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ジュスティーヌの店は客足が多く、アメリは魔導具の修理や客からの相談など、余計なことを考える時間なく過ごせた。そうして忙しく一日を過ごし、日が傾きだして街を赤く染める頃。
「これでよし…」
そろそろ店を閉める頃だと、アメリは表に出していた看板を店の中へと運んでいた。ジュスティーヌは修理した魔導具を届けにいっているため、今、店内にはアメリしかいない。彼女が無事に看板をしまって一息つくと、扉につけてある鈴がからんと音を立てた。
「あ、お客様。もう店を閉め…」
アメリは後ろを振り返り、断りを入れようとしたが、目に映った人物に驚いて言葉を切る。アメリの視線の先には彼女を裏切った元恋人、エドガールの姿があった。
「エド…?」
アメリの脳裏に、あの日の光景が思い浮かぶ。彼女ではないほかの誰かと抱き合い、口づける恋人の姿。アメリの胸に真っ先に湧き上がったのは、どうしようもないほどの腹立たしさだ。けれども直ぐに悲しさと苦しさが湧き上がり、怒りをわずかに覆い隠す。
「アメリ…」
アメリは縋りついてしまいそうになる心を抑えこむと、努めて冷静に対応しようと口を開いた。今はジュスティーヌの不在を預かっている身、エドガールは店にやってきた以上、元恋人であっても客であることには変わらない。
「…お客様。もう店を閉めるので、手短にお願いします」
「ちっ、違うんだ、アメリ。俺は客じゃなくて、君と話がしたくてきたんだ!」
「なら、お引取りください。仕事中ですし…そうでなくても、私はあなたとお話しすることはありませんので」
事務的に、他人行儀に答えるアメリにエドガールは一歩近づく。咄嗟に身構えたアメリだが、あっさりと腕を掴まれてしまった。
「ちょっと、離してっ」
「レイラとは終わった!アメリ、俺にはもう君しかいないんだ!」
アメリはエドガールの言葉にさらに怒りを湧き上がらせる。もう、ということは優先順位をつけられた上で、最後に残ったということ。唯一でも一番でもなかったことを再び思い知らされ、エドガールへの想いが少しずつ削れていく。
「…とっくに、私もいないわよ!」
あの日、彼の頬を打った時に関係は終わった。アメリに未練がないわけではないが、壊れた関係を修復する気は微塵にもない。
「離してってば!」
アメリは振りほどこうと力いっぱい腕を振ったが、思った以上にエドガールの力は強く、離れなかった。さらに一歩近づき身を寄せるエドガールに僅かに恐怖を抱いたアメリはびくりと体を震わせ、強張らせる。
「なあ、アメリ。頼む、許してくれ。俺たち、やり直そう…」
「…やめてよ!」
アメリはエドガールの謝罪に少しでも心が揺らぐ自分が嫌でたまらなかった。これほど嫌な思いをしても、まだ未練がましい自分が、本当に嫌だった。
「なあ、アメリ!」
「やめてってば…いやっ!」
エドガールは彼女を引き寄せて抱きしめ、口づけようと顔を近づける。アメリが顔を背けて必死に抵抗していると、乱雑に扉を閉める大きな音が店内に響いた。驚いた二人はその音がした方向に顔を向ける。
「…うちの店で何をしているのかしら?」
二人の目に映ったのは、こめかみをひくつかせている店主、ジュスティーヌのわざとらしい笑顔だ。低く、怒りに満ちた彼女の声にエドガールは怖気づき、逃げ腰になる。アメリは彼の力が緩んだ隙に腕を振り払い、逃れてジュスティーヌのそばに駆け寄った。
「い、いや、これは…その、俺は客で…」
「先生。あの人、客じゃありません!」
客じゃないと自ら宣言したのはエドガールだ。アメリの言葉にジュスティーヌは鋭い目を向け、エドガールはその刺すような視線に顔を青くする。
