88 / 314
夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』
第二話「ジューンブライド・ビー玉の約束」⑶
しおりを挟む
あれは私、扇華恋が女優としてデビューする前のこと。
当時はお金が無くて、映画監督を夢見る恋人と一緒に狭い四畳半のアパートで暮らしていたわ。
ある夏、うだるような暑さの中で彼と一本のラムネを分け合って飲んでいると、
「お互いの夢が叶ったら、結婚しないか?」
って、彼がプロポーズをしたの。
「婚約指輪は高くて、今は買えないから」って、飲み終わったラムネの瓶からビー玉を取り出して、プレゼントしてくれたわ。お粗末なプレゼントだって思うかもしれないけど、当時の私にとっては、そのビー玉がどんな宝石よりも美しく輝いて見えた。
「売れっ子になれば、大金持ちだ。好きな物を好きなように買える。結婚指輪とウェディングドレスは華恋が欲しいものを選ぶといい。式はうんと豪華にしよう。有名人をありったけ呼んで、今まで俺達を馬鹿にしてきた家族や友人共を見返してやるんだ」
「嬉しい。いつか必ず叶えましょうね」
私は彼のプロポーズに応じ、婚約の証であるビー玉を受け取った。
その後すぐ、私は映画への出演が決まり、アパートを出た。本当は彼とずっと一緒に暮らしていくつもりだったけど、
「ヒモ男と暮らしているなんて、世間に知られたら貴方のイメージが悪くなる。今後のことも考えて、別れて欲しい」
って事務所に命じられて、仕方なく言う通りにしたの。
それから何年もの間、私は彼と一切連絡を取らず、ひたすら仕事に打ち込んだわ。おかげで多くのドラマや映画へ出演し、日本を代表する俳優の一人にまで成長した。
もちろん、彼への愛を失ったわけじゃない。いつか彼が映画監督として成功して、私を迎えに来てくれるんだと信じてた。
彼との再会は突然だった。
私が主演を務める映画の監督が、偶然彼だったの。彼は私がアパートを出て行った後、新進気鋭の映画監督としてデビューし、各所で多大な評価を受けていた。
「久しぶり。あの時の約束、覚えてる?」
彼はあの頃と変わらない屈託のない笑顔で、私に話しかけてきた。
「もちろん、覚えているわ」
私もあの頃の自分を意識して、微笑み返した。俳優として売れたことで「人が変わった」と思われたくなかった。
私達は離れていた間の時間を埋めるように、逢瀬を重ねた。
そして再会してから一ヶ月後には、待望の結婚式を執り行うと決めた。
「金ならある。結婚指輪もウェディングドレスも、華恋が欲しいものを選ぶといい」
私は彼に言われた通り、気に入ったものを次々に選んでいったわ。もちろん、値段は見ずに。
まず、結婚指輪は私の誕生日石でもあるダイアモンド。彼が婚約の証にプレゼントしてくれたラムネのビー玉を思わせる、薄い水色のスノーブルーダイヤに決めた。
ウェディングドレスは店に置いてあるロングトレーンドレスの中で、一番トレーンが長いドレスにした。その方が招待客やメディアの印象に残ると思ったから。
式を行う時期が六月だったから、それに合わせてアジサイのコサージュを特注で作らせて、髪と靴につけた。アジサイには「冷酷」だとか「浮気」だとか、不穏な花言葉が込められていたけど、それとは別に「家族」や「和気あいあい」なんていう花言葉もあったから、かえって私達にぴったりの花だと思って決めた。
「どう?」
選んだ装飾品を全て身につけ、彼に見せた。
「素敵だよ、華恋! まるで何処かのプリンセスみたいだ!」
彼は私の格好を見て、嬉しそうに顔を笑った。
そして最初の宣言通り、私が選んだ品に一切ケチをつけず、全てカードで購入してくれた。
「結婚式で着るのが楽しみだわ」
「そうだね」
それがウェディングドレスを着た、最初で最後の日だった。
思えば、結婚式の準備に追われていたあの時が、私達の関係のピークだったのかもしれない。
結婚式当日。いくら式場で待っていても、彼は現れなかった。電話しても繋がらなかった。
結局、式は中止。キャンセル料は私が払う羽目になった。
