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我慢の限界
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(ルチアの言う通りだ)
収穫祭の見物客が多いせいか、大通りに面したまともな宿屋はどこも満室。できれば綺麗な宿屋に泊まりたかったが、この際どこでもいい。下腹部に集まる熱を一刻も早くどうにかしたかった。
かろうじて理性を保ちながら宿屋探しをしているが、其の実、頭のなかでは花芽を指先で転がし、蜜壺を掻き回す妄想ばかりしている。
ときおり漏れる甘い吐息に、すれ違う男たちが振り返り、喉をごくりと鳴らした。
シエラは近づこうとする男たちを睨みつけ、大通りから外れた宿屋をいくつか巡った。
「あるよ。一部屋だけな。それも一等級の一人部屋だ。それなりに払ってもらうことになるが」
カウンターの奥に立つ、顎に黒ひげをたくわえた大柄な中年男――宿屋の主人がそう言った。
運命的な出会いを果たしたかのような感動だった。一等級が嘘だろうが、高い金を要求してこようがどうでもいい。
「構わない。そこを一晩使わせてくれ」
宿屋の主人の視線がふいにさまよう。
なんだ、と頭を巡らせる前に声が降ってきた。
「ちなみにその部屋、二人で泊まってもいい?」
シエラは固まった。
ギギギと軋んだ音が立ちそうなほど、ギクシャクとした動きで振り返る。
(ウルク・ティレット――お前がなぜそこに居る⁈)
パクパクと口を動かすシエラに、ウルクはニコッと笑った。
「ついて来ちゃった」
「っ、帰れ!」
「まぁまぁ、そう言わず。で、ご主人。俺もその部屋に泊まっても大丈夫かな。部屋に長椅子……できればソファがあると助かるんだけど」
「あるよ。なんせ、一等級だからな。そのかわり、二人分の宿代をもらう」
「いいよ。請求書はヨンパルト伯爵の別荘に送っておいて」
「おい、なにを勝手に」
「部屋は二階の角、二〇五だ」
ウルクは差し出された鍵を受け取り、シエラの腰を抱いた。そして――。
「水を張った手桶と手拭きをふたつずつ、それから水差しを大至急部屋運んでもらえる?」
「夕食はどうする。あと一時間もすれば、食堂で食べることもできるが」
「いらない。その代わり、りんごとパン、ナッツ類を用意して部屋に持ってきてもらえると助かる」
「承知した」
「ありがとう」
「キャア!」
――身体を屈めると、シエラを軽々と横抱きにして部屋へと向かった。
抱き上げたまま階段を上がっていくウルクに、シエラは逞しい肩にしがみつきながらも目の端を鋭く持ち上げた。
「お前、一体どういうつもりだ! いますぐ降ろせ!」
「他の人の目は騙せても、俺の目は騙せないよ。吸っちゃったんでしょ、媚薬」
シエラは目を大きく見開いた。そして、ふっと視線を落とした。
「っ……、お前が気づいたということは、他の者も気づいているのだろうな」
「まだ気づいてないと思うよ」
間を置かずにウルクは言った。
「二階から飛び降りたウィッチがいたでしょう。アイツ、発情しかけてたから気絶させておいた。あの男が発情したってことは、シエラさんもそうなるんだろうと思った。それにね、シエラさんのことだから、死んでもバレたくないだろうなぁと思ったんだ。俺、気が利くでしょう? ねぇ、惚れてくれた?」
「お前は……こんな状況でも変わらないんだな……」
シエラはひっそりと力なく笑った。
二〇五の部屋に着くと、ウルクはそっとシエラを下ろして部屋を開錠すると扉を押し開けた。
日が落ちかけているせいか薄暗い。狭い通路をすこし歩いた先に寝室が広がり、長いソファとテーブルがひとつずつ、壁に飾られた小さな鏡と四つ脚のチェストが置いてあった。簡素なベッドには白いシーツとえんじ色のベッドスローが敷かれていた。若干、埃っぽさは感じるが、手入れはされているようだ。
シエラは背後にいるウルクへと振り返り、両肩を押し返した。
「ここまでご苦労だった。ありがとう、助かった。だからもう帰れ」
「素直に頷くわけないでしょう」
両手首をあっけなく掴まれて、身体を引き寄せられる。
ウルクの真剣な顔が近づき、切実さをたたえた瞳で見つめられた。
