想世のハトホル~オカン系男子は異世界でオカン系女神になりました~

曽我部浩人

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第16章 廻世と壊世の特異点

第393話:何にもない明日がほしい、と彼は言った。

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 狂乱する慟哭どうこく最中さなか――サバエの脳裏に蘇る記憶。

 まだ人間だった頃と言えばいいのか? 

 サバエは早苗さなえという何の変哲へんてつもない少女だった。

 ロンドと出会ったのは大学一年生の頃。早生まれだったので同学年より一歳年下だったから、ギリギリ少女と言い張っても許されるお年頃だ。

 姓名は忘れた――思い出したくもなかった。

 あんな忌まわしい過去、いっそ無かったことにしたい。

 それでも不幸にまみれた半生は捨てきれなかった。

 あの時につちかった怨嗟えんさあればこそ、早苗という一人の少女として苦しめられた時代があるからこそ、サバエは呪いの調べを歌うことができるのだ。

 生きとし生けるものに絶望を知らしめるために――。

 早苗は裕福な家庭に生まれた。

 生まれた時から不幸というわけではない。

 裏を返せば、幸せという蜜を味わえた時期が少なからずあったからこそ、不幸へ堕とされた落差が激しかったのだろう。

 そこにすべて憎しみ怨む呪いの源泉があった。

 早苗の出自は在り来たりなものだ。

 大企業の社長令嬢とまではいかないが、父親はそこそこ大きい会社を経営していたので、早苗と弟を金銭面で不自由にさせたことはない。母親はやや承認欲求が強いところがあったものの、おおむねいいお母さんだったように思う。

 両親の記憶はもう朧気おぼろげだった。

 どんな顔をしていたかさえ思い出すのが難しい。

 最後は有象うぞう無象むぞうに紛れて、それぞれの顔がポツンと混ざっていたくらいの印象しかない。無数の首で組み上げられた首塚くびづかの一部に過ぎなかった。

 あの首塚は――まぶたに焼き付いている。

 あれこそがサバエのターニングポイントだった。

 何も知らずに我が身の不運を嘆くばかりの早苗という無力な少女から、死の歌を唱えて人々を絶望のふちいざなう魔女サバエへの道を踏み出した。

 その一歩を象徴する記念碑といっても過言ではない。

 瞼を閉じる度、あの光景を思い返す。

 早苗を苦しめた人々の首塚――それを築いてくれた破壊神ロンドの威光をだ。

 最初の不運、それは早苗の父親のつまづきだった。

 いいや、今にして思えば自業自得である。巻き込まれた早苗たち家族はいいつらの皮だ。何の落ち度もないのに火の粉を浴びたのだから。

 父親は経営者として優秀だったらしい。

 だがお人好しが過ぎた。おまけに人を見る目がなかった。

 泣き落としされて取引先の借金を肩代わりしたり、信じていた部下に横領されて逃げられたり、得体の知れない連帯保証人の借金を背負わされたり……経営者なら心を鬼にして対処すべきことをなあなあ・・・・で済ませていたという。

 やがて自分の会社を倒産させてしまった。

 当然の帰結とも言える。

 経営は順調だったにもかかわらず、資金繰りが追いつかない大金を他で吐き出していれば、遠からず破産するのは火を見るより明らかだ。

 ここで踏み止まって起死回生を狙うなり、一からやり直す気概があれば、早苗はサバエにならずとも済んだだろう。当時の早苗は健気だったので、貧しい生活になろうとも文句を言わず、父や母を懸命に支えたはずだ。

 しかし、父親の選んだ行動は最悪だった。

 すべてを捨てて逃げ出し、行方ゆくえくらましてしまったのだ。

 いさぎよく自死を選んだとは思えない。

 そう思う理由は、まとまった金額が持ち出されていたからである。

 会社は倒産したものの現金になるものはまだまだあり、いくつかの資産が少なくない額の現金に替えられていた。

 会社も家族も捨てて――あの男は逃げたのだ。

 残された家族は当たり前のように路頭ろとうに迷ったが、そこへ親戚一同がいなごの群れのように押し寄せてきた。あれこれ難癖や理由をつけては、残された資産を我が物顔でむさぼるように横取りしていった。

 父が経営者だった時分、親戚はみんな“いい人”だった。

 それが他人の愁嘆場しゅうたんばでここまであからさまに本性を現すとは……早苗は精神的ショックで倒れそうだったが、サバエとしてはいい教訓である。

 この世に“いい人”などいない。

 そんなものは妄想、いるのは我欲がよくに溺れた億千万の煩悩ぼんのうのみ。

 優しくすれば付け入られ、隙を見せれば奪われ、油断すれば食われる。

 共感するだけ無駄、思い遣りおもいやりなどクソ食らえだ。

 ここから最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズとしての、世界せかい廃滅はいめつにして人類じんるい鏖殺おうさつという理念を抱く精神性が芽生えることになる。

 そんな破滅思想に拍車はくしゃをかける悲しい追い打ちが来る。

 父親に次いで――母親も本性を露わにした。

 残された資産を親類に奪われながらも自分の分を確保すると、それを持って若いツバメとともに海外へ高飛びしてしまった。

 子供である早苗と弟を捨てて――あの女も逃げたのだ。

 せめてもの情けなのか、当面の生活費(切り詰めれば姉弟2人で何とか数年は持ち堪えられる程度)を置いていっただけマシかも知れない。

 ……いや、あれはあの女なりの承認欲求だろう。

 決して早苗たちをおもんぱかってではない。

 子供を想う母親ならば、愛人と海外逃亡する道なんて選ばないはずだ。愛人に少しでもいいところを見せるためのパフォーマンスに過ぎない。

 くして――早苗は誰も信じられなくなった。

 家族、親戚、親類、縁者……最も信用すべき人々からことごとく裏切られてしまったのだ。誰も信じられない人間不信に陥るのも当然である。

 信じられるのは最愛の弟、悟郎だけ。

 早苗わたしはどうなってもいい、悟郎おとうとには幸せな人生を歩んでもらいたい。

 早苗は父や母とは違う。姉は弟を決して裏切らない。

 悟郎を一人前に育て上げる。それが早苗の人生目標となった。

 大学を中退した早苗は安いアパートを借りると弟とともに引っ越し、生活費や悟郎の進学費を稼ぐため働き始める。

 悟郎も手伝える家事は言わずとも自らやってくれた。高校生になったらバイトをして家計を助けると元気付けてもくれた。

 自慢の弟です! と早苗は自画自賛したものである。

 心優しく姉想いの悟郎は、傷心に打ちひしがれた早苗を支えてくれた。

 姉弟で助け合えば生きていける、その手応えも感じられた。

 弟には……悟郎には真っ当に育ってもらいたい。

 早苗のように誰も信じられず、ともすれば恨み言で絡め取って地獄に引きずり落とそうとする怨みがましい人間にはなってほしくなかった。

 だが、災厄さいやくはどこまでも早苗たちをさいなんだ。

 ある日――早苗たちの暮らすアパートが火事に見舞われた。

 原因は父親に金を貸していた悪徳業者である。

 父はろくでもないところからも借金をしていたのだ。

 まだ金を搾り取れると思い込んだのか、悪徳業者の取り立て屋は行方をくらました両親ではなく、居場所のわかる早苗たちを狙ってきた。

 早苗が仕事中、悟郎が留守番をしていた時にやってきたようだ。

 どんな乱暴らんぼう狼藉ろうぜきを働いたのか知らないが、部屋に入り込んで悟郎を押さえつけると、徹底的な家捜しをして金目のものを物色したらしい。

 その時、火の不始末を起こした。

 主犯である取り立て屋は逃亡、悟郎は火を消そうとして逃げ遅れた。

 連絡を受けた早苗が駆けつけた時、借家のアパートは燃え尽きており、悟郎を始めとする火に巻き込まれた被害者は病院に搬送はんそうされていた。

『――今夜がヤマです』

 病院に着いて早々、医者から突きつけられた言葉がそれだった。

 早苗は待合室で泣き崩れるより他なかった。

 泣き叫ぶ早苗の耳に、通りすがる人々の心ない噂話が飛び込んでくる。悟郎の身を案じて泣き叫びながらも、自分たち姉弟に降りかかる災難を恨み憎んでも、その話だけは聞き逃すことができなかった。

