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任務開始
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「はいはーい。いちゃつくのは後にしてくださーい」
後方で詰まっていた仲間のひとり、ルチア・ロマーニが冷やかし混じりに言った。
シエラは咳払いをし、気を取り直して目的地へと急いだ。
昨晩、ウィッチの潜伏先を突き止めたルチアの案内を頼りに、大通りを抜けて町の外に出る。
「話には聞いていたが、ここまでとはな」
町を囲む腰の高さまである石壁の向こう側には、人間をいとも簡単に飲み込んでしまえるほど背の高いすすきの海が広がっていた。
薄茶色の雑草地帯に紛れてぽつんと建つ一軒の家屋があった。どうやら二階建てらしい。すすきの海に紛れるよう屋根も壁も薄茶色だ。あまりにも奇妙な光景ではあったが、人は興味のないことには無関心だ。廃屋にも見えるその家に人が住んでいるとは誰も思わないし、なにも感じないのだろう。
見張りをしていた追跡班の二人がシエラたちへと振り返った。
「いまのところ出入りはない。見える範囲では、だけどな。こっちの気配に勘づいて、雑草のなかに潜って逃げられている可能性もある」
状況報告に、シエラはウィッチの隠れ家を睨んで腕を組んだ。
「そんなもの、叩けばわかることだ」
「さっすが突撃隊長」
シエラは茶化してくるルチアをじろりと見た。
どうしてこうも自分の部下は口も調子も軽いやつばかりなのか。
シエラは迷わずルチアの額を中指で弾いた。
「痛っ!!」
ルチアの前髪は額の中心あたりで綺麗に切り揃えられていた。おかげで、狙いを外すことなく決まった。
ちなみに、前髪の長さに関しては本人の不注意によるものらしく、多くは語らなかった。
「わたしとウルクが突入する。各員、予定の配置につくように。ウルク、今回の作戦はお前が要だ。頼んだぞ」
ウルクは返事の代わりに、どこか嬉しそうに目を細めて頷いた。
作戦を目の前にして、やはりこの男はどこか気が抜けている。だが、三年の付き合いを通して、ウルクはやるときはやる男だと知っていた。信頼はしている。そうでなければ、誰が背中を預けるものか。
シエラはずた袋を仲間の一人に預け、フードを深く被って白銀の髪をなかに入れ込むと、黒い革手袋を両手にはめて、一度だけ大きく深呼吸をした。
「行くぞ」
一向はすすきの海へと潜っていく。淀みのない足取りで進み、家屋に辿り着くと四方を囲むように仲間が散った。
家屋の扉には蛇顔の黒いドアノッカーがついていた。シエラは石段を登り、悪趣味極まりないドアノッカーを掴んだ。すすきの海がサラサラと音を立てて波打つなか、ゴンゴンゴンと重い音が響く。
耳を澄ませても人の気配は感じられなかった。ならば、反応があるまでドアノッカーを鳴らすまでだ。
三度目にしてようやく扉がゆっくりと薄く開き、フードつきの黒マントに身を包んだ男がチラリと見えた。家のなかだというのに、マントを身につけるとは怪しさ満点だ。
「何用だ」
「ここに噂の薬があると聞いてやってきた」
「噂の薬? そんなもの、知らんな」
閉じられようとする隙間に靴の先を差し込んで、シエラはドアノブを力一杯掴んだ。
「あるんだろう? 《マーメイド》が。少しでいいんだ。分けてくれないか。金ならある」
「知らんと言っている」
あくまで、しらを切るつもりか。
「おかしいなぁ。確かにここにあると聞いて来たんだが……」
「おい女。死にたくなければ失せろ」
「口の利き方に気をつけろよ」
――だから、どの口が言うんだ。
間髪入れずに背後から大きな手が伸びてきて、シエラの頭越しに扉を掴み、閉まらないように力を込めた。
扉のことはウルクに任せて、シエラは脅しは効かない、と口元に余裕の笑みを浮かべた。
「あるんだろう? 媚薬が」
「貴様っ、天使協会か!」
白銀の髪と緑色の瞳を認めた瞬間、男は身を翻し家の奥へと駆け出した。
