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≪ 鬼 ≫

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 麗景殿の皇子は無事回復し、まゆ玉を連れて行くと皇子はとても喜んだ。猫が大好きなのだ。

『にゃーにゃー』と両手を広げて駆け寄ってくる。

 皇子がまゆ玉と遊んでいる間、翠子は麗景殿の女房らと貝合わせをして楽しんだ。

 これもすべて煌仁がくれた手袋のおかげである。

 身構えたりせずに物を触れるようになってきただけで、随分気持ちが楽になった。誘われればやってみようという気持ちも湧いてきて、少しずつ翠子の世界が広がっている。

「あ、その扇」

 女房のひとりが持っている扇に、翠子が目を留めた。

「ああこれですか。実は、以前弘徽殿の女房に取り上げられてしまったのですが」

 隣にいた女房が説明してくれた話によると、すれ違いざまに大げさに倒れて、お前のせいだと因縁をつけられ扇を取られたのだそうだ。

 そんな横暴が通るのかと思うが、なるほど扇の持ち主は、いかにも気の弱そうな女性である。

「頭中将が届けてくださったのですよ」

 麗景殿でも頭中将の評判は悪くないらしい。わざわざ届けてくれたりして優しい方だと皆が口々に言う。

「そういえばあの女房、宮仕えを辞めたそうよ」

「あら良かった、いつも威張っていて嫌な女だったもの」

 女房たちが噂話を始めた。

「そういえば祓い姫さまも、弘徽殿で嫌な思いをされたと聞きましたが」

「いえいえ、それほどは」

 どうやら女房たちは弘徽殿での騒ぎを詳しくは知らないらしい。その扇で叩かれたのですよとは言わず、貝合わせをしながら翠子は耳を傾けた。

「本当に困った人たちだわ」

「あの人だけじゃなくて、他にも何人か入れ替わりがあったみたい」

「弘徽殿は皆、長続きしないのよね」

 朱依が「そうなのですか?」と口を挟む。

「ええ、だいたい一年くらいで辞めてしまうわ」

 ひとりの女官が、「弘徽殿の女御さまは厳しい人なので続かないらしいです」と、声をひそめて教えてくれた。

「でもよかったわね、扇。ふふ、恋人から貰ったのよね?」

 気が弱そうな女房は頬を染めて慌てて扇で隠す。

「いやだわ」

「すてきな柄ですね」と翠子が声を掛けた。

「きれいな蝶」と朱依が言う。

「――蝶が、好きなんです」

 消え入りそうな声で女房は答えた。

 まゆ玉と遊び疲れた二の皇子が昼寝を始めたのを機に、翠子と朱依は麗景殿を後にした。

「どうりで最近、静かですね」

 麗景殿に行くには弘徽殿を通らないといけない。道すがら、ちらりと中を見るが誰も出てこない。

 怒鳴られた事件のあとに、弘徽殿の女御の名で衣一式と謝罪の文が届いている。本当に反省しているのかどうかはわからないけれど、翠子が通りかかっても弘徽殿の女房たちが怒鳴ってきたりはしなかった。

「姫さま、あの方」

 朱依が囁いた。

 しずしずと会釈をしながら通り過ぎていく女性の裳が、いつぞやの夜現れた蝶の柄ではないかと朱依が言う。

 言われてみれば雰囲気が似ていると翠子も思った。

 彼女は弘徽殿の中に入っていく。

「もう一度来てくれれば、あの女性だって確信できるんですけどね」

「そうね」

 とはいえ来てくださいと声を掛けるわけにもいかない。

「蝶……。偶然でしょうか」

 朱依も気になるのだろう。うーんと唸り、歩きながら考え込んでいる。

 扇と裳。蝶の柄そのものは特に珍しいわけじゃない。臥蝶丸の唐衣は多くの女官が好む定番だ。偶然としても不思議はないけれど。なんとなく心に引っかかる。
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