「そうね。うちの店員に迷惑をかける人物は、客でもなんでもないわ。お帰りいただきましょう」
「まっ、待ってくれ!俺はアメリに…」
エドガールは食い下がろうとしたが、ジュスティーヌに聞く耳はなかった。魔法で店の扉を開くと、目でエドガールに出ていくように指示する。
「アメリ、本当だ!今はもう、君だけなんだ!」
「…今は、だと?」
「ひっ」
ジュスティーヌは目尻を吊り上げながら、ゆっくりとした足取りでエドガールのもとに向かった。彼は短い悲鳴を上げ、ジュスティーヌの威圧感に身動きできずに身を縮こませる。
「うちの店から、さっさと!出ていきなさい!」
ジュスティーヌは固まって動けないエドガールの襟首を掴むと、そのまま引きずって店の外に放り出した。店から締め出され、無様に地を転がる彼の様子に、道行く人は何事かと目を向ける。ジュスティーヌは冷たい目でエドガールを見下ろしながら、忌々しげな声を吐き出した。
「女を弄ぶクズな男は、うちの店ではお断りなの。出入り禁止よ、もう二度と来ないで頂戴!」
「お、俺は…っ」
「あなた…次うちにきたら、警備隊に引き渡すからね」
アメリはジュスティーヌの後ろ、扉の内側からその様子を眺めていた。エドガールが助けを求めるかのようにアメリに目を向けるが、彼女はその視線から逃れるようにジュスティーヌの後ろに隠れる。
(…どうして、私…あんな人を好きになったのかな)
アメリはエドガールの情けない姿に幻滅していた。あれほど格好良く大人に見えていた彼が、今では駄々をこねる子供のようだ。
「アメリ…アメリっ、お願いだ!君にまで捨てられたら、殺されてしまう…!」
縋りつくエドガールの声に背を向け、アメリは店の中へと入っていく。立ち上がり追いかけようとしたエドガールをジュスティーヌが一睨みすると、彼は怯えて足を竦めた。
「さっさと、消えなさい」
魔導具師であり魔法使いでもあるジュスティーヌに、並の男が敵うはずもなかった。ジュスティーヌが店の扉を閉めると、汚れた服で立ち尽くすエドガールだけが取り残された。
「…アメリ」
「…先生、ごめんなさい…迷惑を、かけて」
ジュスティーヌは店の中で俯いているアメリに心配そうに声をかける。アメリは顔を上げることなく、震えた声で謝罪した。
「気にしないで。あの男が悪いの…アメリは、何も悪くないわ」
ジュスティーヌが震えるアメリを優しく抱きしめると、彼女はいよいよ泣き出してしまった。必死に堪えようとするものの、うまくいかずに涙は流れ続ける。
「っ、先生…」
「いいのよ、気にしないで」
「でも、私…」
「ここでは、店主で雇用主の言葉は絶対なのよ?」
「うう…っ」
アメリはエドガールの言葉と姿に幻滅した。恋心も、愛する心も少しずつ薄れてはじめていた。けれども、この三年間の交際の中で幸せを感じていた記憶が、まだ彼への思いを繋ぎ止めている。
(どうして、私…こんなことになっても…っ)
裏切られて傷つけられ、こんな騒ぎを起こされて周りに迷惑をかけ、もう嫌だと思いながらもどこかで彼へと想いが向かう。
「…大丈夫よ、アメリ。今は辛くて、悲しくて、苦しくても…いつかは、過去になるわ」
「…っ、過去に…」
アメリは嗚咽しながら顔を上げ、ジュスティーヌを見つめる。優しげに笑った彼女は、慰めるようにアメリの頭を撫でた。
「…早く、あんな人忘れてしまいたいです」
「そうねぇ…なにか、夢中になれることがあればいいんじゃない?」
「夢中に…」
アメリはその言葉を復唱し、何もかもを忘れて夢中になれることはあるかと考えた。しばらく悩んでいたが、ふとあることを思いついて顔を真っ赤にする。
(だから!どうして思い出すのよ!)
