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第14章 LV999 STAMPEDE
第349話:オカンが母艦でやってくる
しおりを挟む現実世界においてVRは隆盛を極めた。
アシュラ・ストリートを初めとしたゲーム業界での発展が著しいのは誰もが認めるところだが、かつてない勢いで多方面に普及していった。
たとえば商業――。
自宅に居ながら新しい衣服の試着できれば、様々な新商品の使い勝手を試すこともできる。多くの通販会社が競ってこれを採用し、VR空間内にアバターで訪問できるショッピングモールがいくつも建てられた。
VR空間に大規模な会場を設営すれば主催者も参加者もアバターで参加し、いつでもイベントを開催できるため、業界は挙って参入した。
テレワークやリモート会議も大いに捗った。
電脳空間内にVRオフィスを設け、そこにアバターで出勤して勤務する……という新しいワークスタイルも提供されるようになった。
たとえば教育――。
ネットによる通信教育は昔からあったが、前述のシステムを取り入れたVR空間での私立校は実用段階に入っており、そろそろ公立校でも導入するという話が急ピッチで進んでいたほどだ。
習得するのに危険を伴う業務や資格なども、VR空間の中でリアリティを追求した訓練を行えば、現場への適応率が格段に高くなる。
政治、経済、産業、通産、生活……。
人間社会のあらゆる分野に浸透したVR空間は、日常的なものとして急速に馴染んでいき、「もうひとつの世界」と呼ばれるまでになった。
老いも若きも男も女もVR空間へ出入りするのが当たり前となった頃、電脳世界での生活を快適にするアプリがいくつか開発された。
これが“電子サプリ”の走りである。
特殊なプログラムで構成されたアプリは、VR空間での活動を補助する働きを持っていた。体調管理のため各種サプリを飲むように使えたため、電子サプリという名前が定着したらしい。
アプリとサプリ――語呂も似ていたからだろう。
VR空間の普及を追うように、様々な電子サプリが発明された。
企業が製品として販売するのは勿論のこと、個人のプログラマーが開発して売り出すことも珍しくなく、一大市場への成長を予感させつつあった。
だが――薬は毒にもなる。
便利なものは得てして悪用されるものだ。
電子サプリもまた、この法則から逃れることはできなかった。
最初は利便性を高めた電子サプリを目指したのだろう。
それはやがて使う者の安全を度外視していき、超が付くほどの効果を追い求めるようになり、激しく効き目のあるものが求められた。
そのうち使用者の健康を大きく損なう電子サプリが現れた。
確かに素晴らしい効果は望める。
その分、凄まじい副作用という悪影響を及ぼすのだ。
自らの身体を壊す毒だとわかっていても、それが快感をもたらすならば我が身を顧みずに飲み干すのが人間という愚かしい生き物だ。
麻薬や覚醒剤……ドラッグは好例である。
効果は高いが我が身を蝕むことから、これらの電子サプリは皮肉を込めて“電脳ドラッグ”という悪名で世に蔓延ることとなる。
特に社会現象となったものが3つ――。
これらは電子サプリの規制を急がせ、電子ドラッグを違法として取り締まるための法整備を急がせた。それほど被害が甚大だったという証でもある。
これを世間では『三大電脳ドラッグ事件』という。
第一の電脳ドラッグ――性愛の妙技。
VR空間はゲームにおいて目覚ましい進歩を遂げたが、その中にはエロスを目的とする18禁仕様のものが少なくなく(むしろ多過ぎた)、性的欲求を解消するための風俗店形式の18禁VRシステムまで開発されていた。
そちらの方面に特化した電脳ドラッグだ。
