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第16章 廻世と壊世の特異点
第394話:この世はみんな半分ずつ、と彼女は答えた。
しおりを挟む「明日はいらない……だと?」
信じられないものを見る目で女騎士は唖然とする。
おまえは何を言ってるんだ? と叱りつけたい気分なのかも知れない。微妙に眉をひそめたカンナは、かつての同僚であるアリガミを見据えていた。
地上とは異なる風が吹く――遙かなる上空。
恐らくは海抜100㎞、カーマン・ラインと呼ばれる場所だ。
ここが宇宙と地球の境界線だという
(※海抜80㎞以上を宇宙空間と定める機関もある)
地球ならば成層圏どころか中間圏も越えて、条件が揃えばオーロラが舞う熱圏。ほぼ空気はないが、ギリギリ大気圏な超々高度の空だ。
真なる世界は地球より遙かに大きいためか、地上100㎞でもまだ大気が少なからずあるようだ。こちらでは成層圏ぐらいの高度らしい。
と言っても、酸素も窒素も二酸化炭素も薄々だ。
高度が高くなり宇宙へ近付くにつれ、強力な紫外線などによって気体は原子分解されてしまうというから、吹きつける風の体感もまた違う。
生身の人間なら、こんなところに長居できない。
アリガミもカンナも神族、この程度の環境変化ではビクともしなかった。
人間離れしたもんだ――アリガミは嘆息する。
神族・破壊神になろうとも心の憂さは晴れやしない。人間より上位の存在になれば大概は喜ぶものだが、アリガミには鬱陶しいだけだった。
アリガミは――何にもなりたくないのだ。
「ああ、明日なんていらねえ、人間だって止めたかった……かといって他のものになりたいわけでもない……オレはな、縛られるのが大嫌いなんだよ」
不良社員は苛立たしげに本音をぶちまけた。
邪魔臭ぇ、と肩に羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てる。
右手に握った七支刀を無造作に下げたまま、空いた手で道具箱から煙草をつまんで口にくわえた。チンケな技能で煙草に火を灯す。
酸素が薄くて火も着かないが、魔力で無理やり焚きつけた。
煙を吸い込み顔を上へ向けて紫煙をスパーッと噴き上げる。
「オレからしてみりゃ、おまえらの方がおかしいぜ」
視線を隠すために愛用したサングラス。
顔を振ってサングラスをズラすと、生まれつき藪睨みな最悪の双眸を覗かせる。悪人らしい人相でカンナを正面から睨めつけた。
「何故、疑問に思わない? どうして、普通に過ごせる? 毎日毎日毎日……同じことを繰り返す日々に嫌気が差さない? 今日も明日も明後日も、日はまた昇って夜が来ることを当然として受け入れられる?」
オレにはそれがわからねぇ――とアリガミは頭を振った。
「……拙者には、そなたの申していることが理解できないのだがな」
カンナは憮然となりかけていた。
空飛ぶバイクに跨がった女騎士は露骨に戸惑っている。
右手に提げた槍は片時だが戦意を見失い、彼女を護衛するように浮遊する砲塔付きの機動盾6枚も砲撃の手を休めていた。
発言の真意が読めない、という気持ちが手伝っているらしい。
「へっ、わからねぇか……わからないよな」
――お天道様へ向かってまっすぐ歩ける奴はいいなぁ。
「理解できないなら、それに超したことはない……こんな心境なんざよ」
アリガミはつまらなそうに悪態をつく。へそ曲がりのひねくれ者と受け取られても仕方ない。だが、彼女を羨ましいとも思えなかった。
自分がイカレているのは先刻承知。
大凡の一般人には理解されまい。世界廃滅を目指すバッドデッドエンズにおいても、アリガミの考え方に共感する者は少ないのだ。
「オレは……何にもない明日が欲しいんだ」
明日なんていらない、未来なんて求めない、来世なんて消し去りたい。
アリガミの目指す先に名前を付けるとすれば――虚無。
まったく何も存在しない無に還りたいのだ。
「虚無主義……というものか?」
アリガミの告白に対して、カンナの回答がこれだった。
意外や意外、メス猪武者とは思えない学識ある受け答えである。
彼女はレオナルドにご執心という以外は、まともな精神性を持ち学もある。すぐ頭に血が上って猪突猛進になるのを大目に見れば才女だろう。
彼女はきっと――明日に夢や希望を抱いている。
正しい心では、こんな壊れた渇望を受け入れがたいはずだ。
アリガミのカミングアウトも噛み砕けないらしい。
構うことなくアリガミは息継ぎみたいに煙草の煙をスパスパまき散らすと、腹に溜め込んだ鬱憤を吐き出すように並べていく。
こんなぶちまけたくなったのはロンドに相談した以来だ。
そんなロンド好みの「身長と尻のデカいボインちゃん」としばらく談笑するのも悪くないと、タバコ休憩がてら話に付き合ってもらうことにした。
「虚無主義か……当たらずも遠からずだな」
カンナの回答を否定するため、アリガミは首を左右へ振った。
「だが、それじゃあ半分……いや、四分の一も言い当ててないな。考え方の出だしはあんま変わらんけど。この世のすべてが信じられなくなって、ありとあらゆるものが無価値と割り切る考え方……二通りあるらしいね」
すべてを無価値と断じて絶望し、何も考えずダラダラと生きる。
――ネガティヴで受動的な虚無主義。
無価値を全肯定し、仮初めであろうと刹那に全力を尽くして生きる。
――ポジティヴで能動的な虚無主義。
アリガミは前者に属する。
「だけど足りない。オレの求める虚無はそんなもんじゃない」
無価値ならいらない、明日を生きる意味もない。
「ぜんぶ面倒なんだよ。何もやりたくないし、何もしたくない」
長めの煙草を焼き尽くすように深く吸う。
半分まで灰にすると、アリガミは紫煙とともに饒舌を振るう。
「意味や意義を見出したことはねえ、やり甲斐や手応えを感じたこともねえ、努力も暑苦しいだけだ、楽しいことなんてありゃしねえ、何かに勝っても一時の昂揚感さえねえ、愛や情もくだらねえしがらみとしか思えねえ……」
オレの心は空っぽだ――アリガミは胸板を叩いた。
「顔に浮かべる喜怒哀楽も作りもんさ……せめてものフリってやつよ」
ロンドさんとマッコウさんに叩き込まれた人間性の紛い物だ。
叩いた左手を宙に振るうと、その掌中からメキメキと音を立てて新たな七支刀が伸び出てくる。右手のと合わせて二刀流としゃれ込んでみた。
「空っぽな心が明日を欲しがると思うか?」
煙草を吸って灰に変え、アリガミはヒートアップする。
「朝起きて顔洗って歯ぁ磨いて飯食って身嗜み整えて出社して仕事して……やってられるかうざってえ! 盆暮れ正月、春夏秋冬休み、ゴールデンウィークにシルバーウィーク! 春夏秋冬の季節ごとのイベントなんざ去年の繰り返しだ飽きろよ! 明日も来年も未来も、同じことの繰り返しだ反吐が出る!」
オレは何もない! 何もしない! 何もしたくない!
「いつの間にかできた社会のルールがなんだ!? そいつに従わなきゃどうして人間扱いされねえ!? 常識ってなんだよ? どこのどいつが決めたそんなもん! オレとてめぇらじゃ見てるもんも考え方も違うんだ! てめぇらのルールを押しつけんな! オレをてめぇらの都合でカテゴライズすんじゃねえよ!」
オレはオレだ――オレがどうするかはオレが決める。
「生まれた時から血筋に縛られ、家族に縛られ、民族に縛られ、国家に縛られ……気付いてるか!? オレたちは雁字搦めなんだぞ!」
オレは何でもありたくない! 何者だと決めつけられたくもない!