『あの火事では消防車や救急車の到着が遅れに遅れた』
『原因は野次馬が誰も通報しなかったから』
『誰かが通報したと思い込んでみんな高みの見物だ』
『火元のアパートにいた者は全員火に巻かれた』
類焼るいしょうした家も被害者面だが通報した奴はいないらしい』
『ようやく消防車が来た頃にすべては燃え尽きていた』

 もしも心ある人が助けてくれたら、被害は最小限だったかも知れない。

 もしも誰かがいち早く通報していれば、悟郎は助かったかも知れない。

 もしも悟郎の責任感が強くなければ、避難してくれたかも知れない。

 もしも……たら……れば……かも知れない。

 待合室の片隅でうつむいたまま、止まらない涙で床にできた水溜まりを見下ろす早苗は、異なる世界線を思い描いてはブツブツ呟いていた。

 悟郎が無事だった未来――そんな妄想だ。

 重度の火傷やけどを負った悟郎は集中治療室に移されたが、医者も看護師も口を揃えて「今夜がとうげです」としか言わない。回復は絶望視されていた。

 それでも早苗は祈った。

 悟郎が一命を取り留めることを神に祈りつつ、どうして私たちがこんな目に遭わされるのかを問い質さずにはいられなかった。

『私たち姉弟きょうだいが……どれほどの罪を犯したというのですか!?』

 何にも悪いことはしていない。

 真面目に生きてきたのに、どうしてこんな仕打ちばかり受けるのか? 責任も取らず好き勝手に生きる父母に罰は与えられないのか? 横暴な親戚たちは何故のうのうと暮らせるのか?

 神への質問は人々への呪いに変わっていく。

『小銭欲しさのヤクザどもは、まだ大金を持っている父や母から取り立てればいいものを……どうして子供である私たちを標的にしたの!? 火事を見ていただけの奴らはなんなの? スマホで火を撮ってる暇があったら電話の一本でもしなさいよ! 類焼で被害者面している連中にしたってそう! 自分の家が焼ける前に119番しなさいよ! どいつもこいつもあいつも……』

 憎い! 私を取り巻くすべてが憎いッ!

 早苗の心は憎悪で沸き立ち、溶岩のように煮えたぎる。

 憎悪から立ち上る熱気は怨嗟えんさとなって、早苗の喉を焦がすように熱くさせた。吐き出す言葉は殺気を帯びた呪いに昇華されていく。

 延々と呪詛じゅそたぎらせる早苗の心は、鬼女の如くは怨讐おんしゅう烈火れっかに焼かれていた。



『楽しいだろ――他人ひとを憎むってのはやる気が出る』



 渋い男性の声に早苗は我へと返った。

『もっとも、やる気はやる気でも殺すと書くる気だがな』

 憎しみの海に肩まで浸っていた早苗は呪いに集中するあまり、人々の声など耳に届かないはずだった。なのに、この男の声は強引に割り込んできた。

 傾聴けいちょうせよ、と命じられたかの如き強制力があった。

『そいつもまた情熱、だが全力で後ろ向きだ』

 男は顔を上げた早苗を見つめ、シニカルに微笑んでいた。

 ――破滅が服を着ている。

 それが初めて出会ったロンドへの第一印象だった。

『ポジティヴばかりが原動力じゃねえ。ネガティヴだって人を突き動かす力になる。前に進むか後ろに進むかって些細な違いがあるだけさ』

 恥じることはねぇ――誇りゃいいんだ。

 真向かいに現れた男は独白のように話を続けていた。

 よくよく見れば暗がりでも存在感がかげることない、不思議な魅力を持った中年男性だ。遊び慣れたオシャレなイケメン、いやイケオジである。

 なのに――途方とほうもなく恐ろしい。

 この世すべての破壊衝動を集めて結晶にしたかのようだ。

 世界を一瞬で粉々にする時限爆弾が、早苗の近くで爆発の時を待ち構えているような、おぞましい怖気おぞけに震え上がってしまう。この時ばかりは早苗も怒りも憎しみも忘れて、一人の少女に立ち返ることができた。

 恐ろしい怪物に遭遇そうぐうし、脅える女の子に戻ることができたのだ。

 気が付けば――早苗はまだ病院の待合室にいた。

 すっかり日が暮れた外は夜のとばりが下りており、外来患者は残っていない。

 入院中の患者も消灯させられる時間のようだ。病院内は非常灯の明かりが照らすだけの薄暗いものとなっていた。

 時刻はわからないが、きっと真夜中だろう。

 ずっと泣いていた早苗は待合室に放置されていたらしい。

 早苗のいる待合室は“コ”の字型になっており、壁に沿って長椅子が並べられているため、左右に座ると対面にならざるを得ない。

 いつの間にか早苗の前に二人、得体の知れない人物が座っていた。

 片方は先述せんじゅつした通り、遊び人風の中年男性。

 その隣には相撲取りの倍はあろうかというまん丸に太ったオバさんが、窮屈きゅうくつそうに腰掛けていた。スナックのママなのだろうか、ガスタンクみたいな巨体に濃い紫色の豪華なカーテンみたいなワンピースをまとっている。

 あのデラックスな人が着ていそうなローブと見紛うドレスだ。髪も綺麗にまとめ上げて、派手さ控えめの化粧には清潔感があった。

 この太りすぎたオバさんにも早苗は恐れを抱いてしまった。

 遊び人風のイケオジが“破壊”の権化だとすれば、この肥満体のオバさんは底知れぬ深淵しんえん……深い深い“奈落”の化身だった。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ 首領ドン ロンド・エンド。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ 参謀役ブレーン マッコウ・モート。

 破壊神とその参謀である。

 後に早苗サバエ悟郎オセロットが忠誠を誓う彼らとの、これが初期接近遭遇ファーストコンタクトだった。この時、彼らは早苗のスカウトするためやってきたらしい。

 ……後ほどマッコウ様が教えてくれたのだ。

 ロンドは大仰おおぎょうな手振りを欠かさずに話し掛けてくる。

『お嬢ちゃん、こなれてきてんな。怒りと憎しみがコトコト煮込まれて、恨み辛みのエキスがて……いい感じで熟成してきてやがる』

 ――破滅への渇望かつぼうが熟しつつある。

 よく見つけたなこんな逸材いつざい、とロンドはマッコウに感心した。

 マッコウは鼻の穴を大きくして一呼吸する。

『他人の不幸は蜜の味……そして最高の酒のさかななんでしょうね。あたしの息の掛かった酒場からの情報よ。両親どころか親戚にも見捨てられた姉弟から、残りかすみたいな債権を取り立てるって名目で金を巻き上げようぜって……』

 騒いでるチンピラがいたそうよ、とマッコウは呆れ気味に鼻息を吹いた。

『ヤクザもピンキリね。クソな奴は徹底してクソだわ』

 債権、と聞いて早苗は反応した。

 最初はこいつらも弟を火事に巻き込んだヤクザの徒党かと思ったが、それにしては様子がおかしい。何より漂わせる雰囲気に違いを感じた。

 ヤクザは普通に怖いと思う。

 だが、目の前の二人にはおそれとうやまいを抱かずにはいられない。

 これは――畏怖いふだ。

 ロンドとマッコウから(現実世界にいた時点で)人間離れした巨大な気配を感じた早苗は、深夜の病院というロケーションから勘違いをする。

 早苗の数少ない趣味が「実話怪談を読むのが好き」というのも災いした。

 病院の怪談といえば、これは鉄板ネタに違いない。

『あなたたち……もしかして死神?』

 早苗の問い掛けにロンドとマッコウは顔を見合わせた。

 構うことなく早苗はうように続ける。

 いや、知らず知らず不満をぶつけてしまう。

『もし弟を連れに来たんなら……私も一緒に連れてってよ……さもなきゃ、私たちをこんな目にわせた連中を全員しょっ引きなさいよ……なんで、どうして、悟郎が……私たちが、泣いて暮らさなきゃいけないのよぉ……』