「仲間がいるかもしれない、出入り口を見張っておけ!」
シエラはウルクに言い残して、素早く男のあとを追った。狭い家だ、そう簡単には見失うはずがない。
男はテーブルにあった大量の書物や器、動物の頭骨を払いのけ、シエラの追跡を逃れようと無駄な足掻きをしていた。乾燥した植物が天井からいくつも吊るされ、怪しい香りが部屋中に立ち込めている。あらゆる物がシエラに向かって投げ飛ばされ、シエラは軽やかな身のこなしでかわしていく。
大きく分厚い本をかわしたときだった。続けざまに液体の入った瓶が投げつけられ、シエラは避けられないと悟った。拳を作り薙ぎ払うように大きく腕を振る。すると、たちまち起きた風圧で瓶はそばにあった本棚にぶつかって弾けた。液体がパシャリと床に落ちて広がっていく。媚薬でなかったことにほっとするのも束の間、二階に駆け上がる男を追った。
男がつきあたりの部屋に入っていくのを確認し、周囲を警戒しながらあとに続く。
とうとう追い詰めたというところで、男は締め切っていたカーテンをシャッと開けた。突然飛び込んできた西日の眩しさに顔を覆ったシエラ。その隙に、男は部屋の壁沿いに置かれた、背の高い棚を両手で掴んだ。
「まさか――」
そこには、乳白色の瓶がぎっしりと並べられていた。
「これが欲しかったんだろう?」
男はニヤりと笑い、体全体を使って棚を倒した。瓶が割れるのに時間はかからなかった。
けたたましい音が響き渡るなか、傾いた棚の向こう側では男が窓を開け放ち、すすきの海へと飛び立とうとしていた。窓が開けられたせいで、シエラに向かって風が一気に吹きつける。
(なかなか最悪だな)
鼻腔に広がる甘い香りなど気にも留めず、シエラは大きく一歩を踏み出した。なんとか瓶のひとつを掴み取ると部屋の外へと走る。
階下では、手すりを掴んで、いまにも階段を駆け上がってきそうなウルクの姿があった。
「シエラさん、なにがあったの!?」
「奴が外に出た、追え!」
「だけどっ」
「お前の仕事だろう! いいから追え!」
駆け出した足音に胸を撫でおろし、たったいま男が逃げた部屋へと視線を戻した。ガラス片が散らばる床、そして、シュワシュワと蒸気のように立ちのぼる媚薬。
ポケットから取り出したハンカチで鼻と口を覆い、顔をしかめる。もう手遅れだろうが、これ以上吸うわけにはいかない。ひとまず媚薬が外へと流れ切るまでは、この部屋から退散するとしよう。
部屋の扉を閉め、階段を降りきったところで――コツと靴音が鳴った。
振り返るなり、銀の輝きが弧を描いた。ヒュンと風を斬る切っ先。
シエラは身を反らし、ダガーを片手に襲ってくる黒装束の男に応戦した。逃げた男とは別の人間が、階段下の物陰に潜んでいたらしい。
(瓶があるせいで、力を使いたくても使えない)
衝撃波を生み出すのがシエラの能力だったが、全身の力を込めて四肢を振らなければならず、片手だけ力を抜くことは難しかった。一歩間違えれば媚薬入りの瓶を割ってしまう。媚薬成分の分析をするためには、必ず持ち帰らなければならない。
狭い通路を後退しながら攻撃を避け、大部屋に戻ってきたころ、身体の違和感に気づいたシエラはチッと舌打ちをした。
(つくづく、ついてないな)
運動が激しくなれば、それだけ早く媚薬がまわっていく。
秘部に熱が集まり、ひくひくと疼き出す。敵からの攻撃を避けるので精一杯で、防戦一方だ。
そんなときだった。
一階の窓辺に大きな影が落ち、それは窓を突き破ってきた。キラキラと輝くガラス片の幕。ウルクの髪が美しく七色に光った。
ウルクはシエラの前に舞い降りると、ダガーを持つ男と対峙してあっという間に床へと叩きつけた。
シエラは男の拘束をウルクに任せたまま、他にウィッチがいないか確認した。駆けつけた仲間に取り押さえた男の身柄を預け、ウルクへと振る返る。
「ウルク!」
「…………」
「こっちに来い」
ウルクは、まるで叱られる前のこどものように肩を落として歩いてきた。