家に帰ると、金目のものが全て無くなっていた。ジュエリーも、服も、お金も、家具も……全部。私は外部犯の仕業だと信じたかったけど、残されていた数々の証拠から、警察は彼が犯人だと告げた。
後で知ったのだけれど、彼は撮影にこだわるあまり、莫大な借金を抱えていた。カードは他人から盗んだものを勝手に使っていた。彼は全てのしがらみから逃れるために、私を捨てて海外へ高飛びした。
そのことを知って、やっと気づいたわ。私と彼が再会したのは、偶然じゃない……彼は最初から、私の財産を目当てに近づいてきたんだ、って。
「何が貴方をそんな風に変えてしまったの? あの頃の貴方は、純粋に夢を追っていたはずなのに」
私は彼からもらったビー玉に問いかけた。ビー玉は問いに答えるはずもなく、寂しげな私の顔を逆さまに映していた。
そして心なしか、あの頃よりもくすんで見えた。ビー玉も、私も……。
当時はお金が無くて、映画監督を夢見る恋人と一緒に狭い四畳半のアパートで暮らしていたわ。
ある夏、うだるような暑さの中で彼と一本のラムネを分け合って飲んでいると、
「お互いの夢が叶ったら、結婚しないか?」
って、彼がプロポーズをしたの。
「婚約指輪は高くて、今は買えないから」って、飲み終わったラムネの瓶からビー玉を取り出して、プレゼントしてくれたわ。お粗末なプレゼントだって思うかもしれないけど、当時の私にとっては、そのビー玉がどんな宝石よりも美しく輝いて見えた。
「売れっ子になれば、大金持ちだ。好きな物を好きなように買える。結婚指輪とウェディングドレスは華恋が欲しいものを選ぶといい。式はうんと豪華にしよう。有名人をありったけ呼んで、今まで俺達を馬鹿にしてきた家族や友人共を見返してやるんだ」
「嬉しい。いつか必ず叶えましょうね」
私は彼のプロポーズに応じ、婚約の証であるビー玉を受け取った。
その後すぐ、私は映画への出演が決まり、アパートを出た。本当は彼とずっと一緒に暮らしていくつもりだったけど、
「ヒモ男と暮らしているなんて、世間に知られたら貴方のイメージが悪くなる。今後のことも考えて、別れて欲しい」
って事務所に命じられて、仕方なく言う通りにしたの。
それから何年もの間、私は彼と一切連絡を取らず、ひたすら仕事に打ち込んだわ。おかげで多くのドラマや映画へ出演し、日本を代表する俳優の一人にまで成長した。
もちろん、彼への愛を失ったわけじゃない。いつか彼が映画監督として成功して、私を迎えに来てくれるんだと信じてた。
彼との再会は突然だった。
私が主演を務める映画の監督が、偶然彼だったの。彼は私がアパートを出て行った後、新進気鋭の映画監督としてデビューし、各所で多大な評価を受けていた。
「久しぶり。あの時の約束、覚えてる?」
彼はあの頃と変わらない屈託のない笑顔で、私に話しかけてきた。
「もちろん、覚えているわ」
私もあの頃の自分を意識して、微笑み返した。俳優として売れたことで「人が変わった」と思われたくなかった。
私達は離れていた間の時間を埋めるように、逢瀬を重ねた。
そして再会してから一ヶ月後には、待望の結婚式を執り行うと決めた。
「金ならある。結婚指輪もウェディングドレスも、華恋が欲しいものを選ぶといい」
私は彼に言われた通り、気に入ったものを次々に選んでいったわ。もちろん、値段は見ずに。
まず、結婚指輪は私の誕生日石でもあるダイアモンド。彼が婚約の証にプレゼントしてくれたラムネのビー玉を思わせる、薄い水色のスノーブルーダイヤに決めた。
ウェディングドレスは店に置いてあるロングトレーンドレスの中で、一番トレーンが長いドレスにした。その方が招待客やメディアの印象に残ると思ったから。
式を行う時期が六月だったから、それに合わせてアジサイのコサージュを特注で作らせて、髪と靴につけた。アジサイには「冷酷」だとか「浮気」だとか、不穏な花言葉が込められていたけど、それとは別に「家族」や「和気あいあい」なんていう花言葉もあったから、かえって私達にぴったりの花だと思って決めた。
「どう?」
選んだ装飾品を全て身につけ、彼に見せた。
「素敵だよ、華恋! まるで何処かのプリンセスみたいだ!」
彼は私の格好を見て、嬉しそうに顔を笑った。
そして最初の宣言通り、私が選んだ品に一切ケチをつけず、全てカードで購入してくれた。
