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真のヒーロー 中

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「へえ、ショウさんのお友達」
「そ。めちゃくちゃ善人」

 便利屋の一階にあるダイニングキッチン――というには少々レトロな居間。
 奏斗の作った夕食を頬張りながら今日の話をする天は、奏斗の浮かない顔に目を瞬かせる。

「やっぱ怒った?」
「え? 違いますよ。なーんか嫌な予感が」
「するよなぁ。巧妙に隠れてて見えねえのがまた」
「天さんの目でも……? 違うが絡んでるってことすか」
 
 奏斗の言う『奴』とは、天のような人間に紛れているナニカ、だ。
 天もその気配を感じているから、積極的に関わることに決めたわけだが――天狗の神通力をもってしても正体が掴めないことに、多少苛立っていた。
 
「まだわからん。念のためおたまに話、通しとくかなあ」

 政財界に多数の協力者を持つ、たまき
 ねこしょカフェを気ままに経営する傍ら、闇に潜むあやかしを退治しているのが実態だ。
 
「うげ。そんなですか」
「うん。奏斗も、だいぶ勘が磨かれてきたなあ。感心、感心」
「あの……今更なんですけど、おたまさんて、何者なんですか」
「ん? あ~」
「勝手に猫の何かだと思ってましたけど、違いますよね」
「知らねえ方がいいこともあらあな。尻尾いっぱいあるくせに、掴ませねえ奴だから」
「??」

 ――ちーっと明日、養成所覗いてみっかな~

 天はそう呟いた後で
「うし。そうと決まれば体力つけねえとな。カナトの飯はうめえなあ~。おかわり大盛!」
 と豪快に茶碗を差し出した。
 
 食事は不要なはずの大天狗が、こうして美味しいと食べてくれる。
 奏斗はそれがおかしくて、嬉しくて。
「ははは。はいどうぞ」
 笑った――
 

 
 ◇ ◇ ◇

 

 都内にある練習場は、この日、練習生の活気にあふれていた。
 壁の一面には鏡が貼られていて、元アクションスターの講師と、現役スタントマンが数名直接指導に来ている。
 
 そんなアクション俳優養成所の刑部おさかべ所長は、狸おやじと揶揄やゆされている。垂れ目で、ほぼない頭髪を何度も撫でるのが癖の、某芸能事務所傘下の雇われだ。
 身長は低いがでっぷりと出たお腹をベルトの上に乗せて、少しのけぞりながら歩く格好はかなり特徴的で、どこにいてもすぐ分かる。
 
「いようコタロー! 頑張ってるなあ!」
「はいっ」

 入念なストレッチの後、順番に殺陣たての練習に入っていく練習生たちが五、六人いる。虎太郎を除いて全員、二十歳前後だ。
 その様子を見に来た刑部が、最年長である虎太郎を呼び寄せて気安く声をかけるのは、毎度おなじみの光景なので、誰も気にしない。
 
「その年だと、もうぞお。今年中になんとかデビューだけはしたいなあ!」
「っ、はい」

 ばしばしと肩を叩きながら、心をことを平気で言うのには理由があった。部屋の隅に虎太郎を追い詰めながら、刑部はその背中に手を回して、ヒソヒソ声で言うのだ。

「今夜も、チャンスを拾いに行くぞ」
「え、いや、その。オレ今夜は先約があって……」
「バカ野郎。デビューできなくなるんだぞ。いいな? 夜八時に、いつもの場所だ」
「っ……」
「へ~え。それって、どこ?」

 がば、と二人して振り返ると、いつの間にか後ろから覗き込むように立っていたのは――天だ。

「えっ、天さん!?」
「いよぉコタロー。俺との約束破ろうたあ、ふてえ野郎だなあ~」
「な、誰だ貴様! ここは関係者以外……」

 刑部は、そう言いかけて固まった。
 目玉が飛び出そうなぐらいに、驚いている。

「ま、まさ、まさか……」
「んん~? ああそうかぁなるほどねえ。か。化けたなぁ狸」
「ぎゃっ!」
「おぉ、まてまて~」

 ワタワタと逃げようとするその肩を、天はすかさずガシッと掴んで、離さない。

刑部ぎょうぶよぉ、今は誰に仕えてんだあ?」
「しら、しらない! うっそだ、なんで、だいてん……」
「しぃ~~~~。コタローは練習終わったら、俺が連れて帰るぜえ」
「は、は、はい! はいはい! どうぞ!!」