これを用いれば性的快感が何十倍にも感じられ、未知にして強烈な快感を味わえるという触れ込みだった。実際、使用者もその効能を認めている。
ただし――副作用はえげつない。
使用する度に生じる強烈な快感に神経や肉体が耐えられず壊れていき、性的不能や泌尿器の機能低下、最悪の場合は脳を壊死させるという。
被害者が続出、すぐに社会問題となった。
これを機に法整備が必要という世論へ傾いたため、電脳ドラッグに危険性を世間に知らしめた最初の事件でもある。
その結論も出ないうちに、次の問題が起こってしまった。
第二の電脳ドラッグ――智慧の聖水。
これは学習や資格習得のVRシステムで大流行した。
智慧の聖水を使うと、記憶力、集中力、学習能力などが大幅に向上すると認められたため、勉強の効率を高めたい学生たちが殺到した。
結果、最悪の事態をもたらす。
これは性愛の妙技よりも、使用者の脳内シナプスに過度の負担を強いる。そのため使用した者の脳細胞に致命的なダメージを与えた。
次第に物忘れが酷くなり、痴呆症のような症状を呈するのだ。
おまけに、使用者のほとんどが学業に勤しむ未成年。
使用者の多くが若年性痴呆症と診断され、その原因を調査した結果、智慧の聖水が脳内シナプスを破壊したのが原因だと判明した。
上は大学生から下は小学生まで──。
若年層に多数の被害が出たため、大騒ぎとなった電脳ドラッグだ。
電脳ドラッグは恐ろしい速さで蔓延する。
そもそも電子サプリからして、ネット上に現れてSNSでトレンド入りでもすれば瞬く間に広まるものだ。電脳ドラッグもまた然り。
しかも、先の2つはその効力から大人気になった代物。
危険ですよ! と有識者が警鐘を鳴らす頃には、取り返しの付かない被害に見舞われた重症者が4桁を越えているという流れだ。
間を置かずして起きた電脳ドラッグ事件は危険視された。
時の政府は重い腰に鞭でも打たれ方のような速さで立ち上がり、法整備をたった数日で片付けた。前代未聞の対応の早さ、と揶揄されたほどである。
そして――新しい法を大々的に告知した。
『電脳ドラッグは製作した者も頒布した者も等しく重罪とする』
『ほとんど無期懲役に近い投獄だから覚悟しておきなさい』
『また、電子サプリが意図せず電脳ドラッグになっても同罪とする』
『今後は製作に携わる者が用心に用心を重ねるよう心掛けること』
『なお、確信犯の場合は問答無用で無期懲役とする』
意訳すればこんな感じである。
実際、性愛の妙技や智慧の聖水はこの『意図せず電脳ドラッグになった』タイプだったのだが、製作者と頒布に関わった者は断罪された。世間では「見せしめ」という意見が圧倒的多数を占めたが、関係者は否定しなかった。
比例するように電子サプリも慎重さが求められ、凍えるような向かい風で業界的に冷え込むのも避けられなかった。
薄氷の上を歩むような繊細さで開発を進めるのを余儀なくされたわけだ。
その矢先、まさかの確信犯が作った電脳ドラッグが現れる。
第三の電脳ドラッグ――英霊への道。
製作者及び頒布者は同一人物で、その名前は大嶽煉次郎という。
アシュラベスト16に数えられたグレンの本名である。
グレンは八部衆はおろかベスト16にも入れず、それでも上昇志向のあるアシュラプレイヤーに「いい電子サプリがあるぜ?」と言葉巧みに近寄り、英霊への道を配って回ったらしい。
実際、英霊への道による効果は抜群だった。
これを使えば神経伝達、反射速度、動体視力……そういった運動能力に関わるものが大幅に強化され、アバターの戦闘能力が飛躍的に上昇した。
現実の肉体でも効果が反映される傾向があった、という報告まである。
付いたあだ名が「電脳ドーピング」だから笑えない。
案の定、この英霊への道にも痛烈な副作用が隠されていた。
