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〈冒険者編〉

183. リリアーヌ・エイダン

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 エイダン商会を興したのは曾祖父で、祖父、父と三代にわたって努力して、店舗を大きく発展させてきた。
 祖父からこっそり教えてもらったが、曾祖父はシラン国に召喚された勇者と親交があり、異国の『百貨店』なる販売方式を教えてもらったのだとか。
 曾祖父の時代ではあいにく実現は難しかったが、この国が世界初の共和国となり、ダンジョンを有効活用して豊かになってきた祖父の時代に、商会は『エイダン百貨店』という立派な大店を大通りに構えることが出来た。

 扱う品は多岐にわたったが、どれも最高品質の物を用意して、通常の雑貨店とは差をつけるようにした。
 その販売形式に、古くからの従業員の中には反対する者もいたようだが、祖父の英断は当たったのだ。
 元貴族であった金持ち連中がこぞって百貨店の品を愛用してくれた。共和制となり、地位や権力を手放した彼らは財力で他者より優位に立ちたかったのだろう。
 愚かなことだとは思うが、ありがたい上客でもある。『エイダン百貨店』は彼らを賓客として丁寧に接客し、虚栄心を満たせてやりながら、財布の紐を緩めて大いに稼がせてもらったと聞く。

 上客は元貴族階級だった者たち以外にも、大勢いた。特に父の時代からはダンジョンで稼ぐことに成功した冒険者たちがたくさんお金を落としてくれた。
 女性冒険者たちは綺麗なドレスや化粧品、精緻なアクセサリーに夢中になったし、男性冒険者も魔道具や上質な装備に目がない。
 夜の街の美しい蝶に唆されて、鼻の下を伸ばした初心な男性冒険者がデートの場として彼女を連れてくるのも『エイダン百貨店』だった。

 ねだられるまま、彼らは装飾品やドレスを女性に贈る。楽しい買い物の後には、通りを挟んだ向かい側にエイダン商会系列の高級レストランがあるので、そこへ案内すれば良い。
 珍しい食材や高価な香辛料を使った料理は好評で、美食家たちは喜んで大量の金貨を落としてくれたものだ。
 おかげでエイダン商会は商業ギルド内でもトップの売り上げを誇る大商会に昇格した。

 知恵を授けてくれた勇者さまには感謝しかない。
 異国から召喚されたと云う彼らは、シラン国にも様々な知識を授けて下さったと聞く。
 だが、多大な恩恵を受けたはずのシラン国の教会や王家はその知識を独占しているため、市井には広がっていないらしい。
 おかげで、エイダン商会は大繁盛しているので、むしろ有り難かったが。


 お金は大事だ。財産よりも愛情が大切なのだと夢見る瞳で語る学友もいたが、リリアーヌの私見は違った。
 金銭に不自由すると愛情は目減りすることが多い。貧しい暮らしは心までさいなむもの。
 財産がある裕福な暮らしを与えられたなら、愛情はなくとも感謝を覚えるはず。そこから生まれる情が、やがて尊敬や愛情などに結びつくはずだ、と。
 そんな風に考えていたので、まさか金銭的に援助をしてくれる相手を蔑ろにする存在がいるなんて、彼女は思いもしなかったのだ。
 

 婚約破棄に伴う諸々は、本当に最悪で、悪夢のような出来事だったと思う。
 互いの利益を重視した家同士の契約で結ばれた関係ではあったが、少なくともリリアーヌは婚約者に歩み寄ろうと努力はしていた。
 だが、彼はいつまで経っても自身のことを『金で買われた被害者』であると周囲にうそぶき、リリアーヌを貶めようとしていた。
 そんなにお金で繋がった関係が嫌なら、最初からこの婚約を断れば良かったのだ。もしくは、解消に向けて自身で動けば良い。
 そういった行動を取らないくせに、彼はエイダン商会から得た金を湯水のように使って遊興に耽っていた。

(私のことは気に入らなくても、私の家から与えられたお金は大好きなのね)

 リリアーヌが男を見限るのは早かった。
 こちらから婚約解消を申し出たら、違約金や慰謝料などをふっかけてこようとするだろう。自分に非がないのにそんな事態に陥るのは面白くない。だから、リリアーヌは向こうが墓穴を掘るのを待った。
 女遊びの激しい彼のこと、そのうち大勢の前で恥知らずな行為を披露するだろう。
 そうなれば、大勢の証言と不貞の証拠を集めて、あの男有責で婚約を解消すれば良い。
 伯爵家と彼に融資した資金を取り戻し、ついでに当初の目的通りにシラン国での販路も確保させよう。
 あと少しだけ我慢すれば、円満にあの男から逃げられる。リリアーヌはそう考えて、あの男と浮気相手の女性との交流から目を逸らして耐えていた。
 まさか、あんな下らない婚約破棄騒動を彼が起こすとは、有能な彼女もさすがに考え付かなかったのだ。