 もう何も欲しくない――もう何も求めない。

 止まりかけた涙がまたあふれてきた。泣き声のまま早苗は訴える。

『私はただ、弟と……悟郎と静かに暮らしたいの』

 それ以外のものはすべて消えてしまえ、と早苗は心の底から願った。

 ロンドとマッコウは――大爆笑だ。

 感覚的に早苗の願いを笑ったのではない。それよりも前の発言、『あんたたちって死神よね?』という問いが大ウケしたようだった。

 互いを指差して大笑いしている。

『ギャハハハハッ! こ、こんな血色のいい丸々太ったデブの死神もいねーだろ! 地獄の獄卒でもいねーぞこんなの! ゲラゲラゲラッ!』

『アッハッハッ! 死神ってガラじゃないでしょーこの人! いいとこ厄介ごとした持ってこない疫病神じゃない! いや、本当に面倒臭い人なんだけど!』

 この後――ロンドとマッコウは秒も待たずに殴り合った。

『誰が面倒臭い疫病神じゃボケぇ!?』
『アンタよアンタ! 考えなしのノータリン管理職!』

 いきなり始まるドツキ漫才に、「あ、これは怪談じゃないな……」と鈍感な早苗もさすがに察した。心霊的な空気は遠のいていく。

 突然すぎる魔人の出現に、早苗はポカーンと戸惑うしかない。

 そんな早苗の困惑に気付いてくれたのはマッコウで、まだじゃれ合うような殴り合いを続けようとするロンドを片手で抑え込んだ。

 太い腕、太い手、太い指、その制圧力はロンドを封じる。

『ほら見なさい。アンタの無計画な登場と空気読まないスラップスティックのせいで、あの娘がリアクションに困ってるじゃない』

 さっさと話を進めなさいよ、とマッコウはロンドを解放した。

 乱れた髪を手櫛てぐしで整えてロンドは咳払いする。

『これはこれはお見苦しいところを……さて嬢ちゃん、オレらの紹介は追い追いさせてもらうとして、まずはおいちゃんに心境をお聞かせ願いてぇな』

 ロンドは右手を誘うように差し伸べてくる。

『ストレートに聞こう――この世の人間すべてが憎いかい?』

『憎い! 憎いです!』

 早苗は間髪入れず即答することができた。

 不審者コンビの登場で調子を狂わされたものの、ロンドの一言が呼び水となって憎悪のマグマは一気に沸騰ふっとうした。叫ぶような声が呪いに染まる。

 熱い涙が三度、瞳から流れ落ちていく。

 その涙は塩気よりも苦い金気かなけを帯びている。

 泣きすぎたのか怒りによるものか、早苗は血涙けつるいを零していた。

 早苗は怨嗟をともなう呪いの声で叫ぶ。

『私たち姉弟を捨てた父と母が……助けるどころか横取りするばかりの親類縁者一同が……弱い者から取り上げることしか能がないヤクザどもが……傍観ぼうかんするだけで何もしてくれない奴らが……人間という人間がただただ憎いです!』

 みんな憎いッ! と早苗は念を押す。

 そうかい、とロンドはいやらしく眼を細める。

『じゃあ、もしもだ。全人類を皆殺しにできるとしたら……』

『何でもします! 何でもッ!』

 早苗はすがりつくようにロンドの“IF”もしもへ食いついた。

『もう私たちを傷つけた連中を皆殺しにするくらいじゃ……私の憎しみを鎮めることはできそうにありません……私たちの苦悩を見て見ぬ振りをした凡夫ぼんぷどもを! 私たちの懊悩を知らない凡愚ぼんぐどもを!』

 皆殺しにしないと気が済みません! と早苗は息巻いた。

『よし、いいね』

 くら気炎きえんを上げる早苗にロンドは満足げだった。

『ただのお嬢さんがここまで酷い目に遭おうものなら、我が身の不運を唯々いい諾々だくだくと受け入れ、悲嘆ひたんに暮れて首をくくるなり手首を切るなり睡眠薬を一瓶ひとびんあおるなり……まあ、さっさと世の中からドロップアウトするもんなんだがな』

 ロンドの長ったらしい講釈に異を唱える。

『そんなことできません! 弟が……悟郎がいる限りは!』

 早苗の生き甲斐はもう弟の悟郎しかいない。

 悟郎がいるからこそ、早苗は踏み止まってこれたのだ。

 もしも弟がいなければ、こんな目に映るもの全てが憎くて仕方ない世界で生きていこうとは思わない。さっさとおさらばしているだろう。

 脆弱ぜいじゃくな我が身では、憎しみのまま殺戮さつりくなどできるはずもない。

 憎み嫌う者と離れたければ自死を選ぶしかない。

 早苗は両手で顔を覆ってむせく。

『自殺を選ばなかったのは、弟がいたから……悟郎がいたから……でも悟郎は……今夜が峠だって……ううっあっ! わ、私はどうしたら……ッ!?』

『それだ――弟さんを助けてやろう』

 ロンドは信じがたい提案をあっさり申し出てきた。

 早苗が「え……?」と驚きに喘ぐ声を漏らして顔を上げると、ロンドは悪魔と見紛うほど禍々しい笑みで取引を持ち掛けてくる。

『おまえさんの可愛くて仕方ない弟を助けてやろう。ま、ちっと形が変わっちまうかも知れないが、いずれちゃんと元通りにすると約束してやる』

『あなたは……見返りに何を求めるの?』

 無料ただでそんな奇跡を叶えてくれるとは思えない。

 これまでの早苗の短い半生において、無償の善意ほど怖いものはないと身に沁みている。逆に多額の請求をされる方が安心するくらいだ。

聡明そうめいなお嬢ちゃんだ、ますますよろしい』

 ロンドは長い足を組み直すと、その上で指を絡ませるように組む。

『オレは今、人材を募集中だ』

 人材募集と公言するからには勿論、優秀で使える人材を探しているとのことだが、ロンドが重要視していたのは以下の三点だった。

 老いも若きも男も女も躊躇ちゅうちょせず殺せる殺意――。

 人も獣も草も命なら区別なく消し去れる憎悪――。

 この世界を壊したいと願ってやまない破壊衝動――。

『ま、要するに人類ごと世界を気概きがいのある奴が欲しいわけよ』

 能力云々は二の次だ、とロンドは指折り数えていた。

『オレ一人でもってれねぇことはないんだが、こいつ……マッコウさんや他の連中が集まってきて、人手を増やせとうるさいもんでな』

『だから、こうして訪問面接をしているの』

 弁解めいたロンドの言葉に、マッコウが説明を付け足した。

 早苗は相槌すら打てずに置いてけぼりだ。

『嬢ちゃんの憎悪……まさに打って付けだ。オレのために世界を壊す先兵となってくんねえか? そのための力、好きなもんをくれてやる。そうだな……憎しみのまま誰でも彼でも呪い殺せる力なんてどうだ?』

 とんでもない契約を持ち掛けるロンドに、早苗は目眩めまいを覚えそうだった。

『瀕死の弟を助けると断言して、そんな力を易々やすやすとくれる……』

 あなたは一体何者なの? と問わずにはいられない。

 ロンドは「ククッ♪」と小気味よく喉を鳴らす。

『あいにくオレぁ死神じゃねえ――こちとら破壊神サマよ』

『は、破壊神? あなた、何を言って……』

 信じられねえか? とロンドは得意げな顔で指を鳴らした。

 これに応じたのは隣に座るマッコウだった。

 太りすぎて首が胴体に埋まっているが、どうやら神妙な面持ちで頷いたらしい。彼女(※この時点ではオバさんだと思っていた)もどこかの誰かへ合図するのか、グローブみたいなてのひらをパンパンと叩いた。

 途端――闇が湧いた。

 コの字型の休憩室、その中央に闇が渦巻いたのだ。

 向かい合う早苗とロンドの中間地点、そこに湧いた闇は広がり、瘴気しょうきを放つ沼のようにわだかまる。その闇を湛えた沼から何かが這い上がってくる。

 それは“餓鬼がき”と呼ぶしかない異形だった。

 仏教の本などで見掛ける、餓えてガリガリに痩せながらも大きく膨れた腹で何でも食べ尽くすという、罪人の成れの果てのような姿をしている。

 子犬くらいの大きさの餓鬼は何匹も現れた。

 群れるほど増えた餓鬼は、闇の沼の底から協力して何かを引っ張り出している。最初はバレーやバスケットに使うボールかと思ったが、所々に毛がまとわりついているし、どことなくいびつな丸みを帯びていた。