VR空間内で強化された運動能力と現実における肉体、双方の感覚の間に致命的なズレが現れるという症状が現れたのだ。
使えば使うほど、電脳空間内のアバターは俊敏に動く。
それが現実に戻ってくると、意識はアバターのように素早く動けているはずなのだが、肉体が追いついてこない錯覚に陥る。
意識と肉体の連結に異常を来してしまうのだ。
最初は勘違いと思い込むのだが、時が経つほどに症状は悪化の一途を辿り、おかしいと気付いた頃には身体の自由が利かなくなっていた。
最悪の場合、不随筋までもが冒される。
不整脈で済めば御の字で、心停止で亡くなった者もいると聞く。
被害者が3桁に届いた頃、電脳ドラッグの動静に注意を払っていた警視庁が動き、速やかな捜査によってグレンに逮捕状を突きつけた。
『ああ、オレがやった――弱ぇ奴らにテコ入れしたのよ』
グレンは一切の言い訳をしないどころか悪びれことさえなく、まるで「いい仕事しただろ?」と誇らしげに笑っていたという。
英霊への道による被害、グレンの逮捕、これらの事件は衝撃的だった。
アシュラ・ストリートが混乱に陥るのも無理はない。
そこへ更なる追い打ちを強いられる。
ここぞとばかりに「アシュラ・ストリートが悪い」と糾弾されたのだ。
ネット上の自称“正義の味方”や“平和主義者”を名乗る匿名の者たちは、毎日毎晩SNSや大型掲示板に「あんな暴力的なゲームがあるから悪い。だから電脳ドラッグなんてものが流行るんだ」と囃し立てた。
糾弾の声は日増しに大きくなり、いつしか世論と称される。
矢面に立たされたアシュラ・ストリートの運営は、電脳ドラッグを未然に防げなかったことやプレイヤーから逮捕者が出たことを一方的に責められた。
結果――サービス終了へと追い込まれてしまう。
運営に非がないとは言い切れない。
アシュラ・ストリートのプレイヤーには、電子サプリの常用者が多かった。
ゲームとはいえ勝負事、当然「勝ちたい!」と願う者は数え知れず、少しでも勝利条件を上げるためにと様々な電子サプリが使われていた。
既に流行と蔓延を約束する土壌ができあがっていたのだ。
英霊への道はそこへ紛れ込んできた。
しかし、電脳ドラッグこそは法整備されたものの、世界的に普及した電子サプリを規制する動きは遅れており、開発にしろ使用にしろ個人の裁量に委ねられていたのだから、運営は注意を促すのが精一杯である。
プレイヤーの逮捕もそうだ。運営はそこまで面倒を見切れない。
だが、世論に屈してしまった。
当然、アシュラ・ストリートを愛する者たちは憤慨した。
だが、ネット上で声がデカいだけの名もなき者たちに振るう拳はなく、臍を噛みながら断腸の思いで受け入れるしかない。
最後に――ある疑問が残った。
英霊への道を開発して蔓延させたのはグレンだ。
他でもない本人が罪状を認めており、警察の捜査では彼の自宅から開発に使った記録やデータが残っているPCなども押収されている。
それは――本当にグレンの仕業か?
誰よりも“相手を殺すこと”に執着した男。
アシュラ・ストリートには脳筋とか体育会系とか肉体派と呼ばれるような者ばっかりで、グレンもその1人に数えられていた。とてもじゃないが電子サプリを開発できるような知識があるとは思えない。
『……あいつ、プログラミング言語もろくに知らないはずだぞ』
アシュラ八部衆の獅子翁はそこを疑問視した。
証拠もあって当人も証言しており、グレンは無期懲役に処された。
しかし、プログラミングの話題に興味を示さず、電子サプリどころか他のアプリのインストールにも苦戦したと笑い話にするようなPC音痴の男が、あれほど高度な電脳ドラッグを作れるものだろうか?
今回の一件――真犯人は紛れもなくグレンなのか?
