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第14章 LV999 STAMPEDE

第350話:魔法の女神 イシス

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 ――時間はほんの少しさかのぼる。

 真なる世界ファンタジアを滅ぼすだけでは飽き足らず、異相いそうに落ち延びた数多ある亡命国家をも滅ぼさんとする最悪にしてバッド・絶死をもたデッド・らす終焉エンドの企み。

 これがノラシンハの遠隔視えんかくしによって発覚した。

 亡命者たちに思うところはある。
 
 ツバサたちの活動を覗いているであろうにも関わらず、異相に逃げ込んだまま顔を出そうともせず、真なる世界の復興に手を貸すこともなく、まったくの無反応な連中には業腹ごうはらを覚えなくもない。

 さりとて、ロンドの兇行きょうこうも見過ごせない。

 また、ミロやミサキといった正義感にあふれる少年少女は「それでも助ける!」と強硬論きょうこうろんをぶち上げ、それが不和を引き起こしかねない。

 これらの観点から無視できなかった。

 推測だが――異相で暴れる一団は彼らの中でも精鋭部隊。

 やはり早々に対処しておかねば厄介だ。

 後々、異相から不意打ちでもされたら敵わない。

 そんなことされる前に奴らを発見してこちらから攻撃して、「異相から奇襲なんてできないぞ?」と印象づけ、精神的な優位も確保しておきたかった。

 そのための探知器も用意した。

 異相に逃れた亡命国家――それを発見する装置だ。

 とはいっても複雑怪奇に重なった異相を調べるのは不可能なので、かなり限定的なシステムではある。ロンドの手下を見付ける装置も兼ねていた。

 亡命国家は結界で守られている。

 生存環境に適さない異相で生きていくためには、大規模な結界で覆った国土ごと避難するのが手っ取り早かったそうだ(※ノラシンハ談)。

 その結界は異相のきわにあり、真なる世界ファンタジアと接しているらしい。

 異相で危機に陥った際、こちらの世界へすぐ戻るためだという。

 ぶっちゃけ保険みたいなものだろう。

 このため結界内で異変が起これば、真なる世界ファンタジアにも伝播でんぱする。

 たとえば最悪にして絶死をもたらす終焉が、とある亡命国家を襲って結界内で激しい戦闘を繰り広げた場合、その震動は異相を超えて伝わってくるらしい。

 それをキャッチするのが探知機の役目である。

「その探知機が……幼女とはな」

 想像の斜め上をぶっちぎってるだろ、とツバサは呆れ果てた。



 現在――ハトホルフリートは巡航中だ。



 乗り込んだ面子めんつは出撃のために選抜したメンバーのまま。

 ハトホル陣営からはツバサ、ミロ、ダイン、フミカ、セイメイの五名。

 これに穂村組ほむらぐみからの応援としてセイコが加わる。

 イシュタル陣営からは軍師レオナルド、ククルカン陣営からは鉄拳カズトラ、タイザンフクン陣営からはメイド長ホクトの各一名ずつ合計三名。

 ここに――幼女型の探知機が加わった。

 分類的には人造人間アンドロイドに当たる。
(※クロコが指揮するメイド人形部隊は自動人形オートマータなので別物)

 複数の神族が持つ探知に優れた過大能力オーバードゥーイング、それを劣化コピーしたものを探知機は搭載しているため、人型の方が十全じゅうぜんに能力を発揮するらしい。

 そのため人型機械でもある人造人間が選ばれたそうだ。

 クロコは錬金術師系の技能で自動人形オートマータを作れる。その確かな造形美を創る技術力を買われて人型ボディの製作を任されたという。

 この際――クロコはいらぬお茶目を発揮した。

『ノラシンハ翁の能力をメインに据えるのでしたら、おうの意見を参考にさせていただきましょう。何かリクエストはございますか?』

『お、だったらオレに孫娘がいたっちゅうていで創ってくれへんか?』

『孫娘のように愛らしい幼女をお望みと……はい喜んでー!』

 こうして――幼女型探知機が爆誕ばくたんしてしまった。

「しかも、ちゃんと二~三歳児並みの人工知能まで積んでやがるし……」

 ツバサは艦長席に座っている。

 いつもなら膝の上にはミロが我が物顔でふんぞり返っているのが、今日はツバサの横に立つと、ニヤニヤと微笑ましそうにこちらを見守っていた。

 ツバサの膝上に――くだんのアンドロイドが鎮座している。

 クリーム色の長い髪はミロ風のシニョンに結われ、七五三みたいに着物とはかまを着せられている。出発する前に女性陣が「あれもいい! これもいい!」と着せ替え人形にした挙げ句、この格好に落ち着いたらしい。

 両手で哺乳瓶ほにゅうびんを持ち、小さな口で懸命に吸っていた。

 哺乳瓶の中身はハトホルミルクだ。

 抱き上げてからというもの「まま、ぱいぱい」とツバサの爆乳をペチペチ叩いては、「おっぱい吸わせろ」と幼児らしくアピールしてきた。

 神々の乳母ハトホルという母性本能は大喜びだが、ツバサの男心は歓迎できない。

 おおやけの場(特にハトホルミルクの事情を知らない男性陣の前)での授乳なんてできるわけもないので、妥協案として哺乳瓶に入れて飲ませてやった。

 ンクンク、と幼女は喉を鳴らしてミルクを飲んでいる。

 それだけで母性がかつてない高鳴りを覚えた。

 最近、神々の乳母ハトホルとしての本能が増長しつつあるのだ。

 ツバサが強くなるのに呼応するように、母性本能まで力を付けてきているような気がしてならない。あるいは比例しているのかも……。

 おかげで――幼子が愛おしくて堪らない。

 母親らしいムッチムチの太ももに幼気いたいけな子供が乗り、自分の乳房からしたたったミルクを美味しそうに飲んでいる。男心は羞恥心で発狂しかけているが、神々の乳母ハトホルたる母性は愛おしさが募って暴走しそうだった。

