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36 招かれざる客
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社交シーズンで帝都に来て、二十日が経過していた。
社交シーズンといえば、春から約三ヶ月ほどの間をいう。領地持ちの貴族は、その時期に帝都に集まり社交に精を出すものだ。しかし、アカリエル公爵家はタニア王国の監視があるため、長く領地を空けることがないという。今回も社交シーズンの内、一ヶ月程度で領地に切り上げる計画になっていた。
あと十日もすれば、帝都を去ることになる。いまだ愛人が見つからず、私は少し焦っていた。
アカリエル公爵が夫人を連れてパーティーに参加している、という情報は、そこかしこで囁かれているため、愛人の耳にもその情報は入っているだろう。
今まで妻を連れてくることのなかったルークが、妻を連れてパーティーに参加しているとなれば、愛人の心はきっと穏やかでないはず。だから、私の前に他人を装い愛人が現れるのでは、と考えていたのだが、今のところ、その考えは甘かったらしい。
これからどうしようか、と悩んでいた時、その情報に釣られ、別の招かれざる客が表れた。私のバカ兄である。
「アリス! 公爵閣下とパーティーに出ているというのは本当だったんだな」
「お兄様、今日は旦那様は不在ですわ」
「今日の俺はアリスに会いに来てやったんだぞ」
アカリエル公爵家の別邸の昼間、兄のバリー伯爵が約束もなしに突然やってきた。普段、私に用事などなく、私ではなくルークに連絡をするくせに、なぜ今日は私に会いに来たんだろう。
「アリス、美味しいものを食べさせてもらっているんだな。俺のお陰だな。あんなに金持ちの夫を見つけてやったんだから」
「……」
「それにしても、元気になったなら元気になったと、俺に連絡をするべきじゃないか? この前、公爵閣下に金を貸してもらおうと連絡したら、今は難しいって返事だったんだぞ。てっきり、アリスが死にかけているから、もう貸せないって意味かと思ってたんだが」
私がイーライに、兄にもうお金は貸さないで、といったことを、イーライは実行してくれたようだった。
「お兄様、わたくしが元気な姿を見て、先日、令嬢に驚かれてしまいました。どうやら、わたくしが死にかけているなどと噂になっていたようで。お兄様がそんなことを誰かにおっしゃったのですか?」
「そういえば、そんな話をしたかもな。死にかけていたのは、結婚前からそうだったから、間違いではないだろう。それよりも、元気になったなら、また金は借りられるはずだろう? アリスから公爵閣下に頼んでくれ」
「……」
「それにしても、公爵閣下がアリスと仲がいい、と噂になっているが、本当か? 本当なら、そのまま公爵閣下をがっちり捕まえておけ。アリスが愛されているなら、愛人がいようが、妻の座が揺るぐことはないだろう。アリスを嫁がせてやったんだから、アリスが生きている間は、俺にも礼の一つや二つ、してもらう必要がありそうだな。ははは」
お金を借りるなんて言いながら、その借金を返す気はないくせに。間違いなく、私がアカリエル公爵夫人だから、私がルークに言えば、借金は踏み倒せると思っているに違いない。つまり、借金ではなく、ただのお小遣い。
頭が痛い。自分の欲望だけのこの兄の、この生産性のない話をいつまで聞いても、楽しくなることはなさそうだ。
でも、まだ我慢。もう少しだけ、我慢しなければ。
「お兄様、今すぐお金をお貸しするのは難しいですわ」
「なぜだ。公爵閣下におねだりでもしろ。すぐに貸してくれるだろう」
「アカリエル公爵家は早めに領に引き上げますから、帝都にいられるのはあと僅か。その間に、旦那様はやらなければならない仕事が多くて、お忙しいのです。わたくしも、そろそろ夜の舞踏会の準備をしなくてはならないので、お兄様には申し訳ありませんが、帰っていただかなければなりませんわ」
「アリス……お前」
剣呑な表情を浮かべた兄に、私は笑みを向けた。
「その代わりといいますか、領に帰ったら、できるだけ早くお兄様に会ってもらうよう、旦那様にはお願いしておきますわ。お兄様はバリー領に戻って、わたくしから招待するのをお待ちになっていてください」
すでに兄は持ち金が少ないのだろう。だから、早めにお金は欲しい。ただ今すぐお金を借りれないとなった以上、お金のかかる帝都にもいられないはず。
私たちがアカリエル領へ戻るのは、そう遠い先の話ではない。そのくらいなら、我慢してもいいと思ったに違いない。ふん、と鼻を鳴らし、兄は立ち上がった。
「アカリエル領に戻ったら、すぐに連絡するんだぞ!」
「はい、お兄様」
兄をどうにかしたい、とルークに相談し、現在色々と準備をしているところだった。ある人にある話を持ちかけて、了承も得た。少し考えていたものと違う方向の希望を伝えられたけれど、本人がそれでいいなら私は問題ないので、それで合意した。
