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第4章 真の軍師

光世、清華を視る

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 ろう国・景庸関けいようかん
 日も落ちた頃、景庸関の外の陣営内に設営されている幕舎の中で、厳島光世いつくしまみつよ貴船桜史きふねおうしは食事を済ませた。
 出て来る食事は、大都督府にいた時よりは明らかに質素で味気ないものだった。
 桜史は疲れていたのかそそくさと部屋の寝台で眠ってしまった。

 今部屋には、下女の清春華せいしゅんかが食器を片付ける音だけが響いている。
 光世は手伝おうとしたが、清春華に止められたので、彼女の手際の良い片付けを眺める事にした。

「光世様は、桜史様とどの様なご関係なのですか?」

 ニコニコと気さくな笑顔で清春華は光世に訊ねる。その間も食器を片付ける手は止まらない。

「残念ながら、春華ちゃんの期待しているような関係じゃないよ?  故郷で同じ師に兵法を学んだ学友ってところね」

「なるほど、御学友。そう言えば、お国はどちらですか?」

「えーと……ずっと向こうの日本て国だよ」

 光世は適当な方角を指さすと、清春華もそちらを見た。

「ニホン?  聞いた事ない国ですね。私、光世様の事もっと知りたいです。色々教えてください!  光世様のその肩程の長さの髪型、とても気になっていたのですが、それはそのニホンという国では流行っているのですか?」

 清春華は光世の顔を覗き込んだ。目を爛々と輝かせ、まさに純粋な少女のようだ。

「まあ、色々だよ。長い人もいれば短い人もいる。好きなようにしてるだけ。私みたいに茶色く染める人もいるし」

「え!?  それ、地毛じゃないんですか?」

「違う違う、染料で染めてるの。春華ちゃんの長い黒髪も凄く綺麗で素敵だよ」

「ありがとうございます!  でも……光世様の髪型可愛いし……私も光世様みたいに茶色くして短くしようかなぁ」

 清春華は指でハサミを作り自らの黒髪を挟む。
 そんな姿を見て光世はクスリと笑った。

「春華ちゃんて下女っぽくないね。何か友達みたい」

「あ!  失礼しました! 私ったら、つい立場を忘れてしまい……光世様があんまり話しやすい方なので」

「別にいいんだよ?  友達みたいに話してくれて」

「そういうわけには参りません。あ、もう夜も遅いですし、お休みになってください」

「春華ちゃんも休んでね~」

「ありがとうございます!」

 笑顔でそう答えた清春華は、一礼すると食器を抱えて部屋を出て行った。


 ♢


 光世の幕舎を後にした清華は、使用済みの食器を炊事当番の兵士に渡すと、辺りを確認しながら、陣営内に無数にある人気の少ない幕舎の物陰に隠れしゃがみ込んだ。
 慎重に辺りを確認しながら、懐から絹の切れ端と筆を取り出す。地面には、予め用意しておいた硯。墨も既に摩ってある。草むらの中に置いてあるので良く探さないとはたからは分からない所に選んで昼間隠しておいた。

 光世の髪型、そして、兵法を学べる母国。それらの要素から、清華は光世が宵と同じ国から来たのではないかと考えていた。恐らく、桜史も同じだろう。2人の年齢は宵とも近そうだ。もしかすると、宵、光世、桜史の3人は同じ師に教えを乞うた学友という可能性もある。
 “ニホン"という国名、“光世と桜史"という名前。この2つを宵に伝えれば何か分かるかもしれない。
 そう考えた清華は、手始めに、「朧国の景庸関に駐屯する2人の軍師の下女として潜り込む事に成功した事」、そして「その2人はニホンという国から来た“光世”と“桜史”である事」を宵に伝えるべく筆に墨を付けた──が──

