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第1部
フェーズ3-3
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打ち上げ花火が終わった。見物客たちはぞろぞろと帰路につく。私は今度は指輪をはめてもらった左手で涼と手を繋いで歩いた。
「彩、足痛いんじゃないのか」
実はさっきから下駄の鼻緒が指に擦れて痛い。変な歩き方をしてたからバレてしまった。
「うん、少し」
「おんぶする?」
「い、いいよ。恥ずかしいし。まだ歩けるから、大丈夫」
慌てて首を横に振った。重いから恥ずかしい。人目も気になる。
露店の前は相変わらず混んでいて、なかなか進めない。足が痛い今の私には都合がよかった。
かき氷屋の前まできたとき、店から出てきた男の人が涼と軽くぶつかった。その人に私は見覚えがあった。涼の上司で外科部長の澄先生だ。小学校低学年くらいの男の子を連れていて、鮮やかなレモン色のシロップがかかったかき氷を手にしている。
「神河先生!」
澄先生は涼を見て驚いたあと、隣にいる私に目をやった。
「ってことは、もしかしなくても婚約者の?」
ああ、そうか。澄先生は婚約のことを知ってるんだ。涼は澄先生と麗子さんに婚約のお祝いをしてもらったんだものね。
「はい」
涼が認めると私は会釈をして挨拶した。
「こんばんは」
「どうも、初めまして。神河先生と同じ病院に勤務している澄です……って、どこかで会ったような?」
澄先生が私の顔をじっと見る。入院していたときに会ったことがあるけど、私のことを憶えててくれてるのだろうか。
「うちの新人ナースとかじゃないよね。っていうか先生、どこで知り合ったの? こないだ聞いたときは仕事関係って言ってたけど、うちのスタッフではないっぽいし。あ、もしかして他院のナースとの合コン?」
「先生、とりあえずナースではないです」
うん。そこから離れてください。やっぱり医者は看護師さんと付き合うケースが多いのかな。
「あ、事務のほう? さすがに事務の新人さんまでは把握してないなあ。それか……」
推測を続けようとする澄先生の横で、お子さんが先生のTシャツの裾を引っ張った。早く行こうということらしい。かき氷の状態も心配だ。
「ああ、ごめんごめん。じゃあ先生、また病院で」
軽く手を振り、親子は人混みの中へ消えていった。
「お子さんに助けられたね」
「浴衣でだいぶ雰囲気が違うから、たぶん気づかないだろ」
もし私が涼の患者だと知ったら、澄先生はどんな反応をするだろう。涼が怒られませんように。
「合コン行ったの?」
訊ねると涼は苦く笑った。
「行ってないよ」
涼が合コンに行ったらモテるだろうなあ。絶対に行ってほしくない。
マンションに帰る前に近くのコンビニに寄った。鼻緒擦れを起こしている私のために、涼が手当てに必要な消毒液やら絆創膏やらを買ってくれている。その間、私は外のポールに寄りかかって待った。左手の薬指にはめてもらった指輪を眺めてにんまりしながら。
こんなに高価な指輪、普段使いしていいのだろうか。厳重に金庫で保管しておきたいくらいだ。でもそれではもらった意味がない気がする。せっかくもらったんだもの。涼にも私が指輪をつけている姿を見せたい。平日は大事にしまっておいて、涼と会う日だけつけようかな。もちろん、料理をするときや手洗いをするときには外す。なくさないように気をつけないと。チェーンを通してネックレスにしようか。いや、やっぱり指につけたい。指輪は指にはめて使うのが本来の姿なんだから。
「誰にも声かけられなかった?」
買い物を終えた涼がコンビニから出てきた。
「うん」
私の前までくると背を向けてかがんだ。乗れということらしい。
「このあたりならもう人通りも少ないから」
「でも……」
マンションはもう目の前だ。足は痛むけど、この距離なら自分で歩けなくはない。
「前のほうがいい?」
「前? お姫様抱っこ!?」
「でもあれは、ベッドに連れていくときな」
冗談なのか本気なのかわからない発言に動揺した。なんとなく、本気な気がする。
涼が言う通り人はほとんどいないし、やっぱり足は痛いから、せっかくなので甘えることにした。
「失礼します」
おずおずと涼の肩に手を回し、その広い背中に体を預けていく。
「お」
立ち上がった拍子に涼が声を出したから私は慌てた。
「ごめん、重いよね? やっぱり降りる……」
「いや、全然平気だけど。それより肩に柔らかい感触が」
私の胸が涼の肩に押し当たっている。恥ずかしいけどどうしようもない。
「家までもつかな」
独り言のように言い、涼は歩き始めた。「もつかな」って何が!?