たしかに夢中になって、何も考えずにいられた夜のこと。それは違うと必死に否定したアメリは首を大きく横に振った。
「あら、どうしたの?」
「なっ、…なんでも、ないです」
アメリの涙は引っ込んだが、代わりに顔が真っ赤に染まっている。すっかりエドガールのことを頭の中から追い出したアメリは、もう大丈夫だと笑ってジュスティーヌから離れた。
「これでよし…」
そろそろ店を閉める頃だと、アメリは表に出していた看板を店の中へと運んでいた。ジュスティーヌは修理した魔導具を届けにいっているため、今、店内にはアメリしかいない。彼女が無事に看板をしまって一息つくと、扉につけてある鈴がからんと音を立てた。
「あ、お客様。もう店を閉め…」
アメリは後ろを振り返り、断りを入れようとしたが、目に映った人物に驚いて言葉を切る。アメリの視線の先には彼女を裏切った元恋人、エドガールの姿があった。
「エド…?」
アメリの脳裏に、あの日の光景が思い浮かぶ。彼女ではないほかの誰かと抱き合い、口づける恋人の姿。アメリの胸に真っ先に湧き上がったのは、どうしようもないほどの腹立たしさだ。けれども直ぐに悲しさと苦しさが湧き上がり、怒りをわずかに覆い隠す。
「アメリ…」
アメリは縋りついてしまいそうになる心を抑えこむと、努めて冷静に対応しようと口を開いた。今はジュスティーヌの不在を預かっている身、エドガールは店にやってきた以上、元恋人であっても客であることには変わらない。
「…お客様。もう店を閉めるので、手短にお願いします」
「ちっ、違うんだ、アメリ。俺は客じゃなくて、君と話がしたくてきたんだ!」
「なら、お引取りください。仕事中ですし…そうでなくても、私はあなたとお話しすることはありませんので」
事務的に、他人行儀に答えるアメリにエドガールは一歩近づく。咄嗟に身構えたアメリだが、あっさりと腕を掴まれてしまった。
「ちょっと、離してっ」
「レイラとは終わった!アメリ、俺にはもう君しかいないんだ!」
アメリはエドガールの言葉にさらに怒りを湧き上がらせる。もう、ということは優先順位をつけられた上で、最後に残ったということ。唯一でも一番でもなかったことを再び思い知らされ、エドガールへの想いが少しずつ削れていく。
「…とっくに、私もいないわよ!」
あの日、彼の頬を打った時に関係は終わった。アメリに未練がないわけではないが、壊れた関係を修復する気は微塵にもない。
「離してってば!」
アメリは振りほどこうと力いっぱい腕を振ったが、思った以上にエドガールの力は強く、離れなかった。さらに一歩近づき身を寄せるエドガールに僅かに恐怖を抱いたアメリはびくりと体を震わせ、強張らせる。
「なあ、アメリ。頼む、許してくれ。俺たち、やり直そう…」
「…やめてよ!」
アメリはエドガールの謝罪に少しでも心が揺らぐ自分が嫌でたまらなかった。これほど嫌な思いをしても、まだ未練がましい自分が、本当に嫌だった。
「なあ、アメリ!」
「やめてってば…いやっ!」
エドガールは彼女を引き寄せて抱きしめ、口づけようと顔を近づける。アメリが顔を背けて必死に抵抗していると、乱雑に扉を閉める大きな音が店内に響いた。驚いた二人はその音がした方向に顔を向ける。
「…うちの店で何をしているのかしら?」
二人の目に映ったのは、こめかみをひくつかせている店主、ジュスティーヌのわざとらしい笑顔だ。低く、怒りに満ちた彼女の声にエドガールは怖気づき、逃げ腰になる。アメリは彼の力が緩んだ隙に腕を振り払い、逃れてジュスティーヌのそばに駆け寄った。
「い、いや、これは…その、俺は客で…」
「先生。あの人、客じゃありません!」
客じゃないと自ら宣言したのはエドガールだ。アメリの言葉にジュスティーヌは鋭い目を向け、エドガールはその刺すような視線に顔を青くする。
「そうね。うちの店員に迷惑をかける人物は、客でもなんでもないわ。お帰りいただきましょう」
「まっ、待ってくれ!俺はアメリに…」