「あの……」
シエラは、しょんぼり顔で身構えるウルクを見上げた。
「しゃがめ」
「え?」
「しゃがめと言っている。もっと頭を下げろ」
柔らかく波打つ髪に触れ、ガラス片がついていないか、割れたガラスで傷ついていないか確認をする。
ウルクは怪我や不調を隠すことがあり、シエラが強引にでも確認をしないと異変に気づいてやれないのだ。
「シエラ、さん……?」
「じっとしていろ。窓を突き破ってくる奴があるか。怪我をしたらどうするんだ。下手したら身体を縫うことになるんだぞ、わかっているのか」
「それは……、シエラさんが襲われているのを見たら、身体が勝手に動いて……」
シエラは頭から手を離し、今度はウルクの顎を掴んで持ち上げた。
媚薬のせいでウルクの唇に自らの唇を重ねたくなるが、理性を総動員して欲情を抑えつける。
(額、頬、目元、どこも異常はなし。異常があるのはわたしだけか)
身体が熱くなってきて、思考が鈍っていくのを感じる。自分の身体がどうなるのか、不安と焦りに襲われて気持ちにも余裕がなっていく。それでも冷静に、毅然と振る舞おうとするのは、シエラのプライドによるものだった。
シエラはウルクの顎を解放し、腕を組んだ。
「一階にいたとき、あの男の存在に気づかなかったのか」
「……ごめんなさい」
「謝罪が欲しいわけではない。事実確認をしたいだけだ」
「シエラさんがウィッチを追っている間、部屋をざっと探りはしたけど、気配は見つけられなかったし、姿も見当たらなかった、です……」
「そうか。外に潜んでいて、お前がいなくなったあとに入ってきたのかもしれない。わたしの不注意だ……怪我人が出なくて何よりだった。やはりこの一帯は、視界が遮られやすく危険だな。今日中に叩けてよかった。お前の力が役に立ったな。……それから、さっきは助かった。礼を言う」
ウルクは目を丸め、パチパチと瞬いた。
頬がじんわり赤みを帯び、「いえ……」と言葉を濁して顔をそらした。
シエラたちは、隠れ家にある《マーメイド》製造に繋がりそうな怪しい品々を片っ端からずた袋に詰めた。一階は仲間に任せ、二階はシエラだけが調べた。万が一にも、仲間が媚薬を吸ったら大惨事だ。
ひと通り終わると、シエラは身を犠牲にして確保した媚薬入りの瓶をルチアに渡した。
「隊長が持ってなくていいの?」
「わたしは念のため町を巡回して、適当な宿屋で一晩過ごす。ほかにもウィッチがいるかもしれないからな。お前たちは伯爵の別荘に戻り次第、奴らへの尋問と、押収した薬品や素材の一覧作成と保管、それから伯爵への手紙を作成してくれ。ウィッチを捕まえたと報告するためにな」
我ながらひどい言い訳だった。
伯爵から活動拠点として別荘を借りているのだが、すべて相部屋なのだ。仲間の前で痴態を晒すのは死んでも嫌だ。媚薬の効果が切れるまでは、なんとしても仲間の目に触れない場所で過ごしたい。
「宿屋なんて空いてるかなぁ。だって、収穫祭の真っ最中だよ?」
「なければ、適当な時間に戻るさ」
「俺も一緒に巡回する」
横から入ってきたウルクに対して、シエラは露骨に渋面を作り首を横に振った。
「邪魔だ。お前はルチアたちと一緒に戻ってろ」
「なんで! さっきは褒めてくれたじゃん!」
「お前のことだ。どうせ屋台巡りをしたいだの、仕事と関係のないことを言い出すんだろう。いいから、帰って――」
「シエラさん⁈」
ドクッ――と心臓が大きく波打つ。
急に表情を凍らせて胸を押さえたシエラに、ウルクとルチアはうろたえた。
シエラは大きく息を吐き出して、なんでもないと二人を睨むように見返した。
「イライラし過ぎて胸が苦しくなっただけだ。余計な心配をするな。……おい、そんな顔をするな。見ているだけで腹が立つ」
「ひっどーい! もう知らないからね! ほら行くよ、ウルク。アンタが気絶させたウィッチを引きずって帰らなきゃならないんだから。もう……なんで気絶させちゃうかなぁ」
ウルクはルチアに顎先で促され、ウィッチの隠れ家から出ていった。
