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「あん」

 AVよろしく響く女性の声に、私の体は固まる。
 
「俺のこと、もっと欲しがって」

 ドアの向こうから、最近聞かなくなった甘い声がする。
 私は、掌の中の鍵を固く握り締めた。 

 嘘。嘘。嘘。
 これはきっと、現実じゃない。

大地だいち、滅茶苦茶に……して?」
「エロッ」

 嘘。嘘。嘘。
 この声の主は、大地カレシのはずがない。
 私の冷たくなる指先とは反対に、ドアの奥では、二人の息遣いが盛り上がっていく。

「んん……あっ、あん……」
「イって」
「だ……いち、キス……してぇ」
「リリカ、キス好きだね」

 女性の声が、どこかに飲み込まれていく。
 熱を交わさなくなってしばらく経つ唇が戦慄く。

 嘘。嘘。嘘。
 そんなはず、ない。

 動かなかったはずの足が、床を蹴る。
 血が通わなくなったようにも思えた指先が、ドアノブを掴む。
 勢いよく開いたドアから、淫靡な空気が流れ出す。

「え? キャー!」
 
 叫んだのは、ベッドに沈む若い女性。
 覆いかぶさる薄っすらと筋肉をつけた体が、女性から離れる。
 振り向いた大地の表情が、歪む。

「……最悪」
「な、何してるの!?」
「見てわからないかな?」

 大地は毛布をかき抱く女性を、愛おしそうに抱き寄せて、頬に口づけた。
 戸惑っていた女性が、途端に優越感を私に向けた。

「部外者は出てってくれるかな?」
「わ、私は、大地と付き合って……」

 絞り出した声が、大地の冷たい視線に止まる。

「とっくに終わってたでしょ? もう飽きたんだよね」

 この数週間会おうとしなかったのは、そういうことだったらしい。

「さ、サイテー」
「ナニしてるのかわかってて部屋に入ってくるのも最低でしょ。ま、なだけに知能は足りないのかもね」

 嫌味交じりの盛大な大地のため息に、握り締めた手が震える。

「出てって!」

 女性が私に枕を投げる。
 その枕は、私に当たることなく私の右側にポスンと落ちた。

「……下手くそなくせに、やるなよ」

 喉の奥から、声が漏れだした。

「何言ってるわけ? どうでもいいから、出ていってくれる?」

 吐き捨てる大地を、私は睨んだ。

「どっちもに言ってる! そっちの彼女! コントロールもできないくせに投げて来るなよ! そっちのクズ! 早漏で相手を満足させることもできないくせに、手だけは早いよね!」
「は!?」

 大地が目をむく。
 私と大地が付き合ったのも、出会ってからすぐのことだった。
 なし崩し的にエッチして、それから。
 彼女が途切れたことがないと言った大地は、その割に、エッチが下手くそだった。
 デートもほとんどしなくて、ただ会ってエッチするだけ。
 それでも、求められていることが、私がいてもいいんだと許されている気がして、それでいいと思っていた。

「彼女の声、どう考えたって演技でしょ!」

 だから、一瞬大地がAVを見ているのかも、と思い込みたかった自分が情けなくなる。
 どうして、縋ろうとしたのか、もはやわからない。

 私は息を吐くと、ソフトボールをやっていた頃のフォームを思い出す。

「コントロールはこうやるの!」

 握り締めていた鍵を、大地の背中に力いっぱい投げつけた。

「痛っ!」

 大地の声は、ほとんど叫びだった。
 私は踵を返す。

 未練は、残っていなかった。
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