おんぶされながら、マンションのエントランスに向かって歩道を進む。私は首を傾けて、涼の肩越しに左手の薬指を覗いた。
「プロポーズしてくれたとき、すごく驚いたんだよ」
「そうか」
「涼がそんなふうに考えてるなんて意外だった。最初にマンションに連れてきてくれたとき、言ってたでしょ? 忙しくて学生同士みたいな付き合い方はできないから、寂しかったらいつでも乗り換えていいって。その程度なんだなって、悲しかったもん」
顔が見えないから、気になってたことを思い切って言ってみた。
「今もそう思ってる」
こんなすごい指輪をくれたのだから、今ならつなぎとめてくれるかと思ったら、違うんだ。またがっかりしてしまった。でも、涼は続けた。
「建前はな。本音では、もう離したくない」
私は泣きそうになって、涼の肩にまわした腕にぎゅっと力を込めた。私も離れたくない。もう涼のことしか考えられない。ううん、最初からそうなの。
「彩、本当に家までもたなくなるから」
表情は見えなくても、涼が苦笑いしてるのが目に浮かぶ。それでも私はくっつくのをやめなかった。少し汗ばんだ彼の肌から、私の好きな匂いがした。
部屋に帰ってきて、私はリビングのソファの上で足を伸ばした。隣に座った涼が、消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口を丁寧にぬぐってくれている。足はひどく擦り剝けていた。
「かなり無理してたろ」
「せっかくの浴衣着てのお祭りデートだったから」
楽しい雰囲気を壊したくなくて、我慢して歩いてた。
「彩をおぶるくらいなんの負担にもならないから、ここまでひどくなる前に素直に甘えろ」
「ごめん」
さすが外科医、手当てはお手のものだ。話しているうちにあっという間に処置が終わった。
「そろそろ送ってくよ」
片づけをしながら涼があっさりと言う。
「もう?」
まだ帰りたくない。指輪と花火の余韻にもうしばらく浸っていたい。むしろ泊まりたい。せっかく涼も連休なのに。でも、いきなり泊まりたいなんて言っても困るよね。着替えも持ってきていない。
「盆休みでお父さんも家にいるんだろ? 帰ったほうがいい」
「そうだけど……」
帰ってきてから涼が急にそっけない気がする。指輪をくれたときはあんなに優しかったのに。私が足が痛いのを我慢して涼に頼らなかったせいかもしれない。
このまま帰りたくなくて、私は勇気を出して訊いてみた。
「夏休み中に一度、お泊まりしてもいい?」
今の雰囲気だと断られるかもしれない。私はドキドキしながら返事を待った。
「いいよ」
ほっとした。それなら今日は帰ろう。ソファから立ち上がると、涼が私の手を掴んだ。
「浴衣、来年も着て」
「? うん」
もう来年の話? そうか、来年も一緒に行けるんだ。その頃には結婚して、一緒に暮らしているはず。想像したらうれしくて、思わず笑みがこぼれた。来年は足が痛くならないようにちゃんと対策しよう。
「彩、足痛いんじゃないのか」
実はさっきから下駄の鼻緒が指に擦れて痛い。変な歩き方をしてたからバレてしまった。
「うん、少し」
「おんぶする?」
「い、いいよ。恥ずかしいし。まだ歩けるから、大丈夫」
慌てて首を横に振った。重いから恥ずかしい。人目も気になる。
露店の前は相変わらず混んでいて、なかなか進めない。足が痛い今の私には都合がよかった。
かき氷屋の前まできたとき、店から出てきた男の人が涼と軽くぶつかった。その人に私は見覚えがあった。涼の上司で外科部長の澄先生だ。小学校低学年くらいの男の子を連れていて、鮮やかなレモン色のシロップがかかったかき氷を手にしている。
「神河先生!」
澄先生は涼を見て驚いたあと、隣にいる私に目をやった。
「ってことは、もしかしなくても婚約者の?」
ああ、そうか。澄先生は婚約のことを知ってるんだ。涼は澄先生と麗子さんに婚約のお祝いをしてもらったんだものね。
「はい」
涼が認めると私は会釈をして挨拶した。
「こんばんは」
「どうも、初めまして。神河先生と同じ病院に勤務している澄です……って、どこかで会ったような?」
澄先生が私の顔をじっと見る。入院していたときに会ったことがあるけど、私のことを憶えててくれてるのだろうか。
「うちの新人ナースとかじゃないよね。っていうか先生、どこで知り合ったの? こないだ聞いたときは仕事関係って言ってたけど、うちのスタッフではないっぽいし。あ、もしかして他院のナースとの合コン?」
「先生、とりあえずナースではないです」
うん。そこから離れてください。やっぱり医者は看護師さんと付き合うケースが多いのかな。
「あ、事務のほう? さすがに事務の新人さんまでは把握してないなあ。それか……」
推測を続けようとする澄先生の横で、お子さんが先生のTシャツの裾を引っ張った。早く行こうということらしい。かき氷の状態も心配だ。
「ああ、ごめんごめん。じゃあ先生、また病院で」
軽く手を振り、親子は人混みの中へ消えていった。
「お子さんに助けられたね」
「浴衣でだいぶ雰囲気が違うから、たぶん気づかないだろ」
もし私が涼の患者だと知ったら、澄先生はどんな反応をするだろう。涼が怒られませんように。
