心の落とし物

緋色刹那

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夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』

第二話「ジューンブライド・ビー玉の約束」⑵

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「……今日は髪が黒かったから大丈夫だと思ってたのに」
 由良は舌打ちしたい気分を抑え、悔しそうに表情を歪めた。
 由良以外は誰も気づいていないが、扇のウェディングドレスは〈心の落とし物〉だった。中林が言う通り、本当の彼女は黒のセットアップを着ているのだろう。扇自身か、第三者の何者かが、彼女に幻のウェディングドレスを着せたのだ。
「まぁ……実害はなさそうだから、あのままにしていてもいいのだけれど。扇さんも気づいてないみたいだし」
 由良がホッとしたのもつかの間、扇はラムネをひと口飲むと、深刻そうな面持ちで話を切り出した。
「今日は店員さんに相談をしに来たのよ」
「相談、ですか?」
「そっ。最近……具体的な時期を言えば、六月に入ってからね。妙に体が重い上に、何もないところで足を取られて、転ぶのよ。しかもつまづいたと言うよりは、見えない布を踏んで、すっ転んだ感じ」
「……布」
 由良は床を白く覆っている引き裾に目を落とす。
 あれだけ長ければ、誤って踏んでしまうこともあるだろう。目に見えないなら、なおさらである。
 扇は由良の視線に気づかず、続けた。
「病院で検査してもらっても、はっきりとした原因は分からない。私が急に転んでしまうせいで、仕事にも支障が出てる。前にもこんなことがあったかしらと振り返っているうちに、貴方のことを思い出したのよ。もしかしたら髪の時のように、また私の身に異変が起きているんじゃないかと思って。どう? 何かおかしなところはある?」
「……」
 由良は答えに渋る。この忙しい時に、扇に構っている余裕はなかった。
 しかし扇は先程の由良の反応から薄々勘づいていたのか、ふいに「ウェディングドレス」と口にした。
「さっき貴方、私がウェディングドレスを着て来たと言っていたわね。私が履いているのはパンツで、どう見てもウェディングドレスには絶対に見えないのに。もしかして、それが原因なのかしら?」
「……おそらくは」
 由良は観念して中林に給仕を任せ、扇の相談に乗ることにした。
 客足が落ち着くまで待ってもらっても良かったが、カウンターの周囲が長い引き裾で覆われているため、どちらにせよ由良はカウンターから外へは出られなかった。うっかりすると、扇のように引き裾に足を取られ、転倒してしまうかもしれない。
「冗談だと思われるかもしれませんが、私の目には扇さんはウェディングドレスを着ているように見えます。髪はアップで、アジサイのコサージュをつけています」
「ふーん。ウェディングドレスって、どんなの?」
「白くて、スカートの裾がやたら長いです。カウンターの周りを埋め尽くしてます。うっかり踏んだら、足を取られそうですよ」
「なるほど。私が転んだのはトレーンを踏んでいたせいだったのね。どうりで重いと思ったわ」
 扇は以前の経験から、すんなり自分の身に何が起きていたのか理解した。
 一方、由良は聞き慣れない単語を耳にし、思わず尋ねた。
「トレーンって何ですか?」
「ドレスの引き裾のことよ。長さからして、私が着ているのはロングトレーンドレス。ウェディングドレスの中でも、比較的フォーマルなタイプのドレスね。靴は? どう見える?」
 そう言うと扇はおもむろに靴を脱ぎ、見せた。白いウェディングシューズで、髪についているものと同じ、青と紫の花びらのアジサイのコサージュが縫い付けられていた。
 由良が見たままを伝えると、「やっぱりね」と扇は何かを確信した様子で、靴を履き直した。由良は分からなかったが、扇が本当に履いていた靴は黒のスリッポンであった。コサージュもヒールもない、歩きやすさ重視のカジュアルな靴だった。
「やっぱり、とは?」
「このウェディングドレス、前に着たことがあるのよ。着たのは結婚式じゃなくて、試着でだけどね。ちょっと長くなるけど、聞いてくれる? あれは私がまだ、女優としてデビューする前のこと……」
 扇は由良の返事を待たずして、〈心の落とし物〉のウェディングドレスに関する思い出を語った。
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