「オレは無だ! 何にも縛られない無になりてぇんだッ!」
煙草が燃え尽き、熾火がフィルターへ届いた。
シケモクにもならない吸い殻を吐き捨てたアリガミは、飛行系技能に過負荷をかけて疾駆する。音速越えのバイクにも引けを取らない高速でだ。
お喋りはここまで、とカンナも対応する。
バイクのアクセルを吹かせ、真正面から突っ込んできた。
アリガミは避けもせず正面衝突も辞さないスピードで突っ込んでいくと、すれ違いざまに二刀流の七支刀を流れるような剣舞で翻させる。
対するカンナは一振りの槍で応じた。
二刀流と槍一本では手数こそ違うが、カンナは6枚ある機動盾を上手に使うことで補っている。瞬間、激しい金属音がけたたましく鳴り響いた。
めまぐるしい攻防だが、両者ともに無傷だった。
カンナはアリガミの攻撃をひとつも漏らすことなく防ぎきり、アリガミはカンナからの反撃を紙一重で避けきった。痛み分けにもなっていない。
互いに高速移動のため、制動距離にも時間が掛かる。
行き交いながら距離を取ってUターンする。カンナの険しい表情に慢心は見て取れず、アリガミは自身の能力が通じないことに舌打ちした。
やはり――次元牙が封じられている。
アリガミの操る七支刀は、空間を切り裂く次元牙による構造物だ。
過大能力――【多重次元を噛み破る鋭牙】。
七支刀の切っ先に触れれば次元は薄紙のように破れるため、そこに存在する物体も抵抗なく切断される。これは防御不可能の斬撃だ。武器で受け止めようが、防具で防ごうが無理無駄無謀というもの。
どんなものであろうとスパスパ切り裂く。
空間操作系の結界術でもなければ、次元牙が妨げられることはない。
(※空間転移と同じ高等技能、使い手は限られる)
分析を走らせても、カンナが結界術に長けているとは思えない。
彼女から未知の力場を観測できるので、あの力場にこちらの過大能力や技能を打ち消す無効化が付与されているのだろう。
少なくとも、彼女の武具にはそういう力が通っていた。
七支刀をわざと槍や機動盾に当てて確認した。触れ合うまでは感触があったが、打ち合わせた途端に次元を断つ効力が失せてしまったのだ。
間違いない――カンナの過大能力は無効化。
それを武器や防具に付与できるらしい。6枚の機動盾も同様で、そこから撃たれた砲弾にも無効化の力は及んでいた。
砲弾もまともに喰らったので実証済みである。
(※前話参照)
所有する物に無効化を付与できるのは確実のようだ。
あるいは、更に拡大できるのか?
一定の領域に展開できるとなれば厄介だ。次元を切り裂く能力はおろか、能力によって斬った次元まで修復される恐れがある。次元を斬ることで空間を飛び越えるように移動するのが得意技、アリガミの十八番まで封じられてしまう。
でも――できるならとっくにやってるよね?
次元を断つ七支刀でカンナを攻撃しても防がれるし、反撃されたら次元を斬ることで攻撃を逸らすこともできない。無効化されるからだ。
だが、標的を彼女から外せば次元は斬れる。
物は試しと右手の七支刀を気付かれぬ程度に揺らすと、切っ先の軌跡に沿って空間に次元の裂け目が生じた。やはり支障はない。
即ち、アリガミの過大能力が100%封じられたわけではない。
カンナに関わった時だけ無効化されているのだ。
「……もういっちょ検証してみるか」
再びアリガミは宙へと駆け出す。これにカンナも応じる。
音速で交錯する両者は先ほどと同じような、焼き直しというより他ない打ち合いを繰り広げた。アリガミの七支刀二刀流を、カンナはバイクを操縦したまま片手で振るう槍と機動盾で防ぎきる。
まんま馬上槍試合の一騎打ちみたいだ。
剣戟で応酬する最中、アリガミはいやらしい笑顔を作った。
あからさまな表情の変化にカンナも瞠目する。
笑うアリガミは大きく口を開くと、邪悪な悪魔のように長い舌を伸ばして「ベロベロバー♪」と小馬鹿にする表情をわざとらしく作った。
その舌先が――消える。
悪寒を覚えたのか、カンナは身震いをして顔を背けた。
そんな彼女の頬を尖った舌先が掠めていく。
二度目の攻防を終えた両者。どちらも距離を取るように離れていくが、アリガミが余裕綽々なのに対し、カンナの表情は驚きに満ちていた。
アクセルから手を離して頬に手を添える。
「……斬られた、か」
カンナの左頬に切り傷が刻まれていた。
次元ごと断たれた傷なので、血も流さず痛みもあるまい。このくらいの傷なら、何もせずとも一時間もすれば塞がるはずだ。次元や空間にも自己修復機能みたいなものがあり、時が経てば自然と元通りに直ってしまう。
神族ならば数分で治るだろう。
別に女の顔に傷を負わせるのが目的とか、そういう陰湿なことがしたかったんじゃない。だが、アリガミは検証が成功したので満足だ。
「やっぱりな、意識の及ばないところには無効化が届かないわけか」
それが知れただけで十分だ。
アリガミの次元牙は七支刀にするだけが能じゃない。
漫画のキャラの特殊能力でありそうだが、全身の至るところから様々な刃にして生やすことだってできるのだ。
今のは長く伸ばした舌の先に、次元牙を作っておいた。
カッターの折れた刃みたいに小さいものだが、それで次元を斬り越えてカンナの頬をねっとり舐めつつ、傷を負わせられるか試したのだ。
「無効化が働いてるのは部分的、常時発動型技能じゃない……それも継続して意識させとかないといけないんじゃない?」
アリガミの推測にカンナは唇を噛むばかりだ。
過大能力について軽々しく喋るな、と躾けられているようだ。
「それとも……もっと大きく無効化を広げたりもできるのかな? 自分を守るように防御フィールドを張れたりとか、オレを取り込んで固有結界とか領域展開みたいな奥義の真似事ができるとか……ああ、そうかぁ!」
推察中だがアリガミはピンと来た。
こういうことがあるから独り言も侮れないのだ。
「できたとしても、のべつ幕なしに無効化しちゃうのかい? 敵はともかく自分の技能や強化……何でもダメにしちゃうんじゃない?」
カンナの表情は硬く、唇は結んだまま。
しかし、僅かに目が泳いだのをアリガミは見逃さなかった。
図星――もしくはいい線を行っている。
道具に這わせるのが最適解らしい。見境なく無効化能力を使えば自身の弱体化を招くようだ。空飛ぶバイクや盾まで停止しかねないのだろう。
最悪の場合、飛行系技能を使えなくなって墜落する。
「なーんだ、そんな制限かかりまくりじゃ……全然おっかなくないなー」
悪ガキみたいな語調でアリガミは煽った。
メス猪武者はこれでカチンと来てくれるから助かる。
「いっ……言ったな貴様ぁーッ!」
案の定、こちらの挑発に乗っかってくれた。これがツバサ君ぐらいになると、どんなに手間暇かけても不発するからお手軽で助かる。
感情を手玉に取りやすい奴は、行動もコントロールしやすい。
猪武者らしく正面から突っ込んでくるカンナは三度目の突撃を敢行するが、アリガミはそれを迎え撃つような下手は打たない。
彼女の進路上から逸れ、更に後ろへ全力で遠ざかっていく。
そして両手の七支刀を虚空へと振るった。
7つの切っ先を持つ七支刀、二振りで合計14の先端はそれぞれ次元を切り裂くと空間の向こう側、異空間へと潜り込むように消えていく。
すると、カンナの周りに次元の裂け目が生じた。
数は14――その裂け目からいくつもの次元牙が生えてくる。
結晶を作る実験を高速再生するかのように、次元牙は刃先を伸ばすと見る見るうちに増殖するかの如く硬質な刃を広げた。
カンナはバイクに急ブレーキをかけるものの一足遅い。
次元牙の生い茂る密林に飛び込んだも同然だ。
「うっ、このっ……なんのこれしきぃ!」
しかしカンナは怯まなかった。できるだけ槍を振り回して打ち払い、6枚の機動盾で防いでいる。だが、処理が追いつく物量ではない。
次元牙は増え続けているのだ。
