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第4章 真の軍師

二度と戻れない

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 朧国ろうこく景庸関けいようかん(元閻帝国えんていこく領)
 その防壁の上から、貴船桜史きふねおうしは数十里先の廖班りょうはん軍の陣営を眺めていた。疎らに自生する木々に遮られその全容までは見て取れない。

「桜史よ。敵は結果的に我が軍の伏兵を破ったが、初めの廖班率いる5千の騎兵はまんまと伏兵の餌食になったぞ。とても軍師が居るとは思えんな」

 桜史の隣で共に廖班の陣営を眺めていた安西あんせい将軍の陸秀りくしゅうは、突然やって来て作戦を提案してきた見ず知らずの若造である桜史に猜疑の目を向けた。
 陸秀は南方の異民族討伐で武功を上げて将軍に上り詰めた勇将で、今回の閻帝国侵攻の先鋒将軍である。

「恐らく、敵の軍師は遠隔地に居て陣営内に居ないか、居たとしても指揮官との信頼関係が築かれておらず、上手く力を発揮出来ていないだけでしょう。巴谷道はこくどうの我が軍の伏兵を破った者が兵法を知らぬわけがありませんからね。必ず軍師はいます」

「確かに、言われてみれば貴殿の言う通りだ」

 桜史の説明に陸秀は素直に頷いた。そして、鼻で笑うとまた口を開く。

「まあ、廖班というのは名前だけの無能な将軍という話で有名だ。父親が荒陽こうよう太守の廖英りょうえいという男で、こちらは大層な人格者らしく、民からは絶大な信頼がある。そんな父親の七光りで将軍になったような戦を知らない男が廖班だ。奴を先鋒に使うような閻は戦を舐めているとしか思えん」

「ですが、その廖班が軍師の指示に従い兵を動かせるなら、我が軍の驚異になります」

 慎重な桜史の言葉に、陸秀は呵々と笑った。

「案ずるな。廖班は先の戦闘で矢を胸に受けて重症だ。かろうじて生きていたとしても、もう二度と戦場には戻れんよ」

「二度と?」

「戦況はどうだ?  陸秀、桜史」

 桜史と陸秀の会話に、防壁の下から石段を上がって来た大都督・周殷しゅういんが割り込んだ。
 その背後には、前将軍・黄旺こうおう厳島光世いつくしまみつよがいた。

「敵の5千の騎兵の内、1千近くを殺し、廖班を弓矢にて負傷させました。しかしながら、こちらの囮部隊と伏兵計3千2百は十数名程しか残りませんでした。校尉の文謖ぶんしょくも戦死しました」

 陸秀が答えると、白髪頭と白髭の老将・黄旺こうおうが眉間にしわを寄せ首を傾げる。

「陸将軍、随分やられたではないか。敵は罠に嵌ったのではなかったか?  何故こちらの損害の方がでかいのだ?」

「廖班の5千は罠に嵌りましたが、その後から来た葛州刺史かっしゅうしし費叡ひえいの武将が3千の騎兵で援護した為……体勢を崩されました。生き残った兵の話によると、その武将は費叡の副官の姜美きょうめいと名乗ったとか」

「姜美?  知らん名だ」

 黄旺が白い髭を撫でながら周殷の顔を見る。すると周殷も首を横に振った。

「姜美……次その者が動いたら注意しろ。廖班の弱卒共とは違うようだ」

「肝に銘じます!  大都督」

 陸秀は拱手し周殷に頭を下げた。

「ああ、そうだ。陸秀。今向こうで徐畢じょひつに光世から聞いた新たな陣形を調練させている。次の攻撃で早速試してみようと思う」

 東の陣営の方を指さしてそう言うと、周殷は光世の方を見た。

「必殺の陣形です!  敵の軍師が兵法を知っていても、この陣形の事を知らなければ絶対破られません!」

 自信満々に答える光世に、陸秀は難しい顔をしたが、周殷が頷くと、陸秀も頷いた。

「大都督が認めておられるならば光世の陣形を使ってみましょう」

 陸秀が言うと光世は嬉しそうに微笑んだ。



 ***


「毒……ですか」

 神妙な面持ちで瀬崎宵せざきよい李聞りぶんの言葉を確認するように繰り返す。

 宵と李聞の他に幕舎に集まったのは、張雄ちょうゆう成虎せいこ、姜美、そして軍監の許瞻きょせんだ。皆固唾を飲んで李聞と宵のやり取りに耳を傾ける。

「うむ。軍医の話によると、敵の伏兵が使った矢は全て毒矢だったそうだ。廖班将軍以外の負傷兵も毒矢にやられていた」

「助かるんですよね?」

 口元を羽扇で隠しながら、宵が訊ねる。

「幸い人を殺す毒ではないらしい。安静にしていれば死ぬ事はない。だが、その毒は傷口の修復能力を阻害する。故に治療しても完全に傷口が塞がるまでに通常より長い時間がかかる。完治までの間、激しく動けばすぐに傷口が開き出血し死に至る。怒らせたり、騒がせるのは駄目だ」