「結婚式で着るのが楽しみだわ」
「そうだね」
それがウェディングドレスを着た、最初で最後の日だった。
思えば、結婚式の準備に追われていたあの時が、私達の関係のピークだったのかもしれない。
結婚式当日。いくら式場で待っていても、彼は現れなかった。電話しても繋がらなかった。
結局、式は中止。キャンセル料は私が払う羽目になった。
家に帰ると、金目のものが全て無くなっていた。ジュエリーも、服も、お金も、家具も……全部。私は外部犯の仕業だと信じたかったけど、残されていた数々の証拠から、警察は彼が犯人だと告げた。
後で知ったのだけれど、彼は撮影にこだわるあまり、莫大な借金を抱えていた。カードは他人から盗んだものを勝手に使っていた。彼は全てのしがらみから逃れるために、私を捨てて海外へ高飛びした。
そのことを知って、やっと気づいたわ。私と彼が再会したのは、偶然じゃない……彼は最初から、私の財産を目当てに近づいてきたんだ、って。
「何が貴方をそんな風に変えてしまったの? あの頃の貴方は、純粋に夢を追っていたはずなのに」
私は彼からもらったビー玉に問いかけた。ビー玉は問いに答えるはずもなく、寂しげな私の顔を逆さまに映していた。
そして心なしか、あの頃よりもくすんで見えた。ビー玉も、私も……。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
立花家へようこそ!
由奈(YUNA)
ライト文芸
私が出会ったのは立花家の7人家族でした・・・――――
これは、内気な私が成長していく物語。
親の仕事の都合でお世話になる事になった立花家は、楽しくて、暖かくて、とっても優しい人達が暮らす家でした。
姪っコンプレックス
ナギノセン
ライト文芸
三十路を目前に控えた橘宏斗は、姉夫婦の急逝で十五歳の姪を引き取ることになった。
水嶋千紗。宏斗の姉、奈緒美の娘である。
宏斗は、千紗に対して叔父であるよりも遥かに大きな想いを抱いていた。
彼は十六歳の時のバイク事故で生死の境をさまよい、記憶喪失とリハビリで二年近い入院生活を余儀なくされてしまう。
事故直後の集中治療室のベッドに横たわる彼が目を開けて最初に見たものは、彼の頬に小さな右手で触れている赤ん坊の千紗だった。
記憶の欠片を初めて取り戻したのは事故から一年以上もたったある日。姉が千紗を抱いてあやしている姿が、不意に事故前の情景と重なった時だった。
千紗は事故の前後を通して暗闇に沈んでいた彼の光明。無くてはならない存在にその瞬間になった。
心に決するものを秘して千紗を引き取った三十路前男の激変の日常が今始まった。
スマフォ画面0.001ミリ差の恋
丹波 新
ライト文芸
普通に学生生活を送っていた暁ケンマ。
しかし、ある日をさかいに念願である超AIの完成を実現する。
その子は女の子でなんと自分の彼女にしてしまった暁ケンマ。自分だけにデレデレする存在、名をデレデーレ。
そこから新しい学園生活が始まるのである。毎日規則正しい生活を超AIの指示の元実行し、生活習慣を改善される。
そんなノーベル賞とも言われる完全なデレデーレの存在を大っぴらにせず、毎日粛々と暮らすのには理由があった。
まだプロトタイプである彼女を、実験段階である彼女に本当に自我が宿っているのか、感情が心の働きが上手くいっているのかを確認するためであった。
今、誰もが夢見た超AIとのラブラブでデレデレな毎日が始まる。
それが世界を大きく動かすことになるなんて誰にもわからず。
これはスマートフォンに映る彼女デレデーレと天才少年暁ケンマの境界線となる画面0,001ミリ差の恋物語である。
ある公爵令嬢の生涯
ユウ
恋愛
伯爵令嬢のエステルには妹がいた。
妖精姫と呼ばれ両親からも愛され周りからも無条件に愛される。
婚約者までも妹に奪われ婚約者を譲るように言われてしまう。
そして最後には妹を陥れようとした罪で断罪されてしまうが…
気づくとエステルに転生していた。
再び前世繰り返すことになると思いきや。
エステルは家族を見限り自立を決意するのだが…
***
タイトルを変更しました!
