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真のヒーロー 前

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「あーあ、どーすっかなあ」
「何がっすか? 珍しいですね、天さんが悩んでるの」

 天は、ダイキチの散歩を終えて店に戻る途中、アーケード商店街のど真ん中で無意識に立ち往生していたらしい。気づくとしょう――近所のケーキ屋の二代目だ――が心配そうに目の前に立っていた。

「おお、ショウか。どうした、こんな朝に」
「定休日なんで、一日ゆっくりしようかなって」

 がさり、とかかげて見せるコンビニのビニール袋には、弁当やスナック菓子、ペットボトルが入っている。ケーキ屋の定休日は平日だ。よりの戻った麻耶は出社しているだろうし、まさに家でダラダラする気に違いない。

「そっかぁ……あーいや、今日急遽きゅうきょ力仕事の手伝い頼まれたんだけどよぉ、カナトの野郎は大事な講義あって大学休めねえってんで、人手がなぁ……」
「俺、手伝います?」
「いやダメだ。重たい什器じゅうきも運ぶからな。パティシエの手、怪我させたくねぇ」
「ふーむ……あ! それ、俺のダチでも良いです? 高校んときのタメなんですけどね」
「おぉ?」
「呼んだらすぐ来ると思います」
「こっちは助かるが……」
「じゃ、聞いてみますね!」

 翔は、スマホを取り出し、何度かタップすると耳に当てた。

「もしもし? おはよ。お前今日暇ならバイトしねぇ? 知り合いが力仕事頼みてぇって……うん。じゃ、俺ん家すぐ来て」

 たん、と通話を終わらせると、翔は笑顔で
「こっからチャリで二十分くらいのとこ住んでるんで。すぐ来ると思いますよ」
 と軽く言う。
「お、おお」
「……これも何かの縁かもしれないっす。待ってる間に、そいつの話しますね」

 口調は軽いが、翔の横顔は固い。

「俺もそう思うぜぇ」
 んー! と天は両手を挙げ伸びをしながら、歩き出した。
「プリン食いてぇなあ」
「! 昨日作ったのでよければ。あとインスタントですけど、アイスコーヒーもあります」
「上等」

 話しながら二人は、半分シャッターが閉じているケーキ店の正面扉から、身をかがめて入る。
 通りに面した壁には大きく取られた窓に、カウンターと椅子が四脚。簡単な喫食スペースになっているので、そこに天は腰掛けた。
 翔が、ガサガサとビニール袋の中身を取り出しながら、店の奥の厨房の冷蔵庫をバゴンと開けるのを耳で聞きつつ、少しの間目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。

「ちょうど良かった、新作のミルクプリンなんすよ。試食してみてください」

 翔が持ってきた丸みを帯びた白い陶器のカップには、同じくらい白い中身が入っている。

「おう、では遠慮なく」

 スプーンですくって一口食べると、口の中にミルクの独特の風味と、あとから甘味が広がった。なかなか美味しい。が。

「……うーん、美味いけどそれだけ、だなぁ。あえて買うかで言ったら押しが足りない。食感とかソースとかで変化があると嬉しい」
「ふむふむ」
「夏にミルクってのもなぁ。しゃりしゃり凍ってるとか、酸味ソース付きならまだ良いが。ゼリーじゃだめなのか?」
「なるほど! 参考になりま……っていやいや、本題違うし」

 はは、と笑いつつ、翔はアイスコーヒーの入ったグラスを手渡す。カラン、と氷が鳴った。
 朝とはいえ、むわりとした店内は、先ほどエアコンを入れてくれたおかげで過ごしやすくなってきた。

「これから来る奴、虎太郎こたろうっていうんですけどね。親はシングルマザーで、妹が高校生で、三人暮らしっす」
「ふむ」

 話しながら隣の椅子に腰かける翔を横目で見て、天はアイスコーヒーを口内に流し入れる。
 ミルクの甘味が苦味に変わる。コーヒーゼリーならいいかもしれない、と思った。

「特撮ヒーローものが好きで、スーツアクターかアクション俳優になりたい! って、高校卒業してから養成所入ったんですが、まだデビューできてなくて」
「……ショウとタメってことは、二十五、六だろ」