顔や首は勿論、豪華なツインテール、鎧も完全には無効化能力が働いていないのか、そういった箇所に大小の傷をいくつも負っていた。
すべて次元の裂け目だが、致命傷になるものはひとつもない。
次元牙の群れを潜り抜けたカンナは距離を取る。
しかし、猪武者な彼女も気付いているはずだ。アリガミの攻撃には距離感という概念が用をなさない。次元を越えて何処までも届くのだから。
それでも間合いを取りたがるのは、武術経験者ゆえの感覚だろう。
「一時はどうなるかと思ったけど……形勢逆転かな」
自慢の次元牙を操る過大能力が、無効化する過大能力で封殺された時には「オレの負けかも」と諦めかけたが、粘り強く食い下がってみるものだ。
おかげで彼女の弱点を見出せた。
限定的な無効化であれば、対処法はいくらでもある。
今のように遠巻きからネチネチと遠距離攻撃をするだけでも、馬鹿のひとつ覚えで猪みたいな突進攻撃しかできない彼女には有効だった。
優位に立ったアリガミは七支刀を構え直す。
次元の向こう側まで届いていた刃も引き戻すと、二刀流の七支刀をカッコつけて演舞よろしく振り回し、自分なりの決めポーズで構えた。
「オレの次元牙……この七支刀、なんでこんなデザインかわかる?」
神聖さとは縁遠い、闇堕ちしたかの如きフォルム。
禍々しくも刺々しく、暗黒大将軍とかやたら長い名前の気障ったらしいラスボスが使いそうなデザインをしている。透き通るような黒みがかった水晶にも似た材質感も痛々しさに拍車をかけていた。
アリガミもわかっている――厨二病が過ぎることは。
カンナは切り裂かれた傷に手を添え、回復系技能で治しながらも眉間を寄せて厳めしい顔でこちらを睨んでいる。気の強い女のジト目は怖い。
「フッ、いい年して厨二病を拗らせただけであろう?」
「まあ、それもあるし否定できんのだがよ」
あるのか……カンナにちょっと哀れまれてしまった。
事実、アリガミは次元牙で造り上げたこの七支刀を「カッコイイ!」と気に入っているのだから仕方ない。そういうゲームやアニメも割と好きだ。
だが、このデザインにはある副次効果があった。
刀身から生えた鈎状の切っ先、その隙間から視線を送る。
「この七支刀はね、見ての通り厨二病全開……棘だらけで形も歪でて、どうやったって鞘には収まらない。仲間内でも評判の悪いデザインだ」
収納は道具箱があるので問題ないが――。
「刀剣としてそんなに有能じゃない。形が仰々しいから取り回しにくいし、突けば刃が引っ掛かってぬけない……」
刃先が次元を断つので苦にしたことはないが――。
「まさにいいとこなし、褒めるところを探すのが難しいんだけどね」
この七支刀が持つ最悪なポイントは別にある。
「人でも物でも次元でも空間でも……何でもいい。斬ったものの肉体や材質をおもいっきり削ぎ落としてくれるんだよ」
この意味がわかるかな? とアリガミは残虐さを臭わせた。
カンナは直感的に理解したらしい。
「複雑な傷は塞がりにくい……たとえ癒えても元通りには戻らない」
たとえば――二列に並んだ深い裂傷。
深く大きい傷は縫合することで血肉を癒着させて治りを早めるものだが、傷と傷が近ければ上手いこと縫合ができないため手の施しようがなくなる。止血剤の軟膏を塗りたくって、包帯できっちり抑え込むぐらいしかない。
下手をすれば、そのまま失血で死ぬだろう。
傷が複雑になればなるほど、癒着のための縫合は難易度を上げていく。
たとえ治っても傷痕は大きく引きつれて残るはずだ。
「そんなガチャガチャした剣で斬られれば、傷痕は醜くなるだろうな……」
「そういうこと、おまけにオレのは次元ごと断つ」
刮ぎ落とした空間は元に戻ることはなく消失するのだ。
神族の回復力で傷を塞いだとしても、消えた部分は取り戻せない。
治った頃にはさぞかし歪になっていることだろう。
アリガミは二振りの七支刀を打ち合わせて「ギャリン!」と耳障りな金属音を鳴り響かせると、威嚇するようにカンナへ差し向ける。
「しっかり無効化で防御しないと……気付いた頃には前衛芸術で描かれた人間みたいにメチャクチャなデッサンになってるかも知れないよぉ~?」
気をつけても無駄なんだけどさー、とアリガミはせせら笑う。
カンナは何も言わず答えようともしない。
思い返せば――今日の彼女は口数が少ないようだった。
無効化の過大能力あれこれについて見破られたことは悔しそうだが、それを怒るでもなければ反論して強がるわけでもない。
以前のカンナならばメス猪武者らしく、どこぞの猪の頭を被った有名な少年よろしくギャーギャー騒ぎながら「猪突猛進! 猪突猛進!」と挑みかかってきてもおかしくないが、そんな軽率な行動を取りもしない。
ただただ押し黙り、こちらの隙を窺うように身構えている。
やはりレオナルドに厳しく躾られたのか?
有利だけど油断はできないかな、とアリガミは心中で独りごちた。
不意にカンナは張り詰めた面立ちのまま口の端を上げる。
「明日はいらない……そう豪語する男が勝利に固執し、有利を自慢するか」
滑稽だな、とカンナは鼻で笑う。
まさか――煽り返されるとは思いも寄らなかった。
アリガミは我知らず、こめかみに太い青筋を浮かべてしまう。
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実のところ、アリガミの予想はかなり的中していた。
カンナがあまりにも考えなしに行動するのを見るに見かねて、レオナルドが調教をやり直したのは事実である。ただし、彼一人の仕事ではない。
猪武者の再教育にツバサも合流したのだ。
(※マルミも参加しそうだが、生憎カンナの再教育はルーグ・ルー陣営が合流する前に行われた。い、命拾いしたな拙者……ッ!)
何日前のことになるか――カンナは異相に招かれた。
LV999になる修行を終えて、ようやく心身ともに回復した頃を見計らい、改めて特別訓練だと言い渡されたのだ。
異相とは、通常とは位相が異なる空間のこと。
真なる世界を何重にも、それこそ数え切れない膜のように多種多様な異相が取り巻いているらしい。そのひとつにツバサはよく出入りしていた。
この異相での1年は、通常空間での1日に満たない。
ツバサが発見した時間の流れが特殊な異空間なのだが、みんなからは「精神○時の部屋」と呼ばれていた。その呼び方通り、短期間で長い歳月を特訓に費やせる修行場として重宝されており、カンナもお世話になっていた。
そこへ連れていかれ、稽古着に着替える。
ツバサとレオナルドも修行用の衣類に着替えていた。
『そんなわけで今回、特別コーチとしてツバサ君をお招きした』
『メス猪武者から女武者へ進化させるつもりなのでよろしくお願いします』
『拙者はポ○モンじゃないぞ!?』
『そうだぞツバサ君、進化させるなら外見に即した女騎士にしてやってくれ』
『失礼しました。ではメス猪武者から女騎士へ進化させます』
『クラスチェンジみたいな言い方やめて!?』
カンナの抗議にツバサとレオナルドは顔を見合わせる。
『それもそうだな……ツバサ君、カンナはポ○モンとかデ○モンみたいに進化させるというより、キャラクター的には嘴○伊之助君と捉えよう』
『やっぱり猪武者じゃん、ってツッコめばいいのか?』
『だから、彼を成長させるつもりで鍛え直せばいいのさ』
『ああ、なるほど。伊之助くんを基本モデルに考えればいいわけか』
『待って! 拙者、傍から見るとあんな単細胞キャラなの!?』
この印象はカンナにとってショックだった。
自分的には熱血するあまり暴走気味なところはあるが、その熱意でバリバリ仕事をこなすキャリアウーマンのつもりでいたのだが……。
愕然とするカンナにツバサは言い渡してくる。
『少なくとも、最終決戦に挑むくらい成長した嘴○伊之助くんになってもらわないと、俺たちは元よりクロウさんも困るんです』
カンナの猪突猛進な性格は、各所で問題視されていたらしい。
前科もあるため言い訳もできなかった。