 搾り置きしたミルクを哺乳瓶で飲ませるなんて愛情が足りない。

 今すぐジャケットもシャツもブラジャーもはだけて、この場で幼女に授乳してやりたいという、母神ははがみとしての欲求に駆り立てられていた。

 理性の助けを借りた男心が食い止めているが、消耗する一方である。

「――ツバサさん、良かったね」

 ミロの無邪気な一言でツバサは我に返った。

 右手がジャケットの襟元えりもとへ伸びており、下着ごと引き千切ろうとしている自分に気付いた。無意識で胸元をはだけようとしていたらしい。

 奇しくもミロが母性の暴発を止めてくれたのだ。

 ここまで母性本能に侵されたか、とツバサは内心冷や汗をかいた。

 そのミロは生暖かい笑顔で続ける。

チャナちゃん・・・・・・のおかげで子育ての予行練習ができるじゃん。これでいつ、アタシとツバサさんの赤ちゃんが生まれても対策バッチリだね」

 産むのは勿論ツバサさん! とミロは親指を立ててグッドサイン。

 心の冷や汗を隠したツバサは、不機嫌そうに鼻を鳴らすと気怠げに頬杖をついた。しかし、片手は自然と幼女の頭を撫でてしまう。

「……フン、れっきとした男性である俺が産めるわけないだろ」

「まだ男でいるつもりなの? ここまでみんなのオカン系女神になっちゃったのに、男に戻れると思ってるのかなー? いいかげん諦めようよー」

 ねーチャナちゃん♪ とミロは幼女に同意を求める。

 チャナと呼ばれた幼女は口から哺乳瓶を外すと、未練がましい瞳でツバサを見上げ、その小さな手で無遠慮に爆乳をペチペチ叩いてきた。

「まま、ぱいぱい、まま、おっぱい」

 まるで「おっぱい直飲みさせろ」と催促しているみたいだ。

「やかましい、誰がままのぱいぱいだ」

 いつもの決め台詞だが、子供相手なのでボルテージは低めだ。

 人造人間アンドロイドといえど幼児に無体な真似はできない。

「大体なんだよ、そのチャナって?」

「ノラシンハのじいちゃんが付けた名前だよ。親戚だかにいた子供の名前を付けてみたって……だからクロコさんがチャナちゃんって呼んでた」

 名付けると情が移りそうだから控えていたのに……。

 いい年こいて、くだらない小細工が大好きなクロコとノラシンハ。

 この2人が絡んだ時点で観念すべきだろう。人型機械が幼女にされて、人工知能が搭載されて、命名されるまでセットになるのも致し方ない。

 最近ではセクハラ漫才も板についた迷コンビだ。

「いいじゃないかツバサ君――おっぱいぐらい吸わせてあげても」

 セクハラ気味の放言にツバサのまぶたが揺れる。

 まさかの発言者はレオナルドだった。

 本人に悪気はあるまい。なにせ昔からの悪友付き合いだ。そちらに目を向ければ、銀縁眼鏡の奥にある眼を細めて、チョイ悪な微笑みを浮かべている。

「せっかく女体化したのだから、その程度の遊び心は試してみるのも悪くないのではないかな。君とて爆乳好きのおっぱい星人、乳房を吸われる感覚がどんなものかという興味は尽きないだろう?」

「おまえがそういう嫌味を口にするとは……意外だな」

 ツバサは眉根を寄せて口をへの字にした。

 かんにさわるのは間違いないが、不思議と不快ではない。気分的には「やってやられてやり返されて」という遊び感覚に近かった。

 してやったり、と言いたげにレオナルドは含み笑いを漏らす。

「事あるごとに爆乳特戦隊クロコたちでいじられているからね」

 たまにはやり返さないとな、と機会を窺っていたことを匂わせる。

 眼鏡の位置を直しながらレオナルドは付け足す。

「まあ、ミロ君ともっとスゴいことをやっていることについては、クロコから耳がただれるほど聞かされているので……今更とは思うがね」

「……あの駄メイド、帰ったら折檻せっかんだ」

 ツバサのこめかみに怒りの血管が刻まれる。

 その折檻もクロコにとってはご褒美になるので悩ましい。

「まあ女性としての経験は積んだとしても、まだ出産経験のないツバサ君はどんなに頑張っても母乳は出ないだろうから、擬似的な授乳になるだろうがね」

 レオナルドは両手を上にしてニヒルに肩をすくめた。

 冗談めかしたつもりだろうが、こちらは冗談では済まされない。

 毎朝毎昼毎晩と1日3回、乳牛顔負けの搾乳量を誇るようになったツバサは名実ともに牝牛の女神ハトホルに相応しい地母神になってしまったのだ。

 おかげでハトホルミルクの貯蔵は十分だった。

 そのためレオナルドはジョークのつもりで言ったとしても、こちらは複雑な胸中で受け止めるしかない。どう返事をするべきか言葉も詰まってしまう。

 不自然な間が生じたことで、レオナルドもいぶかしむ。

 冗談を振ったはずのレオナルドは真顔でこちらに視線を送ってくるが、ツバサは気恥ずかしさから何も言えず、あろうことか顔を背けてしまった。

 この行為が――軍師に決定的な疑念を抱かせてしまう。

「え、ツバサ君、まさか……まさか・・・ッッッ!?」

「ミロ! そこのラノベ主人公体質な軍師にセクハラ発言の罰を与えろ! そうだな……生え際の髪を2~300本くらいむしってやれ!」

「イエッサー! サ○ヤ星の王子みたいなM字にしてやるぁーッ!」

「ちょ、待っ、ミロ君……や、やめてくれーッ!」

 獲物に狙いを定めた猛獣のように、四つん這いでレオナルドの頭部へ襲いかかろうとするミロ。レオナルドはひたいを庇って逃げ出した。

 エロティックなブルードレスを身にまとった美少女が、敏捷性もさることながら山猫の顔負けの動作で襲いかかる。その猛襲から情けない悲鳴を上げて逃げ惑うのは、ナチス将校みたいな軍服の青年だった。

 ……何だこのシュールな絵面。

「ツバサさんのおっぱいの秘密に気付いた男は死あるのーみッ!」
「生え際だけでは済まされないのか!? 助けてー!?」

 もう半分答え合わせされているようなものだが、あそこまでミロをけしかけておけば、勘付いたとしても詮索せんさくするような無粋ぶすいもするまい。

 レオナルドの節度には信頼を持てた。

 でもまあ……今後はハーレムネタで冷やかすのは控えよう。

 前述の通り、ハトホルフリートは巡航中である。

 ハトホル国、ククルカンの森、イシュタルランド、タイザン平原……これら四神同盟の本拠地を巡回するルートを取っていた。

 やっていることは出撃の旅のままだ。

 高LVのプレイヤーと出会したら交渉して協力体制を敷く――。
 まだ見ぬ現地種族と出会えたら四神同盟の保護に誘う――。
 最悪にしてバッド・絶死をもたデッド・らす終焉エンズと遭遇したら討伐する――。

 道中――チャナと名付けた探知機アンドロイドが、異相における異変を感知したら現場に急行して迅速に対応する。

 出撃の旅でやることがひとつ追加されただけだ。

 その時、チャナがピクリと震えた。

 また哺乳瓶に吸い付いてハトホルミルクを飲もうとしたのだが、それを中断して空を見上げてからツバサの胸を叩いてくる。

「――まま、みつけた。いそう、へん」

 チャナは片言ながら大切なことをはっきり伝えてくる。

 ツバサは幼女を抱き上げて立ち上がった。

 ハトホルフリート艦橋にもピリッとした緊張が走る。

「本当か!? どこだチャナ!」

 アンドロイドということも忘れて、愛らしい幼女として問い掛けていた。名前を付けると、やっぱり感情移入してしまう。

 チャナは腕を持ち上げ、ぷにぷにした指で南南東を指す。

「――あっち、ずっとあっち」

 この可愛らしいお返事、艦橋にいた者はズッコケてしまった。

 ツバサもズッコケたがチャナを落とすことはなく踏ん張った。幼女を抱え直しながら、レオナルドやフミカに抗議の声を飛ばす。

「おい、この子の指示えらいアバウトだぞ!?」

 これでは方角こそわかるものの、正確な場所が判然としない。

「バサママ無問題モーマンタイッス!」
「誰がバサママだ!? 無問題ってどういうことだ!?」

 ツバサのクレームを対応したのはフミカだった。

 反射的に決め台詞で怒鳴ってしまう。

 もう決め台詞に馴れた感のあるフミカは意に介さず、手元のコンソールをキーボードよろしく猛烈な勢いでブラインドタッチした。

 彼女はこの飛行戦艦において情報処理を担当している。

 タァーン! とフミカがやや演技過剰にエンターキーを叩いた後、メインモニターに真なる世界ファンタジアの地図が表示された。

 現状――ツバサたちが把握する全景図ぜんけいずだ。

「チャナちゃんは探知機に違いないッス。幼児だから受け答えの大雑把さは仕方ないとして、ちゃんと本艦の探知機能とリンクしてるッスから!」

「じゃあ……正確な位置がわかるのか?」

「はい、この通り――ここが異相に何かが起きた場所ッス」

 地図の右下、大陸から離れた海上に赤い点が灯る。

「ええっと……ウチらの把握している地域だとイシュタル陣営の近くっすね。イシュタルランドから南南東へ約300㎞の海上ッス」

「よし、それじゃあ予定通りに動くか」

 探知機が反応した場合、出撃の旅を一時中断する。

 速やかに現地へと赴き、何かしらの異常事態が起きている異相へ潜入。ロンドの部下がいれば完膚なきまでに叩き潰し、亡命国家に救援の手を差し伸べる。

 これは――宣戦布告ともなるだろう。

 最悪にして絶死をもたらす終焉は、まだ四神同盟と接触していない。

 穂村組は壊滅寸前に追い込まれ、日之出組は奴らの六番隊と抗争を繰り広げたものの、ツバサたちは一度も直接的な関与をしていないのだ。

 やはり避けられているのか?