 デビューにはもう遅いのではないか、と素人の天ですら感じる年齢だ。

「はい。本人は『諦めきれないから夢を追ってる』って言うんですが……なんか……ここ最近、違う気がして」
「違う?」
「ええ。俺、ケーキ屋継ぐって決めて専門学校行くって言った時ね。真っ先に応援してくれたのが虎太郎なんですよ。他の奴らは、どうせ儲からないし、大学行って就職した方がいいのにって。そりゃそうすよね。でも虎太郎は、やりたいことやろうぜ、俺がいくらでも買いに行く! って」
「はは。熱くて良い奴だ」
「そうなんす! だから俺も応援したくて……でもなんか様子が変なんですよ。何度聞いても大丈夫だ、気のせいだってはぐらかすし、いつ誘っても練習あるからって、飲みにも行かないんす。酒好きのはずなのに……」
「そりゃあ、心配だなあ」
「ええ。妹を大学に入れてやりたいからって、バイトとかも頑張ってたんですけど……最近それも」

 ガチャン、と表で音がした。

「あ、来ましたね」

 翔が口を閉じて、シャッターをもう少しガラガラ持ち上げると――自転車の脇に一人の男性が立っている。先ほどの音は、自転車のスタンドを立てた音か、と思い至った。
 ガラス越しに天と目が合い、ぺこりと頭を下げてくる。
 人好きのする童顔で、清潔感のある短髪。よく鍛えられている肩や腕、胸筋が、Tシャツの布を押し上げている。ルックスは悪くないものの、肉体と顔がアンバランス、という印象だ。
 店内に屈んで入りながら
「えっと、はじめまして」
 と笑顔でもう一度ぺこり。善人が服着て歩いているような奴だな、と天はその面貌を観察する。
 
「おう! 俺はそこで便利屋やってる、天だ」
「てん、さん?」
「そ。ショウとは古い付き合いだから、安心してくれ」
「え? そ、そうなんですね。自分は、虎太郎こたろうといいます」

 天が立ち上がって、にかっと笑いながら手を差し出すと、虎太郎は目をぱちくりさせながら、それを素直に握り返した。

「座ってても大きい人だと思いましたけど、ほんと大きいですね! あと何か格闘技されてますか?」
「こないだ、同居人に測ってもらったら百九十五センチらしいぞ。格闘技はやってないけど、同居人の喧嘩の相手はしてるな」
「え。同居人さん、お強いんですね」
「ヤンチャな大学生さ」
「へえ!」
「えーと、早速だが。すぐ出発して、朝九時から夕方五時まで、会場設営の手伝いなんだ。日給一万円昼飯付きで、どうだ? あ、送り迎えもあるぞ。うちのボロ車でよければな」
「助かります! なんの会場なんです? コンサートとか?」
「プロレス」
「へええ~!」

 翔が「えええ! それなら、俺も行きたかったなあ!」と笑う。

「有名団体の設営だかんな。大変だけどがんばろうぜ」
「分かりました。よろしくお願いします。あ、力仕事って聞いてたんで、タオルと軍手は持ってきたんですが。他にいるもの、あります?」
「特にねえな。強いて言うなら着替えぐらいか? 汗すげえかく」
「持ってきました!」
「やるねぇ。じゃ、水分ぐらいだ。そこのコンビニで買っていこうぜ」
「はい! あ、ショウ、自転車置かせてもらっていいかな?」
「もちろん。じゃ、これ差し入れ。持ってって」

 翔が、焼き菓子の箱を三箱、紙袋に入れて虎太郎へ渡す。

「ついでにうちの店の宣伝よろしく!」
「はは。わかった」
「ちゃっかりしてんな~。ありがとな」
 
 気をつけて~! と見送られて、てくてくとふたりして近くのコンビニへ向かう。
 こういう時、商店街に住んでいると便利だなと天は思う。なんだかんだ、ここだけで用事が済んでしまうのだ。

「昼飯の弁当も買ってこ~ぜ~。凍った飲みもんと一緒に入れときゃ大丈夫だろ」
「あ、はい」
「そう固くなるなよ。つっても初対面じゃ無理かあ」
「ふは。確かに、その赤髪にタトゥーでゴッツイって、ヤバイ人かなって思いましたけど」
「ええ!? そうかあ、そうなるかあ」
「良い人そうで、安心しました」
「なら良かったわ~」