「そんな……という事は、廖班将軍は今回の戦には出られないと……そういう事ですか??」

 張雄が目を見開いて言った。

「軍医が言うには、少なくとも、2年間は安静にしなければならないという話だ。今回は残念だが、荒陽こうように帰還し養生してもらう。これからは、この軍の指揮は私が執る事になった」

 李聞の話には、皆妥当だと首を縦に振った。

「姜美殿は、どうされるおつもりですか? このまま麒麟浦きりんほに宿営を?」

 話を振られた姜美は首肯する。

「ええ。費叡将軍からのご指示があるまではここに留まります。一応、私はここにいる間は自己判断で戦闘を許可されていますので、朧軍と戦うのであれば兵はお貸ししますよ、李聞殿」

「それは心強い。其方程の勇将が味方ならば、士気も高まるだろう」

「いえ、それは買い被り過ぎというもの。今は廖班将軍が負傷され、兵の士気は低い。油断は禁物です」

 李聞と姜美のとてもスムーズに進むやり取りに、宵は口を挟まず、ただ静かに話を聴いていた。廖班が仕切っていた時とはまるで違う知性を感じる安心感。これが正常でなければならない。哀しいかな、廖班が負傷してこの軍から退く事になって、ようやく宵が考える軍本来のあるべき姿になった。
 決して廖班の負傷を喜んでいるわけではない。軍としては廖班の退場がプラスに働いたというだけだ。廖班にはこの機会に自分の行いを見つめ直して欲しいものだと、宵は思った。

「軍師よ。お前の意見を聞かせてくれ。この後、敵はどう動き、我々はどう動くべきか」

 突然振られた宵は、背筋をピンと伸ばし李聞の顔を見る。

「敵は指揮官と3千2百の兵を失いました。それに、姜美殿の騎馬隊の精強さを知って肝を潰した筈です。故に敵はすぐには仕掛けて来ないと思います。しばらくはこちらの様子を窺う筈です。我が軍もその間は兵を休ませ、次の戦闘に備え、武具や馬、兵糧の補充を済ませましょう」

「よし。では軍師の提案通り、しばらくの間、諸君は自部隊の兵に休養を与え、武具、馬の確認。不足がある場合は速やかに必要数を報告せよ。念の為、兵糧も今一度確認せよ。足りないものは5日後に補充に来る戴進たいしんに追加で要請する」

 「御意」と、一糸乱れぬ将校達の返事が幕舎内に響いた。

「もう1つだけ、ご報告が」

 軍議を終えようとした李聞に向かって宵は小さく手を上げる。

「何だ?」

「朧軍にも恐らく軍師がいます」

「どういう事だ?  何故そう思う?」

 李聞の問い掛けと同時に将校達はザワつく。

「先程の囮攻撃です。あの策はあまりに稚拙過ぎます」

「確かにな。あれが罠だという事は私でも見抜けた。だが、それなら、稚拙な策しか提案出来ない、つまり、“軍師などいない"という結論になる筈だが」

「逆です。かなり頭の切れる軍師がいると思います。あからさまな罠は、閻の軍師である私がどういう指示を出すか、そしてちゃんと統率が取れているのかの確認。つまりですね、敵は廖班将軍の軍に軍師が存在する事を見抜き、軍師である私の能力を試したという事です」

「成程。敵にも軍師か……。では、まんまと策に嵌り、伏兵の攻撃を受けた我が軍には軍師が居ないと判断したのだろうか?」

「それもあるかもしれませんが、指揮官と軍師の連携が上手くいっていないだけと判断したかもしれません。何にしても、敵に軍師がいる以上、我々はこれまで以上に慎重に動かねばなりません」

 宵はそう答えると俯いた。
 今まで敵に軍師の影は見えなかった。
 自分の兵法だけでほとんど無双していたと言っても過言ではない。
 しかし、敵に本職の軍師が居るとなると、積み上げてきた宵の軍師としての自信が揺らぐ。
 敵の軍師が自分と同じ「大学生の素人」である筈がないのだから。

「軍師殿。敵に軍師が居たとて、負けたわけではありません。朧国も兵法は廃れていました。ろくな軍師がいるとは限りません。皆で力を合わせれば、賊国など敵に在らずです」

 暗い顔をしている宵に、姜美は力強い言葉を掛けてくれた。
 強さと知性を持つ姜美の言葉に、宵の弱気な心は僅かに自信を取り戻す。

「ありがとうございます。姜美殿。皆さん、必ず勝ちましょう!」

「御意!!」

 何気なく言った宵の言葉に、将校達は皆拱手して応えた。
 宵は初めて、将校達の纏まりを感じた。曇っていた顔はいつの間にか晴れ間がさしたように明るくなった。
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