兄の後ろ姿を見ながら、私は笑みを向けた。
そろそろカウントダウンが始まりましたよ、お兄様。
社交シーズンといえば、春から約三ヶ月ほどの間をいう。領地持ちの貴族は、その時期に帝都に集まり社交に精を出すものだ。しかし、アカリエル公爵家はタニア王国の監視があるため、長く領地を空けることがないという。今回も社交シーズンの内、一ヶ月程度で領地に切り上げる計画になっていた。
あと十日もすれば、帝都を去ることになる。いまだ愛人が見つからず、私は少し焦っていた。
アカリエル公爵が夫人を連れてパーティーに参加している、という情報は、そこかしこで囁かれているため、愛人の耳にもその情報は入っているだろう。
今まで妻を連れてくることのなかったルークが、妻を連れてパーティーに参加しているとなれば、愛人の心はきっと穏やかでないはず。だから、私の前に他人を装い愛人が現れるのでは、と考えていたのだが、今のところ、その考えは甘かったらしい。
これからどうしようか、と悩んでいた時、その情報に釣られ、別の招かれざる客が表れた。私のバカ兄である。
「アリス! 公爵閣下とパーティーに出ているというのは本当だったんだな」
「お兄様、今日は旦那様は不在ですわ」
「今日の俺はアリスに会いに来てやったんだぞ」
アカリエル公爵家の別邸の昼間、兄のバリー伯爵が約束もなしに突然やってきた。普段、私に用事などなく、私ではなくルークに連絡をするくせに、なぜ今日は私に会いに来たんだろう。
「アリス、美味しいものを食べさせてもらっているんだな。俺のお陰だな。あんなに金持ちの夫を見つけてやったんだから」
「……」
「それにしても、元気になったなら元気になったと、俺に連絡をするべきじゃないか? この前、公爵閣下に金を貸してもらおうと連絡したら、今は難しいって返事だったんだぞ。てっきり、アリスが死にかけているから、もう貸せないって意味かと思ってたんだが」
私がイーライに、兄にもうお金は貸さないで、といったことを、イーライは実行してくれたようだった。
「お兄様、わたくしが元気な姿を見て、先日、令嬢に驚かれてしまいました。どうやら、わたくしが死にかけているなどと噂になっていたようで。お兄様がそんなことを誰かにおっしゃったのですか?」
「そういえば、そんな話をしたかもな。死にかけていたのは、結婚前からそうだったから、間違いではないだろう。それよりも、元気になったなら、また金は借りられるはずだろう? アリスから公爵閣下に頼んでくれ」
「……」
「それにしても、公爵閣下がアリスと仲がいい、と噂になっているが、本当か? 本当なら、そのまま公爵閣下をがっちり捕まえておけ。アリスが愛されているなら、愛人がいようが、妻の座が揺るぐことはないだろう。アリスを嫁がせてやったんだから、アリスが生きている間は、俺にも礼の一つや二つ、してもらう必要がありそうだな。ははは」
お金を借りるなんて言いながら、その借金を返す気はないくせに。間違いなく、私がアカリエル公爵夫人だから、私がルークに言えば、借金は踏み倒せると思っているに違いない。つまり、借金ではなく、ただのお小遣い。
頭が痛い。自分の欲望だけのこの兄の、この生産性のない話をいつまで聞いても、楽しくなることはなさそうだ。
でも、まだ我慢。もう少しだけ、我慢しなければ。
「お兄様、今すぐお金をお貸しするのは難しいですわ」
「なぜだ。公爵閣下におねだりでもしろ。すぐに貸してくれるだろう」
「アカリエル公爵家は早めに領に引き上げますから、帝都にいられるのはあと僅か。その間に、旦那様はやらなければならない仕事が多くて、お忙しいのです。わたくしも、そろそろ夜の舞踏会の準備をしなくてはならないので、お兄様には申し訳ありませんが、帰っていただかなければなりませんわ」
「アリス……お前」
剣呑な表情を浮かべた兄に、私は笑みを向けた。
「その代わりといいますか、領に帰ったら、できるだけ早くお兄様に会ってもらうよう、旦那様にはお願いしておきますわ。お兄様はバリー領に戻って、わたくしから招待するのをお待ちになっていてください」
すでに兄は持ち金が少ないのだろう。だから、早めにお金は欲しい。ただ今すぐお金を借りれないとなった以上、お金のかかる帝都にもいられないはず。
私たちがアカリエル領へ戻るのは、そう遠い先の話ではない。そのくらいなら、我慢してもいいと思ったに違いない。ふん、と鼻を鳴らし、兄は立ち上がった。
「アカリエル領に戻ったら、すぐに連絡するんだぞ!」
「はい、お兄様」
兄をどうにかしたい、とルークに相談し、現在色々と準備をしているところだった。ある人にある話を持ちかけて、了承も得た。少し考えていたものと違う方向の希望を伝えられたけれど、本人がそれでいいなら私は問題ないので、それで合意した。
兄の後ろ姿を見ながら、私は笑みを向けた。
そろそろカウントダウンが始まりましたよ、お兄様。
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