(※第163話から第170話までで盛大にやらかしました)
『そ、そんなハッキリ言わなくても……しくしくしく』
カンナは大人だが、地面に突っ伏してガチ泣きしてしまった。
すぐ頭に血が上る短絡思考や脳死で突撃する戦い方、こういった短慮なところを直すため、カンナはレオナルドとツバサから特訓を受けた。
無駄口が減ったのはこの成果である。
相変わらず短気ではあるものの、それでも改善された方だとレオナルドにお墨付きをもらえたから大丈夫だと信じたい。
同時進行で過大能力の使い方も改善させられた。
カンナの過大能力――【白き部屋にて行う決闘裁判】。
いわゆる“無効化”と呼ばれる能力だ。
カンナを中心に展開されていく純白の空間。その内部に踏み込んだ者は多種族でも魔族でも神族であろうと、例外なく能力を無効化される。
技能などは無論、過大能力も使えない。
強化や弱体化さえ解除され、意識せずとも自動で発生する常時発動型技能も効力を失う。あらゆる能力が意味を成さなくなる。
この無効化に抗う術はない――カンナ当人でもだ。
白い部屋での決闘裁判、とは言い得て妙なネーミングである。
この無効化空間で頼れるのは、その者が培ってきたフィジカルのみ。鍛えた肉体能力を持って肉弾戦を行い、勝利をもぎ取るしかない。
実力(素の腕力と体力)で勝った方が正義というわけだ。
……非常にピーキーな過大能力である。
カンナも一人前の武術家、腕には覚えがあった。
このため無効化空間に対戦相手を引きずり込むことができれば、まず勝ちを収めることができるだろう。しかし、相手の力量を正しく推し量らねばならない。
相手がカンナの実力を上回る武道の達人だった場合――。
カンナは為す術なく完敗、コールド負けを喫する。
相手の実力を見誤れば自身の足枷となる。使い勝手の悪さでは1、2を争う過大能力である。少なくとも、カンナはコンプレックス気味だった。
『うぅ~……無効化って最強能力じゃないのか?』
どうしてこんなに使いにくいのだ、とカンナは自分の能力を嘆く。
無効化は最強――この言葉にツバサは反応する。
『無効化というと、味方サイドであれば主人公やヒロイン、敵役サイドであればラスボスやそれに準ずる副将が持っている能力ですからね』
親友の言葉がレオナルドに火をつけた。
カンナはレオナルドと同じ病院で生まれたくらいの幼馴染みだ。この男が生まれついての詮索癖で、情報中毒なのは身に沁みている。
蘊蓄を語らせたら止まらない悪癖もだ。
『創作物だと数多ある無効化能力だが、最初に描いたのは昭和の大作家、山田風太郎先生だとされているね。忍法帖と呼ばれるシリーズの一作品に登場する女性キャラで、見ただけであらゆる忍術を無効化してしまうというものだ』
『あれか、漫画とかアニメとかパチンコになったやつ』
原作は1958年――かなり時代を遡る。
それが2000年代に漫画としてリバイバルされ、アニメ化されて人気を博し、パチンコなどのゲーム展開によって有名になったものだ。
ツバサの合いの手にレオナルドの話も弾む。
『そう、あの作品だ。知名度はそこで爆発的に上がったが、原点は昭和期の小説なんだよ。山田風太郎先生は名著“魔界転生”を始め、奇想天外な作品を何本も手掛けており、漫画やラノベにアニメなどにおける設定の起源を辿っていくと、大体この方に行き着くとされているよ』
『能力バトルのパイオニアとか言われていたな』
昭和期や平成期のクリエイター、その多くが影響を受けている。
『ルーツを辿ればそこまで遡る無効化能力だが、一躍脚光を浴びたのは何と言っても「その幻想をぶち殺す!」の決め台詞で有名なあの作品だろう』
『無効化といえば名前が挙がる筆頭だな』
そのキャラクターはカンナでも知っている。
『……あの主人公も右手で殴ればどんな能力でも無効化できるが、それを成し遂げるまでが艱難辛苦の道のりだったような……』
『右手に宿った“あらゆる異能を打ち消す”能力以外、彼は普通の学生という設定だったからね。どんな能力でも無効化できるが、それ以外の能力は何もない。攻撃、防御、回避、回復……便利な力は一切ないんだ」
ただ、異能を使えなくさせるだけ。
『だから彼はいつも苦戦を強いられる。世界を脅かすほどの異能を持った者たちとの戦いにも、知恵と勇気と根性で相手を出し抜き、その無効化能力がある右手で殴り倒す……そこに物語としての醍醐味があった』
『チートではあるんだが……使い方が難しいんだよな』
ツバサはまとめるが、その使いにくさにカンナは悩んでいるのだ。
『この無効化能力だが、ただ単純に異能を無効化させるだけではない。その効果のほどを検証すると、実際にはいくつかに分類できる』
レオナルドは指折り数えていく。
『能力の発動を阻害するタイプ、能力を相殺するタイプ、能力を消滅させるタイプ、能力による干渉を受け付けないタイプ、能力をなかったことにするタイプ、能力に費やされるエネルギーを吸収するタイプ……枚挙に暇がない』
いくつかのタイプが重なっている例もあるそうだ。
ここでツバサがレオナルドに尋ねた。
『エネルギーを吸収……ってのはどんな仕組みだ?』
『そのままだよ。車はガソリンを入れなければ走らない、異能力だって発揮するにはエネルギーがいる。それを吸い取ることで無効化するのさ。この無効化能力で有名なキャラクターは、後に吸収したエネルギーを自分に還元することで絶大なパワーを得る能力に覚醒するのだがね』
正しくは、この使い手が覚醒した能力ではない。
彼が手に入れた伝説級アイテムの機能という設定だったらしい。
『へえ、なるほど……それは面白いことを聞いた』
レオナルドの蘊蓄から閃いたのか、ツバサは爆乳特戦隊を上回る超爆乳からメモ帳を取り出すと、聞いた話とアイデアを書き留めていた。
新必殺技を編み出すネタにするつもりだ。
この向上心にはカンナも感服させられてしまう。
『無効化というより、空間に滞留するエネルギーを汲み取る技というべきかも知れないな……なあレオ、おまえの過大能力でもできるんじゃないか?』
ツバサはレオナルドを省略して「レオ」と呼ぶ。
友人同士ゆえの気安さなのだろう。
それはカンナも重々承知なのだが……爆乳美女がレオナルドと仲良くしていると、嫉妬の虫が騒ぎ出すので困ってしまう。
ツバサが男だと教えられても、視覚情報が強すぎるのだ。
爆乳特戦隊の誰よりもダイナマイトボディなスリーサイズ。それでいて凜々しくも男前な彼女。極めつけは暴力的なまでの母性とオカンっぷり。
勝ち目がない……とカンナは萎れそうになる。
レオナルドはおっぱい星人というだけではない。年上のお姉さんやお母さん属性、ママンやオカンと呼ばれる女性に弱いのだ。
だから、レオナルドとツバサの仲がいいと気が気じゃない
どちらも「こいつと男女の関係になるわけない。絶対にお断りだ」と言い張っているが、懸念をどうしても拭いきれない。
くだらないヤキモチとわかっていても落ち着かないのだ。
カンナの恋心など露知らず、ツバサの提案を受けたレオナルドも閃くものがあったらしい。角張った顎を摘まんで思案を巡らせていた。
『ふむ、言われてみれば……できるかも知れんな』
レオナルドも軍服コートからノートを取り出すと、ツバサに習うかのように新しい技についての考察を始めていた。
『俺の過大能力は空間操作系だからな。生物を空間として弄くることはできないが、そこにあるエネルギーとして認識できれば……』
二人はカンナそっちのけで、新技の研究に没頭しつつあった。
『ちょ、ちょっとちょっとぉ!?』
カンナは子供みたいに両手をバタつかせて騒ぐ。
『拙者の過大能力を開発してくれるのではなかったのか!?』
こちらを無視して必殺技にのめり込もうとするツバサとレオナルドに、カンナは「構って!」と幼児みたいなワガママをぶつける。
『『……あ、ごめん』』
