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③恋人たち
しおりを挟む「ローズマリー」は古い店なので、知り合いに合う可能性が高い。「ルネッサンス」は女の子を置いていて、エディとふたりで話をするには向かない。
六本木のどこに行くか、田代はあれこれ迷った挙げ句、結局「ビビ」に落ち着いた。ここなら新しい店だし、誰も昔のエディを知らないだろう。
エディ萩原は、人気絶頂の1969年5月、突然失踪してグループから脱退したのだった。
あれから時は流れ、一時は失踪事件もずいぶんマスコミに取り上げられたというのに──
ペガサスもやがて解散し、GSブームは去り、人々はかつてのアイドルスターのことなど忘れた……
ビビの扉を押して中へ入ると、入口近くにいた四、五人連れの客が、思わず話をやめてエディの方に注目した。
独特のオーラがあったのだ。
コートは脱いで手に持っている。その下には黒のスーツを着ていたが、小柄ながら隙のない身のこなしが、人目を引いた。
横顔に注がれる視線に気付いて、彼は田代の陰に隠れるようにした。
落ち着いた静かなバーだった。
顔見知りのボーイに案内され、二人はなるべく他の客を避け、薄暗い店の奥の、仕切りで隔てられたソファ席に腰を下ろした。
エディは、かけていたサングラスを外してテーブルの上ヘ置いた。
「相変わらずきれいだな」
その端正な素顔に改めて見とれながら、田代が言った。
「お世辞が過ぎるよ」
その言葉に、エディはさもおかしそうに笑ってみせた。
「本当だよ、エディ。つい昔みたいにグラビア何ページか頼みたくなる位だ」
運ばれてきた水割りのグラスを取り上げながら、真面目な口調で田代は続ける。
「まさか──もう若くないよ」
エディは軽く肩をすくめた。
なかなかどうして────と、田代はエディから視線を外らすことができなくなっていた。
金髪だった髪が黒くなった分だけ、派手さがなくなり、整った目鼻立ちは強調されている。
長い前髪に隠されていた眉は、意外に濃く弧を描いている。頬の線はほっそりとして大人っぽくなり、すっと通った鼻筋と合わせて、美しい目を引き立たせて見えた。
人形のような唇は、昔のまま薔薇色をしていた。
「いくつになったんだ」
「来月で30になるよ」
『そうか、バレンタインデー生まれだったな、彼は』
2月14日生まれ、というペガサス時代のデータが田代の頭に浮かんだ。
当時エディはよく女性用の服やアクセサリーを身に付けていたが、いわゆる女装した男とは違っていた。
自己表現の手段として、似合うものを着ていただけで、一見女の子のようだったが、中身はあくまで男の子だった。
少女かと思って近付けば、急に少年の顔になる。
男も女も、異性愛者も同性愛者も惹きつけてしまう、説明し難い魅力があった。
回りの男達は、エディの妖しい色気に夢中だったのではないかと思う
ステージで高揚して倒れる、失神パフォーマンスでペガサスは有名だった。
失神して倒れたエディの姿を捉えた写真が、雑誌に載ったことがあり、田代はよく覚えている。
介抱されたときに服をゆるめられて、胸元が大きくはだけていた。シャツのボタンは全部外れて、乳首が見えている。ズボンのジッパーも少し下ろされていて、下着が覗いていた。
目を軽く閉じた表情は恍惚として見える。扇情的な一枚だ。
これを撮りながら欲情しただろうと、カメラマンの下心を疑う写真だった。
そもそも介抱したのはマネージャーだが、いくら男の子でも、肌も露わな姿を、人目に触れさせない気遣いはなかったのか。いや、あるいは見せびらかしたかったのか。
写真を見た男達は、またあらぬ事を考えた。エディはそういう対象だった。
その彼は突然姿を消し、バンドを脱退した時、18才になっていた。するともうあれからほぼ12年経ってしまったことになる。
それからさぞ色んな事を経験し、胸の痛みにも耐えてきたのだろう──エディの顔に現れている翳りのようなものを、田代は見過ごさなかった。
顔のひとつひとつの部分が、研ぎ澄まされたような印象を与える。十代の頃の、可愛いが、どこか小生意気だったところは無くなり、かわりにしっとりした大人の色気が備わっていた。
昔とは別の、しかし昔よりも、もっとそそられる何かを、田代は向き合った瞬間エディに感じ、戸惑っていた。
男でありながら、かくも相手を一瞬どきり、とさせるような魅力の持ち主を、昔も今もこのエディひとりきりしか知らなかった。
塚本澄生は23才の時、17才のエディ萩原と出逢い、恋に落ちた。
それは1968年の事。
当時赤坂にオープンしたばかりの、「アストロ」という日本で初めてのサイケデリック・ゴーゴークラブといわれる店があった。
生バンドの演奏と、明滅する照明が幻覚を呼び、まるでトリップする気分にさせる。流行に敏感な若者や芸能人が出入りする、最先端の場所だった。
ロックバンド・ペガサスのメンバーはそこの常連で、生バンドを聴きにやって来た塚本と、エディが初めて会ったのが、そのクラブなのだった。
やがて少し年上の塚本に、甘えるように寄り添うエディの姿が赤坂、六本木界隈で見られるようになる。
この、あまりに似合い過ぎる二人が恋人同士になるのに、時間はかからなかった。
二人はやがて同棲するようになる。
が、塚本と離れたくないばかりに、エディがテレビの仕事をすっぽかして、京都まで塚本に会いに来た事があった。
京都の映画のロケ現場で、抱きあう二人の姿を田代は目撃していた……
物陰に停められた車の中で──裸の白い胸を露わにして、エディは塚本に愛撫されていた。
田代が二人の仲を知ったのは、その時だった。
しかしエディが仕事にアナをあけて以来、マネージャーからは再三、塚本と別れろと言われていた。
そんな中、エディの失踪、脱退事件は突然起きたのだった。
マスコミはもっぱら他のメンバーとの不仲説や、ギャラへの不満、束縛だらけだったスケジュールに耐えきれず、という内容の記事を書きまくり、塚本とエディの関係は伏せられたままだった。
エディと別れた70年代以後、塚本はイメージを一新し、ニヒルな刑事役でテレビドラマに出演し、人気を集めてきた。
大きな主演映画の話が具体的に進行中で、俳優としては活躍が期待される一人だった。
それなのに、その矢先に突然の自殺──
そして今夜、その遺体が自宅に帰ってきたところに、10年以上の歳月を得て現れたエディ萩原。
そこへ偶然居合わせた田代は今、これは運命だと感じずにはおれなかった。
恋人たちの本当の訣別の日に遭遇したことを………
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