エドガールは食い下がろうとしたが、ジュスティーヌに聞く耳はなかった。魔法で店の扉を開くと、目でエドガールに出ていくように指示する。
「アメリ、本当だ!今はもう、君だけなんだ!」
「…今は、だと?」
「ひっ」
ジュスティーヌは目尻を吊り上げながら、ゆっくりとした足取りでエドガールのもとに向かった。彼は短い悲鳴を上げ、ジュスティーヌの威圧感に身動きできずに身を縮こませる。
「うちの店から、さっさと!出ていきなさい!」
ジュスティーヌは固まって動けないエドガールの襟首を掴むと、そのまま引きずって店の外に放り出した。店から締め出され、無様に地を転がる彼の様子に、道行く人は何事かと目を向ける。ジュスティーヌは冷たい目でエドガールを見下ろしながら、忌々しげな声を吐き出した。
「女を弄ぶクズな男は、うちの店ではお断りなの。出入り禁止よ、もう二度と来ないで頂戴!」
「お、俺は…っ」
「あなた…次うちにきたら、警備隊に引き渡すからね」
アメリはジュスティーヌの後ろ、扉の内側からその様子を眺めていた。エドガールが助けを求めるかのようにアメリに目を向けるが、彼女はその視線から逃れるようにジュスティーヌの後ろに隠れる。
(…どうして、私…あんな人を好きになったのかな)
アメリはエドガールの情けない姿に幻滅していた。あれほど格好良く大人に見えていた彼が、今では駄々をこねる子供のようだ。
「アメリ…アメリっ、お願いだ!君にまで捨てられたら、殺されてしまう…!」
縋りつくエドガールの声に背を向け、アメリは店の中へと入っていく。立ち上がり追いかけようとしたエドガールをジュスティーヌが一睨みすると、彼は怯えて足を竦めた。
「さっさと、消えなさい」
魔導具師であり魔法使いでもあるジュスティーヌに、並の男が敵うはずもなかった。ジュスティーヌが店の扉を閉めると、汚れた服で立ち尽くすエドガールだけが取り残された。
「…アメリ」
「…先生、ごめんなさい…迷惑を、かけて」
ジュスティーヌは店の中で俯いているアメリに心配そうに声をかける。アメリは顔を上げることなく、震えた声で謝罪した。
「気にしないで。あの男が悪いの…アメリは、何も悪くないわ」
ジュスティーヌが震えるアメリを優しく抱きしめると、彼女はいよいよ泣き出してしまった。必死に堪えようとするものの、うまくいかずに涙は流れ続ける。
「っ、先生…」
「いいのよ、気にしないで」
「でも、私…」
「ここでは、店主で雇用主の言葉は絶対なのよ?」
「うう…っ」
アメリはエドガールの言葉と姿に幻滅した。恋心も、愛する心も少しずつ薄れてはじめていた。けれども、この三年間の交際の中で幸せを感じていた記憶が、まだ彼への思いを繋ぎ止めている。
(どうして、私…こんなことになっても…っ)
裏切られて傷つけられ、こんな騒ぎを起こされて周りに迷惑をかけ、もう嫌だと思いながらもどこかで彼へと想いが向かう。
「…大丈夫よ、アメリ。今は辛くて、悲しくて、苦しくても…いつかは、過去になるわ」
「…っ、過去に…」
アメリは嗚咽しながら顔を上げ、ジュスティーヌを見つめる。優しげに笑った彼女は、慰めるようにアメリの頭を撫でた。
「…早く、あんな人忘れてしまいたいです」
「そうねぇ…なにか、夢中になれることがあればいいんじゃない?」
「夢中に…」
アメリはその言葉を復唱し、何もかもを忘れて夢中になれることはあるかと考えた。しばらく悩んでいたが、ふとあることを思いついて顔を真っ赤にする。
(だから!どうして思い出すのよ!)
たしかに夢中になって、何も考えずにいられた夜のこと。それは違うと必死に否定したアメリは首を大きく横に振った。
「あら、どうしたの?」
「なっ、…なんでも、ないです」
アメリの涙は引っ込んだが、代わりに顔が真っ赤に染まっている。すっかりエドガールのことを頭の中から追い出したアメリは、もう大丈夫だと笑ってジュスティーヌから離れた。
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