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私はチェルシー

始まりの日 

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 ~5年前~

 『まったくどうして君たちはチェルシーを我儘放題にしておくんだい?いくらまだ12歳だからと言って、いや12歳ならばそろそろ分別が出来ても良い頃だろうに。

 我儘が過ぎて、酷い態度で周囲に当たり散らしていたじゃないか。見るに耐えなかったぞ?可愛いからと放って置いたらブライデン伯爵家にそのうち汚名を着せる事になるんじゃないか?』

 ウキウキと談話室に入ろうとしたチェルシーは、足を止めた。と言うより縫い付けられた様に動けなくなってしまった。お兄様達に自分の悪口を言っているのは、今さっきまで私の胸をドキドキさせていた、兄ケルビンのご学友であるゴードン様だった。


 チェルシーは自分のしでかした事よりも、憧れのゴードン様に苦々しい口調で悪く言われた事に頭に血が登って、叫び出す一歩手前だった。そして同時にお兄様方の苦笑する様なため息が聞こえて、ドレスを両手で握りしめた。

 悔しさと恥ずかしさで涙がこぼれ落ちない様に目を見開きながら踵を返すと、ホールへ向かう階段へと小走りで向かった。何処かに逃げ出したかった。

 酷い、ゴードン様。あんな言い方をするだなんて!お兄様達もゴードン様と同じ様に思っていたのかしら。恥ずかしい妹だと?

 その時チェルシーは足元が空を切ったのを感じた。誰かの切り裂く様な悲鳴が聞こえて、何が起きたのだろうと一瞬気が取られた次の瞬間、身体が衝撃を感じて、そして彼女は何も分からなくなった。




 
 ベッドの周囲を取り巻く顔触れは、私にはまるで記憶になかった。私は自分の名前も思い出せなくて、皆の呼び掛けるチェルシーという響きにもまるでピンと来なかった。

 しかも明らかに私の知る場所ではないし、銀髪だとか、金髪だとか、まるでお芝居を演じているかの様な大袈裟な衣装を見れば、夢の中だと誤解してもおかしくないでしょ?


 けれども私が何も反応しなかった事で、ますます面々の表情が悲痛に変わるのを見て、ここが夢の中だとしても彼らを慰めたいと思って口を開いた。

「…あ、あの、みなさん?ご心配を、お掛けしました。大丈夫です、ので、どうか悲しまないでください。」
 
 私がそう言葉にすれば、掠れていたけれど可愛らしい声が耳に入ってきた。自分の声も初めて聞く気がする。一方ベッドの周りの彼らは、一様に驚いた表情で顔を見合わせた。先に我に返った銀髪の紳士が、私の手を握って声を震わせながら優しく声を掛けてきた。


 「ああ、チェルシー。私はお前の父親であるブライデン伯爵だ。お前は三日前、階段から足を踏み外して転げ落ちてしまったんだ。幸い骨折はしなかったが、頭を切って酷く出血した。しかも一時息が止まっていたんだ。…どんなに恐ろしかったか。

全然目覚めなくて心配したが、大丈夫かい? だが、こうして目を開いて、言葉を発してくれただけでも、私は神に感謝するよ。」

 そう言いながら、ブライデン伯爵はトルコ石の様な美しい瞳を潤ませた。私は初めて見るその美しい瞳に見惚れてじっと見つめてしまった。けれど直ぐにそんな不躾な事をした自分が恥ずかしくなって、どうして良いか分からずに目を閉じた。


 …外国と言うより、中世っぽい貴族の一家が勢揃いしている様に感じたのは、あながち間違っていないのかもしれない。その時もう一方の手を美しい柔らかな手に触れられて、私はおずおずと瞼を持ち上げた。ああ、凄い。

 貴婦人とでも言うような目の前の美しい女性は、淡い金色の髪を大きく持ち上げて髪飾りでまとめている。そして緑色の瞳を涙で潤ませてふっくらした紅い唇を震わせた。


「良かったわ…!本当にチェルシーが階段下で頭から血を流しながら、目を閉じてぐったりと倒れているのを見た時は、恐怖のあまり叫んでしまったもの。ありがとう、目を覚ましてくれて。」

 まるで私が何か成し遂げたとばかりに手放しで喜んでくれる目の前の優しい方達に、私は心動かされて喉の奥が詰まった。ああ、夢でなかったとしたら、どうして私はここまで違和感しか感じないんだろう。この優しい人達をこんなに悲しませて…。


 「チェルシー、僕達の可愛いお姫様。この三日は生きた心地がしなかったけど、こうしてもう一度お前の美しい瞳を見つめる事が出来て嬉しいよ。」

 ベッドに腰掛けていた瞳を潤ませた若者が、そう言いながら笑顔を浮かべて私の腕を優しく撫でた。私は思わずビクッと身体を強張らせた。家族なのかもしれないけれど、今の私には見慣れぬ他人だ。すると側に立っていたもう少し年上に見えるもう一人の青年が、顔を顰めてベッドに座った若者に声を掛けた。

 「まだ目覚めたばかりだ。…怖がらせるような事はするなマイケル。チェルシー、ゆっくりおやすみ。」

 そう言われて、マイケルと呼ばれた若者はバツが悪そうに頭を掻いてベッドから立ち上がった。


 「ケルビン兄上の言う事ももっともだな。チェルシー、僕は兄のマイケルだ。君とは一番の仲良しだったんだよ。」

 私の兄だと言うマイケルは笑顔を見せると、明るい緑色の瞳を輝かせた。もう一人の兄らしき青年も貴婦人と同じ湖色の瞳だ。私は彼らの美しい瞳に見惚れながら、少し人見知りも発動してぎこちなく微笑んだ。

 彼らはまるで知らない人達だ。そして私も何だか聞いたことのない声で、自分が自分じゃないみたいだ。ああ、一体どうなっているんだろう。私はただ心臓がドキドキと脈打つのを感じるばかりだった。



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