「あの薬はただの媚薬じゃない。全身に力が入らなくなったり、記憶障害が起きたりと副作用が現れることもあるんだよ。シエラさんがそうなるかもしれないってわかっていて、放っておけるわけない」
「副作用が出ようが放っておいて欲しいと言っているんだ! ……正直、もう、かなりキツい……」
「だったら、俺が慰めてあげるよ」
甘く低い声が耳元で囁かれる。
シエラは弾かれたように背中を反らし、わずかに残る理性をもってウルクを見返した。
「冗談はよせ。いいから、出て行け」
「俺じゃダメ? どうしても? 絶対に?」
「ウルク・ティレット。これは命令だ」
「っ!」
壁に背中を押しつけられ、その衝撃にシエラはわずかにうめいた。クッと顔を上げれば、互いに譲らない強い視線がぶつかり合う。
じわり、じわりと指を絡め取られ、ぞくりとした快感が指先に走った。
「身分が違うから、俺を見てくれないの? 俺があなたと同じ身分なら、俺を見てくれた?」
ドキリと心臓が跳ねた。
「なにを急に」
「俺は知ってるよ、あなたが伯爵令嬢だってこと。あなたの父親はウィズボーン伯爵、違う?」
今度こそ言い逃れができなかった。
「お前、誰からそのことを」
「シエラさん、答えてよ。平民の、ただの商家の次男坊だから眼中にないってこと?」
淡々とした口調にも関わらず、どこか悲痛で切羽詰まったものを感じる。
強い想いを向けられて、ひどく困惑した。これまでの好意が本心だと知り、なにか言わなくてはと唇を動かすものの、なにひとつ言葉にならなかった。
ウルクはそれを肯定と捉えたのか、美しい瞳に切ない色をたたえた。
「ならどうして、さっきみたいに軽率に触れてくるの……? 俺に気を持たせるようなことをしているのは、シエラさんのほうだ」
「え……?」
「シエラさんは昔からそうだ。俺が我慢して耐えている一線を軽々と越えてくる。他の仲間にはああいう触れ方をしないのに、俺にだけあんなことされたら……期待するに決まってるだろ。知らないとは言わせないよ。あなたは自らの意志で、この手で、俺に触れたんだ」
まるで宝物に口づけをするように、ウルクの唇がシエラの指先にそっと触れた。指先から関節へと唇が滑っていく。
ぞくぞくとした快感が生まれ、シエラは下唇を噛んで息を止めた。
艶を帯びた目をチラリと向けられて、今まで耐えていた性欲が溢れ出しそうになる。ダメだ、と懸命に抑える。
「お前は、これでいいのか」
「え……」
「はっきり言っておく。いまのわたしは、男なら誰とでも寝られる。そこに恋愛感情はないし、生まれもしない。それでも、お前はわたしとこの部屋で過ごすのか」
シエラは軽く背伸びをして、ウルクの顔に自分の顔を近づけた。
「またわたしが一線を越えて、お前を傷つける前に、離れて」
「シエラさ――」
「もう、耐えられそうにないんだ」
唇の先が触れ合いそうになった瞬間、コンコンと扉をノックされる音が響いた。
シエラは強引に両手を振って繋がりを断ち、ウルクの脇からするりと身を抜いた。
「受け取るものを受け取ったら出て行け。次はない」
ウルクは答えず、部屋の扉のほうへと向かった。
シエラは宿屋の主人とウルクが会話するのをぼんやりとした頭で聞きながら、ローブを外してソファへと投げ置いた。ベッドに座ってブーツの紐を解いて脱ぎ捨て、腰のベルトに手をかけた。もう我慢の限界だった。下着ごとスラックスを膝下まで一気に下ろして脚から抜く。
どうせ部屋の入り口からはベッドが見えない。自慰に耽っていたところで、声さえ出さなければ宿屋の主人には気づかれないだろう。
あとは、ウルクがどうするかだけだ。
床の上を走っていたワゴンの音と靴音がやむ。
手押しのワゴンの上で、注文した品々がランプの灯りに照らされていた。
そして、照らされていたのはウルクもだった。
下半身を露出させてベッドに座り込むシエラを見て、ウルクは息を呑んだようだった。
「ウィッチの隠れ家で色々触ったんだから、手くらい洗ったほうがいいよ」
そう言うと、水が張られた小さな手桶とタオルを持ってベッドにやって来てくる。
むっつりと押し黙るシエラだったが、差し出された手桶で素直に手を洗う。
「どうなっても知らないからな」