これでいい。これでひと安心だ。
「くっ……ぁ……はぁ……」
シエラは熱くなった吐息を漏らし、全身を這うような疼きに舌打ちをした。
後方で詰まっていた仲間のひとり、ルチア・ロマーニが冷やかし混じりに言った。
シエラは咳払いをし、気を取り直して目的地へと急いだ。
昨晩、ウィッチの潜伏先を突き止めたルチアの案内を頼りに、大通りを抜けて町の外に出る。
「話には聞いていたが、ここまでとはな」
町を囲む腰の高さまである石壁の向こう側には、人間をいとも簡単に飲み込んでしまえるほど背の高いすすきの海が広がっていた。
薄茶色の雑草地帯に紛れてぽつんと建つ一軒の家屋があった。どうやら二階建てらしい。すすきの海に紛れるよう屋根も壁も薄茶色だ。あまりにも奇妙な光景ではあったが、人は興味のないことには無関心だ。廃屋にも見えるその家に人が住んでいるとは誰も思わないし、なにも感じないのだろう。
見張りをしていた追跡班の二人がシエラたちへと振り返った。
「いまのところ出入りはない。見える範囲では、だけどな。こっちの気配に勘づいて、雑草のなかに潜って逃げられている可能性もある」
状況報告に、シエラはウィッチの隠れ家を睨んで腕を組んだ。
「そんなもの、叩けばわかることだ」
「さっすが突撃隊長」
シエラは茶化してくるルチアをじろりと見た。
どうしてこうも自分の部下は口も調子も軽いやつばかりなのか。
シエラは迷わずルチアの額を中指で弾いた。
「痛っ!!」
ルチアの前髪は額の中心あたりで綺麗に切り揃えられていた。おかげで、狙いを外すことなく決まった。
ちなみに、前髪の長さに関しては本人の不注意によるものらしく、多くは語らなかった。
「わたしとウルクが突入する。各員、予定の配置につくように。ウルク、今回の作戦はお前が要だ。頼んだぞ」
ウルクは返事の代わりに、どこか嬉しそうに目を細めて頷いた。
作戦を目の前にして、やはりこの男はどこか気が抜けている。だが、三年の付き合いを通して、ウルクはやるときはやる男だと知っていた。信頼はしている。そうでなければ、誰が背中を預けるものか。
シエラはずた袋を仲間の一人に預け、フードを深く被って白銀の髪をなかに入れ込むと、黒い革手袋を両手にはめて、一度だけ大きく深呼吸をした。
「行くぞ」
一向はすすきの海へと潜っていく。淀みのない足取りで進み、家屋に辿り着くと四方を囲むように仲間が散った。
家屋の扉には蛇顔の黒いドアノッカーがついていた。シエラは石段を登り、悪趣味極まりないドアノッカーを掴んだ。すすきの海がサラサラと音を立てて波打つなか、ゴンゴンゴンと重い音が響く。
耳を澄ませても人の気配は感じられなかった。ならば、反応があるまでドアノッカーを鳴らすまでだ。
三度目にしてようやく扉がゆっくりと薄く開き、フードつきの黒マントに身を包んだ男がチラリと見えた。家のなかだというのに、マントを身につけるとは怪しさ満点だ。
「何用だ」
「ここに噂の薬があると聞いてやってきた」
「噂の薬? そんなもの、知らんな」
閉じられようとする隙間に靴の先を差し込んで、シエラはドアノブを力一杯掴んだ。
「あるんだろう? 《マーメイド》が。少しでいいんだ。分けてくれないか。金ならある」
「知らんと言っている」
あくまで、しらを切るつもりか。
「おかしいなぁ。確かにここにあると聞いて来たんだが……」
「おい女。死にたくなければ失せろ」
「口の利き方に気をつけろよ」
――だから、どの口が言うんだ。
間髪入れずに背後から大きな手が伸びてきて、シエラの頭越しに扉を掴み、閉まらないように力を込めた。
扉のことはウルクに任せて、シエラは脅しは効かない、と口元に余裕の笑みを浮かべた。
「あるんだろう? 媚薬が」
「貴様っ、天使協会か!」
白銀の髪と緑色の瞳を認めた瞬間、男は身を翻し家の奥へと駆け出した。
「仲間がいるかもしれない、出入り口を見張っておけ!」