獅子翁、ウィング、ドンカイ、この3人は最後まで疑っていた。
彼らからこの話を聞いたエンオウも……。
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「回想に耽るのもいいけど、目の前のオレをちゃんと見てくれよ」
悲しくなるぜ? とグレンは片頬を釣り上げる。
性根の歪んだ微笑みだ。
ギザっ歯という言葉では片付けられない、歯という歯がサメのような牙になった歯並びで笑うため、笑うと獣が噛みついてくる様に似ていた。
獣神などの野性味あふれる神族になった特徴のようだ。
グレンの声にエンオウは我へと返る。
時間にして数秒も経っていないが、本人が述べたように怨敵といって差し支えないグレンを目の当たりにしたことで、アシュラ・ストリート終了した経緯を振り返るようになぞっていたらしい。
無意識とはいえ――身体が反応したのは幸いだ。
グレンはさっきからエンオウにちょっかいをかけていた。
具体的には養育院の校舎をぶち破った時。あれから話している間も、ずっと繰り返し飽きることなく、延々と嫌がらせみたいに続けている。
前に出ておいて正解だ、とエンオウは気を引き締めた。
背後に庇うは――モミジ、ヌン、ライヤ。
ヌンは慎重を期して騒がず動かず、状況を注視している。モミジはエンオウが動けばそれをサポートするべく準備を整えていた。
そしてライヤは、侵入者への先制攻撃を目論んでいる。
凝らした魔力に物理的な硬度を持たせ、変幻自在の鎧として手足にまとい、グレンへ殴りかかるつもりだ。
エンオウが後ろ手に制する――よりも一足先にヌンが制した。
「やめとけライヤ、おまえにゃ荷が重い」
「ですがお祖父さま……ッ!」
食い下がる孫娘に祖父は「やめておけ」と静かに促す。
「エンオウくんがいなけりゃ……わしらは52回は死んどるんじゃぞ」
見てみい、とヌンは杖の先で指し示した。
それを目で追ったライヤは、黒目を点のように小さくして青ざめる。声も出ないのだろう。戦慄いた口元は動揺を露わにしていた。
いつの間にか――周囲が刻まれている。
まだグレンが飛び込んできた爆風が止まらず戦塵も舞い上がり、瓦礫もガラゴロと崩れ落ちているので、ライヤも気付くのが遅れたのだろう。
グレンはずっとちょっかいをかけていた。
それはこの場にいる者の視野を騙すような動きで、かつ神速を越える速度であり、一撃一撃がこの島を木っ端微塵にしてお釣りが来る災害級レベルという、ちょっかいなんて可愛げのある言葉で片付けられるものではなかった。
一撃滅殺、民も軍も国さえ滅ぼすちょっかいである。
エンオウはそれらを捌いた。
回想の間も無意識に行っていたので助かった。
グレンのちょっかいに即応して、なるべく威力を削ぎ落とし、この島を破壊させることなく無効化させ、背後にいる者たちを守っていたのだ。
モミジやヌンにライヤ――そして、養育院に残っている者たちを。
それでも殺しきれなかった破滅的なエネルギーの余波が、グランドを抉ったり、養育院の壁を削ったり、空を覆う結界に亀裂を走らせていた。
グレンのちょっかいとエンオウの防御は、未だ現在進行形である。
「相変わらず優しいなエンオウ」
弱い奴には特に、とグレンは忌々しげに噛んだ口角を下げた。
苛立っているというより怒りも露わだ。逮捕の時でさえヘラヘラしていたろくでなしに、不快な表情をさせるのはちょっと胸が空いた。
エンオウは鼻で笑ってやる。
「男は優しくなければ生きている資格がない……そうだからな」
フィリップ・マーロウだったか、と俄知識を並べてみた。
優しさだぁ? とグレンはこれ見よがしに唾を吐き捨てた。文字通り、優しさという感情など唾棄するものだと言いたいらしい。
グレンは悔しげに牙で歯軋りする。
「てめぇはその甘ちゃんさえなけりゃ最高の喧嘩友達なのによぉ……ッ!」
「おまえの遊び相手などお断りだ、殺戮快楽主義者め」
VR空間という仮想世界でガス抜きができなければ、こいつは遅かれ早かれ実際に殺人に手を染めていたに違いない。確信にも近い予感があった。
エンオウを含め、戦闘という行為を楽しむ者はいる。
その結果にある勝利を求める者もいる。
しかしグレンは――息の根を止めることに意味を見出していた。
より具体的には、殺すという行為に愉悦を覚えるのだろう。
アシュラ・ストリートの場合、多大なペナルティを科せられるため誰1人として犯したことがない不文律。もしあったとしても不慮の事故ばかりの“殺人”という禁忌に、嬉々として手を染めた唯一の男。
運営からアカウント削除されなかったのが不思議である。
「あー……ちょっといいかのぅ?」
不意にヌンが杖の先を振って、こちらに存在感を示してきた。睨み合うエンオウとグレンの間に、会話を割り込ませてきたのだ。
ヌンの結界を破った――5人の侵入者。
全員LV999もさることながら各地で侵略行為を始めており、既に王都の家臣団は全滅。対抗する術を保たない国民にも被害が出ていた。
グレンもその1人だとヌンもわかっている。
だが、雰囲気こそ最悪ながらエンオウとの会話は成立していた。
「グレンくんというたか? エンオウくんとは浅からぬ縁のある既知の間柄とお見受けしたが……こんな辺境の隠れ里へ何用で参ったんじゃ?」
意思疎通できるなら――情報を引き出せないか?
