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⑦にがい涙
しおりを挟む「塚本君とは、それっきりだったのか」
エディは頷いた。
「忘れるつもりだったし……ニュースで澄生の自殺の事さえ聞かなかったら、このままずっと時が過ぎていっただろうね。だけど、こんな事になって……」
言葉が途切れ、涙が一筋頬を伝わって落ちた。
塚本澄生が死んで、エディ萩原が初めて見せた哀しみの涙だった。それまでは、"泣く"と言う行為すら思い及ばぬ程、彼は打ちのめされていたのだった。
どんな想いでここまでやってきたのか、それを考えると田代は胸が熱くなった。
「信じないかもしれないけど、あの頃僕には、澄生ひとりだった……」
濡れた瞳が、わかってくれるだろうかと言いたげに、田代を見た。
「澄生と会ってからは、他の誰とも何もなかったんだ、ずっと。ただ一度……あいつと、ヘンリーとあんな事になって……それだけなんだ、本当に」
「信じるさ、エディ。
君が彼を追いかけて、京都まで来たことがあっただろう。あの時そう思った」
その目を見つめ返すと、田代はきっぱりと言った。
「田代さん……」
「君だってよっぽど会いたかったんだろう。どうでもいい相手に、あそこまでできない。塚本君だって──俺にさえ君のこと隠してたんだ。人に知られないよう、そりゃ気を使ってた。君をすごく大事にしてたんだ。本気だな、って思ったよ」
田代の言葉を、エディはきつく唇を噛みしめて聞いていた。
実際、塚本と知り合う前のエディの相手は、目まぐるしく変わった。
作曲家の水島滋之に、レッスン室で抱かれていたことも──画家の藤井光昭のモデルになって、アトリエでその裸体を、惜しげもなくさらしたことも、事実だ。
年上の男達は、エディの若い肉体に、溺れ切っていた。
その外見のせいで、誘惑の絶えなかったエディは、可愛い顔をしてやり手だ、と囁かれていた。
が、その彼が──塚本の出現以来誰とも関係を持たなかった事は、二人の恋が決して気まぐれでも、遊びでもなかった証拠だと、田代にはわかっていた。
だからこそ、塚本澄生は、そのただ一度が……エディが他の男と過ごした一夜が、心底耐えられなかった。
刃物で切り裂いてしまえば、その事実は消えてしまうかと、思いたかったのだ。
派手な芸能界の中で、塚本澄生というのは、驚く程純粋で、潔癖だった。
あまり愛情に恵まれない家庭に育った塚本が、本当に愛したのが、まだ無邪気さを残した、17才のエディ萩原だったのだ。
「──澄生はきっと年をとりたくなかったんだ」
あの頃を思い出すように、ぽつりとエディが言う。
「それはわかるが、彼はまだ十分若くて美しかった」
「衰えるのを見るのが、怖かったんだ、きっと。澄生は昔からそんなとこがあったよ。ナルシストだったし……一番いい時に死に急ぐ必要があったんじゃない」
──多分、エディの言う通りなのだろう。短い間だったとはいえ、死んだ塚本が、すべてを許して愛し合っていた、おそらくただひとりきりの相手である。その彼、エディがそう思うのならば……
別離のあと、十年以上もの間、塚本が追い求めていたのは、他ならぬ、このエディの面影だったのかもしれない。
ひとりで孤独に耐え、更には罪の意識に……エディの失踪の原因は、自分にあるという責めに苦しみながら、俳優という稼業を続けてきた塚本が、迎えた頂点……それは、自らの手で命を絶つことだった。
「僕だって、二人で死ねたらいいと考えたこともあったよ。回りが反対するから」
ひくい声でエディが言った事に、田代は驚いた。
「エディ……」
「できなかったけど。田代さん、僕は澄生のこと、誰よりも愛してた。それだけは、本当なんだ」
言い終えて、エディは組み合わせた手の上に額をのせた。
その仕草のまま、泣いているのだった。
震える肩が果敢なげで、できることなら、抱きしめてやりたかった。
「わかってるよ、エディ……」
塚本澄生という、ひとりのスターの通夜にかくも相応しい話だと、田代は感じて涙をこらえた………
店を出ると、もう深夜だった。
体に染みわたる冷気に、二人は立ちすくんだ。
「いつ大阪に帰るんだ」
「あしただよ、仕事あるし」
エディはコートの襟を立てるようにして、振り向いた。
そして涙の跡を感じさせる、淋しい微笑を見せた。
帰したくない、と田代は思った。
その細い腕に手を伸ばしてつかむと、自分でも信じられない事を言っていた。
「エディ──どこかで休んでいかないか」
エディは一瞬黙り、その意味を確かめるように田代の顔を見つめた。
そして驚くような返事をした。
「いいよ……連れて行ってよ」
田代は頷くと、タクシーを拾おうと、通りで手を上げた。
そして反対の手で、エディの肩を抱き寄せていた………
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