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 アメリは最低最悪な誕生日を乗り越え、いつもの日々へと戻ろうとしていた。職場である魔導具店の扉の前で手鏡を取り出し、鏡に笑って見せる。

(…うん。…よし、大丈夫)

 うまく笑えたことを確認し、アメリは店の中へと入った。開店前の店内には肩にかかるほどの長さの赤毛と翡翠色の目を持つ四十代半ばの女性が一人。その姿を確めると、アメリは笑顔で挨拶した。

「先生、おはようございます!」

「あら、おはようアメリ!」

 アメリの師、魔導具師であり魔法使いでもある店主ジュスティーヌだ。彼女は布で魔導具を磨いていたが、アメリの姿を目に映して手を止めてにこりと微笑む。

「お休みは楽しかった?恋人とおうちデートだったんでしょう?」

「あはは…それがですね…」

 誕生日の翌日にわざわざ取った休みの日、アメリは結局戻りたくないと思っていた部屋に戻って引きこもっていた。復縁するつもりはなかったが、エドガールがやってくるのではないかと考えていたからだ。

 アメリは未練がましいとわかっていても、まだエドガールが自分を求めてくれるのではないかと少し期待していた。だがその期待は裏切られ、その日、エドガールがアメリのもとにやってくることはなかった。求められなかった悲しみと、これでよかったと安堵する相反する心に、アメリは一晩中枕を涙で濡らしていた。

(…大丈夫)

 アメリは一つ深呼吸すると、少しだけ困ったように眉尻を下げて笑う。なんてことはないといったように精一杯の虚勢を張って、努めて明るい声で言葉を出した。

「恋人、捨てちゃいました」

「ええっ!?」

 ジュスティーヌは驚きに声を上げ、手にしていた魔導具を置いてアメリのもとに駆け寄った。心配そうにアメリの顔を覗き込んだジュスティーヌは、その目元が赤く腫れていることに気づく。

(泣いたのね…)

 ジュスティーヌはアメリがエドガールを心から愛していたことをよく知っている。初めてできた恋人に浮かれていた頃から、二十一歳の誕生日を一緒に祝うのだと楽しみにしていた頃まで。エドガールがこの店にやってくることもあり、ジュスティーヌも彼とは顔見知りだ。エドガールのことは好青年に見えていたし、二人は仲良くお互いを大切にしあっているようにも見えていた。いつか結婚するのかもと嬉しそうに語っていたアメリの笑顔を思い出し、ジュスティーヌは胸を痛める。

「アメリ…」

「浮気していたんですよ、あの人。だから、ぽいってしちゃいました」

「…そんな男、ぽいっとして当然だわ!」

 ジュスティーヌはエドガールに激怒しながらアメリを抱きしめる。ジュスティーヌは王都に出てきたばかりの半人前のころからずっと見てきた可愛い弟子を泣かせた男など、決して許せはしなかった。

「アメリ、あんな男よりいい男はたくさんいるからね!」

「…私、男の人はもういいかな」

「そんなこと言わないで。アメリはまだ若いんだから…」

「うーん…」

 アメリは曖昧に笑って困ったように眉尻を下げる。裏切りによって別れたばかりの彼女には次の恋愛はまだ考えられないし、再び恋をする自分の姿が想像できなかった。

(…ほかの誰かを好きになっても…また、あんなことがあったら…)

 アメリは心から愛していたからこそ、エドガールの裏切りは彼女の心に大きな傷を残した。何も気づけなかったように、また何も気づけないうちに裏切られるのではないか、そんな不安が彼女の心に巣食っている。あんな思いをするくらいならと、心は怖気づいていた。

「…私、仕事に生きるのもいいなって思うんです」

 魔法使いほどではないが、魔導具師も数が少なく重宝されている。王都内の魔導具店も数は少なく、ジュスティーヌが営むこの店も魔導具師は彼女とアメリだけしかいない。魔導具は王都で普及しているため、魔導具師が職に困ることはないだろう。魔導具師であれば、女一人でも生きていくことは困らない。