「合コン行ったの?」
訊ねると涼は苦く笑った。
「行ってないよ」
涼が合コンに行ったらモテるだろうなあ。絶対に行ってほしくない。
マンションに帰る前に近くのコンビニに寄った。鼻緒擦れを起こしている私のために、涼が手当てに必要な消毒液やら絆創膏やらを買ってくれている。その間、私は外のポールに寄りかかって待った。左手の薬指にはめてもらった指輪を眺めてにんまりしながら。
こんなに高価な指輪、普段使いしていいのだろうか。厳重に金庫で保管しておきたいくらいだ。でもそれではもらった意味がない気がする。せっかくもらったんだもの。涼にも私が指輪をつけている姿を見せたい。平日は大事にしまっておいて、涼と会う日だけつけようかな。もちろん、料理をするときや手洗いをするときには外す。なくさないように気をつけないと。チェーンを通してネックレスにしようか。いや、やっぱり指につけたい。指輪は指にはめて使うのが本来の姿なんだから。
「誰にも声かけられなかった?」
買い物を終えた涼がコンビニから出てきた。
「うん」
私の前までくると背を向けてかがんだ。乗れということらしい。
「このあたりならもう人通りも少ないから」
「でも……」
マンションはもう目の前だ。足は痛むけど、この距離なら自分で歩けなくはない。
「前のほうがいい?」
「前? お姫様抱っこ!?」
「でもあれは、ベッドに連れていくときな」
冗談なのか本気なのかわからない発言に動揺した。なんとなく、本気な気がする。
涼が言う通り人はほとんどいないし、やっぱり足は痛いから、せっかくなので甘えることにした。
「失礼します」
おずおずと涼の肩に手を回し、その広い背中に体を預けていく。
「お」
立ち上がった拍子に涼が声を出したから私は慌てた。
「ごめん、重いよね? やっぱり降りる……」
「いや、全然平気だけど。それより肩に柔らかい感触が」
私の胸が涼の肩に押し当たっている。恥ずかしいけどどうしようもない。
「家までもつかな」
独り言のように言い、涼は歩き始めた。「もつかな」って何が!?
おんぶされながら、マンションのエントランスに向かって歩道を進む。私は首を傾けて、涼の肩越しに左手の薬指を覗いた。
「プロポーズしてくれたとき、すごく驚いたんだよ」
「そうか」
「涼がそんなふうに考えてるなんて意外だった。最初にマンションに連れてきてくれたとき、言ってたでしょ? 忙しくて学生同士みたいな付き合い方はできないから、寂しかったらいつでも乗り換えていいって。その程度なんだなって、悲しかったもん」
顔が見えないから、気になってたことを思い切って言ってみた。
「今もそう思ってる」
こんなすごい指輪をくれたのだから、今ならつなぎとめてくれるかと思ったら、違うんだ。またがっかりしてしまった。でも、涼は続けた。
「建前はな。本音では、もう離したくない」
私は泣きそうになって、涼の肩にまわした腕にぎゅっと力を込めた。私も離れたくない。もう涼のことしか考えられない。ううん、最初からそうなの。
「彩、本当に家までもたなくなるから」
表情は見えなくても、涼が苦笑いしてるのが目に浮かぶ。それでも私はくっつくのをやめなかった。少し汗ばんだ彼の肌から、私の好きな匂いがした。
部屋に帰ってきて、私はリビングのソファの上で足を伸ばした。隣に座った涼が、消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口を丁寧にぬぐってくれている。足はひどく擦り剝けていた。
「かなり無理してたろ」
「せっかくの浴衣着てのお祭りデートだったから」
楽しい雰囲気を壊したくなくて、我慢して歩いてた。
「彩をおぶるくらいなんの負担にもならないから、ここまでひどくなる前に素直に甘えろ」
「ごめん」
さすが外科医、手当てはお手のものだ。話しているうちにあっという間に処置が終わった。
「そろそろ送ってくよ」
片づけをしながら涼があっさりと言う。
「もう?」
まだ帰りたくない。指輪と花火の余韻にもうしばらく浸っていたい。むしろ泊まりたい。せっかく涼も連休なのに。でも、いきなり泊まりたいなんて言っても困るよね。着替えも持ってきていない。
「盆休みでお父さんも家にいるんだろ? 帰ったほうがいい」
「そうだけど……」
帰ってきてから涼が急にそっけない気がする。指輪をくれたときはあんなに優しかったのに。私が足が痛いのを我慢して涼に頼らなかったせいかもしれない。
このまま帰りたくなくて、私は勇気を出して訊いてみた。
「夏休み中に一度、お泊まりしてもいい?」
今の雰囲気だと断られるかもしれない。私はドキドキしながら返事を待った。
「いいよ」
ほっとした。それなら今日は帰ろう。ソファから立ち上がると、涼が私の手を掴んだ。
「浴衣、来年も着て」
「? うん」
もう来年の話? そうか、来年も一緒に行けるんだ。その頃には結婚して、一緒に暮らしているはず。想像したらうれしくて、思わず笑みがこぼれた。来年は足が痛くならないようにちゃんと対策しよう。
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