シエラはウルクに言い残して、素早く男のあとを追った。狭い家だ、そう簡単には見失うはずがない。
男はテーブルにあった大量の書物や器、動物の頭骨を払いのけ、シエラの追跡を逃れようと無駄な足掻きをしていた。乾燥した植物が天井からいくつも吊るされ、怪しい香りが部屋中に立ち込めている。あらゆる物がシエラに向かって投げ飛ばされ、シエラは軽やかな身のこなしでかわしていく。
大きく分厚い本をかわしたときだった。続けざまに液体の入った瓶が投げつけられ、シエラは避けられないと悟った。拳を作り薙ぎ払うように大きく腕を振る。すると、たちまち起きた風圧で瓶はそばにあった本棚にぶつかって弾けた。液体がパシャリと床に落ちて広がっていく。媚薬でなかったことにほっとするのも束の間、二階に駆け上がる男を追った。
男がつきあたりの部屋に入っていくのを確認し、周囲を警戒しながらあとに続く。
とうとう追い詰めたというところで、男は締め切っていたカーテンをシャッと開けた。突然飛び込んできた西日の眩しさに顔を覆ったシエラ。その隙に、男は部屋の壁沿いに置かれた、背の高い棚を両手で掴んだ。
「まさか――」
そこには、乳白色の瓶がぎっしりと並べられていた。
「これが欲しかったんだろう?」
男はニヤりと笑い、体全体を使って棚を倒した。瓶が割れるのに時間はかからなかった。
けたたましい音が響き渡るなか、傾いた棚の向こう側では男が窓を開け放ち、すすきの海へと飛び立とうとしていた。窓が開けられたせいで、シエラに向かって風が一気に吹きつける。
(なかなか最悪だな)
鼻腔に広がる甘い香りなど気にも留めず、シエラは大きく一歩を踏み出した。なんとか瓶のひとつを掴み取ると部屋の外へと走る。
階下では、手すりを掴んで、いまにも階段を駆け上がってきそうなウルクの姿があった。
「シエラさん、なにがあったの!?」
「奴が外に出た、追え!」
「だけどっ」
「お前の仕事だろう! いいから追え!」
駆け出した足音に胸を撫でおろし、たったいま男が逃げた部屋へと視線を戻した。ガラス片が散らばる床、そして、シュワシュワと蒸気のように立ちのぼる媚薬。
ポケットから取り出したハンカチで鼻と口を覆い、顔をしかめる。もう手遅れだろうが、これ以上吸うわけにはいかない。ひとまず媚薬が外へと流れ切るまでは、この部屋から退散するとしよう。
部屋の扉を閉め、階段を降りきったところで――コツと靴音が鳴った。
振り返るなり、銀の輝きが弧を描いた。ヒュンと風を斬る切っ先。
シエラは身を反らし、ダガーを片手に襲ってくる黒装束の男に応戦した。逃げた男とは別の人間が、階段下の物陰に潜んでいたらしい。
(瓶があるせいで、力を使いたくても使えない)
衝撃波を生み出すのがシエラの能力だったが、全身の力を込めて四肢を振らなければならず、片手だけ力を抜くことは難しかった。一歩間違えれば媚薬入りの瓶を割ってしまう。媚薬成分の分析をするためには、必ず持ち帰らなければならない。
狭い通路を後退しながら攻撃を避け、大部屋に戻ってきたころ、身体の違和感に気づいたシエラはチッと舌打ちをした。
(つくづく、ついてないな)
運動が激しくなれば、それだけ早く媚薬がまわっていく。
秘部に熱が集まり、ひくひくと疼き出す。敵からの攻撃を避けるので精一杯で、防戦一方だ。
そんなときだった。
一階の窓辺に大きな影が落ち、それは窓を突き破ってきた。キラキラと輝くガラス片の幕。ウルクの髪が美しく七色に光った。
ウルクはシエラの前に舞い降りると、ダガーを持つ男と対峙してあっという間に床へと叩きつけた。
シエラは男の拘束をウルクに任せたまま、他にウィッチがいないか確認した。駆けつけた仲間に取り押さえた男の身柄を預け、ウルクへと振る返る。
「ウルク!」
「…………」
「こっちに来い」
ウルクは、まるで叱られる前のこどものように肩を落として歩いてきた。
「あの……」
シエラは、しょんぼり顔で身構えるウルクを見上げた。
「しゃがめ」
「え?」
「しゃがめと言っている。もっと頭を下げろ」