敵の魂胆を知れば対抗策も練れる、と考えてヌンは話し掛けていた。
「あん? もしかしなくてもアンタがカエルの王様か?」
これにグレンは警戒心ゼロで応じる。
「この結界内の奴ぁ全員皆殺しと言われてっけど、とびきり強い奴は全部オレが平らげていいことになってんだ。アンタは真っ先に殺せってマッコウの姐さんに命じられてんだが……遊び相手ならエンオウのが美味そうだしなぁ」
……遊び相手に美味しいなんて言葉を使うか?
しかも本人を前にして涎タップリで舌舐めずりまでしてやがる。
モミジとライヤの女性陣はドン引きで、互いを庇い合うように抱き合うほど脅えていた。どちらかというと生理的嫌悪が勝るようだが。
そして、ヌンが望んだ以上の饒舌さでベラベラと喋り出す。
「まあいいか、オレは気前がいいからな。英霊への道もロハで配ってやったんだぜ? カエルの王様も渋くてカッコいい声してるのに免じて教えてやる」
オレたちは――最悪にして絶死をもたらす終焉。
「真なる世界をぺんぺん草一本も生えてこねぇほど殺して殺して殺して殺して殺して殺して……鏖殺っていうのか? 皆殺しに殺し尽くすことを最終目標に掲げてる悪の秘密結社だ。オレたちはそのエリート部隊ってところだな」
「な、なんじゃと……」
孫娘に続いて、祖父までもが同じ表情で絶句させられた。
されど呆ける時間は孫娘よりも短い。素早く我を取り戻したヌンは憤りで表情を強張らせると、語気を荒らげて詰め寄った。
「な、何故……そんなことをするんじゃ?」
ヌンはもっと詳細を突き詰めたかったろうが、グレンの異常すぎる説明に動揺を誘われたらしい。抽象的な問い掛けをするに留まった。
グレンは両手を広げるように持ち上げて問い返す。
「逆に聞きたいね。どうして、そんなことをしちゃいけないんだい?」
オレは生き物を殺すことが好きだ、とグレンは言い切った。
口調こそ軽いが、揺らぎない決意は感じられる。
即ち、こいつは殺戮の限りを味わい尽くすつもりなのだ。
我が身が滅びるその時まで――。
「他の仲間も似たり寄ったりさ。生きてる者が人間だろうが神族だろうが魔族だろうがその他の種族だろうがお構いなし。嫌いだったり、憎んでいたり、怨んでいたり……まあなんだ、この世界の在り方が気に食わないんだろ」
だから――世界丸ごと殺す。
「オレらのボスは『輪廻の時はもう来ない』なんて名言をよく使ってるし、二度と再生できないくらい、心血を注いで徹底的に滅ぼすつもりだぜ」
今時の若者は何を考えているのかわからん。
そう顔に書いてあるヌンは脂汗を流して苦言を呈する。
「まるで意図がわからん……そなたら、衝動的に生きとらんか?」
「おっ、いいね衝動的。そいつが正解かもな」
世界を滅ぼす――無慈悲に無責任に無計画に。
「衝動的でなきゃこんなことできねぇよ。さすがじいさん、年の功だな。オレらもよくわかってない行動原理を的確に言い当ててくれたぜ」
さて、とグレンは拳を掲げると指の骨を鳴らした。
まずは殴りかかろうとしていたライヤを見据えると、舐めるようにヌンへと視線を落とし、そこからモミジを見つめ、最後にエンオウへ戻ってきた。
「マッコウさんはカエルの王様を殺せと言っていたし、LV999だから味見したいのは山々だけど……エンオウがそれを許してくれんよなぁ? そっちの金髪ボインはLV945ってとこか……つまみ食いはもういいな」