 アハウが「奴らは四神同盟を最後の逃げ場、つまり駆け込み寺にして、一番最後に潰すつもりなのではないか?」という仮説を立てていた。ツバサやレオナルドも賛同した意見だが、これが的中しているのかも知れない。

 何にせよ、現地の状況を確認してからだ。

「ミロ、レオナルド、お遊びは終いだ。現地まで一気に飛ぶぞ!」

 手を貸してくれ、とツバサは愛娘と悪友に呼びかけた。

 本当に山猫みたいにレオナルドの頭に乗っかったミロは、ガジガジと彼の生え際を噛んでいた。かなりの髪の毛が脱けたが見なかったことにしよう。

「はーい♪ じゃあアタシはサポートに徹するね」

 ミロは嬉々としてひとっ飛びでツバサの許まで戻ってくる。

「痛たたた、酷い目に遭った……やはり他人の気にしてることをネタにイジるものではないな。しっぺ返しが手酷いものとなるのは明白か」

 いい教訓だな、とレオナルドはミロの涎にまみれた頭をハンカチで拭う。

 ツバサはチャナを艦長席に座らせると、自分は立ち尽くしたまま技能を発動させていく。使うのは高位魔法に属する空間転移だ。

 ハトホルフリートごと――イシュタルランドまで転移する。

 飛行戦艦ハトホルフリート1隻と起源龍ジョカフギス1頭、ついでに巨大ロボダイダラス1体までならまとめて転移させられることを確認済みなので、こういう無茶ができるのだ。

「この真なる世界を統べる大君が申し付ける!」

 念のため、ミロの過大能力からのサポートも受ける。

 ミロの過大能力――【真なる世界にファンタジア・覇を唱える大君】オーバーロード

 彼女が命じた通りに世界が創り直されるという、万能ともいうべき能力だ。補助に回ればこちらの力を何百倍にも底上げしてくれる。

「ツバサさんとレオのお兄ちゃんのやることに全力で手伝いなさい!」

 これで空間転移魔法が確実なものとなった。

「よし……飛ぶぞ!」

 言い終えるが早いか――船外の風景が様変わりした。

 先ほどまで大陸中央をうろうろしていたはずだが、目の前には見渡す限りの大海原が広がっており、見下ろせばイシュタルランドの城下町があった。

 空間転移の成功率が上がったどころではない。

 ミロの底上げによって、転移速度まで桁外れに速められていた。

「本当なら転移まで数十秒はかかるのに……」

 良くも悪くもミロの過大能力オーバードゥーイングは強すぎるな、と再確認させられる。

「さて、近場までは飛んだんだ。後は頼むぜ軍師殿」

「うむうけたまわろう。元々は俺の失策・・……いやさ、作戦だからな」

 探知機によって異相に起きた異変を感知し、現場に直行して諸問題を一度に解決すればいい。そう計画したのは他でもないレオナルドである。

 しかし、ある一点で落ち度をやらかした。

 異相に隠れた亡命国家はどこにあるか知れたものではない。

 感知器に反応があったとしても、そこが真なる世界ファンタジアの果てだったら、現場へ到着する頃には何もかもが終わっているかも知れないのだ。

 探知のためのシステムを発案した功績は認めよう。

 しかし、現地まで移動するのに費やす距離や時間に手間暇。

 これらを失念していたらしい。

 亡命国家に感応器が反応した時、それは一大事が起きている可能性が高い。一分一秒でも早急に駆けつけたい時に、この遅れは致命的になりかねない。

 この軍師殿、いつもどこかで肝心なことを見落とすのだ。

「そんなだからアシュラ時代、“呉用ごよう先生”なんて呼ばれんだよ」
「そのあだ名は蒸し返さないでくれ……」

 ツバサの愚痴にレオナルドは肩をガックリ落とした。

 興味を持ったのかミロがチョイチョイとツバサの乳房を突いてくる。

「ツバサさん、呉用先生ってなんなの?」

水滸伝すいこでんっていう中国の伝奇小説に登場する学者だよ」

 封印から解き放たれた百八の魔星を宿した英雄たちが梁山泊に集まり、腐敗しきった国家を打倒するという痛快娯楽小説。それが水滸伝である。

 108人もいる英雄の1人――それが呉用だ。

 博識で知略に優れ、作中では諸葛亮孔明と再来と呼ばれるほど軍師として重用されるのだが……この人、嘘みたいにうっかり凡ミスが多い。

 しかも、そのほとんどがで致命的と来ている。

 おまけに「ここぞ!」という重大な局面でこそやらかす。

 このため「一見すると優秀だが実はポンコツ」の代名詞となっており、呉用という名前も実は「誤用」ではないか? と囁かれているほどだ。

 軍師気取りのレオナルドにしてみれば、屈辱的なあだ名に違いない。

 額の生え際を気にしながら呉用先生は独りごちる。

「……ちゃんと打開策を編み出したのだから問題はない! まだミスってないのだからノーカウントでセーフ! 俺は呉用先生じゃない! 以上!」

 必死で言い聞かせているところが涙を誘う。

 ミロのサポートを受け、レオナルドは過大能力を発動させた。

 レオの過大能力――【世界を改ワールド・変する者】コンバーター

 レオナルドが認識する空間内のあらゆる存在を瞬時に組み替えることで、世界を意のままに改造する能力だ。能力的には改変というより改編である。

 能力が及ぶ対象は無生物のみ。

 自然物の配置を組み替えるたり、空間を切り分けて別の場所へ移動させたり……そういったことを一瞬でやってのける過大能力だ。

 使い方によっては、ある種の空間転移も可能とした。

 遮る物のない上空なら水平線や地平線の果てまで見渡せる。

 即ちレオナルドの認識できる視界も遙か彼方にまで及び、数百㎞先の空間とハトホルフリートを入れ替えることで空間転移を可能とした。

 これを繰り返すことで現地に急行する。

 そんなことをしたら過大能力の使いすぎでレオナルドが疲労困憊するのは目に見えていたが、凡ミスの穴を埋めるための責任を取るという。

 ツバサは武士の情けで、レオナルドも助けるようミロに命じたのだ。

「イシュタルランドから沖合300㎞か……」

 見えた! とレオナルドが叫んだ瞬間、また空間転移が起きる。

 二度目の空間転移でハトホルフリートは海上に飛んでおり、目の前の空間は濁った油膜ゆまくのように歪んでいた。バチバチと放電現象まで起きている。

 すかさずフミカが分析アナライズ走査スキャンを仕掛ける。

「あーこれはこれは……結界のあちこちが破かれてるッスね」

 ウチの次女は情報処理のエキスパートだから、異相に落ち延びた亡命国家がどのような事態に陥っているかをテキパキ調べてくれた。

「まるで鋭利な刃物で斬られたみたいな切り口ッスね。結界の方々に切れ込みみたいな裂け目が……これもう嫌がらせじゃないッスかね? 結界内にはLV999スリーナインの気配がいち、にー、さん……全部で8人ッスね」

