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春編③『緑涼やか、若竹の囁き』
第四話「竹林の迷家」⑶
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「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。タオルも、貸していただいてありがとうございました」
「気に入っていたのでしたら、お代わりをお持ちしましょうか? なかなかやみそうにありませんし」
屋敷の主人は外の様子をうかがい、眉をひそめる。
雨は一向にやむ気配がない。それどころか、まるで由良をこの屋敷に留めんとばかりに勢いを増していた。
「すみません、しばらく厄介になりそうです。雨脚が弱まり次第、発ちますから」
「お気になさらず。私はいつまで居てくださって構いませんよ」
屋敷の主人は快く承諾した。
ついでに、由良は電話を借りられないか頼んだ。
「それと、お宅の電話を貸していただけませんか? 私が持っているスマホが圏外で使えないんです」
すると屋敷の主人は「申し訳ないのですが、」と眉を八の字にした。
「先日、落雷の影響で故障してしまいまして、今は使えないのです。麓まで行けば公衆電話があるのですが、この雨ですからね……あやうく足を滑らせて怪我でもしたら、大変だ」
「……そうですか」
由良は舌打ちしたい衝動に駆られたが、辛うじてこらえた。タイミングが悪すぎる。
(日向子と中林さん、心配してるだろうな……おおごとになってないといいけど)
屋敷の主人は冷茶と羊羹のお代わりを運んでくると、「御用がありますたら、呼んでください」と書斎の場所を教え、部屋を出ていった。
なんでも、まだ片付けていない仕事があるらしい。それを聞いて、由良は「仕事そっちのけでもてなしてくれたのか」と申し訳なくなった。
仕事の邪魔にならないよう、大人しく雨がやむのを待つ。お代わりの冷茶と羊羹を平らげた後も、あえて屋敷の主人を呼ばなかった。
縁側でたたずみ、庭を眺める。
最初は日向子達と連絡が取れない焦燥感を鎮めるつもりで、庭を眺めていた。しかし次第に、「このままここにいてもいいかも」という気になっていった。
ここはあまりにも清々しい。吹き抜ける涼やかな風、ざわめく竹林、庭へ降り注ぐ雨音、池の水面に幾重にも広がる波紋、雨をエサだと勘違いしてうごめく鯉、雨に濡れてみずみずしく輝くアヤメ……いつしか由良は時間を忘れ、ボーッと見入っていた。
(私、何でこの屋敷へ来たんだっけ? 何か大事な予定があったような……)
そのまま何もかも忘れかけたその時、鳴らないはずのスマホが鳴った。
「ぎゅわッ?!」
思わず縁側から飛び上がる。この場に屋敷の主人がいなくてホッとした。
「何で急に? さっきまで圏外だったはずじゃ……」
恐る恐る鞄からスマホを取り出す。うっかりスマホを庭に落とさないよう、障子を閉めた。
先程まで圏外だった電波が、わずかに入っっていた。着信の相手は日向子だった。
「もしもし、日向子?」
慌てて電話に出る。
直後、日向子の怒号がスピーカー越しに飛んできた。
「由良! あんた、今何処にいるの?! レストランに着いた時にいなかったから、中林ちゃんと一緒に麓まで戻ってきたのよ?!」
「ごめん、ごめん。なんか、途中で迷子になっちゃってさ……今、山の中にあるお屋敷で雨宿りしてるところ」
「お屋敷ぃ? そんなのあったかしら?」
日向子は訝しげに言う。
一緒にいる中林も「さぁ?」と不思議そうだった。
「レストランには二人で行って。私は雨が上がったら、下山する。麓のバス停で待ち合わせましょう」
由良は淡々と告げる。
日向子の怒号のおかげで、ボーッとしていた頭が冴えていた。この山へ来た目的も、屋敷に立ち寄るまでの経緯も、これから何をしなくてはならないのかも……はっきりと思い出した。
日向子は由良の指示を黙って聞いていたが、返事の代わりに再度訝しんだ。
「……由良、あんた本当に山にいる?」
「いるから困ってるんじゃない」
