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春編③『緑涼やか、若竹の囁き』
第三話「忘却の嵐」⑶
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「待って!」
由良はとっさに女性の手をつかんだ。体は浮かびこそしないものの、風の勢いが強いせいで田んぼに引き寄せられる。
女性の体は凧のように浮き上がったまま、降りてくる気配がない。風も彼女を連れ去らんとばかりに、勢いを保ち続けている。
「だ、誰かが貴方の〈心の落とし物〉を拾っているかもしれません! 知り合いに、他人の落とし物を集めて売っている変わり者がいます! 一度、彼のもとを訪ねてみてはいかがでしょう?!」
「……そんな気力はありません。長年、さまよい続けたせいで疲れてしまいました。なので、私も攫ってもらおうと思います。そのためにここへ来たんですから」
焦る由良とは対照的に、女性は晴れやかに微笑む。
葉っぱが体をすり抜けた点といい、風で体が浮き上がっている点といい、彼女は〈探し人〉で間違いないだろう。
この状況から察するに、彼女の主は心の中に残ったわずかな未練……すなわち、彼女を今まさに消そうとしている。諦め、忘れ、つらかった過去をなかったことにしようとしているのだ。
(……確かに、いつまでも過去の出来事を引きずるのはよくない。でも、だからって全てをなかったことにするのは間違ってる!)
由良はどうにかして女性を引き止めようと思った。
(何でもいい……少しの間だけでも、彼女が考え直してくれる何か……)
由良は考え抜いた末、少々間抜けな提案をした。
「め……メロンパン!」
「?」
「メロンパン、が、車にあるんですけど……一緒に! 食べませんか?!」
由良の提案に女性は一瞬、ぽかんとした。
しかし由良が自分を引き止めようとしているのだと分かると、すげなく断った。
「……遠慮しておきます。私、特別にメロンパン好きなわけじゃないんで」
「普通のメロンパンと一緒にしないでください。緑ヶ丘デパートの限定品なんですよ? 中に赤肉メロンの果肉と果汁入り生クリームがぎっしり入っているんです。いつもなら朝から並ばないと買えないんですけど、午前中は雨で大荒れだったのでかなりの数が残ったんですって。私、これ見よがしに十個買っちゃいましたよ。保冷バックに入れてあるので、冷えてて美味しいですよ」
「……」
メロンパンを想像したのか、女性は思わず生つばを飲む。
由良はトドメとばかりに付け加えた。
「そうそう、お茶屋さんで紅茶も買ったんですよ。帰りに飲もうと思って魔法瓶に入れてもらったので、すぐ飲めますよ。コップも予備に二つ持ってますし、砂糖とミルクもお店の備品に買ったものがあります。きっと、メロンパンに合うんだろうなぁ」
「……ぐぬぬ」
女性は心底悔しそうに、下唇を噛んだ。
風も彼女の思いに答えるように、徐々に穏やかになっていく。やがて女性が歩道へ着地すると、完全に止まった。
「どうぞ、こちらへ」
「……貴方、笑ってません?」
「いえ、全く?」
「嘘よ。私が食べ物に釣られて面白がっているんだわ」
「そんなことないですって……ふふ」
由良は口角が上がるのを必死にこらえつつ、女性を車へと案内した。
由良はとっさに女性の手をつかんだ。体は浮かびこそしないものの、風の勢いが強いせいで田んぼに引き寄せられる。
女性の体は凧のように浮き上がったまま、降りてくる気配がない。風も彼女を連れ去らんとばかりに、勢いを保ち続けている。
「だ、誰かが貴方の〈心の落とし物〉を拾っているかもしれません! 知り合いに、他人の落とし物を集めて売っている変わり者がいます! 一度、彼のもとを訪ねてみてはいかがでしょう?!」
「……そんな気力はありません。長年、さまよい続けたせいで疲れてしまいました。なので、私も攫ってもらおうと思います。そのためにここへ来たんですから」
焦る由良とは対照的に、女性は晴れやかに微笑む。
葉っぱが体をすり抜けた点といい、風で体が浮き上がっている点といい、彼女は〈探し人〉で間違いないだろう。
この状況から察するに、彼女の主は心の中に残ったわずかな未練……すなわち、彼女を今まさに消そうとしている。諦め、忘れ、つらかった過去をなかったことにしようとしているのだ。
(……確かに、いつまでも過去の出来事を引きずるのはよくない。でも、だからって全てをなかったことにするのは間違ってる!)
由良はどうにかして女性を引き止めようと思った。
(何でもいい……少しの間だけでも、彼女が考え直してくれる何か……)
由良は考え抜いた末、少々間抜けな提案をした。
「め……メロンパン!」
「?」
「メロンパン、が、車にあるんですけど……一緒に! 食べませんか?!」
由良の提案に女性は一瞬、ぽかんとした。
しかし由良が自分を引き止めようとしているのだと分かると、すげなく断った。
「……遠慮しておきます。私、特別にメロンパン好きなわけじゃないんで」
「普通のメロンパンと一緒にしないでください。緑ヶ丘デパートの限定品なんですよ? 中に赤肉メロンの果肉と果汁入り生クリームがぎっしり入っているんです。いつもなら朝から並ばないと買えないんですけど、午前中は雨で大荒れだったのでかなりの数が残ったんですって。私、これ見よがしに十個買っちゃいましたよ。保冷バックに入れてあるので、冷えてて美味しいですよ」
「……」
メロンパンを想像したのか、女性は思わず生つばを飲む。
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「そうそう、お茶屋さんで紅茶も買ったんですよ。帰りに飲もうと思って魔法瓶に入れてもらったので、すぐ飲めますよ。コップも予備に二つ持ってますし、砂糖とミルクもお店の備品に買ったものがあります。きっと、メロンパンに合うんだろうなぁ」
「……ぐぬぬ」
女性は心底悔しそうに、下唇を噛んだ。
風も彼女の思いに答えるように、徐々に穏やかになっていく。やがて女性が歩道へ着地すると、完全に止まった。
「どうぞ、こちらへ」
「……貴方、笑ってません?」
「いえ、全く?」
「嘘よ。私が食べ物に釣られて面白がっているんだわ」
「そんなことないですって……ふふ」
由良は口角が上がるのを必死にこらえつつ、女性を車へと案内した。
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