「春華ちゃん、こんなところで何やってるの?」

 その突然の声に驚いた清華は、筆を草むらに落とした。

「あ……光世様……!  どうして……ここに?」

 冷や汗をかきながらも、清華は平静を装い、不思議そうに首を傾げながら清華の様子を窺う光世に質問で返す。

「私はたまたま通り掛かっただけだよ。で?  何やってるの?」

 光世は笑顔だった。その声色は、清華を間諜ではないかと疑っているかのような冷たさを感じる。もう寝るだけなのに、こんな場所をたまたま通り掛かかる筈がない。

「私は……その……お花を摘みに来たんです」

 幸い筆と硯は草むらに隠れて光世の位置からは見えない。清華の太ももには絹の切れ端が1枚乗っている。用を足しに来たというのは自然な言い訳に聞こえる筈だ。

「あ……ごめん。でも、厠ならあっちこっちにあるじゃん?  何でわざわざ女の子が外を選ぶかな?  なーんか隠してる?  春華ちゃん」

 光世が清華を疑っているのは明らかだ。
 軍師である光世に、ただの下女である清華が問答しても勝ち目はない。ならばと、清華は精一杯の機転を利かせる。

「光世様……私だって人間です。淫らな気持ちになる事だってあります。どうかそっとしておいてください」

「ああ……そういう事。ごめんね。でも、それなら尚更、外でするのは危ないよ」

 そう言うと光世は清華の隣にしゃがんだ。
 恐怖で身体が硬直してしまった清華は動く事が出来ず、隣に座った光世の顔を見る事さえ出来ない。
 足元の硯と筆が見付かれば言い逃れは出来ない。
 冷や汗がじんわりと額に浮かぶ。
 身体の震えを隠すだけで精一杯だ。

「何でコイツどっかいかないの?  って思ってる?」

 清華の横顔を見ながら光世が話し掛ける。

「いえ、そんな事は」

「私ね、春華ちゃんの事好きなんだよ。あ、女の子としてじゃなく、人としてね」

「そ、そんな、下女如きに勿体ないお言葉……」

「話しやすいし、いい子だし、仕事出来るし……だからね、春華ちゃんが敵の間諜だったら嫌だなって……」

「な!  何を仰ってるんですか!?  私が間諜なわけ……」

「違うって信じたいよ。だけど、疑わない理由もないんだよ。今は戦中だし、敵がまともなら間諜を使うのは当然。もし、春華ちゃんが間諜だったら、私つらい。春華ちゃんを捕まえて告発しなきゃならないし。そんな事したら、春華ちゃんともお別れだし……永遠に」

 光世は寂しげに言った。光世の抜け目のなさは桜史の比ではない。

「違います、光世様。私は……間諜なんかじゃありません!  ただの下女です!  どうしたら信じて頂けますか?」

「春華ちゃんが間諜だったとしてもね、こっちに寝返れば問題ないんだよ?  “ 反間”て言ってね、春華ちゃんが閻からの間諜だとしても、朧に寝返って閻の情報をこっちに流すの。それで、閻には偽の情報を持ち帰って混乱させる。そうすれば、朧の味方になれる。私とも本当の仲間になれる。毎日ビクビクする事もなくなるんだよ」

「……」

「もう一度聞くね。春華ちゃんは閻の間諜?」

 宵を選ぶか、光世を選ぶか。そんな選択を迫られた。
 光世は確かに善人で、宵と同じような優しさを感じる。光世を裏切りたくないという気持ちは、清華の中に確実に芽生え初めてしまっていた。

 ──しかし

「私はただの下女です。私はまだ19の小娘ですよ?  間諜なんて恐ろしい仕事が出来る筈ありません。もし、私の話が嘘だったら、この首を差し上げます」

 清華は宵を選んだ。閻には世話になった劉飛麗りゅうひれいもいる。2人を裏切れる筈がない。
 光世との出会いは、清華にとって大誤算だった。あまりにも頭がキレ、勘がいい。清華が想像していた以上に、間諜の任務は困難になるだろう。

「そっか。なら良かった。疑ってごめんね。首を差し出すとか物騒な事言わないでよ」

 光世は大きく息を吐いて笑顔で言った。よく見ると、光世の額にも汗の粒が浮かんでいる。

「私は戻るね。見付からないように気を付けるんだよ?  済んだら早く寝る事」

「あ、はい。桜史様には言わないでくださいね」

「言うわけないじゃん」

 光世は笑いながら手を振って戻っていった。

 1人になった清華は身体の力が一気に抜け、地面に尻をついてへたり込む。
 光世がいる限り、宵に密書を送れない。
 あまりの歯がゆさに、清華は持っていた絹の切れ端をギュッと握り締めた。
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