「でもさ、雨なんて降ってないんだよね。私達がいる麓も、由良がいるはずの山も」
「え?」
そういえば雨の音がしない。
庭へ続く障子を開けると、嘘のように晴れていた。
「気に入っていたのでしたら、お代わりをお持ちしましょうか? なかなかやみそうにありませんし」
屋敷の主人は外の様子をうかがい、眉をひそめる。
雨は一向にやむ気配がない。それどころか、まるで由良をこの屋敷に留めんとばかりに勢いを増していた。
「すみません、しばらく厄介になりそうです。雨脚が弱まり次第、発ちますから」
「お気になさらず。私はいつまで居てくださって構いませんよ」
屋敷の主人は快く承諾した。
ついでに、由良は電話を借りられないか頼んだ。
「それと、お宅の電話を貸していただけませんか? 私が持っているスマホが圏外で使えないんです」
すると屋敷の主人は「申し訳ないのですが、」と眉を八の字にした。
「先日、落雷の影響で故障してしまいまして、今は使えないのです。麓まで行けば公衆電話があるのですが、この雨ですからね……あやうく足を滑らせて怪我でもしたら、大変だ」
「……そうですか」
由良は舌打ちしたい衝動に駆られたが、辛うじてこらえた。タイミングが悪すぎる。
(日向子と中林さん、心配してるだろうな……おおごとになってないといいけど)
屋敷の主人は冷茶と羊羹のお代わりを運んでくると、「御用がありますたら、呼んでください」と書斎の場所を教え、部屋を出ていった。
なんでも、まだ片付けていない仕事があるらしい。それを聞いて、由良は「仕事そっちのけでもてなしてくれたのか」と申し訳なくなった。
仕事の邪魔にならないよう、大人しく雨がやむのを待つ。お代わりの冷茶と羊羹を平らげた後も、あえて屋敷の主人を呼ばなかった。
縁側でたたずみ、庭を眺める。
最初は日向子達と連絡が取れない焦燥感を鎮めるつもりで、庭を眺めていた。しかし次第に、「このままここにいてもいいかも」という気になっていった。
ここはあまりにも清々しい。吹き抜ける涼やかな風、ざわめく竹林、庭へ降り注ぐ雨音、池の水面に幾重にも広がる波紋、雨をエサだと勘違いしてうごめく鯉、雨に濡れてみずみずしく輝くアヤメ……いつしか由良は時間を忘れ、ボーッと見入っていた。
(私、何でこの屋敷へ来たんだっけ? 何か大事な予定があったような……)
そのまま何もかも忘れかけたその時、鳴らないはずのスマホが鳴った。
「ぎゅわッ?!」
思わず縁側から飛び上がる。この場に屋敷の主人がいなくてホッとした。
「何で急に? さっきまで圏外だったはずじゃ……」
恐る恐る鞄からスマホを取り出す。うっかりスマホを庭に落とさないよう、障子を閉めた。
先程まで圏外だった電波が、わずかに入っっていた。着信の相手は日向子だった。
「もしもし、日向子?」
慌てて電話に出る。
直後、日向子の怒号がスピーカー越しに飛んできた。
「由良! あんた、今何処にいるの?! レストランに着いた時にいなかったから、中林ちゃんと一緒に麓まで戻ってきたのよ?!」
「ごめん、ごめん。なんか、途中で迷子になっちゃってさ……今、山の中にあるお屋敷で雨宿りしてるところ」
「お屋敷ぃ? そんなのあったかしら?」
日向子は訝しげに言う。
一緒にいる中林も「さぁ?」と不思議そうだった。
「レストランには二人で行って。私は雨が上がったら、下山する。麓のバス停で待ち合わせましょう」
由良は淡々と告げる。
日向子の怒号のおかげで、ボーッとしていた頭が冴えていた。この山へ来た目的も、屋敷に立ち寄るまでの経緯も、これから何をしなくてはならないのかも……はっきりと思い出した。
日向子は由良の指示を黙って聞いていたが、返事の代わりに再度訝しんだ。
「……由良、あんた本当に山にいる?」
「いるから困ってるんじゃない」
「でもさ、雨なんて降ってないんだよね。私達がいる麓も、由良がいるはずの山も」
「え?」
そういえば雨の音がしない。
庭へ続く障子を開けると、嘘のように晴れていた。
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