黄昏のザンカフェル

新川 さとし

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第3章 タカアマノハラ学院

その15 悲劇の記憶へ

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「私はリナと呼んでいた」

 校長の顔には、苦痛に似たものが浮かんでいる。それから、ふう~ とため息のように長い呼吸を吐きだしてから、ティアラとオレとを交互に見つめてきた。

「なんとなく面影があるんだね、二人とも」

 そうやって一人頷いた次の瞬間、恐るべき魔力の奔流に包まれる。

『やられたのか!』

 痛みはない。ただ、目の前が真っ白になって、やがて、奇妙な視野で、可憐な少女が現れたんだ。

「ルー姉ちゃん? ちゃんと食べてくれましたか?」
「ああ、食べたぞ。だが妖精族は、魔法を使う戦闘中は余り物を食べないのだ」
「それはウソです。ちゃんと食べてください。みんなにも食べさせていますから」
「そうか。それなら、いただこう」

 頭に流れる「最後の食料」という言葉。音も、視野も、ガラス越しになっているような、奇妙な感覚。

 誰かの身体に入り込んでしまっているのか?

 だが、頭が上手く働かない。一度腰を下ろしたら、そのまま立てなくなるほどの強い疲労感が、ただひたすらに「眠い」「動けない」と悲鳴を上げているのだ。

 空腹なのは確かだが、それすらとっくに通り越して、ひたすらに、休みたかったのだ。

『この身体が、かなり極端な魔力不足になってるってことだよな?』

 そこに、あちこちに血の跡を付けた女官が、盆を持ってきた。

「クルーシー様、粥ですが、どうぞ、お召し上がりくださいますよう」
「皆と、同じだな?」
「はい。さもないと、受け取ってもらえないと、カテリーナ様からキツく申しつけられておりまして」

 チラリと見ると、さっき「ルー姉ちゃん」と呼んだ女性が、ニコリと微笑んでいる。

「わかった。いただこう。貴重な食料だ」

 ……ひょっとしたら、校長の中に入っているのか?……

  オレは「クルーシー」に入り込んでいるらしい。ひょっとしたら、これは美魔女校長に見せられている映像と言うよりも、記憶の中に取り込まれているのかもしれない。

 決して「怖く」はない。だが、こうしている粥をゆっくりと食べている間も、疲労感の向こう側から、猛烈な哀切の心が震え続けている。

 おそらく、美魔女校長・クルーシーが過去を振り返って感じている「心」そのものなのかもしれない。

「ごめんなさい。これが正真正銘、最後の食料なの。向こうの丘には、まだ残っているらしいけど、でも、今となったら運ぶ手段がないから」

 七つの丘は、敵兵の海に突き出た岩礁のように見えている。それぞれが、完全に孤立していた。クルーシーが飛翔の魔法を使う余力など、とっくになくなっていた。

『げっ! もう三日も不眠不休かよ。その前だって。十日以上も、戦い続けてるんだろ?』

 絶望的な感情の中で「押し寄せる波」としか言えないほどの数の兵士が押し寄せてくる光景が、頭に浮かんでいるのだ。

 どうやら、目の前の女性は「あの」カテリーナに間違いはなさそうだ。そして、オレは、あの悲劇」の場面に遭遇しているというワケか。

 顔にススを付けたままの美女が、カテリーナなのだろう。しっかりとクルーシーの手を両手で握りしめている。

「ルー姉ちゃんは悪くないわ! やつらが…… ヤツらが多すぎるのよ…… いいえ、私たちが弱すぎるだけなのだけど」

 ギュッと握ってくる手は、強い感情を伝えてくる。

「ね? お願い。今なら、まだ民達の半分は逃がせるわ、逃げられる人だけでも連れて行ってあげて! お姉ちゃんにお願いするしか、もう、方法はないの!」
「リナ、それは無理よ」
「無理じゃないわ。お姉ちゃんなら、できる。半分が無理なら、百人でも、いいえ、十人でも良いの。連れて行けるだけ連れて行ってあげて」

 涙を浮かべたリナは、悲痛な顔で訴えてくる。握りしめられた右手をスッと外すと、その手でポンポンと頭を叩く。

「あのね? 確かに半分の人々は逃げられるかもしれないわ。強い方の半分はね? でも、女も、子どもも、年よりも、無事に逃げ出すのは無理。ううん。仮に逃げ出せたとしても、その先に、生きていく術はなくなる。そんなこと、あなたなら、気付いているはずよ?」

 悲痛な顔をして、黙ったまま見つめ返してくるのは、それが事実であると語っている。

「ねえ。私を逃がそうとして、民を言い訳にするのはやめなさい。何度も言ったはずよ? リナの作った国を見捨てるなんて、私にはできないもの」
「そんな! だって、お姉ちゃんは、あれもこれも、み~んな、私にくれて、ずっと、いっぱい、い~っぱい助けてくれて。いつだって、私とカッツの味方をしてくれて。それなのに、私、何も返せてないのよ? この戦争だって、お姉ちゃん、何も関係ないのに、こんなになるまで戦ってくれたのに!」

 ほとばしる激情。声が高くなっている。

「リナ? 怒るよ? 何も関係ない? そんなひどいことを言うなら、私、本気で怒るからね」
「だって!」
「前から言ってるでしょ? この国はあなたとカッツの子どもなのよ? だから、私の甥か、姪になるの。可愛い姪っ子を助けたいって言ってるのに、関係ないだなんてひどいわ」

 ぷるぷると震える手。何かを言いたそうに唇を開けて、やがて一度閉じる。

 ゆっくりと瞬いた後で、こちらの目を見つめてきた。哀しみが詰まっている瞳だ。

「ごめんなさい」
「む~ 本気で怒っちゃおうかなぁ」
「わかった。じゃあ、本当に、お願いして良いの? この国を…… 私の大好きな、この国のこと、ずっと見守ってくれる?」
「もちろんよ。命の続く限り、ずっと見守るわ。約束するからね」

 その瞬間、何かが心に刻まれたのがわかる。

『ああ、これが、妖精族の約定というやつか。言葉が魔力を持って心を縛る技だ。心から愛するものと、ひとたび約束したことは、決して破れないっていうのは本当なんだ』

 ものの本で知ってはいたが、まさか、こうやって「体験」するコトになるとは思わなかったな

「ルー姉ちゃんの言葉に甘えちゃうね?」
「もっと甘えてよ。私は、まだまだ戦えるのだから」

 これはウソだ。休み無く、東奔西走させられて、既に魔法は枯渇しかかっている。立っているのがやっとだ。

「えっと、じゃあ、本当にお願いして良いの? 甘えちゃうよ? 私、お姉ちゃんに、すっごく、ひどいことお願いしちゃうんだから」

 リナの目に、気遣わしげな光が浮かんでいた。その瞬間「あ、そうか。あの作戦を使うのか。うん、もっと早く言ってくれれば良かったのに」という声が浮かぶ。

 クルーシーが考えたのは、自分が開発した、あの究極魔法のことだった。


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