ツバサとレオナルドに素で謝られてしまった。
ちょっと優越感を覚えてしまう。
どちらもアンチョコを仕舞い、咳払いして雰囲気を取り戻す。
さてカンナ、とレオナルドに名前を呼ばれる。
幼馴染みの仲ゆえ、その声には家族みたいな慣れがあった。
『こればっかりは当事者に聞くしかないのだが……おまえは過大能力による無効化にどんな感触を覚える? それを具体的に教えてくれ』
問われたカンナは「う~ん」と考え込む。
『私の無効化の場合は、そうだな……対象の能力発動を邪魔しつつ、既に発動している能力の効果をこれでもかと打ち消し、余所からの介入しようとする能力もことごとく拒む……といった手応えを感じるな』
ただし、効果は自他共に及ぶ。
ついでに無効化の効果は強弱もつけられない。あの純白に包まれた空間はすべての能力をまっさらに消し去ってしまうのだ。
ふむふむ、とレオナルドとツバサは興味深そうに頷いている。
『なるほど、いくつかの無効化が複合したタイプだな』
『阻害、消滅、拒否……3つも重なっているのか。強制力があるわけだ』
カンナは小さく肩をすくめて嘆息する。
『強すぎて自由が利かないのが難点だがな。自分の技能や強化はおろか、装備やバイクに至るまで止まってしまうのだから……はぁ』
『――そう悲観するな』
さっき地面に突っ伏してから地べたに女の子座りをしているカンナ、その肩をレオナルドは優しく叩きながら励ましてくれた。
仰ぎ見るこちらの瞳を覗き込み、諭すように告げてくる。
『過大能力は強すぎて当然、なにせ大き過ぎる能力と書いて過大能力とも読むのだからな。だが、想像力を働かせる余地はある』
頭脳で使いこなせ、とレオナルドは自分の頭に人差し指を押し当てた。
『その口振り……もう解決策はあるみたいだな』
『無論、カンナに相談された時から試行錯誤を繰り返してきたよ』
ツバサの指摘に、レオナルドは不敵な笑みで応じる。
大分前のこと、レオナルドに会いたい一心で過大能力の相談を口実にしたことはあったが……それを真面目に受け止めて、ちゃんと考えてくれたらしい。
この心配りがレオナルドだ。
おかげでカンナは幼少期からベタ惚れである。
やはり高校……いや、中学生くらいの頃に押し倒して既成事実を作っておくべきだった、と今さらながらの手遅れ感に後悔もしていた。
こちらの気持ちに気付かぬまま、レオナルドは指導を始める。
『カンナ、おまえの無効化能力は一定の領域……あの白い空間を広げることで発動するはずだな? その空間の最小サイズを検討しよう』
『え、無効化空間の大きさか?』
カンナは返事の代わりに手を上げると、その上に真っ白いボールのようなものを浮かび上がらせた。この白に染まる領域が無効化空間だ。
『最大は直径1㎞ほど。最小ならこれくらい……バレーボール大だ』
『大体20㎝くらいかな』
ツバサはやや屈むと無効化空間を間近で見つめる。
レオナルドも眼鏡越しに見つめ、「よし」と認めるように呟いた。
『最初からこれだけコンパクトならば上々だな……ここから想像力を働かせて使い勝手を良くしていくぞ。この過大能力はおまえのもの、おまえの意志に必ずや従ってくれる。ならば、思うがままにできるはずだ』
『及ばずながら俺も協力します。頑張りましょう、カンナさん』
レオナルドとツバサの応援を受け、カンナも真剣に取り組むことにした。
『ああ、わかった……この特訓で私は強くなる』
拳をギュッと握り締めたカンナは、決意も新たに宣誓する。
『最強の嘴○伊之助を目指して頑張るぞ!』
『それはものの例えだから! 本気でそこを目指されたら軍師の俺が困る!』
『……猪武者からの脱却ってことにしときましょう』
レオナルドは慌てて訂正し、ツバサは苦笑で見守ってくれた。
こうして――数ヶ月に及ぶ特訓が始まった。
最初に取り組んだのは、無効化空間のコントロールだった。
誰彼構わず取り込む領域として広げるのではなく、掌で転がせるくらいの小さな力場として操れるようにを心掛ける。
それができるようになったら、力場を変形させる練習をさせられた。
何も考えずに無効化空間を作ると球形になる。
これを意識することで三角や四角に五角に六角、棒状や袋状にもっと複雑な形にもできるようトレーニングを重ねていく。
それができたら、この小さな力場を複数作る訓練に移る。
これで――下地が整えられた。
カンナの手の届く範囲に生まれる、いくつもの小さな無効化空間。
これらを武器や防具にまとわせていく。
それぞれの形状に合わせた泡で包むイメージだ。天翔るバイクや機動盾は完全に包んでしまうと機能停止に陥るため、表面のみを覆えばいい。
無効化空間でコーティングすると考えればいい。
たとえ次元を切り裂く攻撃であろうと、無効化空間で包まれた武具ならば受け止められる。防具も同様、能力による攻撃を寄せ付けない。
こちらの攻撃では一手間加えるのも忘れない。
武器を打ち合わせる、あるいは防がれた瞬間、その接点から無効化空間を流すように移動させて相手を覆うことで一時的に能力を封じるのだ。
これが――レオナルドの試行錯誤である。
おかげでカンナの戦闘能力は飛躍的に向上した。
正しくは、戦闘における汎用性が増したと言うべきだろう。
無効化能力は能力バトルにおいて禁じ手のような効果を持つ反面、その能力自体にはまったく攻撃力がない。ある意味、最も無力ですらある。
しかしながら、神族や魔族は異能に頼りがちだ。
特に過大能力や技能は欠かせないものであり、絶対に使わない者は一人もいないと断言しても過言ではないだろう。
それらを無力化させられたら――能力低下を余儀なくされる。
属性も相性も関係ない。
カンナは何者が相手でも無効化空間を操ることで、オールマイティーに立ち回れる応用力を身に付けられたのだ。
あと、本当に戦闘能力も格段にアップさせられていた。
無効化空間のコントロールと並行して、地獄の方がまだマシと思える拷問みたいな戦闘訓練を課せられた結果である。
『相手を無力化させるだけなんだから、自身も強くなっておかないとな』
レオナルドやツバサの意見はもっともだ。自身の過大能力“無効化”を身を以て体験しているカンナに反論の余地はなかった。
こうした成長ぶりから、この戦争では遊撃手を任されたのだ。
ただし――まだまだ発展途上である
頼みの綱である無効化空間は、まだ自由自在と言い難い。武具や防具に付与することでできるようになったのは大きな進歩だが……。
『だとしても、決して慢心はしないでくださいね』
そうツバサに念を押されてしまった。
『無効化空間を使いこなしつつあるのは確かですが、完璧ではないんですから……そこを見抜いて突いてくる狡猾な奴がいないとも限りません』
ツバサは心配性な母親みたいだった。
ストレートな感想を伝えると、ツバサは眉を怒らせて大声を上げる。
『――誰が母親ですか誰が!?』
『ええっ! その決め台詞、拙者も言われるの!?』
とにかく! とツバサは注意を促してくる。
『カンナさんが用心すべきポイントは2つあります』
ひとつ、自身を無効化空間でコーティングできないこと。
『まだコーティングに慣れてないためか、あなた自身を守るために無効化空間で覆おうとすることができない。何故ならば……』
『皆までいうなツバサ殿……一番痛い目に遭ったのは拙者なのだ』
その点はカンナも猛省中である。
槍や機動盾、それに天翔るバイクにもコーティングはできたのだが、いざ自分を守ろうとすると上手にできなかった。ただ無効化空間で自らを包んだだけ、それですべての能力が使えなくなってしまった。
無効化能力を無効化能力で無効化……バカみたいだが本当の話だ。
『もうひとつは、これが過大能力であるということです』
過大能力に対抗できるのは過大能力のみ。
逆に言えば、過大能力には過大能力で抵抗できるわけだ。