 早苗は涙でにじむ目をこすり、その物体を怪訝けげんに凝視する。

『首よ――アナタ向け・・・・・のを集めといたわ』

 マッコウが明かした瞬間、早苗とそいつは目が合った。

 3匹の餓鬼が持ち上げようとしていたのは、久し振りに見た父親の頭だ。引き千切られたのか、やや伸びた首は汚い断面を見せている。

 力任せに引っこ抜かれた、そんなイメージがつきまとっている。

 余程よほどむごい死に方をしたらしい。

 歯を折れるほど食い縛り、左右の目は開き方が非対称。

 右眼はこぼれそうなほど見開かれ、左眼はうっすらと細めのままだ。

 悲鳴は出ない。ただ、早苗は息を呑んだ。

 驚きはしたものの恐れはない。死んだ首なんかより、その後ろに控えるロンドやマッコウの方が何億倍も恐ろしい気配を発散しているのだから。

 餓鬼の群れは次から次へと首を運んでくる。

 両眼を見開いて長い舌を出したままな母の首は、当たり前のように父の首の横に並べられた。その周りにひしゃげた叔父やひん曲がった伯母、親戚、縁者……という名の金の亡者どもの首が積み上げられていく。

 類焼したと騒ぐ近隣住民の首もあった。

 数日前から早苗や弟につきまとうチンピラどもの首もあった。恐らく、こいつらが悟郎に乱暴を働いて、火事を起こした張本人に違いない。

 苦しみ藻掻もがいて死んだ様がうかがえた。ざまあみろ!

 悟郎のかたきに一矢報いたと思えば、胸のく思いである。

 その他、早苗の目について少しでも憎んだ人間の首がこれでもかと積み重ねられていき、早苗がゴクリと固唾を呑んだ頃には塚ができあがっていた。

 憎んだ人間の首でできた――首塚だ。

 プレゼントフォーユー♪ とロンドはおどけた口調で言った。

『挨拶代わりの手付金だ。貰っときな』

『夢でも幻でもないわよ。気になるならわかる範囲で調べてみなさい。跡形も残らない不審死をさせたからね……官憲かんけんだって疑いやしないでしょう』

 マッコウの言葉を疑う気にはなれない。

 目だけなら夢幻と思わなくもないが、この鼻孔びこうにトドメを刺すくらい刺激する血生臭さと、滴り落ちる血の粘った音が幻覚とは思えなかった。

 父母、親戚、隣人、悪党……みんな死んだ。

『ア、アハ……アアアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』

 早苗は歓喜し、ロンドたちに負けじと爆笑した。

 動揺や狼狽なんてしない。悲哀にくれるなど以ての外だ。

 この地獄絵図こそ、憎悪のマグマに身を沈めた早苗が欲していた光景である。自らの手を下せなかったことに寂しさを覚えてしまう。

 こぼれ落ちる涙は嬉しさによるものだった。

 静寂が求められる夜の病院だということも忘れて、立ち上がると幼い頃にお稽古で通わされたバレエダンスを思い出して踊る。

 ロンドの口笛に囃し立てられ、早苗は上機嫌で踊り狂う。

『ダメよダメダメダメ! こんなんじゃ全然足りないわ、素敵な破壊神のオジさまとオバさま! もっといっぱい、もっとたくさん……山よりも高く、空に届くまで首を積み上げないと私……ぜんぜん満足できそうにないわ!』

 全人類を憎んで怨み、全人類を呪い殺す。

 世界が終わるその日まで、最愛の弟と過ごせればそれでいい。

 どうせいつかみんな死んで滅ぶのだ。早いか遅いかだけというなら、短い時間で弟との充実した生を楽しもう。早苗はそう決心した。

 この破壊神と契約を交わし、忠誠を誓おうと心に決めたのだ。

『おいおい、ガチのマジで逸材じゃねえかよ』

『久し振りにSSRを引き当てた気分ね……壊れ方もなかなかのものよ』

 吹っ切れた早苗はロンドたちに好評だった。

『さてと……もっとりたいってんなら、こっから先は自分でんな』

 破壊と殺戮の力をくれてやる、とロンドは約束した。

『嬢ちゃんの弟ならそれなりに素質もあるだろうな……よし、姉弟まとめて面倒見てやる。世界が終わるまで仲睦まじく仕事に励むがいいさ』

『世界廃滅っていう一大事業。頑張ってちょうだい』

 マッコウも促すように歓迎してくれたのをよく覚えている。

 この日、早苗という一人の少女は死んだ。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズの一員として生まれ変わったのだ。

 絶望による死をもたらす呪いの歌を奏でる魔女。

 ロンドは世界を滅ぼす力を得た早苗に、相応しい名前も授けてくれた。

 日本神話における最高神――太陽を司る女神アマテラス。

 弟である暴嵐神ぼうらんしんスサノオの狼藉ろうぜきに心を痛めた彼女が天岩戸に隠れた後、この世界から光が失われた。やがて、闇に覆われた世界で騒ぎ出す邪神たちがいたという。

