフルなステンドグラスが埋め込まれている。廊下と部屋を仕切っている障子は外の景色が透け、緑色に染まっていた。
由良と屋敷の主人の他には誰もいないらしい。二人分の足音だけが、静かに聞こえていた。
「タオルと飲み物をお持ちしましょう。こちらでしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
由良が礼を言うと、屋敷の主人はにこやかに微笑み、部屋を出て行った。
若草色の座布団に腰を下ろし、足を伸ばす。待っている間に日向子達と連絡を取ろうと思ったが、圏外だった。後で電話を借りよう、と諦めてスマホを鞄に仕舞った。
手持ち無沙汰に部屋を見回す。客間は長机と座布団が一組あるだけで、暇を潰せそうなものは何もない。床の間に飾られていた、鯉の水墨画の掛け軸と竹の生け花をなんとなしに眺めていた。
「あっつ。ちょっと開けてもいいかな」
体の熱に耐えかね、外に面した障子を開く。障子と障子の間から涼しい風が吹き込んでくると共に、外の景色が由良の目に飛び込んできた。
障子の向こうは縁側になっていた。景色を反射するほど、ピカピカに磨き上げられている。ひさしがあるので雨は届かない。
そして縁側から外には、苔むした日本庭園が広がっていた。立派な松の木が枝葉を伸ばし、根本には青紫色のアヤメが群生して咲いている。庭の中央には大きな池があり、赤や斑の鯉が優雅に泳いでいたり、池を囲む石の上で小さな亀が涼んでいたりした。
庭から外は竹林でさえぎられていて見えない。雨風で揺れ、ざわざわと音を立てていた。
さしずめ「緑の庭」とも呼ぶべき美しい庭を前に、由良は言葉を失った。
「美しい庭でしょう? ここが旅館だった頃に惚れこみましてね、旅館が廃業した後に建物ごと買い取ったのですよ」
庭に見惚れている間に、屋敷の主人が戻ってきた。由良も「その気持ち、分かります」と頷いた。
屋敷の主人は由良にタオルを渡し、お盆に載せて運んできた冷茶と抹茶の羊羹を机に置く。冷茶が注がれた翠色の切子グラスはわずかな日の光を受け、木漏れ日のようにキラキラと輝いていた。
「素敵なグラスですね」
「旅館と一緒に譲っていただきました。庭以上に大切な宝物です。他のことは何もかも人任せで済ませましたが、このグラスを譲る相手だけは私自ら決めたいのです」
屋敷の主人は切子のグラスを真剣な眼差しで見つめる。
ただならぬ雰囲気に、由良はグラスに伸ばそうとした手を引っ込めた。
「そのような大切なグラスを、私が使ってもいいのでしょうか?」
「お気になさらず。これが私なりのもてなし方なのです。どうぞ、お召し上がりください」
「……では、お言葉に甘えて」
由良はうっかりグラスを落とさぬよう、汗ばんだ手をタオルで吹いた。両手でグラスをゆっくりと持ち上げ、口をつける。
冷茶の爽やかな香りとまろやかな苦みが、疲れきった体に染み渡った。ひと口飲むごとに、体にこもっていた熱が冷めていくような気がした。
「美味しい……水出しですか?」
「えぇ。温かいお茶の方が良かったでしょうか?」
「いえ、ちょうど冷たい飲み物が欲しかったので助かりました。こんなに遠い場所にあるレストランだとは思っていなかったので、途中で飲み物を切らしてしまったんです」
続けて、抹茶の羊羹を黒文字でひと口大に切り、口へ運ぶ。
程よい甘味が空腹を満たす。歩き回った分、より美味しく感じた。冷茶ともよく合う。皿に二切れ用意されていたが、たちまち完食してしまった。
内装も和モダンで、丸窓や欄間にはカラフルなステンドグラスが埋め込まれている。廊下と部屋を仕切っている障子は外の景色が透け、緑色に染まっていた。
由良と屋敷の主人の他には誰もいないらしい。二人分の足音だけが、静かに聞こえていた。
「タオルと飲み物をお持ちしましょう。こちらでしばらくお待ちください」
「ありがとうございます」
由良が礼を言うと、屋敷の主人はにこやかに微笑み、部屋を出て行った。
若草色の座布団に腰を下ろし、足を伸ばす。待っている間に日向子達と連絡を取ろうと思ったが、圏外だった。後で電話を借りよう、と諦めてスマホを鞄に仕舞った。
手持ち無沙汰に部屋を見回す。客間は長机と座布団が一組あるだけで、暇を潰せそうなものは何もない。床の間に飾られていた、鯉の水墨画の掛け軸と竹の生け花をなんとなしに眺めていた。
「あっつ。ちょっと開けてもいいかな」
体の熱に耐えかね、外に面した障子を開く。障子と障子の間から涼しい風が吹き込んでくると共に、外の景色が由良の目に飛び込んできた。
障子の向こうは縁側になっていた。景色を反射するほど、ピカピカに磨き上げられている。ひさしがあるので雨は届かない。
そして縁側から外には、苔むした日本庭園が広がっていた。立派な松の木が枝葉を伸ばし、根本には青紫色のアヤメが群生して咲いている。庭の中央には大きな池があり、赤や斑の鯉が優雅に泳いでいたり、池を囲む石の上で小さな亀が涼んでいたりした。
庭から外は竹林でさえぎられていて見えない。雨風で揺れ、ざわざわと音を立てていた。
さしずめ「緑の庭」とも呼ぶべき美しい庭を前に、由良は言葉を失った。
「美しい庭でしょう? ここが旅館だった頃に惚れこみましてね、旅館が廃業した後に建物ごと買い取ったのですよ」
庭に見惚れている間に、屋敷の主人が戻ってきた。由良も「その気持ち、分かります」と頷いた。
屋敷の主人は由良にタオルを渡し、お盆に載せて運んできた冷茶と抹茶の羊羹を机に置く。冷茶が注がれた翠色の切子グラスはわずかな日の光を受け、木漏れ日のようにキラキラと輝いていた。
「素敵なグラスですね」
「旅館と一緒に譲っていただきました。庭以上に大切な宝物です。他のことは何もかも人任せで済ませましたが、このグラスを譲る相手だけは私自ら決めたいのです」
屋敷の主人は切子のグラスを真剣な眼差しで見つめる。
ただならぬ雰囲気に、由良はグラスに伸ばそうとした手を引っ込めた。
「そのような大切なグラスを、私が使ってもいいのでしょうか?」
「お気になさらず。これが私なりのもてなし方なのです。どうぞ、お召し上がりください」
「……では、お言葉に甘えて」
由良はうっかりグラスを落とさぬよう、汗ばんだ手をタオルで吹いた。両手でグラスをゆっくりと持ち上げ、口をつける。
冷茶の爽やかな香りとまろやかな苦みが、疲れきった体に染み渡った。ひと口飲むごとに、体にこもっていた熱が冷めていくような気がした。
「美味しい……水出しですか?」
「えぇ。温かいお茶の方が良かったでしょうか?」
「いえ、ちょうど冷たい飲み物が欲しかったので助かりました。こんなに遠い場所にあるレストランだとは思っていなかったので、途中で飲み物を切らしてしまったんです」
続けて、抹茶の羊羹を黒文字でひと口大に切り、口へ運ぶ。
程よい甘味が空腹を満たす。歩き回った分、より美味しく感じた。冷茶ともよく合う。皿に二切れ用意されていたが、たちまち完食してしまった。
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