『これまでの特訓でもわかったと思いますが、ツバサやレオが全力で抵抗した場合、カンナさんの無効化にいくらか耐えることができました』
『しかし、それは二人が拙者より強いから……』
『無論、実力差ゆえに抵抗できたというのもありますが、場合によってはどんな過大能力でも、カンナさんの無効化に耐性を持てるかも知れません』
たとえば――命を賭するとか。
この二点を踏まえて、ツバサは慎重さを説いてくれた。
『カンナにはまだ研鑽すべき未熟さがあること。無効化に過信せず、相対する者の覚悟を侮らないこと……これを忘れないでください』
『はい、承知いたしました』
決して短絡的行動は起こさない――女猪武者はもう卒業する。
ツバサやレオナルドの教えを肝に銘じるカンナだった。
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まだ気を逸らせるな! とカンナは自身に言い聞かせる。
短気という名の猪を飼い慣らす心持ちだ。このまま無鉄砲に突撃したい激情に突き動かされるが、それをやったら惨敗するのは見えている。
こちらも挑発したのだから、相手の出方を見よう。
チンピラみたいな風体にも関わらず、当たり障りのないのらりくらりとしたアリガミに通じるかわからないが、多少の反応はあった。
キーワードは――虚無だ。
それがアリガミの琴線に触れるのだろう。
明日はいらないと謳うアリガミが優越感を覚えて勝利を求める様を「滑稽だ」とあざ笑えば、額に青筋を浮かべようとしていた。
アリガミは怒気を帯びた声を震わせる。
「オレが滑稽……だと? 滑稽なのはどっちだよおい……?」
口調にドスが利き、言葉遣いが乱暴になってきた。
両手に握る七支刀を、バトンよろしく軽やかに踊らせている。
「頼みの無効化能力が限定的だと見破られて……オレの次元牙を回避する術もないくせに……虚勢を張ってるのはどこのどちらさんですかねぇ……?」
七支刀が空を舞う度、次元の裂け目がそこかしこに生じる。
アリガミの周囲が切り裂かれるだけではなく、カンナを包囲するように360度あちらこちらに異空間へ通じる裂け目が続々と開いていく。
そこから次元牙の萌芽が覗けた。
「突撃するしか能がないメス猪武者が……オレを笑いやがったな?」
明日はいらない――虚無への憧憬。
次元を断つ力は、虚無へ至る手段として覚醒したのかも知れない。
大抵のことはヘラヘラと受け流すアリガミだが、自分の本質に関わることは無視できないようだ。カンナの挑発がダイレクトに効いていた。
「どっちが滑稽か思い知らせてやるよッ!」
アリガミの振るう七支刀二刀流が空間を滅多斬りにする。
それが合図なのか、全方位から次元牙が恐ろしい勢いで生えてきた。
――次元牙による包囲網。
「次元牙の牢獄で散り散りになって逝きやがれ!」
刀と剣と刃が秒速で生い茂る密林に放り込まれた気分だ。
このままでは身動きが取れなくなる。やがて迫り来る次元牙で全身を空間ごと切り刻まれ、気付いた時には細切れの肉片となってばら撒かれるだろう。
あるいは、次元の彼方へ葬り去られるかも知れない。
逃げ場はない、回避する術もない、防御する手段は限られる。
「ならば――推し通るまでだ!」
カンナは天翔るバイクのアクセルを全力で噴かした。
最初からフルスロットル、アリガミを目標に定めて突撃する。次元牙が行く手を阻んでも怯まず、むしろ限界を超えてギアを上げていく。
音速の壁を越え、爆発音とともにバイクが駆ける。
「ハッ! やっぱり猪武者じゃねえか!」
カンナの愚行を蔑むように、アリガミは嘲笑を投げ掛けてきた。
突撃してくるカンナを阻むため、伸びる次元牙はカンナの行く手に密集した。まともに突っ込めば潜り抜けた頃にはバラバラだ。
「それでも……推し通るッ!」
カンナは6枚の機動盾に招集をかけた。
無線で遠隔操作されている機動盾は、カンナを護衛するように陣形を組む。突き進む前方に守りを集中させ、後方はがら空きとも言える状態だ。
カンナは槍を構え、そのまま特攻を仕掛ける。
何枚もの分厚い盾で守りを固め、槍を手に突き進むのみ。
それは古代の重装歩兵が密集したまま前進する勇姿を彷彿とさせた。ファランクスと呼ばれる密集陣形である。
カンナの槍、機動盾、そして天翔るバイク。
これらには無効化空間のコーティングが施されている。
それらの無効化空間を重ね合わせて大きな馬上槍にも似た形状に整えると、アリガミの張り巡らせた次元牙を突き抜けていく。
「なっ……なんだとぉぉぉーッ!?」
驚愕したアリガミは、次元牙をこれでもかと追加する。
だが、無効化空間を束ねた一本の馬上槍となったカンナは、構うことなく次元牙をへし折りながら突き進む。機動盾に搭載された砲塔が火を噴き、同じようにコーティングされた砲弾が行く道を開いた。
後ろは振り返らず、前に進むことしか頭にない。
まさに猪突猛進である。
無効化空間が後方にまで手が回らないからだ。がら空きの背中に追い縋る次元牙を振り切るも、風に靡くツインテールに刃先が触れるのを感じた。
臆することなくカンナは包囲網を突破した。
馬上槍の先端――構えた槍の穂先はアリガミを補足している。
「……取った!」
「取らせるかよバカ野郎ッ!」
アリガミは二本の七支刀で空中に円を描くと、その切っ先が辿った軌跡へ滑り込むように消えていく。どうやら次元の裂け目に逃げ込んだらしい。
急ブレーキとともに天翔るバイクは旋回。
燃えるブレーキ痕を空中に残して、カンナは急停止する。
「どこだ……ッ!?」
逃がしたアリガミの姿を探す。
機動盾を手近なところに配置して警戒しつつ、視線を上下前後左右に振って彼の影を追いつつ、感知系技能をフル活用して気配を探る。
「……ふぅ~、危ねぇな。まさか突破されるとは思わんかったぜ」
探すまでもない。アリガミの方から目の前に現れた。
ただし首だけだが――。
「次元牙でカ~ゴメカ~ゴメ♪ しながらみじん切り……なんて遠回しだけどゴリ押しな殺し方を狙ってみたけど、まさかそっちも力尽くで破ってくるとはね。いんや、メス猪武者にはお似合いの遣り口かな?」
次元の向こう側から、アリガミは首だけを出してくる。
モグラ叩き――なんて単語が頭に浮かぶ。
鎖骨くらいまで覗けるので胸像に見えなくもない。だが、攻撃を仕掛けたらすぐに裂け目へ引っ込んでしまうに違いない。
「……今度はかくれんぼか? それともモグラ叩きか?」
少々の嘲りを込めてカンナが問えば、アリガミは卑屈に鼻で笑う。
「もう煽られねぇよ。さっきはガラにもなく頭に血が上っちまったからな……まさか猪武者に挑発されてプッツンするとは予想外だったぜ」
我ながら恥ずかしい、とアリガミは自嘲した。
「猪武者とゴリ押しや力尽くでやり合うのは愚策……学んだぜ」
ズルリ、とカンナの右後方に新たな気配が生じる。
アリガミの首に注意を向けたまま目線を逸らしてみると、そこに現れたのは凶悪な籠手を身に付けた右腕があった。あれはアリガミのものだ。
七支刀は握られてない。もう不要らしい。
左下方に新たな気配、そこからアリガミの左腕が現れる。
アリガミの首の左右には、それぞれ左足と右足が伸びてきた。
どちらの脚にも邪悪な装甲ブーツを身に付けていた。デザイン的に籠手と同じものだろう。あれらで殴られたり蹴られたら痛そうだ。
よくよく見れば――籠手も装甲ブーツも次元牙で作られていた。
痛いどころではない、空間ごと持って行かれる。
「カンナさんにはトリッキーな戦法のが効く」
さっきみたいに、とアリガミはいやらしい笑顔で舌を伸ばした。
舌先には唾液で濡れた小さな次元牙が光っている。あの時の攻撃で、カンナの無効化空間には制限があることを把握したのだ。
だが――それは読み違いだということを教えてやろう。
カンナは構えていた槍の穂先を下ろすと、落ち着いた声で言った。
「三度目の正直だ、これが最終通告と思ってくれ」
降伏しろ――アリガミの負けだ。