「…アメリが望むのなら、それもいいとは思うけれど…そう判断するには、まだ早いのではないかしら?」

 ジュスティーヌは困ったように腕を組み、片手で頬を覆った。彼女自身も仕事が恋人、生き甲斐として生きている。故に生き方を否定するつもりはないが、まだ若いアメリが尚早にほかの道を捨てようとしていることは、同意できなかった。

「今、とても辛くてそう思うのかもしれないけれど…たった一人の男だけで、可能性を閉ざしちゃうなんてもったいないと思うの」

 アメリは尊敬する師であるジュスティーヌの言葉で思い直す。今の彼女は恋人に裏切られて失意したばかりで、なにもかもを悪いようにしか考えられない。視野が狭くなっている状態で何かを決断することは危険だ。アメリは俯き深呼吸をすると、顔を上げて笑顔を浮かべる。

「…先生の言うとおりですね。もうちょっと、冷静になってから考えます」

「勿論、仕事に生きることも素敵だと思うわ。私は歓迎だからね!」

「…先生、ありがとうございます」

 少しだけ心が楽になったアメリは笑って頷いた。これから先のことは今は考えず、仕事にあたろうと気持ちを切り替える。

「そういえばアメリ、最近なにか新しい魔導具作っていたわよね」

「あぁ、それは…」

 アメリは一昨日の夜に使った、試作した防音の魔導具のことを思い出す。連鎖的にあの夜のあんなことやこんなことまでを思い出してしまい、赤くなった顔を手で扇いだ。

(あぁ、もう…また思い出しちゃった!)

 アメリはあれからふとした時に、あの夜のことを思い出していた。思い出している間だけは、エドガールの存在は快楽の記憶に塗りつぶされて消えてなくなる。

「あら、どうしたの?」

「ちょっと、恥ずかしいことを思いだしちゃって…」

 不思議そうに首を傾げるジュスティーヌに、アメリは笑って誤魔化した。その夜のことを頭から振り払おうと首を横に振るが、なかなか消えずに顔は熱いままだ。

「えっと、あれは…いいところまでできていたんですけど、失くしちゃって」

「あら、もったいない」

 アメリは自分の部屋に戻ってから、魔導具を宿に置き忘れたことに気づいた。ラウルとはお互いに名も知らず、一夜限りだと逃げるように出ていった手前、戻って鉢合わせしたくないと宿には向かわなかった。翌日は部屋に引きこもり、漸く今朝確認に行ったところだが、宿の者にはそんなものは知らないと冷たくあしらわれてしまった。

(捨てられちゃったのか…あの人が持って行っちゃったのか…)

 魔道具といえども、魔力を込めなければ使えない。試作のため、魔力を込められるのはアメリだけで、一夜で魔力を使い果たしたあの魔導具はただの置物の箱にしかならない。

「…もう、作るのはやめようと思います」

「あら、どうして?」

「元々、隣の家の人の騒音が大変だとかで、あの人のために作ろうとしていただけですし…」

 アメリが防音の魔導具を作ろうとしたのは、エドガールのためだけだ。一つ作るのに手間がかかりすぎ、使用のための魔力も少なくはない。

「確かに、防音って便利だけれど…普通の生活をしていたら、使うことはあまりないわね」

「勿論、作れば役に立てるとは思います。でも…やっぱり、費用と労力に見合わなくて」

 エドガールが主張したような、騒音で悩まされるといった事態には有用だろう。技術的には可能でもそれに対する労力や費用を考えると、使える魔導具ではない。

「そうね、わかったわ」

「時間とお金と余裕があるときに、改良考えてみます」

 アメリが魔導具師になったのは、魔力が少なくても使える、生活の助けとなる魔導具で多くの人の役にたちたいと考えたからだ。エドガールもその中のひとりであり、愛した相手だからこと最優先に考え、彼の望むものを作って喜んでもらおうと頑張っていた。

(…お仕事、頑張ろう)

 今のアメリにはエドガールを思い出させるものに関わる気力がなかった。試作した魔導具の話はそこで終わり、アメリは日常の仕事へと戻る。住民から預かった壊れた魔導具の修理にあたりながら、彼女はエドガールのことは過去にしようと頭の中から追いやった。
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