まるで食べる順番を選んでいるような口振りだった。
「エンオウが主菜で、そっちの魔女なお嬢ちゃんは菓子だとしたら? カエルの王様は前菜ってところか? 正直、魔法系は趣味じゃねえが……」
グレンの感覚では、殺戮と食事が妙なところで混ざっているらしい。
よし決めた! とグレンは一歩前へ踏み出した。
「エンオウ、ちょっと退いてろ! まずはカエルの王様を平ら……ッ!?」
グレンの胸板を――エンオウの拳が穿つ。
キワモノな“獣”染めの着物をも破っており、背中で三角形に配置されている獣の字もきっちり貫いた。グレンの心臓を打ち破ったエンオウの拳は動脈と静脈、両方の血でドロドロに汚れている。
その血がグレンの背負った獣の三字も汚していく。
グレンはおろか、この場でエンオウに次ぐ実力を備えるヌンでさえも、コマ送りにしか見えなかったはずだ。
モミジたちを庇うように立ちはだかるエンオウ。
瞬きなどしていないのに一切のモーションを誰にも捉えさせることなく、気付けばグレンの懐に踏み込み、突き出した拳が胸を貫いていた。
さしものグレンも反応できなかったらしい。
食道と気道から逆流する血に咳き込みながら、驚愕の眼差しをこちらに向けてくるグレン。それをエンオウは冷酷な表情で迎え撃った。
「させるわけないだろ……なあ?」
自分で確認しておいて、とグレンの見解の甘さを指摘する。
グレンは血塗れの口元を狂喜で塗り替えながら呻く。
「なんだよ……殺りゃあできんじゃねえか」
殺すことに存在意義を追い求める男は、自らが殺されることも許容し、また喜びとするのかも知れない。この不利な状況を楽しんでいる節があった。
楽しむ間もやらん! とエンオウは動き出す。
グレンの背中まで突き抜けた右の拳。
それを引き戻す途中で開くとグレンの背骨を掴んでもぎ取り、肉体の全神経を動かせぬよう完全に殺しておく。掴み取った背骨を握り潰しながら右拳を引き、腰を捻りつつ左拳を全力で突き出した。
――正拳突きの要領に近い。
拳を引き込む力を腰に乗せて、打ち込む拳に力を加算させる。
そうして放った右拳にも細工を忘れない。
練っておいた莫大な“気”を解き放ち、金剛不壊の絶壁をイメージして形を整えると、巨大な拳の形をした“気”の塊として打ち込む。
超神速で分厚いアダマント鋼の壁面を叩きつけたようなものだ。
ドパァン! と豪快な破裂音とともにグレンはひしゃげて吹き飛ぶ。
着地点を予想して殴ったエンオウは、グレンの行く先を目視で確認しない。拳の血を振り払い、背骨を捨てながらヌンに振り返った。
跪いたエンオウはヌン陛下への敬服を表す。
そして、これまでの感謝とこれからの非礼を順に述べていく。
「ヌン陛下! どことも知れぬ異相を彷徨う俺たち漂流者を助けていただき、今日まで一宿一飯の恩にも勝る御厚意、誠に恐悦至極に存じます! 我が許嫁モミジも申していました通り、山峰家の人間は恩を忘れません!」
必ずや――恩返しいたします。
「ですが……これは恩を仇で返す行為やも知れませんが、この場はどうか……俺の提案を何も言わずに呑んでいただけないでしょうか!?」
侵略者から――水聖国家の民を守るために!