カンナの発言にアリガミは表情を失っていた。カンナは深呼吸をすると、冷静な心になるよう努め、降伏を勧める理由を明かしていく。
「次元の向こう側へ隠れた時点でおまえの負けだ。大人しく降伏しろ」
命だけは助けてやる、と定番のセリフも添えておく。
無表情だったアリガミは少しずつ口角を釣り上げると、大声を上げて爆笑するかと思えば一転、口角が急転直下で下がって歯を食いしばってしまった。
目尻を釣り上げたアリガミは怒号をぶちまける。
「トンチキぬかしてんじゃねえ! このクソイノシシ女がぁッ!」
アリガミが吠えると、頭と手足が別個に襲ってきた。
次元や空間をランダムに飛び越えて、こちらを攪乱しながら迫ってくる。それぞれ次元牙を何百本と生やして、何本もの七支刀を寄せ集めたみたいだ。無効化空間があろうがなろうが関係なく、カンナを貫こうという殺意を感じさせる。
カンナは慌てず動じない。
ただ、無効化空間を小細工なしで広げればいい。
過大能力――【白き部屋にて行う決闘裁判】。
すべての能力を打ち消す純白の空間が展開する。
機動盾や天翔るバイクも機能を失い、重力に従って墜落していく。カンナも飛行系技能すら使えなくなったので同様に落ちていく。
アリガミは――それどころじゃない。
「ちょ、待っ……こんな無効化を広げられんの!?」
聞いてないよぉ!? とアリガミは思いっきり狼狽していた。
ここぞとばかりにカンナは勝ち誇ってやる。
「言ってないからな! だから親切心で負けを認めろと勧めたのだ! 断っておくが、私の無効化は能力で引き起こされた現象も無効にするぞ!」
この説明にアリガミは青ざめる。
アリガミの次元を切り裂く能力である次元牙は見る見るうちに砕けていき、切り裂かれた次元の裂け目も閉じていく。
ギチギチ、と肉や骨が圧力によって軋む音がした。
現在、アリガミは頭部と両手両足だけをこちらに出現させており、胴体は次元の向こう側、恐らくはどこかの異空間に隠している。
頭や手足を出した次元の裂け目が塞がろうとしているのだ。
「いや、ホント待って!? こ、こんなえげつな……ギャアアアアアッ!?」
ブツン! と鈍い断裂音が響いた。
白い空間に鮮血の血飛沫が飛び散り、アリガミのバラバラになった手足が弛緩したまま宙に舞う。頭は絶叫を上げたまま白目を剥いていた。
「だから降伏しろと言ったんだ……」
カンナは後味が悪そうにポツリと零した。
生きたまま五体を引き千切られたのだ。壮絶な激痛を味わっただろう。
無体なことをした……カンナは一度だけ目を閉じる。
黙祷を捧げたつもりだが、まだ気は緩めない。
アリガミの殺意が消えないからだ。神族・破壊神に属する彼は首だけになっても生きていたという報告書にも目を通している。
案の定、白目がグルッと回って鬼気迫る眼光が瞬いた。
「ま、まだ、まだぁ……まだ終わりじゃねえ!」
次元が元に戻る力によって引き千切られ、力を失っていた手足にも力が戻ってくると、籠手や装甲ブーツがメキメキと音を立てて変形する。
「差し違えてでも……クソイノシシ女! テメエだけは殺しておく!」
装備から新たな次元牙が生えてきたのだ。
「馬鹿な……ここは無効化空間だぞ! 過大能力だって……ッ!?」
瞬間、ツバサからの教訓が脳裏に蘇る。
『過大能力に対抗できるのは過大能力だけです』
『命を賭ければ無効化に抵抗できるかも知れない』
手足を捥がれたアリガミは死に物狂い、まさに命懸けである。
頭部も入り乱れた角のような次元牙を生やし、大きく開いた口からは文字通りの次元牙をサーベルタイガーよろしく生え揃わせていた。
乾坤一擲の気迫でアリガミは襲来する。
「何にもない明日のために……この世界もろとも失せやがれええええーッ!」
無効化への耐性を持った次元牙を突きつけられる。
数本なら防げたかも知れない。
だが、秒単位で何十本にも枝分かれしていく刃は無理だ。躱すこともできない。次元を断つ能力は低下しているが、単純にこれだけの刃は防げない。
これまでか、とカンナが敗北を覚悟した瞬間だった。
『――想像力だ』
レオナルドの声が心の奥底から聞こえてくる。
『過大能力はおまえのもの。必ずおまえの意志に応えてくれる』
ギリッ、とカンナは奥歯を噛み締めた。
「甘ったれるな! このドたわけがーーーッ!」
一喝とともに繰り出した拳は、アリガミを殴り飛ばした。
女騎士の手甲をつけたままのパンチは次元牙の影響を受けず、逆にバキボキとへし折りながらアリガミの頬に命中する。
頬がへこんだアリガミの顔から、壊れたサングラスが吹き飛んでいく。
「がへッ!? な、な、さ、更に……無効化されてるだとぉ!?」
怒りに任せた一撃ではない。
カンナは無意識のうちに過大能力を制御していた。
殴りつけた瞬間、拳に無効化の力を集めたのだ。これにより次元牙の効力を跳ね返しつつ、新たな次元牙が生えるのも伸びるのも封じる。
直接叩き込む――無効化の重ね掛け。
レオナルドの蘊蓄で触れられた、「その幻想をぶち殺す!」という名台詞で有名なキャラクターから咄嗟に着想を得たものだった。
一発殴った程度では気が済まない。
「何もない明日が欲しいだと!? 格好つけるな!」
落下するカンナは、アリガミをボコボコにするつもりで殴打する。
「おまえが駄々を捏ねたところで明日は来る! 昨日には戻れないんだ! 拒んだって逃げたって……明日は必ずやってくるのだ!」
「うぐぅ……だから、それをブッ壊そうってんじゃねえか!」
アリガミは殴られながらも反撃してきた。
千切れた手足もがむしゃらに振り回して抗おうとする。
「ハッ、できるものかよ!」
しかしカンナは意に介さず、全力を込めた攻撃の手を休めない。パンチだけでは気が済まず、足技まで使い始めて猛攻を加速させる。
捲し立てる言葉もアクセル全開だ。
「おまえらがどんな壊し屋であろうと、時間の流れまでは壊せまい! 時間の流れは止まってくれやしないんだ! 来世まで叩き潰すだと? 世界の強さを甘く見るなよ! おまえたちがどれだけ非生産的な努力をしても……」
未来はいつも先にある! とカンナは力説した。
右ストレートをアリガミの鼻っ柱に叩き込みつつの力説である。
「……ぷっあっ!?」
高度100㎞からの落下中に繰り広げられた攻防。
地上まで残り1㎞、そこを通り過ぎた瞬間にカンナ渾身の拳が決まり、これが決定打となってアリガミはほぼ戦意を喪失していた。
ここでカンナは無効化空間を解除する。
飛行系技能で落下スピードに急ブレーキをかけ、一緒に落ちていた天翔るバイクや機動盾の制御を取り戻すと、手放していた槍を手繰り寄せる。
その槍で――アリガミの眉間を貫いた。
「あがっ!? きっちり、トドメを忘れずに……か……」
完敗だぜ、という降参の言葉は風に散る。
カンナは残り1㎞の上空から、重力に乗せて槍を地表へ投げ飛ばす。
槍はアリガミを刺し貫いたまま落ちていき、ズドンと地響きを起こしながら大地に突き立った。衝撃により地面が陥没してクレーターができる。
クレーターの中心にカンナも降り立った。
その背後では自動操縦モードの天翔るバイクや機動盾も着地する。
「おまえの負けだな……アリガミ」
「返事はもうしたから……省略させてもらうぜ」
眉間を槍で貫かれたアリガミは地面に縫い止められている。その顔はカンナがボコボコに殴って腫らしたが、不思議と穏やかな表情をしていた。
口にする言葉も荒々しさが抜けている。
乾いた風が吹いた後、アリガミはこちらを見上げながら言った。
「なあ……残酷で無慈悲な明日なんざいらねえだろ?」
確かに欲しくはない、カンナは心中で答えた。
口に出したわけではないが、アリガミはこちらの表情を読んだらしい。同意を得たと踏まえた上で、次の句をポツリポツリと紡いでいく。
「誰だってそう……カンナさんだって例外じゃないさ……たとえば……明日、レオナルドさんが他の女と結婚するとしたら……」