 ぽかんとしているのは、虎太郎である。

「ギョーブ?」
「ぎゃっ! なんでもないぃぃぃ!」
「おい、いいか狸。二度とこいつを巻き込むんじゃねえぞ。じゃないと……俺が直接出張るぞって蜘蛛女に伝えとけ」
「うぐっ、ななな!?」
「信用されてねえなぁお前。首筋に糸、くっついてんよ。ま、おかげで分かったけどよ」
「!!」
裏切るって思われてんのかね。悲しいねえ」
 
 眉尻を下げる天が手を離すと、顔を真っ赤にした刑部が、のしのしと練習場を去っていく。
 所長の気まぐれはいつものことなのだろう。周りの誰も、その行動を気にしていない。
 
「天さん、なんで……」

 天はそれには答えず、大きく息を吸い込んで両頬を限界まで膨らませたかと思うと、ふうぅ~と勢いよく虎太郎の顔に吹きかけた。

「!?」
 
 虎太郎は、驚きでびしりと固まる。風の強さに目を開けていられないようで、懸命に開けようとしているものの――瞼はほぼ閉じられてびくびくしているし、頬肉もぶるぶる震えている。
 
 化け狸の術は、大天狗の折伏しゃくぶくにかかれば、紙でできた鎧のようなもの。
 ようやく天の目に、彼の全てが見えた。
 
「ふむ……コタローお前、困ってることあんだろ」
「っ」
「んな集中してない頭で練習したって身ぃ入らんし、怪我するぞ。飯でも食いに行こうや」

 それを聞いた虎太郎は、みるみる泣きそうな顔になった。天はそれで、相当追い詰められていることを悟る。
 
「……でも」
「辛かったなあ。今の見てたろ? この天さんがついてりゃ、もう大丈夫だぞぉ」
「っ、はい」

 天は、彼の目の下に溜まっていく涙に、気づかないフリをした。

 
 ――翔の見立ての通り、俺の領分だったかぁ。


 絡新婦じょろうぐもは、気に入った男を引きずり込むまで諦めない。はてさてどうしたものか、と天は頭を巡らせた。



 ◇ ◇ ◇



「――最初は、偉い人の接待だって言われたんです」

 虎太郎を説得して、ねこしょカフェに連れてきた天。
 ここの店主は、厄介ごとの相談に乗ってくれるし顔もくんだと説明をして、たまきに同席を頼んだ。
 
 アンティークの百合型ランプがやわらかいオレンジの光を放っている、店内一番奥のブースは、話し声が漏れない構造になっている。そんなシオンの特等席は、密談に最適な場所でもある。
 並んで腰掛けるガタイの良い二人に相対する環は、虎太郎の警戒心をほどくよう、口元には珍しく優しい笑みを浮かべていた。

「多いときは週に二回。一回五万で、呼ばれました。場所は高級ホテルの一室が多いです」

 なるほど、だから翔が「最近バイトにも行っていない」と言っていたのか、と天は思い出す。
 四回応じれば、それだけで二十万だ。
 
「言いたくなければ、言わなくていい」
 
 天が止めると、虎太郎は首を振った。
 覚悟が決まった顔をしていたので、それ以上は止めない。

「……初めは誰か知りませんでした。後から刑部おさかべ所長に、養成所の親会社である芸能事務所の、社長だって教わりました。次に会った時に女性社長と思わなかったし、若いので驚いたって言ったら、気に入られたみたいで……。自分みたいに顔が幼くて、筋肉のある男が好きなんだそうです。指定された部屋で、オレは下着だけになって、食事やおしゃべりの相手をしました。気が済むまで眺めたいって言われて、ポーズを取らされたりも」

 そこまで聞いてから、環が大きく息を吐いた。
 
「あんたってやつは。バカだねえ」
「妹の学費、稼ぎたかったんです」
「いいや、違うね。金ならいくらでもやるって言われたはずだよ」
「!」

 環は、その迫力のある眼力でもって、じっと虎太郎を見据えた。

「他の奴らを、守ってたんじゃないのかい」
「……っ」
「社長の対応はあんただけがやってた。誰にも言わず、金の誘惑にも負けずに、ずっと一人で耐えてきたんだろ。並の精神力じゃないよ」

