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私はチェルシー

戸惑いの日々

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 私が目覚めた事で、家族らしき一団がホッとしながらも少し複雑そうな表情で部屋を出て行ってから、私は侍女らしき女性に甲斐甲斐しくお世話されてベッドに寝かしつけられた。意識もぼんやりとして、枕に埋もれた身体はあっという間に脱力して考えることも放棄してしまった。

 次に目覚めた時は随分とスッキリしていて、喉が酷く乾いていた。

 ゆっくりと起き上がると少しクラリとして、それは不安を呼び起こした。誰か…。ベッドのサイドテーブルの上にベルの様なものが置かれているのに気がついて、私はそれに手を伸ばしてゆっくりと振った。


 思いの外伸びやかな音が響き渡って、焦った私がベルを持った手を見つめて硬直していると、足音と共に寝かしつけてくれた侍女が扉から顔を覗かせた。

「チェルシーお嬢様、お呼びですか?」

 ホッとした私は喉に手を当てて、掠れた声で水が飲みたいと訴えた。すると部屋の奥からワゴンを押して来て水差しからカップにたっぷりと水を注ぐと、私の唇に当てて飲ませてくれた。


 重そうなカップが持てるか不安だった私は、気の利く彼女に感謝して微笑んだ。

「あ、あの、ありがとうございます。」

 すると侍女は目を見開いて、戸惑った様に私とカップを交互に見た。まるで今飲ませたものに何か入っていたのかと考えているみたいに。

「…お嬢様、お加減はいかがですか?三日も寝込んでいたのですから、何か軽いものから召し上がれる様に用意させましょう。食欲の方はありますか?」

 私はそう尋ねられて急にお腹が減ってきた。だから少し遠慮がちに頷くと、先に温かいものが飲みたいと頼んだ。


 お手洗いに付き添ってもらった後、足取りも軽く部屋を出ていく侍女の後ろ姿を見つめながら、私はもう一度積み上げられた枕へ頭を沈めた。…あちこち痛い。さっきお手洗いに行った時に痛くて死ぬかと思ったわ。

 確か階段から落ちたらしいから、打ち身だらけなのだろう。骨折してはいないのはラッキーだったのかもしれない。

 頭には包帯が巻かれていて、触れると酷く痛む。けれど、その痛みよりも私を不安にするのは、この見慣れない部屋と人々だった。どう考えても私はこの環境に覚えがないし、自分の声にさえ聞き覚えがないのだ。


 心臓が飛び出してしまうのではないかと思う程に不安からドキドキしてきて、私は思わず胸に手を押し付けた。その手が目に入って、私は目の前に手を掲げた。少し右腕が痛いのは、やっぱり打ち身のせいなのだろう。

 目の前の手は想像より幼い気がした。さっきはボンヤリしていたけど、そう言えば目線も低かったかもしれない。…一体チェルシーは何歳なの?

 ゆっくりと身体を起こすと、部屋の中を見回した。目当ての物を見つけると、そっと足を床に下ろして私用らしい、可愛らしい室内履きに足を押し込んだ。慎重に部屋を横切ると、ドレッサーらしき家具の前に立った。

 
 ピンク掛かった白色の額縁の中の鏡に、トルコ石みたいな目が覚める様な青い瞳の少女が立っていた。包帯の下に伸びた真っ直ぐな銀色の髪が背中に流れていて、振り返ると思いの外長かった。そして先程ベッドの周りを取り囲んでいた、私の父親だと言っていた男性も銀色の髪だったと思い出した。

 けれども鏡の中の少女の顔つきはどことなくあの貴婦人に似ていたし、青年達は彼女から金髪と緑の目の特徴を受け継いでいたものの、今思えば父親に雰囲気が似ていた。という事はやはり鏡の中の12~3歳ぐらいの少女はこの家の娘に違いない。中身は別人だけれど。

 私はため息をつきながらベッドに戻った。私はチェルシーではないけれど、だからと言って何者でもない。違うということしか分からないから。…でもどうしようもないわ。本物のチェルシーはどこかへ行ってしまったのだし、私にも帰る場所などない。

 そう考えた瞬間から、私はこの世界で、この家族と共に生きていく事を覚悟したのだった。




 私がこの見慣れない生活に慣れようと必死だった頃、引っ掻く様なぼんやりした記憶を時々ふとした瞬間に思い出す様になった。それは苦しい様な感情を浮かび上がらせるので、私はその度に動きを止めてしまう。

 高いところから転げ落ちる恐ろしい光景。その刹那、悔しさと悲しみを呼んで、どこかに逃げ出してしまいたいと言う強い思い。

 だから後から考えるとベッドの上で目覚めた時、私がこの姿だったのにも腑に落ちた。何の因果か、私はこの身体の息が止まった時に、その少女の魂の代わりにこの身体に入ってしまった。…のかもしれない。



 私は一からこの世界の事を学び直す必要があった。もっとも、文字やら作法などは身体が無意識に動いて出来てしまうので、この世界の常識だけを学び直すという感じだった。

 一年後には学園入学を控えていたので勉強も必要だったけれど、家庭教師がやはり侍女と同様に、私が真面目に教えを受ける事に戸惑った様子を見せた。

「…チェルシー様は随分と落ち着きが出ましたね。以前は、その、あまり熱心とは言えませんでしたから。教え甲斐があるというものです。」


 以前のチェルシーは一体どんな少女だったのだろうかと、私は首を傾げた。伯爵一家はチェルシーを元々溺愛していた様子だったけれど、他の人達の様子を見ればあまり素行の良い少女ではなかったみたいだ。

 けれども周囲の人々が戸惑って首を傾げようと、私は私でしか居られなかった。本物のチェルシーにはなれないのだから。


 そんなある日、お兄様達が数人のお友達と一緒に帰宅して来た。まだ病み上がりだからと言い訳をして、顔も名前も一致しない自分のお友達とも会うのを避けていた私は、人見知りも発動して、こそこそと図書室へと逃げ出した。

 だからまさかお兄様達のご学友と顔を合わせるなんて思いもしなかったのだ。しかも顔を合わせた途端、胸の奥が焼けつく様な感情に支配されるだなんて。






☆連載中のBL作品
「エルフの国の取り替えっ子は、運命に気づかない」本日更新しました☆
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