どうする? と意地の悪い質問を投げ掛けてきた。
想像しただけでカンナの心臓は止まりかける。顔色を変えることは防げたが、背中はヌルヌルとした嫌な汗に塗れていた。
カンナの動揺を読み取ったアリガミは皮肉に微笑む。
「レオナルドさんはずっと……№3の女しか眼中にねぇんだぜ? 君たち爆乳特戦隊はカラ回りさ……それが辛いと思ったことあるだろ?」
他の三人は頭のネジが外れているけど、カンナはまだまともである。
レオナルドを独占したい願望も飛び抜けて強い。
なにせ物心ついた頃からの恋心だ。クロコ、アキ、ナヤカ、彼女たちとは年期が違う。レオナルド以外の男と寄り添うなど考えられなかった。
カンナの瞳が悲しげに潤み、眼が細くなっていく。
首だけのアリガミは冷やかしてきた。
「明日レオナルドさんが盗られたら……カンナさんはどうするんだい?」
しばらく躊躇した後、カンナは小さく息を吐いた。
「この世はな――みんな半分ずつだ」
泣きそうな顔のまま冷静な声でそう答えた。
「半分……ずつ……?」
答えになってない、とアリガミは小首を傾げたそうだった。槍で縫い止められた首だけの身では敵わないが……。
カンナは子供へ聞かせるように話してやる。
「この世にあるものや起こる出来事はな、良いことも悪いことも……すべて半分ずつになっているそうだ。お祖母さまにそう教えられた」
レオナルドの件で例えてみよう。
「考えたくもないしありえなくもないが……レオ殿が……しし君が、他の女と……け、結婚するとしたら……まあ、私は泣き喚くだろうな」
これが悪いことだとしよう。
「だが……そうなれば諦めもつくというものだ。レオナルドに縛られていた恋心は解放され……私はちょっと気が楽になる。自由になれるのだ」
これが――良いことだ。
アリガミは半信半疑の眼差しでカンナを睨め上げる。
「レオナルドさんを奪った女を恨んだり妬んだり……しないのかい?」
「そんな未練がましいことできるものか」
私を見くびるなよ、と訴えるカンナの声は涙を含んでいた。
強がりにしか見えないが胸を張って宣言する。
「しし君は……レオ殿は私の惚れた男だ。姉弟よりも長く共に歩んできた男だ。その男が選んだ相手なら……私に文句をつける資格などない。私はレオナルドとその女を祝福し……あいつとはただの幼馴染みに戻るだけだ」
精一杯の強がりでカンナは言い切った。
フッ、と気の抜けた笑い声がどこからか漏れてくる。
「……強い女だな、カンナさんは」
アリガミは論戦でも負けを認めるような語調で返してきた。
ここでカンナはやり返す。
「そもそもアリガミ……おまえだって他人のことをとやかく言えまい」
明日なんていらない――虚無に還りたい。
「それがおまえの望みだとしても、それだけとは言い切れまい。良いことと悪いことは半分ずつ……必ずや裏返しになった想いがあるはずだ」
「オレの……裏返しの想い……?」
オウム返しなアリガミの言葉は、とても弱々しかった。
首だけにされて槍で眉間を貫かれても、口がきけるのは破壊神ならではの不死身っぷりだが、そろそろ限界が訪れようとしていた。
アリガミの首は、各部位から崩壊を起こしかけている。
耳や鼻に首の断面、身体の末端から乾燥してひび割れつつあった。
カンナは少し早口で話していく。
「おまえはGM時代、ロンドの腹心としてマッコウさんやミレンさんと一緒にめまぐるしく働いていたではないか、仕事中毒張りにな」
何にもない明日が欲しい――何もない未来に生きたい。
「そんな虚無主義を突き詰めた男だが、どうしてあんなに身を粉にして働いていたのだ? ロンドのためか? 弱味でも握られていたか?」
アリガミの眉がピクリと痙攣し、すぐに塵となって崩れた。
「……あの人は……そういうことしねぇよ」
言葉少なだが、言外に「心外だ」という反感が伝わってくる。
そこにロンドへの厚い忠義心が窺えた。
名前を挙げたマッコウやミレンもそうだが、ロンドは現実世界にいた頃から忠誠を誓う部下が何人もいたという。奇妙なカリスマがあったらしい。
この男は――そこに魅入られたのかも知れない。
「ああ、そうか……今更ながらだけど……やっと、気付けたよ……」
初心を思い出したようにアリガミは呟いた。
「オレは、あの人の……ロンドさんの役に立ちたかったんだ……」
アリガミは灰色の御子の血筋に生まれたが、彼の家庭環境は褒められたものではなく、十代半ばにして天涯孤独も同然の身の上だったらしい。
この頃「何もない明日」への執着が目覚めたという。
そんな彼に手を差し伸べたのが他でもない――ロンドである。
「つまり、恩があったわけか」
「そういう安っぽい理由でもいいさ……オレはただ、あの人の背中を追っかけただけ……なんにもない明日をくれるって約束もあったけど……ロンドさんが嬉しそうにしてるところが……笑ってるところが好きだったなぁ」
兄貴というか、親父代わりでもあった。
アリガミを自身の“右腕”が務まるまで育ててくれた恩義もある。
「面倒見がいいあの人に……憧れてたんだよなぁ……」
何もない明日を夢見るようになったのも――
未来に諦観を極めて破滅を志したのも――。
来世をも破壊して虚無を目指したのも――。
――すべてロンドからの影響だった。
「全部、ロンドさんへの憧れ……そうだよ、オレには最初から何も望んじゃいなかった、何も要らない、何も求めない、何も欲しがらない……」
アリガミは最初から――空っぽだった。
そこに大恩あるロンドの面影が棲み着いただけに過ぎない。
酷い言い方をすれば劣化コピー。
でもさ……とアリガミは崩れていく唇で微笑んだ。
「楽しかったんだよ……ロンドさんやみんなと一緒にいるのは……」
アリガミの眼が輝きを失い、ゆっくり白濁していく。
それでも彼の視線は虚空を見つめ、懐かしい日々を振り返っていた。
「格好に気をつけたのはマッコウさんに叱られたから……人付き合いはミレンちゃんに言われたから……女遊びは……ロンドさんに教えられて……」
全部、ロンドや仲間からの影響だった。
「なんでよ……オレの人間味って……全部、誰かの受け売りか……」
「馬鹿者、受け売りなどではない」
家族なら影響されて当然ではないか、とカンナは告げる。
これを受けたアリガミはきょとんとするも、最後に安堵の笑みを零した。
「ああ、家族か……そりゃ、家族のためなら……」
頑張れるわな……とアリガミは得心したように唇を結んだ。
カンナは眉尻を下げ、憂いを露わにする。
「虚無を望むばかりじゃない。それが悪いことだとすれば、家族や仲間と過ごす時間を尊ぶ、良いことを求める心も……ちゃんとおまえにあるじゃないか」
あるじゃないか! とカンナは語気を荒らげた。
アリガミは返事をしない。
大地に突き立てられた槍の下には塵が積もるばかりだ。
アリガミ・スサノオという男の骸は、すべて塵となってしまった。
口惜しげにカンナは歯を噛む。
「大切なことに気付くのが遅すぎだ……馬鹿者め」
あるいは望み通りかも知れない。
少なくとも、アリガミに明日はもう来ないのだから……。
カンナは地面に刺したままの槍を抜こうとして手を伸ばしたが、その切っ先に積もったアリガミの塵を見下ろすと逡巡する。
「おまえの望んだ何もない虚無だ……ゆっくり揺蕩うといい」
来世までの一時だがな――。
その言葉を手向けに、今度こそ本当の黙祷を捧げてやる。
そして、カンナは天翔るバイクに跨がると、機動盾を率いて宙に駆け上がった。途中で傷の手当てをしつつ、遊撃手としての任務を続行する。
槍は――墓標の代わりにくれてやろう。
肩越しに一瞥くれたカンナは、何も言わずに立ち去っていく。
守護神と破壊神の盤上では、№03のコインが塵となって消えていた。
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