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②予期せぬ再会
しおりを挟む二人の記者は、微かな気配を感じ、思わず体の動きを止めて、現れた人影に目をやった。
くるぶしまである、黒いマントのようなコートを着ている。
ゆるくウェーブのかかった長めの髪と、サングラスとで目元は隠れているが、すっと鼻筋の通った美貌の持ち主であることが、薄暗がりの中でも窺えた。
そのほっそりした顎の線と、彫り込まれたような唇の形が、田代をハッとさせた。
うつむいた顔は青く、華奢な体は今にも倒れそうに見える。やっとの思いでここまで辿り着いた、と言わんばかりに、その足取りはひどく重た気だった。
その男から視線を外さずにいた田代は、いきなりつかつかと歩み寄った。マンションのホールを横切って出て行こうとする彼を阻むように、前に立ちふさがったのだ。
驚いて男の足が止まる。
近付いてその顔を食い入るように見つめると、ひょろりとした長身を屈めるようにし、目を覗き込んで言った。
「エディ──だろう?」
男の頬が、一瞬ぴくり、と震えた。
そして改めてそう呼んだ相手の方を驚きの表情で見つめ返した。
「俺だ、田代だ」
名乗られて初めて、その顔に安堵の色があらわれる。
「ああ──」
「どうした、忘れちまったのか?俺のこと」
エディ、と呼ばれた男は口許にちいさな笑みを浮かべた。
「ううん──覚えてるよ、もちろん。びっくりしたんだよ。そう呼ばれるの、何年ぶりだろう」
ああ、この唇だ、と田代は思った。まるで人形のように薄く、整った形の唇から漏れる甘い歌声に、誰もが魅了されたのだ。
「行ってきたのか、塚本君のところへ──」
"エディ"は黙って頷いた。
黒い服は紛れもなく、塚本澄生の通夜のための装いだったのである。
「中へは入らなかった。誰かと顔を合わせるかもしれないと思って……花束だけ入口に置いてきたんだ」
菊か、いや薔薇だろう純白の。田代はエディの服からかすかに薔薇の匂いを嗅いだ。
スター・塚本澄生には似つかわしい。エディもそう思ったに違いない。
エレベーターを使うと人に会うと思い、エディはわざわざこっそりと階段を登って塚本の部屋の前まで行き、また階段で下りてきたところだったのだ。
「まさかこんな所で、田代さんに会うとは思わなかったよ」
「俺もだ、エディ──本当に久し振りだな」
二人の間に短い沈黙があった。
エディが少し不安そうにマンションの外を見た。多分人目を気にしているのだろう。あまりこの場に留まりたくなさそうだった。
「ひとりで来たのか?」
「そうだよ」
「ちょっと付き合えよ。久々に話も聞きたいし」
「いやだと言っても──連れて行く気だろう?」
「こいつ──」
田代がエディの頭を小突く真似をし、それで一遍に二人の間の緊張がほぐれた。
「相手が田代さんじゃ、ノーとは言えないよ。昔から強引だったじゃない」
「その通りだ」
その肩をポンと促すようにたたくと、田代は木島の方を振り向き、悪いがお先に、と告げてエディを連れてマンションから出て行った。
『あれが、ペガサスのエディ萩原なのか……』
木島にもその男の正体は、すぐに察しがついた。黒ずくめの衣装に只者ではないと思わせる雰囲気があったが、"エディ"と田代が口にした時、あっ、と思った。
1960年代の後半に、GS(ジーエス)=グループサウンズと呼ばれた熱狂的なバンドブームがあった。
エディ萩原は、一世を風靡したバンド・ペガサスのキーボード奏者で、トップアイドルだった人物だ。
木島は業界の先輩達から、よく噂を聞いていた。どれだけ彼が凄い人気だったか。それなのにわずか一年で、突然失踪して脱退してしまったことも。
当時は17才の美少年、その登場は衝撃的だった。
まだ男の長髪すら珍しい時代に、彼はほとんど金髪に近い栗色に髪を染め、肩まで伸ばしていた。
揺れる前髪の下で、長い睫毛が影を作る。黒目がちの瞳は、ライトを浴びて潤んだように輝いた。
中性的で妖艶なムードの持ち主だったエディには、男女問わず見るものをうっとりさせる、不思議な魅力が漂っていた──と。
一度見たら忘れられない、その少女めいた妖しい美貌は、ペガサスの名と、数々のヒット曲、そのエキサイティングなステージと共に、伝説的でさえあった。
そういう彼ゆえのゴシップも跡を絶たなかったようだ。
熱心な取り巻きの少女達の中には、体を提供したがる子もいた。
さらに作曲家の先生や芸能関係者の男達が、この少年の崇拝者であることは、周知の事実だったらしい。
その私生活は、マスコミには非常に興味を引くものだったのだ。
ただ、その頃エディ萩原と塚本澄生との間に、秘められた熱烈な恋があったことを、木島は知る術もなかった。
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