 ブルブルと、尋常でなく虎太郎の肩が震える。その態度だけで、肯定していると分かる。
 
「なぜだい? なんで、そんなことができたんだい?」

 環の声音は、ひたすらに優しい。何もかもゆるす、と言われているかのようで、虎太郎の両眼からぼたたた、とテーブルに大粒の水滴が落ちた。

「おでの、ゆめは、ヒーローになるこど、で、っく」

 虎太郎が膝の上で握りしめる手は、向かいの席の環からは見えない。
 だがギリギリと耳に障る音がする――手の甲が白くなるまで握りしめているのだろうと分かった。

「ヒーローは、ひっく、いづだっで、っく、笑顔で人を、まもどぅんでず!」

 横で静かに聞いていた天は瞠目どうもくする。
 虎太郎は、この純粋な正義感だけで、絡新婦じょろうぐもの触手から仲間を守ってきたのだ。それは並大抵のことではない。
 
「……南雲なぐも美麗みれい

 環の言葉に、虎太郎はびくりと身を震わせ、驚きで目を限界まで見開く。

「あんた今、命賭けてるだろ? もう大丈夫だから安心しな。あたしの古い知り合いさ……ったく、相変わらずだねえあの女は」
「え……」
「気に入った男への執着が半端ないんだよ。ま、ちょいと話してみようかね」
「あのでも、自分、口外してしまっ……が、が、あががががが」
 
 虎太郎は、突然首が絞まったかのように苦しみだし、椅子からお尻を浮かせた。
 すかさず天が、背後の本棚から分厚い本を取り出して、虎太郎の真横でぐるぐると回転させる。
 すると、ハードカバーの両端がぎりぎりと何かに縛られているように、ありえない形にへこんでいく。

「おい天! よりにもよって、それ貴重な……はあ、まあ命より大事なもんはないね」
「あが、が、がが」

 環の嘆きを聞きつつも、天の目は集中して空中にある何かを探している。

「そう、だぜっ!」
 
 そして、いつの間にか取り出した羽団扇はうちわを、軽く一閃。


 ――ぷつんっ


 虎太郎が、白目を剥いてバタンと突っ伏した。ガシャン! とテーブル上に乗っていたティーカップが躍る。
 環はすかさず自分のカップを持ち上げて、底を一周入念に確かめてからフーと息を吐く。どうやら欠けなかったようだ。

「っぷは~、しんどー。ってこれ、俺じゃねえ! 蓮花の役割じゃねえか」
「あの子は今、別の現場行ってるねえ――どっかの高校だったかな」
「ちぇー」
「あんたが出張ったとなると、ね。あたしがうまくごまかしとくさ」
「すまねぇ、おたま」
「いいよ。人を苦しめるのはもうおやめ、ってさとしてまわるのが、今のあたしの役目さね」
玉藻前たまものまえ……」
 
 時の権力者に寵愛ちょうあいされた、九尾の狐。殺生石となり退治され各地に飛び散り――今は鎮魂のため、ただひたすらに人を救い続けている。
 なぜそう心境が変化したのか、天にも絶対に教えてはくれない。が、かつてのギラギラした彼女より穏やかでずっと良いと思う。

「その名前で呼ぶのはやめておくれよ、崇徳院すとくいん
「げげ! 数百年ぶりに呼ばれたぞっ! ぐわああああ、ぞわぞわする!」
「クククク。さて。……この子重そうだね?」
「あー。俺が運ぶよ。みっちー!」

 天が手を振ると、カウンターの中で食器を拭いていた光晴が顔を上げた。

「手伝い、たのむ~!」

 笑顔で、こくり。
 その肩に乗っていたシオンが「なおおおん」と鳴く。文句じゃないことを、天は祈った。


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 お読み頂き、ありがとうございました。

 おたまさん。
 昔の名前は『玉藻前たまものまえ』です。だから、おたまさん。
 大天狗、酒呑童子、ときたらやはり……ですよね。
 ご興味ある方は、是非調べてみてくださいね。
 
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