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第1部
フェーズ3-2
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夜のリビングでテレビを見ている私に、ダイニングから母が声をかけてきた。
「夏休みなんだから、先生のところにお泊まりでもしたら。旅行とかしかないの?」
娘に外泊と旅行を勧める親! そんな母がダイニングテーブルの上に広げているのは旅行ガイドブックだ。来月の九月、友人と旅行に出かけるらしい。
「私は夏休みでも涼は日曜日しか休みじゃないし。あ、お盆は三連休って言ってたっけ」
「それなら先生は彩を連れて帰省するんじゃないの? あちらのご両親にご挨拶しないとだものね。いよいよねえ」
「ううん。今回は一人で帰って報告してくるって。一応、私のことは電話で伝えてくれてあるみたいなんだけど」
「一緒に行かないの? どうして?」
「だから、今回はまず一人で帰るって」
「だから、なんで。せっかくのまとまったお休みで、ゆっくりしてこられるでしょうに」
「わかんない」
私は渋い顔で答えた。追及されても困る。涼が「今回は一人で帰るから、また次回にでも」と言ったから私はそれに従うだけだ。もしかしたら、私がまだ高校生だから涼のご両親は反対しているのではないかという考えが頭をよぎって、それ以上は訊かなかった。
「まあ、先生のご実家はそんなに遠くないんだものね。お盆はお墓参りとかもあるでしょうから、秋頃にでも改めてってことなのかもしれないわね」
「うんうん」
実家までは高速道路で一時間ほどの距離と聞いた。それでも忙しいから帰省するのは年に数えるほどだそうだ。
「ところで、本当にいいの? 泊まっても」
「だって結婚するんでしょう。他の人だったら絶対にダメだけど、先生ならお父さんもお母さんも信頼してるから」
学生は言わずもがな、単に社会人でもダメだったんだろうな。涼が医者で、それも私の主治医で、両親が以前から信頼していた人だからこそ許してくれるんだろう。
「あんな高級物件が今まで売約済みにならずにあなたに回ってくるなんて奇跡なんだから、何がなんでも捕まえておきなさい?」
涼は奇跡的に空いていた高級物件? そうかもしれないけれど、捕まえておくってどうすればいいのか。まさか、母がお泊まりを許可してくれるのはそういうこと? いやいや、さすがにそれは。だとしても涼は卒業までしないと決めてくれた。私にはどうすることもできない。
毎年お盆の時季に、涼の住むマンションのすぐ前にある臨海公園で夏祭りが行われる。祭りの最後には打ち上げ花火も上がることになっている。ちょうど涼が連休中ということもあり、一緒に行けることになった。母に浴衣を着つけてもらい、涼に車で家に迎えにきてもらった。
「すごい人だね」
「空いてるところに移動するか」
花火なら涼の部屋からも見えるのだけど、せっかく浴衣を着せてもらったし、縁日も楽しみたかったから会場に入った。
はぐれないように手を繋いだ。露店の周辺は人がごった返していて、歩くのも大変なほどだ。露店が並ぶ通りを抜け、花火がよく見えそうな丘に移動する。少し離れたこのあたりは人がまばらだ。
「ご両親の反応、どうだった?」
私は恐る恐る訊ねた。涼は昨日、実家に帰ってご両親と話をしたはずだ。
「二人とも彩に会いたがってたよ」
「本当? 反対されなかった?」
「驚いてはいたけど、反対はされてないよ。そんな若い子、結婚する前に逃げられないようにって心配された」
私の母と同じようなことを言っていて、私は安堵を通り越して笑ってしまった。
間もなく花火が打ち上がる時間だ。繋いでいた涼の手が私の右手から離された。はぐれる心配がなく、繋いでる必要がないからだろう。ずっと繋ぎっぱなしでもいいんだけどな。もしかして私の手汗がすごかったのかもしれないと、慌てて自分の手を確かめた。大丈夫だった。
ふいに涼が、繋いでいたのとは反対の左手を取った。手にしていたカゴバッグを代わりに持ってくれる。すると彼は、私のあいた左手の薬指に指輪をはめた。
「これ……」
水滴のように透き通った美しいダイヤモンドが、指輪の中央にセットされている。リングの部分にも小さなダイヤモンドが華やかに配置され、優美な曲線を描いていた。両親に婚約の許可をもらうための挨拶をしたあの日、見にいったジュエリーショップで涼が一番最初に勧めてくれた。私も一目見て素敵だとは思ったけれど、金額を見たら決められなかった。そんな私に涼がやっぱりあれがいいよと勧めてくれて、後日二人で注文しにいったあの指輪だ。
「さっき受け取ってきた」
感激して言葉を失ったままの私に涼が言った。
「きれい」
想像していたよりもずっときれいだ。涼に好かれてる自信なんてなくて、プロポーズされてもいまいち実感がなかった。でも今、彼の思いが目に見える形となって私の指にはまっている。
「私は、何を返したら……」
こんな大層なものをいただいてやっと実感が湧いた。プロポーズされたのは現実で、私は確かにこの人に愛されている。胸がいっぱいになって、私は泣き出してしまった。
「何も。そばにいてくれればそれでいい」
今はまだ何も返すことができない。いずれ少しずつ、なんらかの形で返していきたい。
「ありがとう。一生、大事にする」
涼が優しく微笑み、私の肩を抱いた。
