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第一章 試しの一年
第五話 夢現
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集合場所だという、八角駅東口。ロータリーもあってある程度人で賑わってはいるものの、待ち合わせ相手はただでさえ目立つ九郷さんだ。
案の定すぐに、彼女は見つかる。というか、嫌でも目についた。
夕日を背に、柱の側で本を片手に佇む眠り姫。まるでドラマの印象的なシーンだ。道ゆく人の視線が自然とそっちに向かってしまうのも無理はない。
「お待たせ! 待った?」
「全然。むしろ、早い。まだ五分しか経ってない」
「良かった! じゃ、行こっか! ほら、そんなとこ居ないで、優人もこっち来てよ!」
「……おう」
夕日に映える笑顔。今から歌いに行くのでなければずっと見ていられるのだが。
「——それでは楽しんで」
「はい!」
受付を軽く済ませて、ソファーに腰を下ろす。いやに硬く感じるのは、俺に余裕がない現れだろう。
こうやってカラオケに来るのはいつぶりだろうか。少なくとも、あの冬の日以後は一度も来ていない筈だが。
「よし、歌おう! 一番源田響、参ります!」
「気が早い。まだ飲み物も入れてないのに」
「あ……ごめんごめん。つい……」
響は少し照れたような表情で、頭を掻いた。
「いいよ、俺が行く。何が飲みたい?」
「紅茶、あったかいやつ!」
「九郷さんは?」
「いい。自分で持ってくる。響は曲入れといて、すぐ戻るから」
こうして、俺は九郷さんと一緒に部屋を出た。はっきり言って気不味いどころじゃないが、それはもう今更だろう。
「——君は、響の事好き?」
「……はい?」
思考がフリーズする。文字通りに頭が凍りついたようにさえ思える。何を問われたのか、日本語なのかさえも怪しくなってくる。
「好きなんだ」
「は、いや、いきなり何を……」
「先、戻ってる」
俺の問いには答えず、彼女は先に戻った。言いたいことは山程あったが、俺も飲み物二つを手に部屋へと戻る。
「おかえり!」
九郷さんは何事もなかったかのように座っていた。真意は問うべきだが、響の前でやることではない。
「……はいよ、紅茶」
「ありがと! んじゃ、歌います!」
イントロが流れて、声の入りが近づいてくる。知らない曲ではないが、浮かぶ文字のせいで気分は上がらない。
「すぅ——」
——正直、驚いた。前に聞いた時よりも、遥かに上手くなっている。前は、音程一つ合わせるのにも苦戦していたのに。
「どう?」
一曲歌い終わって、自信たっぷりに響がこちらを向く。こいつに贈る答えは決まっていた。ただ少しだけ躊躇ったが。
「……上手い」
無言で鳴らされた音色と、立てられた親指。どこから持って来たのか、九郷さんの手にはタンバリンが握られていた。
「でしょでしょ!? 次、優人!」
「俺? いやお前、俺が歌苦手なの知って……そうだ、九郷さんは歌わないのか?」
「私、聞き専だから」
ピシャリと、扉を閉められた音がした。
才能アリと確かに出てはいるのだが、どうやら乗り気では無いらしい。無理強いするものでもないが。
「ほらほら、早く早く! モタモタしてたら、時間無くなっちゃうでしょ!?」
「ちょ、急かすなよ——」
早送りで時間が過ぎる。結局の所、楽しかった。鬱陶しい文字さえ無ければきっと、これよりずっと、ずっと楽しかっただろうに。
「——あー! 楽しかった!」
「なんか……学生、って感じだったな」
「何年寄りくさい事言ってんの! 新天地のストレスで老けた? このあたしが、相談乗ってあげようか?」
「黙っておけば、言ってくれる……!」
老けているのはいつもの事だろうに。お前にそれを言われる日がくるとは、俺も焼きが回ったもんだ。
「私、電車だから。また明日」
「また明日! じゃあね!」
「さようなら……一体、なんだったんだろうな」
また、目が合ったような気がした。思わず、響に聞こえないくらいの、小さな呟きが漏れる。
分からない事だらけだ。今日は響にも、九郷さんにも振り回される日だったのは間違い無いのだが。
「ん? なんか言った?」
「……何も」
「んじゃ、あたし達も帰ろっか!」
「おう」
夕が終わる。夜の帳が降りて、古風な街頭の道標が街の至る所でふわふわと灯っていた。
「ねぇ、優人」
「なんだよ」
隣を歩く響は、笑っている。誇らしげに、嬉しそうに、それでいてどこか儚げに。
「あたし、上手くなったでしょ?」
心臓が跳ねる。目を抉りたい衝動に駆られる。
「……ああ」
嘘、ではない。心の底から、そう思っている。
「ふふん! 凄いでしょ! でも、あたしはここで終わるつもりは無いのです! いつか絶対、夢を叶えてみせる! 優人には一番前の特等席を用意してあげるから、見ててよね!」
「……ああ」
俺にこんな才能がなければ、それか自分の才能が見れたなら、いいや、いっそこいつの事が嫌いだったなら、こんな思いはせずに済んだだろう。
「んじゃ、また明日! あ、明日こそはもっと早く出てきてよね! 待つの、嫌だから!」
「分かったよ……またな」
気づけば俺の家の前。帰ったら風呂入って、夕飯を食って、課題の整理。そして、錆びついた頭と心に油を差さなければ。