タオルで手を拭きながら言うと、ウルクは目を伏せた。
「灯りをつけるよ」
それが、答えだった。
収穫祭の見物客が多いせいか、大通りに面したまともな宿屋はどこも満室。できれば綺麗な宿屋に泊まりたかったが、この際どこでもいい。下腹部に集まる熱を一刻も早くどうにかしたかった。
かろうじて理性を保ちながら宿屋探しをしているが、其の実、頭のなかでは花芽を指先で転がし、蜜壺を掻き回す妄想ばかりしている。
ときおり漏れる甘い吐息に、すれ違う男たちが振り返り、喉をごくりと鳴らした。
シエラは近づこうとする男たちを睨みつけ、大通りから外れた宿屋をいくつか巡った。
「あるよ。一部屋だけな。それも一等級の一人部屋だ。それなりに払ってもらうことになるが」
カウンターの奥に立つ、顎に黒ひげをたくわえた大柄な中年男――宿屋の主人がそう言った。
運命的な出会いを果たしたかのような感動だった。一等級が嘘だろうが、高い金を要求してこようがどうでもいい。
「構わない。そこを一晩使わせてくれ」
宿屋の主人の視線がふいにさまよう。
なんだ、と頭を巡らせる前に声が降ってきた。
「ちなみにその部屋、二人で泊まってもいい?」
シエラは固まった。
ギギギと軋んだ音が立ちそうなほど、ギクシャクとした動きで振り返る。
(ウルク・ティレット――お前がなぜそこに居る⁈)
パクパクと口を動かすシエラに、ウルクはニコッと笑った。
「ついて来ちゃった」
「っ、帰れ!」
「まぁまぁ、そう言わず。で、ご主人。俺もその部屋に泊まっても大丈夫かな。部屋に長椅子……できればソファがあると助かるんだけど」
「あるよ。なんせ、一等級だからな。そのかわり、二人分の宿代をもらう」
「いいよ。請求書はヨンパルト伯爵の別荘に送っておいて」
「おい、なにを勝手に」
「部屋は二階の角、二〇五だ」
ウルクは差し出された鍵を受け取り、シエラの腰を抱いた。そして――。
「水を張った手桶と手拭きをふたつずつ、それから水差しを大至急部屋運んでもらえる?」
「夕食はどうする。あと一時間もすれば、食堂で食べることもできるが」
「いらない。その代わり、りんごとパン、ナッツ類を用意して部屋に持ってきてもらえると助かる」
「承知した」
「ありがとう」
「キャア!」
――身体を屈めると、シエラを軽々と横抱きにして部屋へと向かった。
抱き上げたまま階段を上がっていくウルクに、シエラは逞しい肩にしがみつきながらも目の端を鋭く持ち上げた。
「お前、一体どういうつもりだ! いますぐ降ろせ!」
「他の人の目は騙せても、俺の目は騙せないよ。吸っちゃったんでしょ、媚薬」
シエラは目を大きく見開いた。そして、ふっと視線を落とした。
「っ……、お前が気づいたということは、他の者も気づいているのだろうな」
「まだ気づいてないと思うよ」
間を置かずにウルクは言った。
「二階から飛び降りたウィッチがいたでしょう。アイツ、発情しかけてたから気絶させておいた。あの男が発情したってことは、シエラさんもそうなるんだろうと思った。それにね、シエラさんのことだから、死んでもバレたくないだろうなぁと思ったんだ。俺、気が利くでしょう? ねぇ、惚れてくれた?」
「お前は……こんな状況でも変わらないんだな……」
シエラはひっそりと力なく笑った。
二〇五の部屋に着くと、ウルクはそっとシエラを下ろして部屋を開錠すると扉を押し開けた。
日が落ちかけているせいか薄暗い。狭い通路をすこし歩いた先に寝室が広がり、長いソファとテーブルがひとつずつ、壁に飾られた小さな鏡と四つ脚のチェストが置いてあった。簡素なベッドには白いシーツとえんじ色のベッドスローが敷かれていた。若干、埃っぽさは感じるが、手入れはされているようだ。
シエラは背後にいるウルクへと振り返り、両肩を押し返した。
「ここまでご苦労だった。ありがとう、助かった。だからもう帰れ」
「素直に頷くわけないでしょう」
両手首をあっけなく掴まれて、身体を引き寄せられる。
ウルクの真剣な顔が近づき、切実さをたたえた瞳で見つめられた。
「あの薬はただの媚薬じゃない。全身に力が入らなくなったり、記憶障害が起きたりと副作用が現れることもあるんだよ。シエラさんがそうなるかもしれないってわかっていて、放っておけるわけない」