急に夜空が明るく光り、ドーンと大きな音が響いた。まばゆい光の輪が次々と開いていく。花火に照らされて指輪はさらに光り輝いていた。
「夏休みなんだから、先生のところにお泊まりでもしたら。旅行とかしかないの?」
娘に外泊と旅行を勧める親! そんな母がダイニングテーブルの上に広げているのは旅行ガイドブックだ。来月の九月、友人と旅行に出かけるらしい。
「私は夏休みでも涼は日曜日しか休みじゃないし。あ、お盆は三連休って言ってたっけ」
「それなら先生は彩を連れて帰省するんじゃないの? あちらのご両親にご挨拶しないとだものね。いよいよねえ」
「ううん。今回は一人で帰って報告してくるって。一応、私のことは電話で伝えてくれてあるみたいなんだけど」
「一緒に行かないの? どうして?」
「だから、今回はまず一人で帰るって」
「だから、なんで。せっかくのまとまったお休みで、ゆっくりしてこられるでしょうに」
「わかんない」
私は渋い顔で答えた。追及されても困る。涼が「今回は一人で帰るから、また次回にでも」と言ったから私はそれに従うだけだ。もしかしたら、私がまだ高校生だから涼のご両親は反対しているのではないかという考えが頭をよぎって、それ以上は訊かなかった。
「まあ、先生のご実家はそんなに遠くないんだものね。お盆はお墓参りとかもあるでしょうから、秋頃にでも改めてってことなのかもしれないわね」
「うんうん」
実家までは高速道路で一時間ほどの距離と聞いた。それでも忙しいから帰省するのは年に数えるほどだそうだ。
「ところで、本当にいいの? 泊まっても」
「だって結婚するんでしょう。他の人だったら絶対にダメだけど、先生ならお父さんもお母さんも信頼してるから」
学生は言わずもがな、単に社会人でもダメだったんだろうな。涼が医者で、それも私の主治医で、両親が以前から信頼していた人だからこそ許してくれるんだろう。
「あんな高級物件が今まで売約済みにならずにあなたに回ってくるなんて奇跡なんだから、何がなんでも捕まえておきなさい?」
涼は奇跡的に空いていた高級物件? そうかもしれないけれど、捕まえておくってどうすればいいのか。まさか、母がお泊まりを許可してくれるのはそういうこと? いやいや、さすがにそれは。だとしても涼は卒業までしないと決めてくれた。私にはどうすることもできない。
毎年お盆の時季に、涼の住むマンションのすぐ前にある臨海公園で夏祭りが行われる。祭りの最後には打ち上げ花火も上がることになっている。ちょうど涼が連休中ということもあり、一緒に行けることになった。母に浴衣を着つけてもらい、涼に車で家に迎えにきてもらった。
「すごい人だね」
「空いてるところに移動するか」
花火なら涼の部屋からも見えるのだけど、せっかく浴衣を着せてもらったし、縁日も楽しみたかったから会場に入った。
はぐれないように手を繋いだ。露店の周辺は人がごった返していて、歩くのも大変なほどだ。露店が並ぶ通りを抜け、花火がよく見えそうな丘に移動する。少し離れたこのあたりは人がまばらだ。
「ご両親の反応、どうだった?」
私は恐る恐る訊ねた。涼は昨日、実家に帰ってご両親と話をしたはずだ。
「二人とも彩に会いたがってたよ」
「本当? 反対されなかった?」
「驚いてはいたけど、反対はされてないよ。そんな若い子、結婚する前に逃げられないようにって心配された」
私の母と同じようなことを言っていて、私は安堵を通り越して笑ってしまった。
間もなく花火が打ち上がる時間だ。繋いでいた涼の手が私の右手から離された。はぐれる心配がなく、繋いでる必要がないからだろう。ずっと繋ぎっぱなしでもいいんだけどな。もしかして私の手汗がすごかったのかもしれないと、慌てて自分の手を確かめた。大丈夫だった。
ふいに涼が、繋いでいたのとは反対の左手を取った。手にしていたカゴバッグを代わりに持ってくれる。すると彼は、私のあいた左手の薬指に指輪をはめた。
「これ……」
水滴のように透き通った美しいダイヤモンドが、指輪の中央にセットされている。リングの部分にも小さなダイヤモンドが華やかに配置され、優美な曲線を描いていた。両親に婚約の許可をもらうための挨拶をしたあの日、見にいったジュエリーショップで涼が一番最初に勧めてくれた。私も一目見て素敵だとは思ったけれど、金額を見たら決められなかった。そんな私に涼がやっぱりあれがいいよと勧めてくれて、後日二人で注文しにいったあの指輪だ。
「さっき受け取ってきた」
感激して言葉を失ったままの私に涼が言った。
「きれい」
想像していたよりもずっときれいだ。涼に好かれてる自信なんてなくて、プロポーズされてもいまいち実感がなかった。でも今、彼の思いが目に見える形となって私の指にはまっている。
「私は、何を返したら……」
こんな大層なものをいただいてやっと実感が湧いた。プロポーズされたのは現実で、私は確かにこの人に愛されている。胸がいっぱいになって、私は泣き出してしまった。
「何も。そばにいてくれればそれでいい」
今はまだ何も返すことができない。いずれ少しずつ、なんらかの形で返していきたい。
「ありがとう。一生、大事にする」
涼が優しく微笑み、私の肩を抱いた。
急に夜空が明るく光り、ドーンと大きな音が響いた。まばゆい光の輪が次々と開いていく。花火に照らされて指輪はさらに光り輝いていた。
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