この国を脅威から守るため、エンオウの指示に従ってほしい。国の王を差し置いて「兵権をくれ!」など、無茶な要求をしているのは百も承知だ。
「……うむ、許す! 遠慮なく申してくれ!」
これにヌンは即決で応じた。
ヌンは老境にこそ達しているが柔らかい思考の持ち主だ。
エンオウが自らを越える戦闘能力を持ち、率先して侵略者に立ち向かおうとする意志を買ってくれたと見ていいだろう。また、異を唱える理由もないからだ。
恐らく――ヌンはグレンに勝てない。
侵入してきた5人のLV999の中で最強なのはグレン。次点で正体不明の軍勢を率いている者と、結界付近に留まっている奴だ。
この2人ならヌンも一対一で相手をできるだろうが、エンオウにはグレンを倒してもらいたい……そんな心算も働いているのかも知れない。
エンオウを最強の戦力と見込み、ヌンはこの戦を預けてくれた。
「ありがとうございます、陛下……ッ!」
子細を詳らかにする時間も惜しい。
礼を述べたエンオウは、この場にいる4人に指示を飛ばした。
自分も含めて――である。
「俺はグレンを抑え込みます。可能であれば仕留めたいですが……あいつは以前よりも不気味な“気”をまとっていました。心臓を破って背骨を折ったくらいで死んでいるかどうか……とにかく、あいつは俺が何とかします」
グレンは遊撃役だ、とエンオウは推測した。
5人の侵略者の中には、この少人数の部隊を取り仕切るまとめ役が必ずいるはずである。その人物はグレンの性格をわかっているのだろう。
血みどろの殺戮を求める――快楽主義者。
弱者も殺すが「かったるい」が口癖で気乗りせず、自らに匹敵する強敵を目の前にすると異常な殺る気を出し、死闘を求める戦闘狂である。
強さこそ折り紙付きだが御しがたいグレンには「強い奴を殺してきなさい」と命じて、放っておいた方が仕事をするはずだ。
あいつを自由にしておくと危ない、だからエンオウが抑えに回る。
抑えられる力量の持ち主もエンオウしかいなかった。
次にヌンへと役割を振る。
「ヌン陛下は得体の知れない軍隊を率いてこちらへ進撃してくる、侵略者の1人を止めてください。あなたの力なら食い止めることができるはずです」
一度だけ拝見した――ヌンの持つ固有能力。
過大能力の前身ともいうべき、創世神の血を受け継ぐ古の神族ならではの原始的な力は、迫り来る軍勢をも圧倒するはずだ。
薄気味悪い気配を放つ軍勢は、恐らく過大能力で造られた者。
その原因たる侵略者の強さを探ってみると、力量的にはヌンと並ぶくらいか少し格下と感じられた。いや、ヌンなら撃破できると信じている。
「相分かった、引き受けよう」
信頼を寄せた眼で見つめると、カエルの王様は頼もしく頷いてくれた。
次いでエンオウはライヤに振り向く。
「ライヤさんはご兄弟とともに国民の避難を優先してください。確か、ライヤさんを始め、お兄さんやお姉さんもあの能力をお持ちのはず……」
「空間転移能力のことですね、了解いたしました」
祖父が承諾したことを受けてか、ライヤは敬礼で返事をするとエンオウの指示に従ってくれた。彼女たちに期待するのは、その能力に他ならない。
最後に――妹分のモミジへ重要な仕事を託す。
「モミジ、おまえは一足先に避難のために使う離島へ迎え。そこに避難者は受け入れるが、他の一切を通さない強力な結界を張り巡らせておくんだ」
「離島は避難の要……それを守るですね」
そうだ、とエンオウは肯定してモミジに注意を促す。
「そこも侵略者に襲われる可能性大だが応戦するな。おまえは守りにさえ徹すれば、LV999だろうと10人は出し抜ける」
しくじるなよ、とエンオウは握った拳を差し出す。
小さな手を拳にしたモミジは、エンオウの拳に押し当ててくる。
「お任せです。若旦那もあのチンピラをやっつけてすぐ戻ってくるです」
任せろ、とエンオウは不器用に微笑んだ。
「では……各々現場へ向かってください。最後にひとつ」
自らの安全を最優先にすること――決して無駄死にしないこと。