「副作用が出ようが放っておいて欲しいと言っているんだ! ……正直、もう、かなりキツい……」
「だったら、俺が慰めてあげるよ」
甘く低い声が耳元で囁かれる。
シエラは弾かれたように背中を反らし、わずかに残る理性をもってウルクを見返した。
「冗談はよせ。いいから、出て行け」
「俺じゃダメ? どうしても? 絶対に?」
「ウルク・ティレット。これは命令だ」
「っ!」
壁に背中を押しつけられ、その衝撃にシエラはわずかにうめいた。クッと顔を上げれば、互いに譲らない強い視線がぶつかり合う。
じわり、じわりと指を絡め取られ、ぞくりとした快感が指先に走った。
「身分が違うから、俺を見てくれないの? 俺があなたと同じ身分なら、俺を見てくれた?」
ドキリと心臓が跳ねた。
「なにを急に」
「俺は知ってるよ、あなたが伯爵令嬢だってこと。あなたの父親はウィズボーン伯爵、違う?」
今度こそ言い逃れができなかった。
「お前、誰からそのことを」
「シエラさん、答えてよ。平民の、ただの商家の次男坊だから眼中にないってこと?」
淡々とした口調にも関わらず、どこか悲痛で切羽詰まったものを感じる。
強い想いを向けられて、ひどく困惑した。これまでの好意が本心だと知り、なにか言わなくてはと唇を動かすものの、なにひとつ言葉にならなかった。
ウルクはそれを肯定と捉えたのか、美しい瞳に切ない色をたたえた。
「ならどうして、さっきみたいに軽率に触れてくるの……? 俺に気を持たせるようなことをしているのは、シエラさんのほうだ」
「え……?」
「シエラさんは昔からそうだ。俺が我慢して耐えている一線を軽々と越えてくる。他の仲間にはああいう触れ方をしないのに、俺にだけあんなことされたら……期待するに決まってるだろ。知らないとは言わせないよ。あなたは自らの意志で、この手で、俺に触れたんだ」
まるで宝物に口づけをするように、ウルクの唇がシエラの指先にそっと触れた。指先から関節へと唇が滑っていく。
ぞくぞくとした快感が生まれ、シエラは下唇を噛んで息を止めた。
艶を帯びた目をチラリと向けられて、今まで耐えていた性欲が溢れ出しそうになる。ダメだ、と懸命に抑える。
「お前は、これでいいのか」
「え……」
「はっきり言っておく。いまのわたしは、男なら誰とでも寝られる。そこに恋愛感情はないし、生まれもしない。それでも、お前はわたしとこの部屋で過ごすのか」
シエラは軽く背伸びをして、ウルクの顔に自分の顔を近づけた。
「またわたしが一線を越えて、お前を傷つける前に、離れて」
「シエラさ――」
「もう、耐えられそうにないんだ」
唇の先が触れ合いそうになった瞬間、コンコンと扉をノックされる音が響いた。
シエラは強引に両手を振って繋がりを断ち、ウルクの脇からするりと身を抜いた。
「受け取るものを受け取ったら出て行け。次はない」
ウルクは答えず、部屋の扉のほうへと向かった。
シエラは宿屋の主人とウルクが会話するのをぼんやりとした頭で聞きながら、ローブを外してソファへと投げ置いた。ベッドに座ってブーツの紐を解いて脱ぎ捨て、腰のベルトに手をかけた。もう我慢の限界だった。下着ごとスラックスを膝下まで一気に下ろして脚から抜く。
どうせ部屋の入り口からはベッドが見えない。自慰に耽っていたところで、声さえ出さなければ宿屋の主人には気づかれないだろう。
あとは、ウルクがどうするかだけだ。
床の上を走っていたワゴンの音と靴音がやむ。
手押しのワゴンの上で、注文した品々がランプの灯りに照らされていた。
そして、照らされていたのはウルクもだった。
下半身を露出させてベッドに座り込むシエラを見て、ウルクは息を呑んだようだった。
「ウィッチの隠れ家で色々触ったんだから、手くらい洗ったほうがいいよ」
そう言うと、水が張られた小さな手桶とタオルを持ってベッドにやって来てくる。
むっつりと押し黙るシエラだったが、差し出された手桶で素直に手を洗う。
「どうなっても知らないからな」
タオルで手を拭きながら言うと、ウルクは目を伏せた。
「灯りをつけるよ」
それが、答えだった。
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