高校生活は始まったばかり。焦ってはいけない。俺は俺に出来ることを全力でやるだけだ。
——真っ直ぐなあいつを、見習って。
案の定すぐに、彼女は見つかる。というか、嫌でも目についた。
夕日を背に、柱の側で本を片手に佇む眠り姫。まるでドラマの印象的なシーンだ。道ゆく人の視線が自然とそっちに向かってしまうのも無理はない。
「お待たせ! 待った?」
「全然。むしろ、早い。まだ五分しか経ってない」
「良かった! じゃ、行こっか! ほら、そんなとこ居ないで、優人もこっち来てよ!」
「……おう」
夕日に映える笑顔。今から歌いに行くのでなければずっと見ていられるのだが。
「——それでは楽しんで」
「はい!」
受付を軽く済ませて、ソファーに腰を下ろす。いやに硬く感じるのは、俺に余裕がない現れだろう。
こうやってカラオケに来るのはいつぶりだろうか。少なくとも、あの冬の日以後は一度も来ていない筈だが。
「よし、歌おう! 一番源田響、参ります!」
「気が早い。まだ飲み物も入れてないのに」
「あ……ごめんごめん。つい……」
響は少し照れたような表情で、頭を掻いた。
「いいよ、俺が行く。何が飲みたい?」
「紅茶、あったかいやつ!」
「九郷さんは?」
「いい。自分で持ってくる。響は曲入れといて、すぐ戻るから」
こうして、俺は九郷さんと一緒に部屋を出た。はっきり言って気不味いどころじゃないが、それはもう今更だろう。
「——君は、響の事好き?」
「……はい?」
思考がフリーズする。文字通りに頭が凍りついたようにさえ思える。何を問われたのか、日本語なのかさえも怪しくなってくる。
「好きなんだ」
「は、いや、いきなり何を……」
「先、戻ってる」
俺の問いには答えず、彼女は先に戻った。言いたいことは山程あったが、俺も飲み物二つを手に部屋へと戻る。
「おかえり!」
九郷さんは何事もなかったかのように座っていた。真意は問うべきだが、響の前でやることではない。
「……はいよ、紅茶」
「ありがと! んじゃ、歌います!」
イントロが流れて、声の入りが近づいてくる。知らない曲ではないが、浮かぶ文字のせいで気分は上がらない。
「すぅ——」
——正直、驚いた。前に聞いた時よりも、遥かに上手くなっている。前は、音程一つ合わせるのにも苦戦していたのに。
「どう?」
一曲歌い終わって、自信たっぷりに響がこちらを向く。こいつに贈る答えは決まっていた。ただ少しだけ躊躇ったが。
「……上手い」
無言で鳴らされた音色と、立てられた親指。どこから持って来たのか、九郷さんの手にはタンバリンが握られていた。
「でしょでしょ!? 次、優人!」
「俺? いやお前、俺が歌苦手なの知って……そうだ、九郷さんは歌わないのか?」
「私、聞き専だから」
ピシャリと、扉を閉められた音がした。
才能アリと確かに出てはいるのだが、どうやら乗り気では無いらしい。無理強いするものでもないが。
「ほらほら、早く早く! モタモタしてたら、時間無くなっちゃうでしょ!?」
「ちょ、急かすなよ——」
早送りで時間が過ぎる。結局の所、楽しかった。鬱陶しい文字さえ無ければきっと、これよりずっと、ずっと楽しかっただろうに。
「——あー! 楽しかった!」
「なんか……学生、って感じだったな」
「何年寄りくさい事言ってんの! 新天地のストレスで老けた? このあたしが、相談乗ってあげようか?」
「黙っておけば、言ってくれる……!」
老けているのはいつもの事だろうに。お前にそれを言われる日がくるとは、俺も焼きが回ったもんだ。
「私、電車だから。また明日」
「また明日! じゃあね!」
「さようなら……一体、なんだったんだろうな」
また、目が合ったような気がした。思わず、響に聞こえないくらいの、小さな呟きが漏れる。
分からない事だらけだ。今日は響にも、九郷さんにも振り回される日だったのは間違い無いのだが。
「ん? なんか言った?」
「……何も」
「んじゃ、あたし達も帰ろっか!」
「おう」
夕が終わる。夜の帳が降りて、古風な街頭の道標が街の至る所でふわふわと灯っていた。
「ねぇ、優人」
「なんだよ」
隣を歩く響は、笑っている。誇らしげに、嬉しそうに、それでいてどこか儚げに。
「あたし、上手くなったでしょ?」
心臓が跳ねる。目を抉りたい衝動に駆られる。
「……ああ」
嘘、ではない。心の底から、そう思っている。
「ふふん! 凄いでしょ! でも、あたしはここで終わるつもりは無いのです! いつか絶対、夢を叶えてみせる! 優人には一番前の特等席を用意してあげるから、見ててよね!」
「……ああ」
俺にこんな才能がなければ、それか自分の才能が見れたなら、いいや、いっそこいつの事が嫌いだったなら、こんな思いはせずに済んだだろう。
「んじゃ、また明日! あ、明日こそはもっと早く出てきてよね! 待つの、嫌だから!」
「分かったよ……またな」
気づけば俺の家の前。帰ったら風呂入って、夕飯を食って、課題の整理。そして、錆びついた頭と心に油を差さなければ。
高校生活は始まったばかり。焦ってはいけない。俺は俺に出来ることを全力でやるだけだ。
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