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番外編3

二 14歳の夏の話②

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「淳弥、はあ、生きてる……」

 そう言いながら、レンは俺の部屋に入ってきた。制服だった。そういえば数学で赤点だったんで夏休みは全部補習って言ってたな。

「襖閉めて。冷気逃げる」
「ああ、はいはい」

 レンは後ろ手に襖を閉めた。
 七月の中旬。夕方。
 今年の夏はクソ暑くて、この部屋は西日が差すし、和室で隙間だらけなもので、冷房の冷気は絶対に逃してはいけない。
 俺はベッドの上だ。右手はギプス。蒸してめちゃくちゃかゆい。左足首は打撲。包帯巻いててこれまたかゆい。全身痛い。
 レンはベッドの端に座って、ビニール袋を置いた。

「なに?」
「アイス。食べるっしょ」
「食うけど右手使えん」

 俺は左手を伸ばして、不器用に開けようとするけれど上手くいかない。それを見かねて、レンはビニール袋を開ける。

「棒アイスだから、ほら、左手」

 と、レンはアイスの袋を開けて、棒のついたそれを取り出して左手に握らせようとする。

「あー」

 俺は口で受け取ろうとし、レンは俺の口にそれを入れる。冷たい。
 ベッドの端に掛けたまま、レンも同じように棒アイスを食べる。
 レンはぽつりと言った。

「ごめん、俺のせいで、試合、出られなくて」
「べーっつに。三年生のための夏だし、どうせベンチだろ」

 自分たち二年生が本格的に試合に出るのはこの夏が終わってからだ。それまでに治ればいい。きれいに折れているのできれいに治るだろうと言われている。打撲はすぐ治る。
 不安がないといえば嘘になるが、不安に思っているところなんか悟らせたくない。
 レンの横顔はどこか物憂げだ。アイスを舐めている。口が小さいなと思う。顎が細くて顔が少し丸くて小さい。夏なのに色白すぎないか。

「レンは怪我、なかったのかよ」
「うん。なかった」
「お前、悪運強いな……。四階から落っこちて、まさか無傷?」
「ちょっと擦り傷。俺、二階のひさしに引っかかったし……」
「ああ、そっか」

 二日前の終業式、校舎の四階にある教室の窓際で、レンと喋っていた。レンは窓枠に軽く腰掛けていた。
 そこへ、クラスメートがレンに思いっきりぶつかってきた。どうやら他のやつとふざけていたらしい。勢いよくぶつかったものだから、体重の軽いレンは、運悪く窓の外に吹っ飛ばされたのだ。
 あの瞬間、時間が止まったかと思った。
 スローモーションになって、あ、落ちる。駄目だ、手。手を。
 俺は手を伸ばした。レンのシャツを掴む。掴めた。前のめりになって、窓の外に身を乗り出した。
 そのまま、俺もレンも落っこちたわけだ。四階から。
 野球部でピッチャーだからどやされたけど、落ちたものは仕方ない。だって、幼馴染で親友を離すわけにはいかないだろ。
 右手は骨折。左足首は打撲。全身痛い。けど、それだけで済むなら、いいじゃん。親友が死ぬかもしれないよりは。
 レンはアイスを食べ終えて、棒を袋に入れる。俺は味のしない棒切れをかじっている。
 レンはこっちを見ない。
 目に涙をためている。

「手、離せよな。バーカ……」
「はー? 離すわけないだろ。俺がお前を離すわけがない」

 というと、レンは手の甲で涙を拭って、泣きそうな顔で笑顔になる。

「サンキュ、淳弥」
「よし、じゃあ、俺の代わりに宿題やっといて」
「それっていつものことだろ」

 どうせ二人とも、答えを丸写しだ。俺たちみたいなやつのために答えのほうも配ってくれている。あとは写すだけだ。夏休みの最終日に集まって。

「そういや、クリーニングって今日休みなの? みんないないね」
「ああ、そうそう。なんか法事あるって、全員朝っぱらに出てったわ。今日遅くなるって言ってたはず」
「裏の鍵、開けっ放しだったけど……」
「閉め忘れだろ。朝から開いてただろうけど、盗るもんなんかねぇからいいよ、もう」
「そっか。淳弥、飯食った?」
「んー、昼に起きてパン。晩飯は冷蔵庫にあるから食えって言われた気がする」
「じゃあ、俺、持ってこようか」
「あ、頼むわ。食ったらゲームでもすっか」
「うん」