 買い物をして、雑談しながら歩いてきた二人は、『便利屋ブルーヘブン』前で奏斗に出くわした。
 
「カナト! 今から大学か?」
「あ、天さん! いないと思ったら……代理の人見つかったんすね。良かった」
 奏斗は虎太郎に足早に歩み寄って、お辞儀をする。
「今日、よろしくお願いします。すみません急いでて……いってきます!」
「あ、はい! いってらっしゃい」
「気をつけてな~」
「あれが、喧嘩相手の?」
「そ。強そうだろ? 俺、いーっつも負けんの。口でもな」

 虎太郎はしばらく目をぱちぱちと瞬かせてから、
「そりゃ強い!」
 と爆笑した。
 

 
 ◇ ◇ ◇



「あ、天さん。お久しぶりっす」
「おー。元気そうだなクウガ」
「天さんも。来てくれて助かります!」

 都内某所の巨大な体育館。
 天は、言葉通りプロレス興行設営の手伝いに来ていた。
 
「って、あれ? 今日はカナト君じゃないんすね」
「ああ。カナトは大学行ってるから、代理連れてきた。こいつは」
虎太郎こたろうと言います。よろしくお願いします」
「よろしくです。俺、空牙くうがって言います」

 Tシャツにジャージ姿の空牙は、長めの金髪で日サロで焼いている褐色肌。二の腕も胸筋もパツパツで布が弾けそうなぐらいなのは、彼がオーディションに合格して団体に入門した、デビュー前の新人だからだ。
 
「俺、新人なんで、人足りないとマジ地獄なんすよ。来てくれて助かりました! コタローさん体格いっすね!」
「はい。自分、力仕事は得意です!」
「こいつアクションの養成所通ってっから。遠慮なくこき使え」
「おおすげえ。助かります。じゃ、椅子の設営から~」

 もちろんただの手伝いなので、天は無給。
 虎太郎の日給は天のポケットマネーからなのだが、翔の言う通りこれは『えにし』だ。

「またカナトに怒られるかなぁ~」
 
 実は、大天狗には食事など必要ないし(食べるのは娯楽)、時々酒が飲めればいい。
 店はとっくに自分のものだし、生活費に困ったら時々ねこしょカフェ案件を手伝えばいい。
 だからこうして現代社会をゆるく生きながら、人助けをするのが天の楽しみなのだが、それを奏斗は「お人好しすぎる」と怒るのだ。
 神通力でちゃんと『人となり』を判断してからやってるぜ? と言っても、お小言こごとは言いたいらしいので、好きにさせている。実は天も、奏斗に叱られるのは嫌いじゃない。

 そんなことを考えつつ、ガシャガシャと手際よく椅子を並べていく虎太郎に感心すると、
「普段、いろんなバイトしてるんす」
 と笑顔を返された。頭にタオルを巻いて、軍手で色々な什器を運ぶ姿は、確かに手馴れている。
「頼もしいなあ」
 人懐っこい笑顔で、現場にいる様々なレスラーや関係者とも挨拶を交わしている。
 翔も、この気の良い友達を何とかしてやりたかったのだろう。
 その気持ちは、たった一日接しただけで、神通力じんつうりきを使わずとも分かった。

「……損ばっかしてるいい奴は、助けてあげたくなっちゃうよなぁ~天さんはよぉ~」
 
 今の時点で、見えたものも見えないものも、ある。
 だが天が手を差し伸べないと――虎太郎は、確実に詰む。さてどうしたものか、と考えながら、天も手を動かし続けた。
 
 
 そうして朝九時から一日かけて設営した会場では、明日から二日間大きなイベントが興行される。初日は顔見せを兼ねての新人戦と、人気レスラー対悪役ヒール戦。二日目は、団体トップを競うトーナメント戦だ。

「報酬代わりといったらアレですけど……明日は俺のデビュー戦ってことでこれ、社長が『見に来てもらえ』って関係者パスくれたんです! 試合は夜からだし、良かったら是非、来てください!」

 空牙が笑顔で、首にかけるパスを三人分渡してくれた。奏斗にもくれたことが、天は嬉しい。
 
「うおおおお! プロレス、見たことないからすっげえ嬉しい! 明日は養成所で練習があるんで、遅れるかもしれないですけど……絶対見に来ます!」
 
 虎太郎の無邪気に喜ぶ顔は、空牙も喜ばせた。

 
 ――そうして笑顔で、その日は別れた。

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