 婚約は解消できたが、面白おかしく噂される学園での生活に嫌気がさして、最短ルートで卒業した。
 父に教わりながら商会の仕事を学んでいた際に、少しの油断から拐われてしまった。
 あの時のことは思い出したくもない。
 学園で男性不信気味になってはいたが、あの事件の所為ですっかり男性恐怖症に拍車が掛かってしまった。
 家族や親戚、親しい友人や小さな子供とはまだ以前のように関わることが出来たが、それ以外の男性とは顔を合わせるのも恐ろしくなった。

 父は静養を兼ねて獣人の街への移住を勧めてくれた。支店を任せてくれると云う。環境が変われば、少しは気持ちも落ち着くだろうと配慮してくれたのだ。
 申し訳なかったが、その気遣いは嬉しかった。弟のジョナードも移動の旅に同行してくれると云う。
 ダンジョン都市で仕入れた物資を大量に荷車に詰め込んだ商隊は、冒険者ギルドに護衛を頼んだ。
 身の回りの警護には女性冒険者グループに依頼した。その際に彼女たちに推薦されたのが、ナギだった。

 ナギという少女は不思議な存在だった。
 十三歳だと聞いたが、年齢不相応にしっかりしており、少し会話を交わしただけで、その聡明さは伝わってきた。
 後方支援担当だと謙遜していたが、彼女が使う生活魔法はとんでもなかった。
 浄化魔法クリーンの威力には特に驚かされた。通常の浄化はざっと水で洗い流した程度の効果のものだ。
 ナギのそれはまるで別物だった。我がエイダン商会で取り扱う、最高品質の石鹸で丁寧に洗った後よりもぴかぴかに全身を磨き上げられるのだから。
 それだけでも彼女を雇って良かったと思えたのだが、提供される食事もまた素晴らしかった。冒険者ギルドの職員お墨付きの料理の腕前は、舌の肥えた姉弟をも唸らせた。
 もちろん、商人が喉から手が出るほどに欲しがっている【アイテムボックス】スキルにもお世話になっている。
 彼女の作る菓子には堅物な侍女のメリーも相好を崩したし、意外とちゃっかりした弟はさっそく懐いていた。
 発想もすばらしく、レシピや持ち運べるトイレなどのアイデアにも感心させられたものだった。

(スキルの収納量からして、彼女の魔力は膨大。魔法学園の教師よりも精密に魔力を制御しているわね。初級魔法しか使えないと聞いたけれど、きっととても強い魔法を使うはず)

 柔らかそうな金の髪を綺麗に結い上げた少女は、冒険者とは思えないほどに華奢で可愛らしい。
 成人前なのに銅級コッパークラスとは、よほど努力を重ねたのだろう。
 今回の依頼は、いつもは少年と組んで活動しているのを、無理を言ってソロで参加してくれたと聞く。
 綺麗な毛並みの黒狼の子を従魔として引き連れて、リリアーヌが男性と接触しないように気を使ってくれている。
 聡明で愛らしいナギと会話を交わすのは楽しかった。久しぶりに心の底から笑った気がした。従魔の仔狼アキラも主人に似て、とても賢くて優しい子だ。
 商会に引き抜きたいと本気で考えるほどに、リリアーヌは彼女のことを気に入っていた。

 だから、野営中に騒動が起き、大規模な盗賊の集団をナギが捕らえたと聞いた時には、すぐには信じられなかった。
 たった一人と一匹で、三十名以上の盗賊を無力化したのだと云う。
 しかも、その盗賊連中を率いていたのが、逃亡していた元婚約者ダニエッロなのだという、信じられない情報ももたらされ、リリアーヌは困惑した。

「……とにかく、商隊の責任者として、現場の確認に行きます」
「リリアーヌお嬢さま……」
「大丈夫よ。いい加減で私も逃げるのは嫌になったの」

 心配性な侍女を宥め、顔を上げる。
 まだ少し恐怖心はあったが、それ以上に好奇心が抑えられそうにない。
 あの規格外の少女は、何をしてくれたのだろう?
 弟のジョナードも期待に瞳を輝かせているし、護衛してくれている『紅蓮』メンバーもそわそわしている。
 リーダーのリザが楽しげに親指を立てて宣言した。
 
「じゃあ、行こうか。リリアーヌ嬢の元婚約者殿の惨めな姿を拝みにね!」
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