柔らかく波打つ髪に触れ、ガラス片がついていないか、割れたガラスで傷ついていないか確認をする。
ウルクは怪我や不調を隠すことがあり、シエラが強引にでも確認をしないと異変に気づいてやれないのだ。
「シエラ、さん……?」
「じっとしていろ。窓を突き破ってくる奴があるか。怪我をしたらどうするんだ。下手したら身体を縫うことになるんだぞ、わかっているのか」
「それは……、シエラさんが襲われているのを見たら、身体が勝手に動いて……」
シエラは頭から手を離し、今度はウルクの顎を掴んで持ち上げた。
媚薬のせいでウルクの唇に自らの唇を重ねたくなるが、理性を総動員して欲情を抑えつける。
(額、頬、目元、どこも異常はなし。異常があるのはわたしだけか)
身体が熱くなってきて、思考が鈍っていくのを感じる。自分の身体がどうなるのか、不安と焦りに襲われて気持ちにも余裕がなっていく。それでも冷静に、毅然と振る舞おうとするのは、シエラのプライドによるものだった。
シエラはウルクの顎を解放し、腕を組んだ。
「一階にいたとき、あの男の存在に気づかなかったのか」
「……ごめんなさい」
「謝罪が欲しいわけではない。事実確認をしたいだけだ」
「シエラさんがウィッチを追っている間、部屋をざっと探りはしたけど、気配は見つけられなかったし、姿も見当たらなかった、です……」
「そうか。外に潜んでいて、お前がいなくなったあとに入ってきたのかもしれない。わたしの不注意だ……怪我人が出なくて何よりだった。やはりこの一帯は、視界が遮られやすく危険だな。今日中に叩けてよかった。お前の力が役に立ったな。……それから、さっきは助かった。礼を言う」
ウルクは目を丸め、パチパチと瞬いた。
頬がじんわり赤みを帯び、「いえ……」と言葉を濁して顔をそらした。
シエラたちは、隠れ家にある《マーメイド》製造に繋がりそうな怪しい品々を片っ端からずた袋に詰めた。一階は仲間に任せ、二階はシエラだけが調べた。万が一にも、仲間が媚薬を吸ったら大惨事だ。
ひと通り終わると、シエラは身を犠牲にして確保した媚薬入りの瓶をルチアに渡した。
「隊長が持ってなくていいの?」
「わたしは念のため町を巡回して、適当な宿屋で一晩過ごす。ほかにもウィッチがいるかもしれないからな。お前たちは伯爵の別荘に戻り次第、奴らへの尋問と、押収した薬品や素材の一覧作成と保管、それから伯爵への手紙を作成してくれ。ウィッチを捕まえたと報告するためにな」
我ながらひどい言い訳だった。
伯爵から活動拠点として別荘を借りているのだが、すべて相部屋なのだ。仲間の前で痴態を晒すのは死んでも嫌だ。媚薬の効果が切れるまでは、なんとしても仲間の目に触れない場所で過ごしたい。
「宿屋なんて空いてるかなぁ。だって、収穫祭の真っ最中だよ?」
「なければ、適当な時間に戻るさ」
「俺も一緒に巡回する」
横から入ってきたウルクに対して、シエラは露骨に渋面を作り首を横に振った。
「邪魔だ。お前はルチアたちと一緒に戻ってろ」
「なんで! さっきは褒めてくれたじゃん!」
「お前のことだ。どうせ屋台巡りをしたいだの、仕事と関係のないことを言い出すんだろう。いいから、帰って――」
「シエラさん⁈」
ドクッ――と心臓が大きく波打つ。
急に表情を凍らせて胸を押さえたシエラに、ウルクとルチアはうろたえた。
シエラは大きく息を吐き出して、なんでもないと二人を睨むように見返した。
「イライラし過ぎて胸が苦しくなっただけだ。余計な心配をするな。……おい、そんな顔をするな。見ているだけで腹が立つ」
「ひっどーい! もう知らないからね! ほら行くよ、ウルク。アンタが気絶させたウィッチを引きずって帰らなきゃならないんだから。もう……なんで気絶させちゃうかなぁ」
ウルクはルチアに顎先で促され、ウィッチの隠れ家から出ていった。
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