 レンは勝手知ったるとばかりに一階に行って、すぐに二階にあがってきた。襖ごしに問いかけられる。

「あのさー、中華麺が二束、袋に入ったまま乗った皿があるんだけど」
「怪我人に麺のみかー、さすがうちのババアだわ」
「冷蔵庫にある材料って、勝手に使っていい?」
「いいよ」

 レンは一階におりていく。しばらくして、適度に具の乗ったでかい皿をもって入ってきた。きれいな色した錦糸卵に、細切りのきゅうりとササミ、薄切りのトマト、カイワレ。からし。

「冷やし中華。ごまだれでいいよな」
「レンが来ること見越してたな」
「たぶんそう」

 レンは笑った。レンは自分の作るメシに自信満々だ。
 実際、美味いんだよな。ありきたりなメニューでも、細かいところに気を遣うようにしてるらしい。どうやったら今よりも美味しくなるのか、すごく真剣に考えてみるらしい。
 それもいいけど、数学の勉強もしろよな。
 麺を二束も食べられないので、半分ずつにする。俺は左手でフォークで食べる。やっぱり食べづらい。布団の上に時々こぼしそうになるのを、レンがティッシュを敷いて阻止する。
 レンは自分の分を早々に食べ終えて、俺が食べるのを見ている。

「あ? なに?」
「いや、こぼさないように」
「介護?」
「まあ、俺のせいだもん。その怪我」
「もう気にするなよ。治るし。っていうか、レンのせいじゃなくて、ぶつかってきた田中のせいじゃないか? レンも被害者じゃん」
「うん、まあ、そうなんだけど。だけど、何か、困ったことあったら言ってよ。助けにくるから」

 レンはそう言って微笑む。俺は冷やし中華を食べ終えて、口を拭う。レンは皿を回収して、一階におりていく。勝手知ったる台所で、洗い物でもしているのだろう。しばらくして、また上がってきた。
 西日が強烈に差す。日暮れだ。

「ゲームするー?」
「あー、そうだなー。でも、右手使えないからな、クソ。何もできねえな……暇すぎる」
「あ、よかったら風呂手伝うよ。今日、おばちゃんたち遅いんだったら、泊まろうかなー」

 と言うレンに、俺は左手を伸ばした。

「なに?」
「オナニー手伝って」
「は?」
「だからさ。右手使えないんだよ」

 俺は、上掛けをめくって、ズボンの前を左手で指さした。
 左手で握る動作をして、空を掻く。

「左手だと、どうもイけないんだよな」

 レンは真っ赤になる。
 こいつ、ひとりでしたことないのかな。涙目になるほどのことか?

「え、ど、どうすんの」
「レン、ひとりでしたことある?」
「え、あ、う、え」
「なんだそれ」
「あ、あるけど……」
「レンのくせにあるんだ」
「なんだよ、レンのくせにって。あ、ああああるよ!」
「なんでどもってんの。別に恥ずかしくないだろ」
「は、恥ずかしいだろー……」

 そんな、泣き顔みたいな表情、しないでほしい。
 レンの顔を見ていたら、なんだか不思議な気分になってくる。俺、こいつならヤれるなあ。
 俺は言った。

「なあ、エッチしてみたいんだよね、俺」
「は、はあ?」
「いや、ちょっと試してみたいじゃん? やってみない?」

 一回はしたことがある。中学の先輩に誘われて、合コンみたいなことしたとき。カラオケボックスで他校の一個上の女子とした。
 だけど、もう一回したいとは思わなかった。気持ちよかったけど、顔が好みじゃなかったせいだ。それを思うと、レンのほうが美人で好みだ。顔立ちが整ってる。色白だし、見慣れた顔だし。俺は全然できそう。
 さすがにレンから断られるか。
 諦めて寝転がろうとして、ふとレンを見る。
 泣きそうな、戸惑っているみたいな表情で、真っ赤になって、おろおろと俺を見ている。
 なんて顔してんの、お前。

「な、なにしたらいいの……?」

 ……これってきっと、間違ってるんだろうな。
 間違ってるんだってわかってるけど、俺は左手を伸ばした。
 止められない。つかんだ手首細すぎだし。
 レンを引き寄せる。

「こっちこいよ」

 こいつとやってみたい。間違ってるけど。そんな目で見られたら、気持ちがおさまらない。
 そうだろ?
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