 闇の底から光ある世界へ怨嗟えんさを唱える邪神の群れ。

 五月蠅さばえなす荒ぶる神々――彼女の新たな名前はそこにあやかった。



 こうして――サバエ・サバエナスが誕生したのである。



   ~~~~~~~~~~~~

 ロンドはちゃんと約束を守ってくれた。

 サバエに破壊神としての能力を授け、世界が終わる日までの衣食住に福利厚生までを面倒見てくれて、悟郎の命をも救ってくれたのである。

 ただし、現実世界リアルでの話ではない。

 契約を交わすと同時に、サバエたちは真なる世界ファンタジアに渡らされた。

 VRMMORPG――アルマゲドン。

 ゲームに偽装させた異世界への転移装置。プレイヤーの訓練施設を兼ねていたが、これを利用して一足先に現地へ送り込まれていた。

 これはサバエたちに限った話ではない。

 バッドデッドエンズに所属する者は、ロンドの手引きにより優先的に異世界へと送り込まれていた。このため一般プレイヤーより準備期間が多く取れたため、ロンドからの強化バフがなくとも高LVになる者が多かった。

 筋肉リーゼント番長のアダマスなど、その際たる例である。

 彼とは同じ一番隊に属する仲間だが、何かとサバエに気を遣ってくれた。オセロットも弟分のように可愛がってくれるので、気安く付き合える人物でもあった。

 その理由について尋ねてみると――。

『ほら、アレだ。おれも姉ちゃん・・・・・がいるから他人事じゃねえのよ』

 なんとなくわかるような返事である。

 アダマスや他の仲間とともに、ロンドの用意した拠点で暮らし始めた。

 拠点は空間転位を繰り返す浮島――混沌を撹拌せスクランブルし玉卵エッグ

 この移動要塞の充実っぷりは凄まじく、異世界であろうと現実世界と何ら遜色のない生活を送ることができた。衣食住は元より娯楽や暇潰しに至るまで、非の打ち所がないほど取り揃えられていた。

 マッコウ曰く「ロンドの趣味」だとのこと。

『あのオッサンが一番飽きっぽいからね。こういうの欠かせないのよ』

 準備したのはマッコウ様らしい。お疲れ様です。

 結論から言えば――悟郎は現実世界での肉体が保たなかったのだ。

 身体のあちこちが炭化するほど酷い火傷を負っていたらしく、あの夜まで生きていたのが不思議だったくらいだと聞かされた。医者も「今夜が山です」と繰り言を反芻はんすうするしかなかったのだろう。

 そこでロンドは悟郎の魂を真なる世界ファンタジアへ転移させた。

 現在プレイヤーたちが真なる世界で新たな生を謳歌おうかしているように、悟郎も死にひんした肉体を脱がせることで一命を取り留めてくれたのだ。

 だが――予断を許さない状態は続いた。

 死にかけた肉体に引っ張られ、悟郎の魂もほつれかけていたらしい。

 世話を焼いてくれたマッコウが教えてくれた。

『身体が傷を負えば、心や精神も引っ張られるものでしょう?』

 同じような理屈で、極端な重傷を負えば魂にも響くのだという。魂魄こんぱくこんはくの関係だと教えられたのだが、サバエにはよくわからない領域だった。

 それでも悟郎は一命を取り留めた。

 ここから先、治療に当たってくれたのがネムレスである。

 魔女医まじょい――ネムレス・ランダ。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズでは最初期メンバーの一人だ。

 彼女もまた、先んじて異世界に渡っていた。

 三幹部に含まれてはいないが、その発言力はマッコウたちに匹敵する。皆殺し大好きのグレンを含めて“凶軍”きょうぐんと特別扱いされている。

 女医の出で立ちなのに、女性看護師ナースのコスプレにも見える。

 医療関係者の衣服を魔改造したドレス姿はこの頃から始まっていた。

 ネムレスと言えば、顔の下半分を覆うヴェールが特徴的だ。

 オセロットの件で親好を深めた頃、ネムレスからヴェールの下を見せられたことがある。そこには彼女が人類を憎むに足る理由が集約されていた。

疵痕これのおかげで、私は人間の本性を学びました……如何いかに他人の外面に重点を置いているかを痛感させられました。どれほどの美辞びじ麗句れいくを並べたところで、内面的な美しさなどこれっぽっちも役に立たないと思い知らされたのです』

 ゆえにネムレスは人類を見限り、破壊神にひざまづいたそうだ。

『今では疵痕これに感謝しています。おかげで人間の浅ましくも醜い本性……そういったものを研究したいという意欲が生まれたのですからね』

 魔女医は楽しそうにうそぶいたものだ。

 そんなネムレスが悟郎の主治医を務めてくれた。

 精神、心、意識、魂――そういったものを操作する過大能力オーバードゥーイング

 これにより悟郎を治療してくれたのだが……。

『悟郎君の魂、真なる世界ファンタジアではアストラル体という肉体なのですが、これは現実で負った怪我や火傷があまりに重傷ということもあってか、身体の各部位が欠損するような形で現れていました』

 この欠損部分を埋め合わせる必要があったという。

『アストラル体は現実の生身と比べたら遙かに融通ゆうづうが利きますが、それでも欠けた部分を補うことは難しい……この私以外には』

 ネムレスは画期的な方法で悟郎を治してくれた。

『こちらにマッコウ様より預からせていただいた、現実で見捨てられた子供たちの魂があります。育児放棄、児童虐待、事故……理由は様々ですが、心身ともに打ち据えられて絶命寸前、今にも砕け散りそうなアストラル体ばかりです』

 これらの子供たちを――悟郎君に移植します。

 ネムレスは真顔でサバエに宣告した。

『一応、現地種族で実験は重ねてきましたが……悟郎君もまた実験台です』

『先生! 言葉をオブラートに包んでくださいませんか!?』

『失礼しました。私、根が正直なもので隠し事ができないのです。本音を打ち明けますと、悟郎君にどのような症状が現れるか期待してて……』

『正直なのは美徳ですけど家族の前では発言を慎んでください!』

『あ、これもまたインフォームドコンセントと思ってくだされば……』

『人体実験を前提にした相談なんてされたくありません!?』

 初対面ではこんな感じでバチバチ言い合ったものだ。

 それでも最初に本音でやり合えたおかげか、その後の関係は良好である。今ではオセロットの主治医として頼りにしていた。

 他に助ける術がない、と説得されたサバエは渋々と了承した。

 そして、ネムレスは手術を決行する。

 虫食いのように欠損した部分、そこに子供たちの魂を埋め込むことで悟郎の肉体の一部として代用する。これにより悟郎を五体満足にする。

『――手術は成功しました』

 サバエはネムレスに惜しみない感謝を送った。

 魔女医は顔色ひとつ変えず、今後についてクールに解説する。

『ただし、副作用が生じるであろうことをご承知ください』

 悟郎に埋め込まれた子供の魂は全部で5つ。

 それらの魂はもう自意識を保てないほどすり減っていたのだが、悟郎の一部として癒着ゆちゃくすることで活気を取り戻しつつあるという。

『彼らの意識が、悟郎君に様々な影響を及ぼす可能性があります』

 最悪の場合――悟郎の意識を乗っ取りかねない。

 この影響からなのか、回復した悟郎はサバエのことを「お姉ちゃん」とはあまり呼んでくれなくなり、「早苗」や「サバエ」と新旧の名前を取り混ぜて呼び捨てにすることがままあった。

 悟郎は苦しそうに精神状態を訴えてくる。

『お姉、ちゃん……サバエ、早苗……僕の中に僕じゃないぼくがいる……僕は弟……早苗の、サ、バエの……弟? 知らないって、別のぼくが……』

『悟郎、しっかりして! 私はあなたのお姉ちゃんよ!』

 会話こそ通じるのだが、どこか夢見心地でぼんやりとしている。

 かつての悟郎はハキハキした健康優良児だった。

『サバエ、ぼく……僕たちは……ぼくは……だ、誰……?』

 愛した弟の面影は薄れ、陰鬱いんうつな夢遊病者みたいな子供がそこにいた。

 おまけに、取り込まれた子供たちの意識が悟郎に侵食してきており、多重人格のように複数の意識に混乱しているようだった。

『それでも……あなたは悟郎! 誰でもない、私の弟よ!』

 サバエは最愛の弟をひっしと抱き締めた。

 さすがのネムレスも悲しげに眉をひそめながら告げる。

『今はこの程度ですが、悟郎君はちょうど成長期。おまけにバッドデッドエンズとして力を付けつつある今、どのような弊害へいがいが起こるかは未知数です』

『ま、オレが何とかするから心配すんな』

 ネムレスの解説に戦々恐々しているところへ、ふらりとロンドが割り込んできてうつフラグを粉砕する心強い発言で救ってくれたのだ。

 ロンドはしゃがみ込み、悟郎と目線を合わせて瞳を覗き込む。

『よーしよし悟郎ちゃん。いや、もう悟郎って名前は現世あっちに捨ててきな。手術成功のお祝いに、おいちゃんが新しい名前と力をくれてやろう』



 今日からおまえは――オセロット・ベヒモスだ。



『オセロット……ベヒモス』

『そうだぜオセロット、オセロットってのはかつて世界と人類を食い尽くしたっていうカッコいいアステカの神様の名前だ。これからおまえはその名に違わない力を手に入れて、この世界を食い滅ぼしていくんだよ』

 おまえはオセロットでありベヒモスだ――ロンドは念を押す。

 悟郎改めオセロットの小さな顔を両手で挟み込むと、厚かましいオジさんが可愛くて仕方ない甥っ子を甘やかすように揉みくちゃにする。

『ベヒモスってのはな、この世の果てまで食い続けて、どこまでも大きくなるバケモノのことだ。今、おまえの中で騒いでる、おまえじゃない5人のおまえもベヒモスだ。どれ、そいつらにもいっちょ名前を付けてやるよ』

 ベヘモット・ベヒモス――。
 ベヘモド・ベヒモス――。
 ベヘーモス・ベヒモス――。
 バハムート・ベヒモス――。
 ルティーヤー・ベヒモス――。

 ロンドはオセロットの内に棲み着いた5人の魂に囁きかける。

 こうすることで、オセロットが彼らを「自分とは異なる人格」と認識するように誘導し、本人の人格が蝕まれるのを防いでくれたのだ。

オセロットおまえの能力は“暴食”ぼうしょくだ。人も物も自然も食い尽くして、ドコまでも強く大きくなれ。食って食って食いまくって、ひたすらデカくなれ』

 たらふく食ったあかつきには――5人を独り立ちさせろ。

『食ってデカくなりゃあ、虫食いだらけになった自分を治すことができる。そんでもって、おまえん中にいる5人のお友達の肉体も再構成するみたいに新しく作ってやりゃあいい。おまえならそれができる』

 ロンドは鼻先がくっつくほどオセロットに顔を寄せる。

 双方が交わす視線には不思議な光が宿っており、ロンドからオセロットに向けて何らかのシステムがダウンロードされているかのように感じた。

『そのための力――オセロットおまえにくれてやる』

 過大能力――【万物を暴ボトムレス・食する果イーター・無の胃袋ストマック】。

 こうしてオセロットは5人の見知らぬ子供の意識を取り込みながらも、ロンドのおかげで自我を保つことができた。

 そして、育ち盛りでは済まされない旺盛おうせいな食欲を示した。

 どんなものでも食べられる過大能力は、オセロットの名前にもベヒモスの名前にも相応しいものだった。そうして食べることで大怪我により損なった自身を補い、それを埋め合わせている子供たちの分も貪った。

 悟郎がオセロットになってから、おおよそ二年半の月日が過ぎていた。

 ようやくオセロット自身の傷がいええ、弟を今日まで支えてくれた5人の子供たちも巨大獣ベヒモスへと成長を遂げるほど肉体を復元させていた。

 これによりオセロットも自分自身を取り戻すことができたのだ。

 なのに……だというのに……。

   ~~~~~~~~~~~~