【完結】恋文が苦手な代筆屋のウラ事情~心を汲み取る手紙~
じゅん
ライト文芸
【第7回「ライト文芸大賞 」奨励賞 受賞👑】依頼人の思いを汲み取り、気持ちを手紙にしたためる「代筆屋」。しかし、相手の心に寄り添いきれていなかった代筆屋の貴之が、看護師の美優と出会い、避けていた過去に向き合うまでを描くヒューマンストーリー。
突然、貴之の前に現れた美優。初対面のはずが、美優は意味深な発言をして貴之を困惑させる。2人の出会いは偶然ではなく――。
代筆屋の依頼人による「ほっこり」「感動」物語が進むうち、2人が近づいていく関係性もお楽しみください。
瀬々市、宵ノ三番地
茶野森かのこ
キャラ文芸
瀬々市愛、二十六才。「宵の三番地」という名前の探し物屋で、店長代理を務める青年。
右目に濁った翡翠色の瞳を持つ彼は、物に宿る化身が見える不思議な力を持っている。
御木立多田羅、二十六才。人気歌舞伎役者、八矢宗玉を弟に持つ、普通の青年。
愛とは幼馴染みで、会って間もない頃は愛の事を女の子と勘違いしてプロポーズした事も。大人になって再会し、現在は「宵の三番地」の店員、愛のお世話係として共同生活をしている。
多々羅は、常に弟の名前がついて回る事にコンプレックスを感じていた。歌舞伎界のプリンスの兄、そう呼ばれる事が苦痛だった。
愛の店で働き始めたのは、愛の祖父や姉の存在もあるが、ここでなら、自分は多々羅として必要としてくれると思ったからだ。
愛が男だと分かってからも、子供の頃は毎日のように一緒にいた仲だ。あの楽しかった日々を思い浮かべていた多々羅だが、愛は随分と変わってしまった。
依頼人以外は無愛想で、楽しく笑って過ごした日々が嘘のように可愛くない。一人で生活出来る能力もないくせに、ことあるごとに店を辞めさせようとする、距離をとろうとする。
それは、物の化身と対峙するこの仕事が危険だからであり、愛には大事な人を傷つけた過去があったからだった。
だから一人で良いと言う愛を、多々羅は許す事が出来なかった。どんなに恐れられようとも、愛の瞳は美しく、血が繋がらなくても、愛は家族に愛されている事を多々羅は知っている。
「宵の三番地」で共に過ごす化身の用心棒達、持ち主を思うネックレス、隠された結婚指輪、黒い影を纏う禍つもの、禍つものになりかけたつくも神。
瀬々市の家族、時の喫茶店、恋する高校生、オルゴールの少女、零番地の壮夜。
物の化身の思いを聞き、物達の思いに寄り添いながら、思い悩み繰り返し、それでも何度も愛の手を引く多々羅に、愛はやがて自分の過去と向き合う決意をする。
そんな、物の化身が見える青年達の、探し物屋で起こる日々のお話です。現代のファンタジーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる