R18『千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~』

緑野かえる

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本編 (2024 11/13、改稿しました)

9.千代子と司※

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 薫の懲役勤めが終わる頃には本部も更地だ。
 そう言った元四代目会長、中津川は面会にやって来た司を真っ直ぐに見据える。
 もう何も残っちゃいねえだろうよ、と勾留中のアクリルパネル越しの会話はどこか一つの時代の終焉を自らに言い聞かせているかのようだ、と司の目には映っていた。

「それより司。お前、父親とは」
「二度と彼女を危険な目に遭わせるな、と言いました」
「まあそうなるわな。俺も穏便に連れ出していると思って任せちまっていたんだが」

 やっぱり荒っぽいんだよなあ、お前ん所は。
 そう言う中津川は深く頭を下げる司に笑い掛けていた。


 それは夏の終わり、秋の始まり。
 キッチンからは香ばしくも甘い香りがする。

「お夕飯が近いので一枚だけですよ」
「はーい」

 いつか聞いた言葉がまた一つ……と司の声ではない間延びした返事も一つ。
 相変わらずホットケーキを焼いていた千代子は広いカウンターキッチンからリビングで昼過ぎあたりから飲んでいた司たち三人を見てにこにことしていた。

「ってか何この二人掛けのテーブル。兄貴マジあざといッスよね。最初っから“ちよちゃん”と暮らすの前提で買っちゃってさ~」

 空いたグラスを持ってきていた松戸がキッチンに立っている千代子にどこに置いておく?と問うが目を丸くさせてきょとんとしている姿に「え、マジで知らなかった……とか?」と問う。

「いえ……そっか、そうですよね……こんな広いお部屋で二人掛けって」

 あまりにも自然に置いてあったから気が付かなかった、と言われてしまった松戸は「男の一人暮らしならこのカウンターに椅子だけで十分ッスよ」と言う。
 だから初めてこの部屋に訪れた時には無くて、二回目の荷物を片付けて欲しいと言われ、おまけにランチまで作ったあの日。その時点で司は自分との同棲を考えていたのだろうか。
 いや、そんなこと……と千代子の視線が司に向けられるが当の本人はソファーから立って千代子にちょっかいを掛けている松戸を回収していく。

「なあ松。お前が預からせてくれって言うから任せちまった三浦なんだが、様子はどうだ?」
「あー元気してますよ。最近はみーちゃんサンって俺は呼んでンすけど」
「なんて名前付けてやってんだよ……まあお前のが一応、本家付きで格上だったが」
「みーちゃんサン、マジで心配だったんだそうですよ。兄貴、御実家には何も連絡してなかったから……唯一、自分が任されて残っていた街金だけが兄貴たち親子の最後の繋がりだ、って思っちゃってて。その場所を兄貴が消しちまったら本当に親子の関係まで消えちまうと思ったらしく」
「ああ、まあ、仕えている長さを考えれば……俺たちがその立場だったら、そう考えちまうかもしれねえな」

 芝山の言葉に松戸も緩く頷く。気持ちは分かってやれる。
 そんな舎弟としての思いはたまたま多重債務者への回収現場に居合わせてしまった薫による「司の懐に入り込んでくれたら、ウチのでけえ店をくれてやる」と言う甘い提案をどうにか跳ねのけ、司にもどうか自分の店の存続を、と願い出た。

 しかし当の司は単純に街金に興味が無く……素っ気ない態度のまま。
 三浦の焦りは募り、司に一番近い者の一人である松戸にも個人的に接触し、昼食に誘われた際にはもう自分ではどうすることも出来ない状態に、薫から半ば脅されている状況にまでなってしまった、と正直に打ち明けていた。
 薫が持っていた街金は未だに非合法的な激しい取り立てを行っていた。たまたま取り立てでかち合ってしまった当初、あのヤクザたらしめるような取り立てが出来ていた過去の輝かしき時代を知っていた三浦も薫から提示された“大きなシノギ”に目が眩んでしまった。だがやはりどうしても本来の組への――かつては確かに強かった男、司の実父への忠義は忘れていなかった。

 司が生まれて父親となり、血の気が多かったはずの修は丸くなったどころか思い悩んだ末に半ば枯れてしまったと言うのは事実で……。

 そして三浦が薫と“忠義”の狭間で板挟みになっていたのと同じ時期。修は三浦の状態も把握した上で中津川と内密に連絡を取り合っていた。
 衰退してゆくばかりの武闘派の組織を次々に懐に納め、カタギとして生きようとしている司の脅威と成り得る程に組織を肥大化させ続けていた薫。そのなりふり構わぬ危険な行動を今は亡き次兄に代わり、親代わりとして修は抑えようとしていた。

 何より修は実の息子を『優秀な兄に奪われた』と多くの者たちから思われていた。
 しかしそれは外野の憶測でしか無く――その憶測を修は上手く使って派手な振る舞いをしている薫に「私の持つ店を少し手伝ってくれないか?金融の三浦にも声を掛けてくれたんだろう?」と長く癒えぬ傷心を持ったフリをして近づいた。

 薫からすれば自分のシマの拡大と三次とは言え、司の肉親と言う大きな存在を後ろ盾に――半ば人質のように大きな駒として手の内に修を持てる事は三浦よりも遥かに良い旨味だった。

 ヤクザの子はヤクザにしかなれない。
 しかしながら時代はもう大きく変わってきている。
 修はその長きに渡る闘争の血の呪縛から息子を解き放ってやりたかった。しかし司が成長するにつれて判明してきたのは頭脳戦を得意とする鋭い、危険な才能の存在。
 そんな司の素質とは正反対の“武闘派”であった修。自らでは制御が出来ないと判断し、司と同じ才のある長兄、進の居る本家へと養子に出す事をまだ司が幼かった当時から腹に決めていた。

 その進もまた、先に生まれていた長弟のところの薫ではなく、まだ幼い司の方を特に気に掛けていたのも早々に自らとどこか似た物を感じ取っていたからなのかもしれない、と後に設けられた今回の顛末を吐かせる――話をさせる為に呼んだ親子二人だけの食事の席で司は直接、修から聞かされていた。
 見た目はともかく進兄さんとお前はよく似ているよ、と。

 そして薫の、時代にそぐわぬ振る舞いを次兄に代わって終止符を打たせようと中津川と共に、今川三兄弟の長男である進にすら知らせずに裏で手を回し、様々な黒い犯罪に対し“懲役”と言う結末で強制的にケジメをつけさせる事に成功した。

 全ては彼ら、父親たちの手の内だった。
 司の“組織の解散”と言う魂胆も何もかもがお見通し、と言うよりもその計画は自分たちが生まれる前から既に始まっており……四代目や義父、そして実父も極道の世界の終焉を望んでいた。

 その長きに渡る計画が今、実ろうとしている。

 あまりにも巨大な組織ゆえに解体に着手してから、もうどれだけの月日が経ってしまったか。
 それでも着実に、義父の元で教育を受けた司によって新時代の為の、解体の為の地盤は固まった。
 これから先、日陰にいた者たちもそれぞれが納得する形で日の当たる道を歩けるよう、世間からはぐれてしまった者達の受け皿となり――司たちは今、最後の始末を任されて奔走している。

「結局は父さんの指示で三浦の店は無くなってしまったが」
「みーちゃんサン、算数めっちゃ出来るからウチの経理部に入って貰う予定なんスよ。カネ勘定ちゃんとしてなきゃ今どき小さい街金なんてやっていけないですからね。維持させていただけの腕はあります」

 酒をやめて千代子が作り置きしておいた麦茶の入っているガラスのボトルに手を伸ばす松戸に「焼けましたよ」とすでに四つ切りにしてきた焼き立てのホットケーキを持ってきてくれる千代子。そのエプロンの裾は今日も軽やかに揺れている。

「松戸さんはチョコレートシロップ、お好きですか?」
「え、あ~……」

 これは以前、千代子が一人でカチコミ――司の事を聞きに会社まで訪れた際に互いに口にしたコーヒーショップのアイスチョコレートドリンクをなぞっている事に気が付いた松戸は「お願いします」と頭を下げる。

 掛けちゃいますね、と松戸を甘やかす千代子に少し不服そうな司の視線。
 それを見ていた芝山が「一切れくれ」と言い、さらには司も「私も」と言い出してしまい結局、松戸には二切れだけが残る。
 半分になっちゃった、と松戸はしょぼしょぼしながらも千代子の持つ雰囲気のように甘く、優しい口当たりのホットケーキを大切に味わう。

 キッチンに戻った千代子はホットケーキの人気に「まだありますから」と嬉しそうに口元をほころばせながらもう一枚、切り分け始める。 


 昼間とは打って変わって静かになったリビングの明りは落ち、司の書斎兼寝室には小さな明りが一つ、灯る。
 片付けは明日一緒に、と司はもう千代子を下に組み敷いていた。

「今日はご機嫌さんでしたね」

 ふふ、と腕を伸ばした千代子が司の素肌の背に触れる。
 その背には確かに墨色が彫られているが千代子はまるで慈しむような手つきで優しく撫でる。

「でも……本当に良いの?」

 司は自身が結構な量の酒を……それこそ久しぶりに飲んで正常な判断が出来ない可能性を千代子に伝える。また抑えられない衝動に駆られて酷い事をしてしまわないか、それだけが心配だった。

 今日は、初めて千代子が「一緒に寝ませんか?」と誘ってくれた。
 しかも素肌にバスローブを羽織った姿のまま、恥ずかしそうに笑っていた事には司も口元を手で覆い、感無量だった。

「もう、そんなに心配しないでください」

 大丈夫、と言う千代子の少し細められた眼差しと緩く弧を描く唇が年相応の艶をたたえ、それはまるで司に言い聞かせているようで――年齢が逆転しているかのような感覚に司は少し、息を飲む。

 やはり千代子は強く、美しい人。
 料理をしている姿も、こうして一緒にベッドを共にする時もこんなにも惹かれてしまう。
 唇と唇が擦り合うように、それからほんの少しの舌先が絡んで、ひとしきり淡い戯れを交わせば細い指先がぎゅうと司の体を引き寄せる。

 重くない?と司が問いかけても千代子はそのままで何か考えたように司の肩口に珍しくきつく唇を押し当てて、吸う。
 その辺りには、牡丹の意匠が彫られていた筈。

 ちゅ、と音が立って唇が離される。

「上手くできませんね」

 どうやら司の色彩を入れていないモノトーンの皮膚に淡い色のキスマークを残そうとしていたらしい。思ったより色がつかなかったのか少し不服そうに言うがその行為はあまりにも柔らかで痛みなど何もなく、司の熱を徒に煽るばかりだった。

「司さん……?」
「ちよちゃん、今の……本当、駄目……」

 深く息を吐いた司が半身を起こして立ち膝になると下りていた髪を掻き上げ、千代子に吸われた部分を確かめるように見て、指先で触れている。
 その際、枕に頭を乗せていた千代子はちょうど視界に司の筋肉質な腹筋の……その下にある物を見てしまった。

「え、あ……あらら……」

 ついに目撃してしまった司の熱い猛り。普段は怖くならないように、見ないようにしていたちょっと自分には大きすぎるのではないかな、と言う物を見てしまい寝かされているにも関わらず後ずさりをしようとしてしまう。
 いつも、そんな感じなのだろうか。

「ちよちゃんの肌の方が柔らかいから、残しやすいんだけど……ああ、」

 見ちゃった?と問う司に視線を泳がせても遅く、千代子は今からそれが自分の中で……色々な事をされるのだと察知してしまい、勝手に赤くなる顔を隠そうにも剥されたバスローブの上には司も乗っているので引き寄せられない。

「人間の体って不思議だよね」

 つい、と千代子は自分の潤んでいる所が指先で撫でられ、途端に自分でも分かるくらいに垂れ落ちるような感覚を察知してどうしようもなくなり、身を竦める事しか出来なくなる。
 互いに深い愛情を求めているのだと分かっていても、恥ずかしい物は恥ずかしい。

「ゆっくり、しよっか」

 それって、と千代子が言葉を返せずにいれば熱く濡れているその奥が、差し入れた指先すら締め出そうとする。可愛い抵抗に遭った司は丁寧に、身を竦めている千代子の体がほぐれるように指の先だけを動かして触れ合っている体の反応を見る。

 千代子も司が優しくしてくれているのはよく分かるがこれがいつまでも続いてしまったら身が持たないかもしれない。それに、ついに見てしまった司の方もいつまでもそのままではつらいのではないだろうか、と思う。

「つか、さ、さん……」
「うん?」
「いつも、わたしにばっかり……し、てて……」
「あまり大丈夫、ではないかな」

 なんとか抑えてるんだけどね、と小さく音が立ち始める千代子の中を探っていた司は自分の猛りを探しているような悩ましい手に気づくと指先を掴み、その先の行為を止めさせる。

「今日はちよちゃんから誘ってくれたし、今はその気持ちだけで良いよ」

 そのまま千代子の手の甲にキスをする司は今、少しでも自分の熱に触れられでもしたら本当にそれだけで爆ぜてしまうのではないかと思っていた。
 言葉では余裕を見せているが限界はすぐ近くにある。

 ふと、千代子が伸ばした手が左手である事に気が付いて……それすら気が回らない程ではあったがその薬指は一緒に暮らし始めてから暫く経っていると言うのに素のままで、何も無かった。

 大切な事を忘れていた。
 千代子に寂しい思いをさせないようにとあれこれ考えていた癖に、と司はそのまま器用に千代子の薬指を持ち上げて少しきつく吸い上げる。

「あ……ッ……」

 千代子も司の行動の意味に気が付いて瞳の潤みが増してしまう。

「もっと早くに気が付くべきだった」

 千代子が暮らしやすいように気にしていたのに、どうしてこの肝心な部分を一番後回しにしてしまっていたのか。
 自らに失望を始める司は「すぐに買いに行こう」と真剣な声で言うが今、自分たちはベッドの上でわりと濃厚な時間を共有している真っ最中。

「今はこれで、赦して」

 うっすらと薬指の関節に色が付く。
 すると千代子も司に指先を差し出して欲しいと掴んで引き寄せ、また小さくちゅうちゅうと薬指の関節を拙く吸われた司はいよいよ自分の限界を知る。
 こんな小さなアプローチですら今の司にはとても耐えられそうにない物となっていた。

「ちよちゃん、少し力抜ける……?」
「ん……」
「そう……痛かったらすぐに止めるから、言って……」

 頷く千代子が自らの胸の前で手を組んだせいで柔らかな胸が寄せられてそれすら司にはとても刺激的で、その赤く色づいている先端を思いのままに吸い上げたらどんな反応をするのか。気になりつつも今、やっと浅く入ろうとした物がきつく押し出されてしまいそうな気がして思いとどまる。

 千代子も先ほど見てしまった司の熱がゆっくりと自分の中に入ってくる感覚に肩で浅く息をしながらいつもは感じる筈の淡い痛みが今日は全部、どこまで甘い快楽の刺激となって意識を蕩けさせてきて、それに流されてしまわないように必死に堪える。

「ちよちゃん、息して」

 言われるがままに大きく呼吸をする。

「苦しい?」

 苦しいけれど、じんじんと痛みではないむず痒いような、それを解消して欲しい衝動を求めてしまい……開かされていた膝は司の腰をもっと自分に寄せて欲しいとせがんでしまう。
 恥ずかしいのに、こればかりはもう……お願い、とねだってしまう。

「んッ……」

 気持ちを汲んでくれたのか司がゆっくりと動いてくれる。
 それでも今日は互いに、感じたことのないくらいに擦り合う熱の温度が高い。千代子の抑えられない声が引いて、押し込まれて、の波に自然と漏れ出て司の頬を血色の良いものに変えて行く。

 互いに浮き出る汗、司の大きな手にしっかりと捕まえられている自分の腰。

「あ……っ、う」

 少し強めに突かれればそれの通りに喉から声が跳ねて出る。

「あ、あ……ッ、んんん!!」

 繰り返される刺激に喘ぎながらも千代子はぐ、と司が歯を食い縛ったような気配を感じた。

「だめ、つかさ…さん、も」

 男性のプライドとかあるのかもしれないけれど。

「ね?もう、くるしいの、我慢しない……で?」

 千代子の表情に滲む大人の女性の妖艶さ。
 腕を伸ばして引き込む、引き摺り込んで搾り取ろうとしている純粋な愛欲に気を張っていた司すら倒れ込むように根負けして甘い疼きに反り、浮いている腰に昂ってどうしようもない男の熱を深く、突き立てる。

 一瞬の悲鳴。
 あまりにも重い衝撃で千代子の目じりから涙がこぼれ落ちる。

「や、あっ、」
「千代子」

 名前を呼ばれ、返事の代わりにすりすりと頬を寄せる千代子。
 そんな可愛らしい愛情の表現に司は掻き抱くように自分よりも小さな肩を抱き込んで、呆気なく搾り取られたってもういいから、と切なげに甘く喘ぐ声を耳元に受けながらその体を何度も何度も強く揺すり続ける。

「い、や……い、く……ひ、ッあ、あ」
「ッ、く」
「あッ……んん、いっしょ、に………ッ!!」

 腕の中で翻弄されている体が強く強張り、もう声になどなっていない息だけが胸を震わせ、司の腕に爪を立てると同時にそんな甘い痛みに司も強く身震いをする。
 腹の底から息を吐くようにそのまま、爆ぜる。

 どくどく、と脈動する自らとまだ中のざわめきが収まらない一回り小さな体を抱き締めれば千代子が汗であまり滑らないと言うのにまた頬を寄せるものだから司は少し向きを変えて唇を、と互いに重ね合わせる。

 ふ、と息が苦しくなって唇を離せばうっとりと幸せそうな表情をしている千代子に司も頭を傾け、千代子がしてくれたように愛情を伝える為に頬を寄せる。
 その仕草を慈しむように、千代子は司の背に手を置いてしっかりと抱き締めていた。

 ・・・

 季節は秋の昼下がり、場所は銀座の目抜通りにあるジュエリーショップ。
 千代子は並ぶ数字のゼロの多さをあまりじろじろと見ないようにしていた。
 ペアリングを、との司からの申し出にどこか希望のブランドやショップなどがあるか聞かれた千代子は雑誌で見た素敵なジュエリーがどこのブランドだったのか今になって思い出せないでいた。

 千代子と司は今、初めてのデートと言う物をしている。
 同棲からスタートしてしまった事と、司も色々と大変だったせいもあり時間は経ってしまったがやっと、二人だけでゆっくり出掛ける日を作った。
 相変わらず……以前にも増して司は忙しかったが千代子の支えのお陰で心身のバランスを崩す事なく生活をしている。

 あれからの関東広域連合は解体の運びを取り、週刊誌などでも取り上げられはしたがやはりもう時代ではないのか、そのまま沈静化が進んでいる。解散の為の役員となっている司の粗を探しても何も出てこない。司はヤクザの子、であるだけで今は青年実業家の面しかなく、その体に彫られているカラス彫りの渋い墨一色の彫り物を知っているのはごく僅かな近しい者たちのみ。

 千代子はそれをしげしげと観察しては指先ですりすりと触り、痺れを切らした司に襲われそうになってはいたが。

 本家今川組、並びに司の実家の組も規模を大幅に縮小……事務的な後処理などの為に執行部や役付きたちが残っているだけのような状態になりつつある。

 二人は一店舗目を出て、通りを歩いてた。
 歩行者天国の道路って不思議な感覚ですよね、と千代子のヒールが小さく鳴り、膝下丈のスカートは歩く度にふわふわと揺れてまさしく“ご機嫌さん”な様子。
 そんな千代子の姿を嬉しく思いながら隣で見ていた司が「婚約指輪はまだ早いかな」と話しかければヒールの足音が止み、立ち止まったまま黙ってしまう。

「ごめんごめん、困らせるつもりは」
「……お願いします」

 柔らかい色合いの口紅で彩られた千代子の唇が小さく動く。
 雑踏の中では掻き消えてしまいそうな程の声だったが司の耳にはちゃんと届く。

「私はちよちゃんの前ではとんでもないふつつか者ですが、こちらこそ」

 司は身をかがめ、同じようにひそやかな声で「よろしくね」と声を落とす。
 雰囲気からなんとなく、泣き出してしまいそうになってる千代子の指先を手に取った司はどこか落ち着ける場所に連れて行こうかと辺りを軽く見回す。

「あの、司さん」
「うん?」
「大人同士が、手を繋いで歩いても良いんでしょうか」

 離れ離れになっていた学生時代。
 千代子が家の都合で引っ越してしまわなかったら、連絡先を交換していたなら。
 そのまま、堂々と手を繋いで歩けていただろうか。

 それは分からない。
 今だから、今から始めたいと思った事をひとつひとつ、二人で実現させていきたい。そんな思いを司は胸に秘め、にこっと千代子に笑いかけるとその手をしっかりと握って「あんみつ屋さん、行ってみる?」と誘う。
 力強く握られた手。うんうん、と頷く千代子。
 歩幅も違うヒールの千代子の手を引き、ゆっくりとエスコートしながら昼の銀座を歩くカジュアルスーツ姿の司は今日も完璧な男、そのものだった。

(司さんはやっぱり格好いいな)

 こうして外で見る司はやはり千代子には輝いて見えていた。
 すれ違う他人の視線すら千代子にもはっきり分かってしまう程で――それでも司は何も気にせず、自分に対して気遣いを見せてくれるばかり。優しい人、と千代子は安心してその隣を歩く。歩幅もきっと随分と気遣って合わせてくれている事を感じながら、繋いだ指先をしっかりと握る。


 そして再び、ハイブランドの店に二人は入る。
 半ばプロポーズのような司の言葉に頬に熱があがってしまったがひんやりとアイスクリームの乗ったあんみつで少し落ち着いていた千代子。司に「入ってみる?」と軽く言われて入ったジュエリーブランドのロゴに恐れおののいていた。
 雑誌でも度々見る、定番中の定番ではあるがやはり本物を目の前で見るとストーンのカットや細工の繊細さに目を奪われてしまう。
 ペアリングを探している、と司に言われたスタッフに案内され、今日はまだ色々と見たい、とすぐには決めない事を司が店員に伝えているが予算は特に、と上限が無い事をさらっと言いのけていた。

 結局その後、ブランドショップをもう一件見て回った昼のあたりで千代子が明らかにくたびれているのが目に見えて分かり、司もそこまで急かすつもりもなかったので家に帰ったらまたゆっくり選ぼう、と言う事になった。

 他に寄りたい所はある?と聞かれて殆ど司にエスコートをされるがままでのデートではあったのだが千代子には実は一つ、行きたい場所があった。

「パンケーキが、食べたくて……あの、お食事も出来る所なのでそこでお昼にしませんか」

 家でも十分、美味しいパンケーキやホットケーキを焼いているが千代子のちょっとした趣味の探求心にも「じゃあ行こうか」と司は難なく付き合う。千代子が自分から何かしたい、と言い出してくれる事が純粋に嬉しかったのだ。

 思い返してみても再会したばかりの時の千代子はやはり表情が硬く、ひとりぼっちで心の内との折り合いをどうにかつけようと……思い悩んでいる疲労の表情は確かに、隠しきれていなかった。ぼろぼろと大粒の涙をこぼして打ち明けてくれた時から、今はどれくらい癒えたのだろうか。

「生クリームがこう、すごく乗ってるやつなんですけど甘すぎなくて」

 説明をしながら恥ずかしそうに笑っている顔が眩しいくらいに輝いていて。
 司の目から見た千代子の表情はよく変わるようになって、今では遠慮せずに素直に気持ちを伝えてくれる事が何よりも嬉しかった。


「司さん」

 二人だけで外食をするのはこれで二回目。
 以前、司がベッドの中で話をしてくれたように……食後のコーヒーを味わいながら千代子も自分が今、考えている事をゆっくりとしたテンポでひとつひとつ、伝える。

「今日、こうしてお出掛けできたのが本当にうれしくて……そろそろ秋のバラが見頃なんです。だから、また」

 千代子が一人でピクニックをした春先から季節は変わり、今は二人。

「今度のお休みはお弁当を持って、公園に行きませんか?」

 美しい風景を共有したい。
 写真ではなくて、二人だけの記憶として残したい。
 小さい時に憧れだった人と今は一緒に住んで、互いに向き合って話を交わせる日々。時に感情を溢れさせてしまっても、それを汲んでくれる優しい司に千代子も焦らず、自分が出来る範囲で丁寧に暮らしを整えていた。
 独り善がりの我が儘かもしれない、と思い悩んでしまう前に気持ちを伝えられるようになったのは何事も真摯に受け止めてくれる司のお陰だった。