「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァーーーッ!」

 死と滅びを尊ぶ啼き女バンシーの絶叫が世界を蝕む。

 サバエの過大能力――【我が囁きにてネガティブ心奥の劇毒ポイズン・よ沸き立て】ウィスパー

 聞いた者に分け隔てなく絶望を沸き立たせ、死へと追い詰めていく呪われた声がどこまでも響き渡る。無差別攻撃をする音波兵器に等しい。

 草原の草木は枯れ、大地は滋養を失い、大気がえた匂いを発する。

 対抗できるのは同じ“声”の過大能力オーバードゥーイングしかない。

 マルミの過大能力――【幸福と祝ハッピー・福の恩寵ラッキー・は賛美歌とグレイスともに】・ヒム

 サバエの声は聞いた者にうつを引き起こさせて死へ仕向けるのに対して、マルミの声は聞く者に祝福を与えて心を奮い立たせるものだ。

 能力的には同系統ながら、その効果はプラスとマイナスに位置する。

 サバエの死へ導く絶叫を中和するべく、マルミは生を讃える絶唱を迸らせることで少しでも影響を軽くしようと奮闘していた。

 しかし、軽減させるのが精一杯だ。

 過大能力オーバードゥーイングのパワーでは、サバエに軍配が上がっていた。

 悔しいがマルミの歌声は引けを取っており、サバエの歌声をどうにか凌ぐことで効果を弱らせのが関の山だ。相殺させるには至っていない。

 呪われた声が発する死の波動が、甚大じんだいな災いをもたらしていた。

 マルミの仲間も両耳を塞いで苦しんでいる。

 神族特有の耐性で持ち堪えているものの、死にたくなるような気持ちを突き動かされていた。精神的外傷トラウマを疼かせているらしい。

「カナミちゃん勘弁してぇ! ロ、ロメロスペシャルなんて……おれの肩甲骨とか腰骨とか背骨とかメリメリ言ってるぅ!?」

 セイコは秘書からのお仕置きを回想している。

「や、やだぁ! ブラやショーツなんて……僕、男なのにぃ!」

 ソージは異世界転移で女体化して以降、身体に合った下着ということで女性用を無理やり着せられた日の記憶に苦しんでいた。

「ごめんなさぁ~い! レンちゃんの取り置きプリン食べたのあたしです!」
「あれもおまえかぁ!? 楽しみにしてたのにぃ……」

 アンズとレンは懺悔ざんげ大会を開いていた。トラウマなのそれ?

 今はまだ嫌な記憶を思い出すくらいで済んでいるが、これが度を超すと負の感情が指数関数しすうかんすう的に増大していくのだろう。

 やがて生きる気力を失うくらいの鬱に見舞われる。

 それもただの鬱ではない。

 肉体の不随意筋ふずいいきん(心臓の脈動など)さえも停止させるほどの鬱だ。

 本当の意味で身も心も生への意味を見失う鬱である。サバエの声は耳にした者をそこまで追い詰めるのだ。

 しかも――サバエは暴走中だった。

 全力どころの話ではない。声帯を壊す勢いで使い潰していた。

 セイコの一撃で血塗れになったオセロットを目の当たりにし、発狂してしまったのだろう。完全に我を忘れた狂乱状態である。

 だから、今のサバエには見境がない。

 啼き女バンシーの大合唱みたいな金切り声はマルミたちを責めるだけでは飽き足らず、還らずの都に攻め込むメヅルの蟲を殺虫剤でも浴びせたかのようにボトボト落とし、オセロットの巨大獣までのたうち回らせていた。

 敵も味方ものべつ幕なしに呪っている。

 対抗するために絶唱するマルミも、張り裂けんばかりの大声を上げているので喉が破れて血を吐きそうだ。こんな歌声、長くは続けられない。

 ――どれほどサバエの声と競り合っただろうか?

「オセロットォォォッ! イヤアーッ! しっかりしてぇーッ!?」

 不意にサバエの声量が落ちた。

 まだ凄まじい鬱を引き起こす泣き声を発しているサバエだが、飛行系技能にアクセルをかけると高速で飛んでいく。

 目指す先にいるのは他でもない――大切な弟だ。

 セイコから必殺の一撃をまともに食らったオセロットは、全身に内側から破裂したような裂傷を受けて血塗れである。

 気を失ったのか、重力に任せて頭から自由落下中だった。

 大急ぎで駆け寄ったサバエは、その細い腕にオセロットを抱き留める。

 反射的に回復魔法を使うのも忘れていない。

「オセロット! お願い、目を開けてオセロット! せっかくあなた自身を取り戻したのに……いやぁ! 死なないで! 死んじゃいやぁぁあッ!」

 オセロットッ! とサバエは懸命けんめいに呼び掛けた。

 目深なフードの下、少年の血に汚れたまぶたがピクリと震える

「……だ、大丈夫、お姉ちゃん……僕は、大丈夫……平気、だよ……」

 大丈夫だから……オセロットは弱々しくも繰り返す。

 サバエを心配させまいと気丈に振る舞うオセロットは、ふらつく手で姉の抱擁を押し退けるように振り払った。

「もう……お姉ちゃんに心配ばかりさせないよ……ッ!」

 オセロットのパーカーに飾る複数のジッパー。

 それが開いて大きな口になると、その口内から長い舌が伸びてきてオセロットが流していた血を舐め取る。その下にあった傷口はもう塞がっていた。

 ――体力回復や肉体の再生が早い。

 なんでも食べられる過大能力で様々なものを取り込んでいるというから、小さく細い身体にも関わらず大量の栄養を蓄えているようだ。

 ドクン! と大きな心音をさせてオセロットの肉体が跳ねた。

「僕が弱いから……お姉ちゃんには迷惑をかけた……」

 同時に強大な力が胎動するのを感じる。

 マルミは“声”を過大能力とするためか聴覚も優れていた。

 その些細な物音をも聞き分ける鼓膜が、オセロットの内部に彼のものとは異なる心音をいくつも聞き分けていた。これには悪い予感を覚えてしまう。

 ガチガチガチ! とオセロットのパーカーが歯を鳴らす。

 それは不甲斐ふがいなさへの苛立いらだちであり、意気いきを上げるための鼓舞こぶのようだ。

「僕が子供だから……小さくて何もできないから……お姉ちゃんに苦労させっぱなしで……なのに、何にもできなくて……ッ!」

 ずっと――辛かった。

 弟の胸の内を明かされ、姉は胸を打たれている。

「オセロット……お姉ちゃんは迷惑や苦労だなんて一度も……」

「うん、わかってる……お姉ちゃんは優しいから……そんなこと、絶対に思うはずないって……わかってる、だから、これは……」

 僕の気持ちの問題だ、と賢弟けんていはちゃんと弁えていた。

 パーカーから生えた口が耳障りなくらい歯を打ち鳴らしている。

 次第のその歯が形を変えていくと、パーカーが瘤のように盛り上がっていき、見覚えのある怪物の頭を形作ろうとしていた。

「おいおい、ありゃ……まさか!?」

 真っ先に気付いたのはそいつ・・・を倒したセイコだった。

 オセロットから――新たな鰐型わにがたベヒモスが生えようとしている。

RAUNNDOラウンド2ってか? 勘弁してくれよぉ」

 セイコは苦虫を噛み潰したような顔をピシャリと打った。

 完膚なきまでに仕留めたかと思ったのに、こうも早く復活されては勝利を収めた者としての立場があるまい。かなりショックが大きいようだ。

「でも……もう大丈夫だよ、お姉ちゃん。僕は強くなったから……」

 ――お姉ちゃんを護れるくらいに!