 そのうち4人は交戦中ッス、とフミカは正確に教えてくれた。

「亡命国家にもLV999がいて、攻め込んできた最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズと戦っている……と見ていいのかなこれは」

 敢えて疑問形にはしない。

 この向こう側に隠れている亡命国家の何者かまでは知らないが、LV999まで鍛え上げた者がいて、侵略者に立ち向かっているのは間違いない。

 理不尽な暴力に抗う意志があるだけマシというものだ。

「だったら――話は早いんじゃね?」

 カチャリ、と刀を鳴らして黒衣の剣豪が立ち上がった。

 静かなのであまり目立たなかったが、セイメイ、セイコ、カズトラは艦橋の隅にある休憩テーブルでやることもなく管を巻いていたのだ。

 セイメイは愛刀の来業伝らいごうでん来武伝らいぶでんを腰に差す。

「こういう時のためにおれたちゃ連れてこられたんだろ? 結界が穴だらけだってんなら都合がいい、一足先に乗り込んで加勢してやろうぜ」

「セイメイの旦那に清き一票、おれも賛成だな」

 続いて空手着の巨漢セイコも立ち上がる。

 テーブルの上に並んだ軽食を摘まんでいただけのはずなのに、まるでウォーミングアップを済ませたかのように肩から湯気が立ち上っていた。

「オレッチも同感っす。様子見ってことでどうっすか?」

 これに狼みたいな少年カズトラも賛同した。

 鋼鉄と宝石で織り成された左腕の義手をパキポキと鳴らして、こちらも戦闘準備をしっかり整えていたようだ。

「いかがでしょう――ツバサ様」

 メイド長のホクトも具申するように意見を述べてきた。

 2mはある筋肉質な巨体。199X年に世紀末を迎えた世界で覇王や救世主になっていそうな面相と肉体をしているが、紛れもなく本物の女性であり、ファッションデザイナーも手掛ける漢女おとめだ。

 ゆえあってタイザン陣営でメイド長をしているが――。

「まずは私を含めて四名、先遣隊せんけんたいとして異相の結界内へ突入いたしましょう。慎重に状況を見極めて、敵は撃破し被害者は救助する……行動の責任は各人で負うこととする。いかがですか?」

 ちょっと待った、と手を挙げたのはレオナルドだった。

「俺も一緒に行こう。先遣5、本艦4、で人数を割り振るんだ」

 ツバサはレオナルドの意図を呼んだ。

「そうだな……先遣隊のみんなには結界内の要所をそれぞれ確認してもらい、状況報告を受けてから俺たちは艦ごと突入するか」

 艦の留守番は最低でも2人欲しい。

 操舵手のダインと情報担当のフミカに委ねるとしよう。

 レオナルドを含む5人の先遣隊で何とかなれば良し、そうでなくともツバサたちがハトホルフリートで乗り付ければ威嚇となるのは間違いない。

 ロンドの手下にも――亡命国家の人々にも。

 できればこのインパクトで敵に少なからず動揺を誘い、亡命国家の代表には外交的な譲歩を引き出すための手管としたい。

 ちょっとした外圧行為である。

 言葉は悪いが、5人の先遣隊には“暗躍”してもらおうか。

「…………頼めるか?」

 ツバサはやや逡巡しゅんじゅんしたが、レオナルドたちに頼んだ。

 先遣隊の5人は頷くと艦橋を後にした。

 それを見送ったツバサはチャナを抱き上げると、艦長席にその大きすぎる安産型の巨尻を沈めた。膝の上にはチャナが座り直して哺乳瓶を吸い直す。

 そして、ミロは肘掛けに腰を下ろした。

「さぁて――そろそろ決戦って感じかな?」

 彼女も臨戦態勢ができているのか、すでに覇唱剣はしょうけんを取り出しており、細い肩に担いでいた。姫騎士に似つかわしくない大剣である。

「おまえ気が早いよ。今回は敵の親玉までは出てこないさ」

 まずはロンドの虎の子と思しき精鋭部隊を討つ。

「それが決戦の火蓋を切る合図になる」

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ――彼らとの全面戦争だ。

 この時ばかりはツバサも優しいオカン系男子であることを忘れ、戦闘民族に相応しい好戦的な笑顔を浮かべるしかなかった。

   ~~~~~~~~~~~~

 水星国家オクトアード唯一の山――ヤナネウト山。

 その山へ激震とともに巨大な拳型のクレーターが彫られたのは、ほんの数秒前のことだ。地響きが静まっても山鳴りは収まらない。

 エンオウの放った拳が強すぎたらしい。

 山の中腹に隕石が落ちたかのような惨状を呈している。

 このためバランスを崩した山頂付近から崩れかけており、いつ山津波が発生してもおかしくない状態になっていた。もはや時間の問題だろう。

 大災害だが気に止める者は少ない。

 オクトアード全土が未曾有みぞうの危機なのだから無理からぬ話だ。

 国を守るヌンの守護結界は切り裂かれ、そこから異相に渦巻く暴君の水アクアテラーが浸入してきている。結界が破られたのは由々しき事態だが、暴君の水はヌンが飼い慣らしていることが周知の事実なので、そちらは騒ぎにならない。

 結界が破られたこと――これが重要だった。

 王都も混乱に陥っており、近衛兵このえへいたちは「家臣団が全滅!」と喚き立てて不安を煽る一方、ヌンの居城にも異変が現れていた。

 城に近付く者は不思議な波動を浴び、古傷が開いたように死んでいく。

 王城には内側から食い破るように出現する、いくつもの巨大な口。それらは古木を蝕む幼虫のように城壁を囓り取っていた。

 また、国の北にある2つの村から人々が逃げてくる。

 あらゆるものを食べる怪物の群れが南下しているというのだ。

 海を飲み干し大地を食い漁り、森も林も畑も家も家畜も人間も、何から何まで貪り尽くして、倍々に増えていく餓えた化け物の軍勢。

 2つの村の人々は落ち延びたが、犠牲者は馬鹿にならない数だった。

 襲撃されている――国民はすぐさま察した。

 ヌン陛下は常々「もしもの時は離島へ避難せよ」と仰っておられたので、国民は取るものも取りあえず離島へ向かった。

 そこへ――陛下の孫に当たる王族の方々が現れる。

 代表して口を開いたのは、陛下の秘書を務めるライヤ殿下だった。

「みんな離島へ逃げなさい! 我々が転送するから、集団になって一歩でも侵略者から遠ざかるのです! 必ずや全員離島まで連れて行きます!」

 急いで! とライヤは発破をかける。

 この号令によって国民は本格的な避難を始めた。

 ヌン陛下の孫たちは、漏れなく空間転移能力テレポーテーションを持っている。

 カエルの優れた跳躍能力の表れなのか、小規模ながら空間を飛び越える力があった。数十人までなら一緒に転移させることもできる。

 国民も心得たもので混乱しながらも避難の準備をすると、ライヤたちが転送できる人数にまとまって集団行動を始めた。化け物の軍勢に追い立てられる形だが、南へと逃げ出したのだ。

 避難先の離島はオクトアードの南端にある。

 20人の兄弟によるピストン輸送な避難が始まった。

 破られた結界、すべてを貪る化け物、王都の異変……一刻も早く王族の方々に拾っていただき、離島まで辿り着きたい一心で国民は走るしかない。

 とても山の異変にまで気が回らなかった。

 国の象徴たるヤナネウト山に拳型のクレーターが生じたり、山頂が崩れそうになっても騒ぐ余裕など残っていない。

 ただ、それに気付いた者は誰しもが予感を抱いた。

 あれは前兆――もっと恐ろしいことが起きる前触れなのだと。

   ~~~~~~~~~~~~

 エンオウはミサイル顔負けの速度で空を駆ける。

 飛行系技能を限界まで研ぎ澄ました上、全身にまとった“気”マナをジェット噴射の要領で噴き出して、高速飛行を可能としていた。

 エンオウは神族――神仙しんせん

 途中に天人や天狗といった“気”を操ることに長けた上級種族を何度も経ており、それらの種族固有の“気”の操り方を体得。それらをブレンドさせることでオリジナルの気功術を編み出していた。

 森羅万象の“気”マナを我が物として扱う気功きこう

 外気功がいきこうとか大周天だいしゅうてんと呼ばれる技法の集大成である。

 ……生憎、誰に説明しても「元気玉みたいなものだよね!」という解釈をされてしまう。間違ってはいないのだが釈然としない。

 こうして“気”をまとって飛ぶ姿もZ戦士そのものだが……。

 雑念を振り払い、引き絞った右拳に“気”を凝らす。

 先ほどはグレンをあの場から追い払うために、気功でこしらえたダンプカーのような巨拳で殴り飛ばしたが、今度は頭を粉微塵に粉砕するつもりだ。

 爆発力と破壊力を兼ね備えたエネルギーを凝縮させる。

 いかに神族といえど心臓を破られ、背骨を折られ、脊髄を潰され、頭蓋と脳髄まで破壊されれば絶命する……生きていられないはずだ。

 高速で飛ぶエンオウに、ヤナネウト山がゆっくり近付いてくる。

 小ぶりながらも輪郭は富士山に近い。

 その中腹には巨人が腹立ち紛れに打ち付けたような拳の痕跡、不格好なクレーターが景観を台無しにしている。後でヌン陛下に土下座せねば……。

 クレーターの中央――グレンがめり込んでいた。

 意識を失っているのか、頭はガクンと前のめりに倒れている。

 両腕ははりつけにでもされたかのようにまっすぐ左右に伸びているが、山肌へ叩き込まれた衝撃によるものか、どちらの腕も関節とは逆方向へ曲がり、開いた指も握れないほど折れ曲がっていた。

 案外――もろかったりするのか?

 アシュラでも一方的な虐殺を好むためか、防御を蔑ろにして殴られ放題な戦い方をしていたので、怪我の絶えないタイプだったが……。

 両脚はほとんど土に埋もれており、どうなっているかはわからない。

 まだ気絶しているのは好機と見ていい。

 呼吸音もほとんど聞こえず、心音が鳴るはずもない。

 グレンを仕留める絶好の機会に、エンオウは一気呵成いっきかせいに詰める。

 ありったけのパワーを詰め込んだ右拳に、全体重とここまで飛んできた全加速も上乗せして、ついでに全身を捻り込んだ螺旋の纏絲勁てんしけいも加えていく。

 爆滅ばくめつの拳を――グレンの頭蓋に叩き込んだ。

「こういう時に無言でやんなよ……味気ねぇやつ」

 残念そうに呟いたグレンは、エンオウ渾身の一撃を躱した。

 頭をヒョイ、と右に倒して直撃を避けたのだ。

 エンオウの拳はそのまま山肌へと打ち込まれ、ただでさえ崩れかけていた山に決定的なトドメを刺した。グレンを抹殺するための爆発力と破壊力が遺憾なく発揮され、活火山でもない山に大爆発を引き起こさせる。

 土下座どころではない――五体投地ごたいとうちで謝罪する不始末だ。

 ヤナネウト山は内側から弾け飛ぶ。

 たとえ噴火してもここまでではあるまい。触れるものすべてを爆散させる球状の波動がヤナネウト山を根こそぎ消し飛ばしてしまった。

 やっちまった……と後悔する暇はない。

 エンオウは自らの起こした爆発が向かい風となって後ろに押しやられるが、この爆風を追い風にして間合いを詰めてくる者があった。

 ――グレンである。

 やはり無傷だった右足をまっすぐ直上へと蹴り上げ、エンオウの顎を狙い澄ましてくる。食らえば顎どころか頭が丸ごと消し飛ぶ威力だ。

 エンオウは背をのけぞらせて回避する。

 空振りに終わったグレンの蹴りだが、その威力は減衰げんすいすることなく空へ向かって一直線に登っていき、列車が通れるほどの大穴を結界に穿うがった。

 エンオウはただ背中を反らしただけではない。

 体幹のうねりを腰へと回転させるようにして伝え、仕返しとばかりに右回し蹴りでグレンの頭部を狙う。こちらは頭どころか上半身ごと消滅させるつもりだ。

「おっと、いいねその殺気」

 極上だぜ! とグレンは嬉々として身を屈めた。

 エンオウの回し蹴りも空振りに終わるが、その威力は衰えない。

 まだ消えていない山の爆発を薙ぎ払い、三日月状の衝撃波となったエンオウの回し蹴りは、あろうことか水星国家オクトアードの結界を引き裂いてしまう。

 暴君の水がナイアガラの滝みたいに流れ込んでくる。

 どうしよう――もう五体投地でも許されない。

「あーあ、派手にやっちゃったなぁ!」

 冷や汗まみれのエンオウだが、グレンには拍手で賞賛された。

 気付けば関節が逆に曲がっていたグレンの両腕は普通に動いており、元通りになるかも怪しいほど折れていた両手も拍手ができている。

 超高速自己再生リジュネか、戦闘系なら備えておきたいき技能スキルのひとつだろう。

 しかし、グレンはただ再生しただけではない。

 再生した箇所の強度や気の流れが、明らかに高まっていた。

 自己再生とともに強化バフも行われる? 

 もしも技能スキルだとしたら、とんでもなく複雑で高度なものとなる。

 自己再生にしろ自己強化にしろ、支払うべきコストが半端ではない。下手をしたら再生や強化にコストを奪われすぎるあまり、基礎となるべき体力気力が先に尽きる意味のないものとなりかねなかった。

 精根尽き果てぬ潤沢な活気エナジーを蓄えているのか?

 見れば、エンオウが開けたはずの胸の穴も塞がってきていた。

 引き抜いた背骨も、破裂させた胸も、行きがけの駄賃にとへし折っておいたあばら骨も、見る見るうちに復元されていく。

 再生した心臓に通う“気”マナも爆流のように増大している。

 ベキボキににへし折ったあばら骨は言うに及ばず、3個は引っこ抜いて握り潰したはずの脊椎も、以前より強度をいや増して再生されていた。

「…………過大能力オーバードゥーイングか」

 技能らしらかぬ高性能な回復能力、そう考えるのが妥当だ。

 グレンは伸ばした人差し指をチチチと振る。

「ネタバレは遠慮させてもらうぜ。オレの過大能力は見たまんまだからな、それ以上でもそれ以下でもねえ……説明するまでねえだろ?」

「確かに……なッ!」

 言葉を交わすのもわずらわしい、とエンオウは左の拳打で応えた。

 グレンは身体を逸らしてかわすと、おもむろに左手を持ち上げて突き出したエンオウの手首を掴んでくる。しかし、そう易々と掴ませはしない。

 お互い――飛行系技能で宙に浮かんでいる。

 重力こそ感じているが、足場のない空中では地面という踏ん張りの利くものがないため、無重力で戦う感覚に似ているのかも知れない。

 こんな時、掴まれると利用されるのだ。

 掴んだ場所を起点として、相手の攻撃タイミングを崩すこともできれば、掴んだところを固定して回避不可能な決定打を打ち込むこともできる。

 特にエンオウやグレンのように打撃系にこだわらず、気分次第で投げ技や関節技も使うなら要注意だ。掴まれた時点で敗北が決定しかねない。

 掴もうとするグレンの左手を弾いて、右手で威圧するように連撃を放つ。

 こちらも攻撃の主導権を握るため、隙あらば掴みかかる。無論、打撃を打ち込める隙があれば見逃さず、蹴りや膝も容赦なく決めていく。

 それはグレンも同じだった。

 エンオウの攻撃をそっくりそのままお返しするように、あちらも両手両足をフル回転させて猛襲を仕掛けてくる。刹那とて攻撃が止むことはない。

 ただ、グレンの手数はほとんど打撃だった。

 投げや関節技では殺した時の爽快感が足りないらしい。

 殴ることで肉を潰し骨を折る感覚、蹴ることで皮を裂き臓腑ぞうふを破る感触。

 これらを追い求めて止まないのだ。

 そんな殺戮主義者の気持ちを理解して、エンオウは嫌気が差した。

 戦闘系神族の応酬おうしゅうが続く――。

 拳が激突するだけで大気が爆ぜる衝撃が巻き起こり、相手の伸ばしてきた手を払った余波だけで真空波が発生し、結界を破ったり島のどこかを吹き飛ばす。

 さっきのようにグレンの攻撃力をぐことができない。

 決して難しくはないのだが、そちらに気を取られていると押し流されそうな怒濤どとうの連打だった。心の中でヌンに詫びながらエンオウは戦いに専念する。

 ここでエンオウが殺されたら――水星国家オクトアードは滅ぶ。

 グレンは本当にこの地に住む人々を鏖殺おうさつするつもりなのだ。

 ヌン陛下も、ライヤ嬢も――許嫁いいなずけのモミジも。

 そんなことをさせるかよ! とエンオウは決死の覚悟で挑む。

「ギャハハハハハハッ! いいぞいいぞエンオウ! おまえはオレが見込んだ通りの喧嘩友達だ! ここまでやらなきゃ本気にならねぇんだッ!」



 エンオウおまえの真価は――殺し合いで発揮される。



「おめぇは誰かのタマを張らなきゃ本気を出さねぇ!」

 試合で六割――喧嘩で七割。

 エンオウは常にそれくらいの実力しか発揮できなかった。

「アシュラでも本気寸前まで行ったのはほんの数回……オレがホムラのチビやミサキのネカマ野郎をぶち殺そうとした時ぐらいだもんなぁ!」

『年下のくせして八部衆たぁ生意気だ!』

 そういってグレンが焔とミサキに襲い掛かったことがある。

 グレンの殺戮にふける凶暴性は知れ渡っており、あの2人も共闘して立ち向かったのだが、グレンの執拗な猛攻に押し切られそうになっていた。

 そこへ――エンオウが割って入った。

 エンオウはほとんど強引にVSバーサスグレンを引き継いだ。

 我を忘れて戦った結果、グレンを殺す一歩手前まで追い詰めており、ミサキたちが抑えてくれなければペナルティを課せられるところだった。

 以来グレンはエンオウを「親友」と呼び、つきまとうようになったのだ。

「あん時でも八割……いやさ、八割五分ってところか?」

 震えたぜぇ……とグレンは陶酔とうすいするように回想する。

 それでも攻撃の手を休めないのは、根っからの戦闘狂ゆえだ。

「八部衆のトップクラスと戦った時に勝るとも劣らねぇ昂揚感……殺せそうなのに殺せねぇ! そんでこっちがあっさりポックリ逝きそうなスリル……これぞオレの求めてた殺し合い! って感じでメチャクチャ楽しかったからなぁ!」



 オレが認めてやる――エンオウおまえは本物だ。



「獅子翁、オヤカタ、天魔ノ王に……あのウィングにだって引けを取らねぇ、本物のアシュラ九部衆だってよぉ!」

「……おまえに認められても嬉しくない!」

 エンオウの勁力に爆発的な“気”を搭載した拳と、グレンのがむしゃらに力を注ぎ込んだ上に破滅的な魔力を上乗せした拳が真っ向から激突する。

 相反するパワーの衝突に爆発が起こった。

 それは音速を超える衝撃波を膨張するように生じさせ、結界が内側から破裂しそうな波動となって水聖国家オクトアードを震撼させる。

 拳で競り合うエンオウとグレンは睨み合った。

「優しすぎるおめぇも、こう・・すりゃ本気にならざるを得んだろ?」

「おれは……いつだって本気で戦ってきた」

 嘘が下手だなぁ、とグレンは拳で圧力をかけてくる。

「言ったろ? 自覚ねぇかも知れねえが、おまえが本当にマジモンの本気が出せるのは、誰かの命が賭け金ベットにかかってる時ぐらいなんだよ」

 オレを殺せなきゃ――この国は皆殺しだぜ?

 挑発的なグレンのセリフに、エンオウは顎が歪むほど歯軋りした。

 愉悦タップリの笑顔でグレンは告げる。

「親友のオレに見せてくれよ! おまえのマジな殺意ってやつをよぉ!」



「随分とまた剣呑けんのんな話題で盛り上がってんな――小僧ども」



 いつの間にか、そこに一人のおとこがいた。

 エンオウもグレンも戦いにこそ熱中していたが、周囲へ近付く不審な気配に用心を忘れたつもりはない。なのに、その漢はのらりくらりとそこにいた。

 声を聞いた今でも、気配を悟らせてくれない。

 気配を感じさせないくせに、絶対的な威圧感で押し潰してくる。

 生きている世界ステージが違う――そう感じさせる格上の強者。

 エンオウは今日何度目になるかわからない冷や汗を、今度ばかりは滝のように流して振り返り、グレンも軽薄な笑みを鎮めて恐る恐る振り向いた。

 黒衣の剣豪――そう呼ぶに相応しい漢だ。

 アシュラ・ストリートでもこの格好で通していたが、アルマゲドンでもまったく同じ風体だった。余程こだわりがあるのだろう。

 違うとすれば、手にした瑠璃るりの宝物みたいな瓢箪ひょうたん

 豊潤な酒の香りを漂わせるそれを、グビグビとラッパ飲みで煽る。

「セイメイ……さん?」

 なんでここに? とエンオウは言葉を続けられなかった。

 ヌン陛下から聞いた話では、彼はハトホル国に身を寄せているはずだ。どうして異相の結界内という特殊なこの場所に姿を現したのか?

 しかし当の本人はどこ吹く風だった。

 よう、とセイメイは気さくに瓢箪を揺らして挨拶する。

「久し振りだなエンオウ。また鍛えたみてぇだな」

 モミジちゃんも元気か? と親戚のおじさんみたいな口振りだ。

 狼狽するのはエンオウだけではない。

 グレンも対応に戸惑うように硬直させられていた。

 グレンは作り笑いで狂喜の笑顔を形作る。だが、その額から滴り落ちる汗の流れは止められず、次第に興奮も焚きつけられてきたらしい。

「天魔……ノ王……だと?」

 前代未聞の“ログインプレイヤー全員斬り”を成し遂げた漢。

 それゆえにグレンの尊敬すらも集めた大剣豪だ。

 グレンの『ぶっ殺したい猛者もさリスト』にも名を連ねている。

 エンオウはアルマゲドン時代に“セイメイ・テンマ”の名前で再会しているので、それほど驚きはなかったが、絶対強者の威圧感には恐縮するばかりだ。

 でも、おかげでエンオウは一足先に自分を取り戻せた。

 瓢箪の酒を煽ったセイメイは酒臭い息を吐く。

「あーっと……そのギザっ歯は見覚えあるぜ。グレンだったっけ?」

 余所見よそみしてていいのか? とセイメイは忠告する。

 ハッと気付いた時にはもう遅い。

 エンオウは間合いを詰めてグレンの懐に飛び込んでおり、先ほどの焼き直しみたいに心臓を破りながら背骨をへし折る右の拳を打ち込んでいた。

 血反吐を吹いたグレンは文句をつけてくる。

「だから……おま、えは……こういう時、なんか叫べ、って……」 

「そんな決まり、どこにもあるまい!」

 焼き直しは続く。

 エンオウはグレンの破った右拳を引き抜くと、その反作用で撃ち出すように左拳をフック気味に突き込んでいく。

 グレンの左頬が陥没したようにえぐれる。

 打撃のインパクトに耐えきれない首が千切れ、頭部が吹き飛んだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 動揺してもアリガミは偵察という任務を忘れなかった。

 無意識であろうとも心ここにあらずであろうとも、仕事の手を抜かないよう厳しくマッコウに躾けられたおかげだ。彼女は名教官でもあるらしい。

 目の前には――結界へ突っ込んでくる飛行戦艦。

 その船首に陣取るのは、ロンドさんに「アレとまともに渡り合えるのってオレだけじゃね?」と畏敬の念を抱かせた地母神ツバサ・ハトホル。

 敵意満点な彼女と視線がかち合う。

 接近するのを感じただけで怖気を覚える覇気はき

 まともに眼を合わせたアリガミはいい年した成人男性なのに、失禁寸前の恐怖へと追い込まれた。だが、すんでの所で大人の尊厳は守ることができた。

「ヤバい、ヤバい、これはヤバい……これはヤバい、ヤバい……」

 口からはヤバいの連呼しか出てこない。

 しかし、脳内では状況の把握を猛スピードで行っていた。

 彼女はアリガミを見てこう言った。

『見付けたぜ――殺し屋ども』

 つまり、彼女は我々を探していたということになる。

 ――最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズを。

 四神同盟とやらは真なる世界ファンタジアへ完全な滅亡をもたらす際、生き残りをそこへ送り込んでまとめて殲滅するための逃げ場所。

 即ち――“最後の砦”にするつもりだ。

 そうロンドから聞かされていた。

 四神同盟を油断させるため、接触禁止アンタッチャブルを心掛けること。

 マッコウたち三大幹部は、108人いる最悪にして絶死をもたらす終焉の面々や、その選外に漏れた雑兵にも厳しく言い付けてある。

 なのに――ハトホルは最悪にして絶死をもたらす終焉を知っていた。

 おまけに、真なる世界という表舞台に出ることなく、異相という舞台裏で暗躍するアリガミたちの前に現れたのは偶然でも奇跡でもない。

 彼女が『見付けた』という以上――必然だ。

 最悪にして絶死をもたらす終焉が知られている!?

 のみならず、異相の亡命国家群を侵略する凶軍までバレている!?

 ハトホルが亡命国家を尋ねるため異相を彷徨っていたとしても、果たして凶軍と出会す確率は何%か? アリガミのように特殊な過大能力がない限り、多重次元ともいうべき異相の探索など無謀の極みでしかない。

 なんにせよ――『見付けた』なんて台詞は出てこまい。

 当然だが、この亡命国家へやってきたのは彼女1人ではない。

「グレンくんが押されてる? しかも、その近くに新手のLV999スリーナイン……」

 ハトホルと目を逸らさぬまま遠隔視を使う。

 グレンVSエンオウの戦闘に、黒ずくめの侍が割り込んでいた。

 セイメイ・テンマ――ハトホルの用心棒だ。

 彼だけではない。新たに感知したLV999の気配は1人、2人、3人……既に5人も結界内に入り込み、マッコウやランダに近付きつつあった。

 飛行戦艦の中にも2人控えている。

 四神同盟の性格上、水聖国家オクトアードへ肩入れするのは明らかだった。

 LV999の総数がそのまま戦力差となる。

 さっきまで5対3でこちらが押していたのに、ハトホル勢に加勢されたら5対11と倍以上の差を付けられてしまう。完封負けもあるぞこれ。

 何より――ハトホルが現れた時点で詰んでいる。

 アリガミも戦闘こそ得意ではないが、この特殊な過大能力のおかげで負ける気もしない。でも、ロンドさんには勝てる気がしなかった。

 そのロンドさんが「あいつヤベぇよ」と後回しにしている感のある地母神、ハトホルが相手ではアリガミもお手上げである。

「仕方ない……ここはロンドさんにお出まし願うか」

 ロンドさんに加勢を頼もう、援軍も20人ぐらい都合してもらおう。

 じゃないと――この局面は乗り切れない。

 ここまでの思索を3秒で終わらせたアリガミは、ハトホルから目を逸らさぬまま七支刀をクルクルとバトンよろしく軽やかに振り回した。

 この禍々しい七支刀は、アリガミの過大能力オーバードゥーイングを具現化させたものだ。

 アリガミの過大能力――【多重次元ディメンションを噛み破・リッパー・る鋭牙】ファング

 有り体にいえば、次元や空間を切り裂く刃である。

 蕃神ばんしん真なる世界ファンタジアへ侵入するため空間を切り裂き、“次元の裂け目”というものを拵えているが、小さな裂け目を開けるのにも大変な労力を費やすらしい。

 それほど次元や空間とは破壊するのが難しいものだ。

 しかし、アリガミの七支刀は噛み破る。

 それも容易たやすくだ。ちょっと力を込めて振るうだけでいい。

 この七支刀はおどろおどろしい見た目に反して使い勝手がよく、異相を一枚一枚薄皮でも剥ぐように切り開いて探ることもできるし、一度でも訪れたことのある場所ならば、そこへと直通する亜空間ルートを切り結ぶこともできる。

 簡易的な空間転移を行うこともできるわけだ。

 アリガミは早速、ロンドが待つ本拠地への直通ルートを繋げる。

 バッドデッドエンズの本拠地は常に転移を繰り返すという、敵勢力への発見対策と攪乱のために移動を続けているが、アリガミには関係なかった。

 ロンドの気配を覚えているので、それを頼りに亜空間を切り結べばいい。

 アリガミの振るう七支刀が、何もない右手の虚空を斬る。

 すると空間に裂け目が走り、次元を越える亜空間が開くのだが……。

「はぁーい♪ ずっとズタンバってましたおりゃああああーッ!!」
「ホワーッ!? 何々なんなの急にアンタ誰ぇーッ!?」



 裂け目の向こうから――美少女が飛びだしてきた。



 ちょっとどころではないアホの子だと直観させるが、紛れもなく絶世の美少女である。シニョンにまとめられた金髪も、均整の取れた少女然とした肢体も、その身にまとう高貴なブルーのドレスも……品性あふれるものだった。

「真っ二つにズンバラリンしてやるから死ねぇぇぇーッ!」

 しかし、言動からアホの子だと思い知らされる。

 姫騎士というにはあまりにも物騒。

 大きく、分厚く、それでいて重厚なデザインが施された巨大な大剣を振り下ろし、アリガミを正中線から真っ二つに唐竹割りするつもりだ。

 咄嗟とっさにアリガミは七支刀を振り上げ、謎の美少女の斬撃を受け止めた。

 同時に――反撃も繰り出す。

 アリガミの七支刀は、空間を切り裂く能力を具現化したもの。

 そのため、どんな武器や防具で防がれてもお構いなし。空間ごと切り裂いてしまえば、相手を易々と両断することができるのだ。もっとも、物理的に肉体を切ったわけではなく、空間を歪めたに過ぎないので即死はしない。

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 結果――死に至るのだ。

 この過大能力のおかげで、アリガミは喧嘩嫌いでも強者でいられた。

 ガギィン! と大剣と七支刀がぶつかり合う。

 あれ? アリガミは違和感を覚えた。

 この大剣、どういうわけか七支刀で空間ごと切り裂けない? まるで能力を封印されたみたいに七支刀がただの剣になってしまっていた。

 ――ミロ・カエサルトゥス!?

 鍔迫り合いの向こう、戦士の微笑みを浮かべる美少女と目が合う。

 アリガミは戦慄した。場合によってはハトホル以上だ。

 ハトホルの懐刀ふところがたなとでもいうべき姫騎士。報告書を見る限りでは、とんでもない過大能力の持ち主で、何をしでかすかわからないアホの子だという。

 おれの空間を切り裂く能力を――封じたのか!?

 考える時間どころか焦る暇もくれない。

 ミロはアリガミを弾き飛ばすように大剣を横に薙ぎ払うと、ビールケースが高所から落ちたような音をさせて、七支刀の刃が3本もへし折られてしまった。

 この七支刀は――アリガミの過大能力。

 防がれるならまだしも、壊されたとなれば本体へのダメージもある。

「…………がはっ!?」

 七支刀の片側、枝分かれした3本の刃が折られた分の痛みがアリガミの内蔵に響いてきた。食道を血流が遡って血反吐をこぼれてしまう。

「ミロ、殺すなよ」

 こいつからは情報を引き出したい、とハトホルの声が聞こえた。

 さっきまで飛行戦艦の舳先に立っていたはずなのに、この声はアリガミの背後から聞こえてくる。いつの間に!? とアリガミは大慌てで振り向いた。

 そこに――白い女神が佇んでいた。

   ~~~~~~~~~~~~

 ツバサの第二戦闘形態――ブライド・モード。

 還らずの都を巡る戦いでククリの母親、マムリ・オウセンの魂を受け継ぐことにより覚醒したものだ。

 殺戮の女神セクメトが第一戦闘形態にして肉弾戦特化だとしたら、こちらの形態は地母神としての格が上がり、大自然との結びつきがより強まった状態。

 おかげで無尽蔵の魔力が使い放題である。

 マムリは生命を司る地母神という触れ込みだが、戦場では魔法のスペシャリストという側面があったらしい。魔力増大はここに由来するのだろう。

 そろそろ――ブライド・モードという呼び方を改めたい。

 このネーミングは初めて変身したツバサを見た時、ミロがどこぞのゲームのキャラクターの衣装チェンジから連想して「ブライド・モードだ!」と呼んでいただけのもの。正式な名称とは言い難い。

 あれからツバサも修練を重ね、この第二戦闘形態も洗練させてきた。

 ……洗練させすぎたあまり、勢い余って蒼い第三戦闘形態も開発してしまったが、あれは出し惜しみしよう。もうちょっと練りたい。

 これを機に――改名しようと思った。

 白い第二戦闘形態に、ちゃんとした名称を付けたくなったのだ。

 殺戮の女神セクメトみたいな名前である。

 そこで博識なフミカと、ツバサの脳内に居座るマムリの魂に相談した。

 マムリは生命と魔法を司る女神である。

 そして、死を管理する冥府の王ともいうべき魔王に嫁いだ。

『ハトホルとセクメトに続くモードなら、エジプト縛りでいいッスかね?』
『……こちらの女神様が、私の立ち位置に近いと思われます』



 魔法の女神――イシス。



 冥界の管理者たるオシリスの妻にして、玉座を守る守護女神。そして、あらゆる魔術や魔法に精通したと言われる魔女神的な存在。

 ツバサはこれを採用した。

 魔法の女神イシスモードになると、やはりカラーリングが変わる。

 長い髪は黒から純白を通り越した銀髪へと変わり、いつもより癖のない絹のようしっとりとしたストレートヘアになる。まるで雪女のようだ。

 羽織る真紅のロングジャケットも白に染められ、ブライドと呼んでいた頃の名残なごりなのか、若干ブライダルウェアのようなデザインが加えられる。

 体型はセクメトのように筋肉量が増えることはない。

 むしろ母性的な皮下脂肪が増しており、乳・尻・太ももは普段よりムッチリした感があった。それなのに、全体像はほっそりスマートになってる。

 そして――膨大かつ莫大な魔力量。

 身のうちに留めておくことができない分は余波となり、燐光りんこうを帯びた物理的な風となってツバサを取り巻いている。周囲に迷惑をかけるなと思ってコントロールしてみると、燐光の風は真っ白い羽衣に変わった。

 羽衣をまとった白の女神――これが魔法の女神イシスモードのツバサだ。

 小規模な空間転移をする。

 それでアリガミの背後に回るとミロに声をかけた。

「ミロ、殺すなよ――こいつからは情報を引き出しておきたい」

 こちらの声に反応したアリガミが決死の表情で振り向いた。

 振り向きざまに七支刀で斬りかかってくる。

 ミロに片側の刃をすべて折られて、無様な四支刀よんしとうになった得物でだ。

 空間を切り裂く過大能力の具現化――。

 一目見てその能力を看破かんぱしたツバサはおもむろに左手を上げると、自分に向かってくる四支刀を掌で受け止めるように待ち構えた。

 しかし、四支刀は届かなかった。

 ツバサの掌、その手前でアリガミは刀を止めていた。

 本人の意志で止めたのではない。彼は今も四支刀に力を込めており、ツバサへ斬りつけるため全力を賭して振るっている真っ最中だった。

 どれだけ振るっても――刃が届かないのだ。

「こんな技を使える先生・・がいたよな。インスパイアさせてもらった」

 一見すると同質の技だが、本質的には異なる。

 彼の技は無限を操るものだったが、ツバサが使っているこれは有限の空間を際限なく送り出していた。まだ無限を扱うのは難しい。

「色即是空、空即是色……これは空色掌くうしきしょうとでも名付けるか」

 そしてこれが……とツバサは右手を伸ばす。

 アリガミの身体に触れるようにだ。当然、アリガミは何をされるかわかったものじゃないので、身体を退いてこれを回避しようとする。

 しかし、分身ともいうべき四支刀が動かない。

 ツバサが左手から繰り出している有限空間に絡め取られているからだ。

 悶えているうちに、ツバサの右手がアリガミの胸に触れた。

「――色空掌しきくうしょうだ」

 瞬間、アリガミの胸から下が消えた。

 ツバサの右手に吸い込まれるように、渦を巻いて消失したのだ。

 痛みはないだろう。あるのは喪失感くらいのものだ。

 剣を振るう右腕と右肩、それに胸骨から上の頭部くらいしか残されていないアリガミは、表情からクエスチョンマークを外すことができずにいた。

 何が起きたのか? 何をされたのか? 理解が追いつくまい。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズには、一切の情を廃するつもりだ。

 隙だらけのアリガミにツバサは追い打ちをかける。


「でな、これはオマケ・・・だ」



 天と地を結ぶ光の柱――と見間違う轟雷ごうらいをアリガミにお見舞いした。


 
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ファンタジー
明日から大学生となる節目に突如女性になってしまった少年の話です♪♪ 男では絶対にありえない痛みから始まり、最後には・・・。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

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