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第一章 試しの一年

第六話 中庭の華

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 カラオケの日から数日後の土曜日。午前授業の最後、英語の授業が終わろうとしていた。

「んじゃあ、授業終わり! 残念ながら単語テストが不合格だった人は、放課後に再テストするから、視聴覚室へ集合で。絶対忘れないでよ? それでは!」

 英語担当、平沼ひらぬまが教室を出る。何かとそそっかしくて慌ただしい女性ひとだが、サボりだけは絶対に逃がさない。地の果てまでも才能アリが追ってくる。

 勿論、俺はお世話になったことはない。ただ、案の定響は悔しそうにこっちを見ていた。

「優人ぉ! 落ちたぁ……! なんでよぉ!?」
「……一応聞くが、勉強したか?」
「した!」
「本当か? どのくらいやった?」
「二時間……いや、一時間半……えっと、多分一時間くらい……」

 これは、間違いなくサボったな。苦手を後回しにする、響の悪い癖だ。

「お前、受かったか!?」

 おそらく落第二号、支倉登場。

「当たり前だろ。ていうか、お前も落ちたのか?」
「落ちたよちくしょう! 今日が休みだと思って、夜通し思いっきりゲームしちまったからなぁ! なんでちゃんと確認しとかなかったんだ! 昨日の俺!!」
「はっ! 馬鹿め……ん?」

 響も落ちて、支倉も落ちたという事は、放課後の再テストの時間には、間違いなく俺一人になる。

 今こそ、九郷さんにあの質問の真意を聞く時だ。

 いくらくたびれていても、いきなりあんな事を言われてそのままにして居られるほど、好奇心が腐ってはいない。

 ホームルーム後、二人が居なくなったのを確かに確認してから、階段を降る。噂によると、この時間も彼女は中庭に一人で居るという。

「……さて、行くか」

 深呼吸を一つして、一歩を踏み出す。

 入学前にも思ったが、いやに凝った中庭だ。決して広くはないが、写真で見るような外国の庭園に似た厳かな雰囲気がある。

 密かな人気にんきはあるらしいが、それに反して人気ひとけはほとんどない。時間帯のせいもあるだろうが、明白な理由は目の前に座っている。

「——何か、用?」

 庭園の主は、あくまでも無関心そうに顔を上げた。茶色の澄んだ瞳が、俺の姿を捕らえて離さない。

 あの時もそうだったが、この人を前にすると圧倒的な存在感に気圧される。庭園も、春風も、陽光も、彼女の為に在るとさえ思わされる。

 とはいえ、こっちも負けてはいられない。相手がなんだろうが、やることはやるべきだ。

「言わなくても、分かってるだろ? じゃなきゃ、ただ中庭に来ただけのクラスメイトに、自分に用かなんて聞く筈がない」
「へぇ。思ったより、鋭い。もっと鈍いのかと思ってた」

 彼女の瞳が、俺の瞳を貫く。そこに映るものは最早計り知れない。

「……それは、どうも」
「でも、言えることなんて無い。前にも言った通り、響といつも一緒にいるから、色々と気になった。それだけ。大体、あれだけ楽しそうに一緒にいたら、好意があるのかくらい疑うものだと思うけど」
「確かにそうだが……本当に、それだけか?」
「それだけ。嘘をつく理由なんてある?」

 すぐには思い当たらなかったが、どうにも引っかかる。俺の考え過ぎかもしれないが、何か他の意図があるようにしか思えない。

「分かったなら、早く戻って頭を回して。やること、あるでしょ?」
「……!」

 何を、言われているのか。課題のことか、それとも、

 九郷さんは、いつの間にか本に視線を戻している。もう話すことはない、帰れ。そう言わんばかりに。

 再テストが終わる時間も近い。そろそろ教室に戻らなければ、響に怪しまれる。

 一先ず諦めて、振り返ったその時だった。

「——自分だけが特別なんて、思わない事」

 言葉が聞こえた、気がした。気のせいかも知れないが、確かに九郷さんが何かを呟いたように思えた。

「……今、何か言ったか?」

 彼女は答えない。顔を上げる気配すらない。まるで俺の言葉など聞こえていないかのように。

 これ以上は、いるだけ時間の無駄だろう。何か聞き出せるとは思えない。

 モヤモヤした気持ちを抱えて教室へ戻ると、丁度響が帰りの支度をしている所だった。

「あ、おかえり。何してたの?」
「……トイレ。待ったか?」
「ううん、今戻ってきたとこ」
「どうだった? 受かったか?」

 頭の靄を払うように、当たり障りの無い話を振る。すると、響は得意げに丸ばかりの答案を見せびらかしてきやがった。

「ふふん! あたしは天才ですから! バッチリ受かってやりましたとも!」
「はは、それは何より……って、支倉は? あいつも、再テストだったろ?」
「支倉くんは……寝ちゃっててすっごい怒られてた。多分今、英単語の書き取りやらされてる」
「ふふっ。あいつ、マジで馬鹿だな」

 こういう時、あいつの話を聞くと笑えてくる。少し頭が軽くなったような気がした。

「昔からでしょ。んー! さて。お腹空いたし、帰ろっか!」
「おう……ん?」

 教室を出ると、廊下に貼ってあった一枚の紙が目に止まった。

『私達と一緒に、漫画を描いてみませんか?』

 なんて事はない、部活の勧誘の張り紙。だが、閃くものがあった。

 一緒に何かを始めれば、響にも勧めやすいのでは。そんな考えが頭の中に現れる。

「あれ、どしたの?」
「いや、何でもない。早く帰ろう。俺も腹減った」
「うん!」

 趣味も何もない、俺には難しいかもしれないが、これも選択肢の一つだ。

 幸い、母さんは趣味人間。その手の本や道具は家に山のようにある。帰ったら少し探ってみるとしよう。
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