 オセロットはサバエを庇うように立ちはだかった。

 ガチガチと歯を鳴らすパーカーから生えた口は、オセロットの肉体から膨れ上がるように巨大化していき、新たな巨大獣へと成長していく。

 鰐型ベヒモスだけではない。

 まだ健在の四体、象型、龍型、鯨型、牛型……。

 これらの巨大獣も追加で生まれつつあり、マルミたちは度肝を抜かれた。

「ロンドさまは教えてくれたんだ……」

 食べたものは――やがて血となり肉となり骨となる。

「だから、僕はたくさん食べた……なんでも好き嫌いせず、いっぱいいっぱい食べてきた……強くなるために、大きくなるために、お姉ちゃんを守るために……心と体に空いた穴を埋めるために……」

 そうして、体内の巨大獣オトモダチも養ってきたのだろう。

 あの巨大獣たちの眉間にある、子供の顔がその証に相違ない。

の中に何人ものぼく・・が増えるくらいに!」

 オセロットは魔獣の苗床となり、続々と巨大獣を生み出しつつあった。

 それだけに留まらず、オセロット自身も巨大化していく。

 彼は巨大獣を生み続ける、途轍とてつもない大きさの魔獣に育ちつつあった。

 ――巨獣の群れが侵攻しない理由。

 遅まきながら、マルミはその実情を解明することができた。

 彼らは還らずの都を襲わなかったわけではない。ここにいるオセロットと、彼が生み出す格上の巨大獣を恐れて近付こうとしなかっただけなのだ。

 謂わば、動物的本能で避けていたに過ぎない。

 還らずの都を落とすには、オセロットがいれば事足りる。

 サポート役にオセロットのために尽くすサバエを添えれば完璧だ。そこにメヅルやベリルを加えれば、兵力としては過剰とも言えるだろう。

 メヅルが湧かせる蟲も最小は羽虫サイズだが、最大ともなれば戦闘機や大型重機を余裕で越える大きさだ。変幻自在なベリルの毒も、使い方次第では使い魔として兵士にすることができるのかも知れない。