 そんな完璧そうに見える司にも弱い部分や強い感情があった事をすでに聞いている。
 それに疲れていると朝食は甘さのないパンケーキからほんのり甘い方のホットケーキになるし、アイスコーヒーに牛乳とガムシロップを入れて甘いカフェオレにしているのも千代子は知っていた。

 毎日が新鮮、とまでは行かないけれど朝に「行ってらっしゃい」と送り出し、仕事から帰って来た司を出迎えて「お帰りなさい」が言える安心感と心地よさは変わらずいつも感じている。

 千代子からのピクニックの提案にこにこと笑っている司は「それなら今度こそ何かお弁当のリクエストをしようかな」と考えを巡らせ、そんな彼の姿に千代子も「何でも作りますよ」と嬉しそうに笑い合う。

 ・・・

 夏が終わり、秋の風が軽く千代子の髪を揺らす。
 後れ毛を気にする左手の薬指にはあれから二人で決めたシンプルなペアリングが嵌められていた。
 それは派手では無かったが二人の穏やかな生活を物語っているかのような物――ブランド物以外にも、と千代子が見つけたアクセサリー工房で二人で作って来た物だった。完璧な姿形はしていないがその自然な丸い形を千代子はとても気に入っていた。

 今日はもう二回目のピクニック。
 持ってきていたお弁当も食べ終わり、お茶をしながら足を崩して座っていた千代子の足元には珍しく横になっている司がいた。

「寝ちゃった……?」

 疲れているなら言ってくれればいいのに、と思いながら何か掛ける物を、とその整った寝顔を覗き込んでいた千代子。
 眠りが浅かったのか、はたまた狸寝入りだったのか小さな声と気配に司が千代子を見上げる。

「ちよちゃん、綺麗だね」

 いきなり何を、と千代子は自分の膝に掛けていたブランケットを司に掛けようとして手を止め……思い出す。疲れている時や寝起きから間もない時の彼の口はわりと緩く、時にとんでもない事を口走る傾向があった。
 一緒に暮らせたらいいのに、と言ってくれた日もそう。
 いつも優しい司の隠している本音がほろりと千代子に落とされる。

 気を、許してくれているのだと思った。
 普段は隙など見せてくれない完璧な人にもこんな緩やかな休息の時間は必要で、千代子は「このままだと風邪引いちゃいますから、お家に帰ってからお昼寝しましょう」と提案する。

「一緒に寝てくれる?」
「もう……」

 困り顔の千代子を見上げたまま司が笑っている。

 一緒に、について拒否をしなかった千代子。司はあっと言う間に荷物をひとまとめにしてそのほとんどを持ってしまい、手持ち無沙汰になってしまった千代子へさらに左手を差し出す。
 その薬指には勿論、きらりと光るお揃いの丸い親愛の形が一つ。
 手を繋ぐ行為に対し未だ恥ずかしそうにする千代子だったがその大きな手をしっかりと握って歩き出せば司もその温かい手を握り返す。
 秋の深くなる公園を千代子と並んで歩く心地よさと色づき始める街路樹の淡い黄色の色合いに司は目を細めた。

「もう秋なんだね」

 出会ったのは春だった。
 まだ、一年も経っていない。

「食欲の秋ですね」

 大真面目に言う千代子。
 彼女らしいその素朴さがなによりも愛しく、秋はどんな料理を作ってくれるのだろうと司は考える。

 手を繋ぎ、二人並んで歩く仲睦まじい光景。
 千代子は口元をほころばせて秋の味覚と自分が作ってみたい物を司に話し出せば聞いていてくれるその優しさに少し甘えるように体を寄せる。
 ずっとこのまま、こうして二人でいられますように、とまるで祈るようにきゅ、と司の指先を握れば何か感じ取ったのか司もまた深く握り直してくれる。

 そんな司の行動にちら、と上目遣いで見上げた千代子は司と目が合ってしまった。

「ふふっ」

 気恥ずかしそうに笑って歩く千代子と司。
 繋いだ手を互いに離さないように、二人はそっと寄り添いながら秋の日差しが輝く道を歩いて行く。


 おしまい。


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