 ベリルのみ、対戦相手のクロウが封じてくれていた。

 単騎たんきで大軍勢に匹敵する兵力をまかなえる――過大能力オーバードゥーイング

 メヅルやオセロット(ついでにベリル)は、それを見越した人選と見るべきなのだろうが、ロンドがそこまで考えて選抜したのかは疑わしい。

「これも計算尽くだというの? それとも……また行き当たりばったり?」

 ホント喰えない男! とマルミはロンドに毒突く。

 数を増す巨大獣の咆哮が、毒々しい色に染まった空へと轟いた。

   ~~~~~~~~~~~~

「いや、今回はちょっと考えてたんですけどね」

 あの人ロンドさんなりに、とアリガミはフォローして上げたくなった。

 能力で次元を小さく切り裂き、そこからチラチラ覗くことでマルミたちの状況も把握していたアリガミは、そんな呟きを漏らしてしまった。

 あちらにばかり注意も向けていられない。

 もう少しで宇宙空間に飛び出してしまいそうな超々高度の上空。

 そこでアリガミは予期せぬ来訪者と対峙していた。

 女騎士――カンナ・ブラダマンテ。

 若くして世界的協定期間ジェネシスの幹部まで登り詰めた、レオナルドの幼馴染みにして子飼いの部下である。あだ名はイノシシ女武者。

 猪突猛進なんて四字熟語がお似合いの、行動がストレートすぎる女だ。

 VRMMORPGジェネシス内でもゲームマスターを務めていた。

 №が若ければ若いほど優秀で強い権限を有するのがGMの序列だったが、どういうわけか彼女は№15というかなり上位にナンバリングされていた。

 猪突猛進しか能がないのにも関わらずだ。

 レオナルドが手助けしたからだろうか? いいや違う。

 やることなすことド直球、ともすれば暴走しがちな沸点の低さ。されどその仕事ぶりは実直で生真面目、しかも迅速に終わらせるという素早さが売り。

 日常的な仕事で暴走することなど、早々あるものではない。

 結果――仕事はデキる女として好評を博していた。

 これが評価されての№15らしい。

 あと、有能すぎるレオナルドの株に引っ張られたところもあるそうだ。

 黙っていれば美人、を地で行く女である。

 下手をすれば男性並みに高めの身長と、生家が武術道場ゆえのやや筋肉質なことに目をつぶれば、ナイスバディの美女なのは認めよう。

 ただ、いい年こいてツインテールは頂けないとアリガミは思う。

 しかもウェービーでボリューミーな金髪を自己主張させるかのように大きく高々と結っているのだ。昨今、少女漫画でもお目に掛からない。

 高身長の美女がするものではなかった。

 メリハリの利いた身体のラインを際立たせる、女性的なフォルムの鎧を身に帯びている。ファンタジーな異世界で女騎士をやるならば天馬ペガサスを駆ればいいものを、何故かチョッパータイプのバイクにまたがっていた。

 手には一振りのスピアを携えている。

 以前は馬上槍試合ジョストなどで用いられるタイプの長大な馬上槍ランスを振るっていたはずだが、趣旨しゅし替えしたのか取り回しやすそうな槍に持ち替えていた。

 そして、彼女を護衛するように浮遊する機動盾。

 自動制御らしく、常にカンナの周囲を警戒するように取り巻いている。防御シールドの役割は勿論、砲塔も備えているので攻守ともに厄介な代物だ。

 こちらも1枚だったはずだが、6枚に増えていた。

 事前に調べておいた情報から差し替えられているのはいぶかしいが、情報は常に更新されるものだ。用心しながら対処するとしよう。

「しかし……遠慮なくぶっ壊してくれたもんだね。あいたたた……」

 バイクでねられた拍子に腰を打ったらしい。

 そちらはちょっと痛い程度なので、手で押さえながら立ち上がる。足場のない空中で立ち上がるというのも変だが、姿勢を直すようなものだ。

 本当に痛いのは――次元牙じげんがを折られたこと。

 あれはアリガミの過大能力オーバードゥーイングそのもの、血を分けた分身も同然である。

 真なる世界ファンタジア最硬のアダマント鋼を断ち切れる強度があるため、武器として使うことに支障はないのだが、強敵相手には折られることがあった。

 そうなると、アリガミ当人もダメージを負わされる。

「でもまあ……教訓が効いたな」

 ミロとの戦いで次元牙の七支刀を折られたことがあったので、その経験を活かして自身と次元牙の同調を弱めることに成功したのだ。
(※第350話参照)

 さもなくば、今頃アリガミは立ち上がることもできなかっただろう。

 酷い筋肉痛みたいな鈍痛に悩まされるが我慢できる。

「さてと……お久し振りだね、カンナさん」

 そこまで親しい間柄ではないが礼儀は欠かさない。

 アリガミが不良社員の風体にそぐわぬ真面目な挨拶をすると、カンナは気の強そうな面立ちに険しさを帯びながら言葉少なに口を開いた。

「ああ、久しいな。GMの全体会議……その最後で話した時以来か」

 同じVRMMORPGアルマゲドンでGMを務めた者同士だ。

 64人もいたので疎遠な相手もおり、仕事上で一度も絡んだことがない者もいなくはない。だが、彼女とはレオナルドを介して何度か会っている。

 簡単な仕事なら一緒にしたこともあった。

 知らない仲ではないので、挨拶ぐらいは交わしておくべきだろう。

「しかし、なんで君がここにいるんだい?」

 ここから先は反目する敵対組織の幹部として振る舞おう。アリガミは新たな次元牙の七支刀を創り出すと、いつでも戦える体勢を整えておく。

 先刻のダメージを回復させるため、無駄話でカンナの気を引てみる。

「レオナルドさんの子飼いが……オレの策を読んだっての?」

 ベリルとメヅルの幼馴染みコンビ。

 サバエとオセロットの姉弟コンビ。

 ベリル、メヅル、オセロットは大群に任せて攻め入ることができ、サバエの攻撃は無差別かつ広範囲への絨毯爆撃が期待できる。

 この目立たざるを得ない大攻勢を――アリガミはオトリにした。

 四神同盟が彼らへ注意している隙を突いて、アリガミの次元を切り裂く能力を最大出力で使い倒し、還らずの都を異次元の彼方へ切り落とす。

 これがアリガミの作戦である。

 実のところ――これはアリガミの独断だった。

 ロンドは三人一役のベリルと六人一役のオセロットに「数に任せて還らずの都を潰してきな。食おうが溶かそうか過程は不問」と言い渡していた。

 あの人も一応、簡単な指示は出していたのだ。

 それを立ち聞きしたアリガミが「じゃあ、彼らを囮にしてオレが一気に潰すか」という作戦を、誰にも相談せず勝手にぶち上げたのである。

 ぶっちゃけ――ロンドはいい加減だ。

 基本あんまり考えずに何でも実行に移す。後始末も考慮しない。

 だがロンドの場合、この考えずに動くのが返って功を奏すのか、行き当たりばったりの思いつきが恐ろしいくらい上手いこと働いた。

 マッコウからして「考察するのを諦めたわ」と降参するほどだ。

 生まれ持った豪運ごううん、あるいは悪運かも知れない。

 ロンドに敵対する者からすれば最悪だろう。彼のやることなすこと思いつきなのだから、策略の裏を読むような考えを巡らすだけ無駄に終わるのだ。

 そして、ロンドを補佐するアリガミたちがいる。

 いくら何でも成功させる豪運とはいえ、作戦自体にはそこかしこに穴がある。穴だらけの隙だらけと言っても過言ではない。そうしたところを狙われたら、いくらロンドの悪運でも覆せない苦境に陥りかねない。

 その穴を埋めるのがアリガミたちの仕事だ。

 マッコウもミレンもアリガミも、ロンドとは付き合いが長い。

 彼の計画の穴を埋めるのもお手の物である。

 それこそ生まれた時から世話を焼かれており、曾祖父そうそふのような存在である。伊達に灰色の御子として500年以上生きてはいない。

 世話を焼かれた分、ロンドへのフォローで恩返しをしているつもりだ。

 ロンドからもその働きぶりは評価されており、「おまえらがいるからオレはノータリンでいられる。好きに動いていいぞ」とお墨付きを貰っていた。

「だっていうのに……今回ばかりは裏目ったかな?」

 まさかメス猪武者な彼女に発見されるとは思いも寄らなかった。

 完全に想定外なので、ちょっとビビっている。

 アリガミの弱腰を見て取ったカンナは、ちょっと偉そうに胸を張った。鎧を着ているとはいえ、彼女の爆乳が強調されるかのようだ。

 さすがは爆乳特戦隊、良いものをお持ちで……。

「フッ……おまえらの考えてる悪巧みなどまるっとお見通しだ!」

 ビシリ! とカンナはアリガミを指差した。

 アリガミは苛立たしげに苦笑する。

「嘘つけ~。猪突猛進しか能がない君が、ロンドさんの豪運を元にしたオレの作戦を見破れるはずがないもんね……レオナルドさんの策略か?」

「策略と言えばレオ殿とツバサ殿の策略だな」

 訊かれただけでカンナは得意気にその策略を教えてくれた。

 こういう脇の甘さは猪武者らしい。

「我ら四神陣営はな、何人かのLV999スリーナインを遊撃手として何処の陣営の守りにもつかないフリーとして泳がせているのだ」

 高速移動を苦もなく長時間できる者、感知能力に優れた者、バッドデッドエンズと遭遇しても単身で撃退できる実力を有する者……。

「その一人に拙者が選出されたまでのことだ」

 キャラ作りのための自称“拙者”は相変わらずだった。

「つまり……カンナさんはオレみたいなのを探していたってわけ?」

 不穏な輩を探して潰す役を仰せつかっていたらしい。

 彼女の偵察網ていさつもうに引っ掛かったのか、とアリガミは運のなさに舌打ちする。

 するとカンナは幼女みたいに首を左右へ振った。

「いいや、たまたま通りがかったらおまえを発見したんだ」

「アンタも運任せなの!?」

 そんなのロンドさんだけでお腹いっぱいだよ。

 オレの周りはこんなのばっか、とアリガミは頭が痛くなってきた。

「お喋りは終いだ――アリガミ」

 無駄話を断ち切るべく、カンナは右手の槍を軽く振るう。

「先ほど轢かれた痛みも回復しただろう? あの大きな樹のような大剣で何をするつもりだったかはよく知らぬが……どうせ良からぬことには違いない」

 槍を構えたカンナは、もう片方の手でバイクのアクセルを握る。

 エンジンを吹かすカンナは凄んできた。

「顔見知りなので訊いておこう。降参するつもりはないか?」

 微かな優しげのある言葉に、アリガミは鼻を鳴らして肩をすくめた。

「その気があればレオナルドさんに泣きついてるさ」

「それもそうだな……残念だ」

 言うが早いかカンナは天翔るバイク駆り、音速越えで突っ込んできた。今度は轢かれず躱したアリガミは、すれ違い様に七支刀で斬りつける。

 どんな強敵だろうと関係ない、防御不可能の次元を断つ攻撃だ。

 しかし、アリガミは嫌な予感を覚えた。

 そういえば大樹まで大きくさせた次元牙を、カンナは平然と砕いていた。普通、当たった側が次元ごとバラバラにされるはずなのに……。

 予感が的中するように、カンナの槍はアリガミの七支刀を受け止めた。

 まさか!? と驚愕している暇はない。

 返す刀で振り上げられる槍を紙一重で防いだアリガミは、身を翻して間合いを取ろうとするもの、その回避行動は読まれていたらしい。

 浮遊する盾の砲塔が狙いを定め、アリガミを砲撃してきたのだ。

 迫る砲弾を次元の彼方へ追いやろうとする。

 できない――いつの間にか次元牙の能力が封じられていた。

 アリガミは砲撃をまともに食らう。

「……ぐほぉあっ! 鉄球のタコ殴りは効くってば!?」

 アリガミは神族・破壊神。

 不死身のタフネスさが売りの神族だ。この程度では青アザができるくらいで済むので、打たれた勢いに乗って後退るように距離を置いた。

「参ったな……こっちも相性最悪かよ」

 メヅルやベリルだけではない、アリガミまで巻き込まれていた。

 あの二人も相性で苦労したり優勢だったりするが、あの二人はなんとかやれているが、アリガミは完全に能力を封じられていた。

 どんな手段かは皆目見当もつかないが、少なくとも次元を切り裂く能力が役に立たなくなっている。しかし、過大能力をやり込めるのは過大能力のみ。

 恐らく――カンナの過大能力オーバードゥーイングは無効化だ。

 アリガミの次元を切り裂く能力のみならず、どんな過大能力も使えなくさせるようなたぐいのものだろう。ちゃんと使いこなしているのが憎たらしい。

 おまけにバイクによる機動力がバカにできない。

 空を駆ける二輪駆動というだけで常軌を逸しているのに、軽々と音速を突破するのだ。避けるだけでも手一杯である。

 そりゃ遊撃手やらせるわな、とレオナルドの采配さいはいを恨む。

「もう一度だけ訊こう……降参するなら今の内だぞ、アリガミ?」

 カンナは冷淡な声で再び問い掛けてくる。

 こういう能力に目覚めたら猪武者は得てして調子に乗るものだが、彼女にそんな慢心まんしんはなかった。明らかに以前のカンナとは違う。

 間抜けさはまだあるが、確実にデキる女として成長していた。

 レオナルドが改めて躾けたとした思えない。

「へっ、飼い慣らせてないと思いきや……しっかり調教しやがって」

 腹黒軍師レオナルドの敏腕に舌を巻きたくなる今日この頃だ。

 カンナは追撃をしてくる気配はなく、距離を開けたまま尋ねてきた。

 そこには僅かながら憐憫れんびんの情が垣間見える。

「……何故、ロンドにくみする?」

 譲歩じょうほするようにカンナが問い掛けてきた。

 アリガミは訝しげな目線で睨み返すが、カンナはこちらの心情へ訴えかけるように語気を強める。気分はさながら、犯罪者の説得だろう。

「あいつとともに歩めばすべて滅ぶ……なにもかも無くなるんだぞ?」

 おまえも死ぬんだぞ! とカンナは当然のことを言った。

「そんなもん……当たり前じゃねえか」

 すべてを滅ぼすと約束してくれたから、アリガミはロンドの意志に追随し、ロンドの信念に追従し、ロンドの覚悟に服従したのだ。

 なにもかも無くなる、無に還る、結構なことじゃないか。

 いい機会だから、ここでアリガミの気持ちを吐露とろさせてもらおう。

「世界も人類も滅ぶ……それがオレの目指すところなんでね」

 明日なんざいらねえんだよ――面倒臭い。

「変わり映えしねぇ毎日が続くのにうんざりしてたんだ。明日何をしようか考えるのが億劫おっくうだった……未来のことに思い詰めるのがもう嫌なんだよ!」

 何にもない明日が欲しい――それがアリガミの願い。

 普段やる気のない不良社員だが、ここぞとばかりに悪漢あっかんの気迫で吠える。



「明日も未来も来世もいらねぇ! 消えてなくなれよ全部!」



 アリガミは未来を斬り刻む七支刀を振り上げた。


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