エンオウは真剣な表情で全員に告げた。
今までの指示は「お願いします」や「頼みます」という雰囲気が濃いものだったが、この時こそ「命令する」に相応しい語気の強みがあった。
それじゃあ! とエンオウは脚力のみで跳躍した。
助走も付けず少し膝を曲げただけの垂直跳びで、養育院の5階建て校舎を余裕で跳び越える。そこから飛行系技能にいくつもの強化を施し、音速の壁を破る勢いで飛翔していく。
エンオウが目指すのは――この島に唯一の山。
その中腹付近に瀕死のグレンを叩きつけ、めり込ませておいた。
~~~~~~~~~~~~
水聖国家オクトアード――王都。
マッコウの率いる餓鬼軍団は増えに増えて数万の大軍勢となり、淡路島ほどしかない国土の5分の1を蹂躙しながら進軍を続けていた。
彼らの通り過ぎた後には焦土しか残らない。
餓鬼は微生物ほどの生命であって見逃すことなく、その飢えた口へと放り込んで自身を増殖させるエネルギーに変換する。海水とて同様だ。塩分過多だろうとお構いなしに飲み干して、海岸一帯を見る見るうちに干上がらせる。
餓鬼の大軍勢の中央に、マッコウ・モートが陣取っていた。
食欲を調整して命令を忠実に聞くようにした餓鬼たち。
彼らに材木を調達させてくると、即席の大きな輿を作らせて大人数に担がせ、マッコウはその上にふんぞり返っていた。
1t近い巨体だ、輿の大きさも担ぐ餓鬼の人数も半端ではない。
まさしく餓鬼の女王である。
餓鬼軍団の餓えた牙が――王都に迫りつつあった。
「ここまで来る途中に村を2つ食い滅ぼしたけど、そこに住んでた村人は結構逃がしちゃったからねぇ……ここに逃げ込んだのは間違いないでしょ」
これだけの王都、防衛能力も相応のはずだ。
残酷な未来予想図を描いたマッコウはほくそ笑む。
「できるだけ抵抗なさい。その隙に王都を取り囲んで、住民を一網打尽にしてあげるから……おまえたち、鶴翼の陣よ!」
餓鬼どもの知能は低いが、マッコウの命令を大まかに聞き分ける。
鶴翼の陣の意味はさっぱりわからないが、「群れを左右に広げていき、目の前の都を包囲するように攻めなさい」ぐらいには理解できた。
道中の生命を貪りながら、餓鬼の群れはのろのろ左右に展開する。
「させるか! この無分別者どもがッ!」
失せよ――鋭い一喝が走る。
王都を左右から取り囲もうとした餓鬼の大軍。その上に瀑布にも勝る勢いの豪雨が降り注いだかと思えば、一瞬で餓鬼たちをを溶かした。
豪雨は津波となって波打ち、餓鬼どもを後ろへと押し流す。
少しでも王都から遠ざけるようにだ。
その波に呑まれた餓鬼も跡形もなく消え去る。
すべて溶解させる水――マッコウは心当たりがあった。
この水聖国家が逃げ込んだ異相は、あらゆるものを侵食する水で覆われた酷い空間だった。LV999になれば意にも介さないが、気分的には雲霞の柱に突っ込んだ時にも似た煩わしさを感じたものだ。
その溶ける水が引き潮のように退いていき、一点に集まる。
そこに――カエルの王様がいた。
予想とは違い緑色ではなく、黒い肌の蛙を擬人化させた人物だ。
長い白髭を蓄えているところから、かなりの高齢だとわかる。王様らしい装束だが、戦時を意識したように軽い武装でも鎧われていた。
グレンの阿呆め――他に美味しい敵を見付けたか。
結界の主を始末すれば仕事が早いのに、とマッコウは口内で舌打ちすると輿の上で頬杖をついて、カエルの王様を泰然とした態度で見下ろした。
「アンタ、この国の王様よね? ヌンとかいう……」
「おまえさんか、あの獣みたいな若造を差し向けたのは?」
この短い会話でお互いの立場をなんとなく理解したマッコウとヌンは、すぐさま目の前への敵へと攻撃を開始した。
初手は――圧倒的にヌンが速かった。
マッコウは過大能力で腹部に門を開き、餓鬼の援軍を呼び出そうとする。
ヌンが手にした杖を指揮棒のように振るえば、引き潮のように戻ってきた溶ける水がその意志に従う。渦巻いた溶ける水は横殴りの竜巻となり、螺旋を描いて大地を薙ぎ払い、餓鬼の残存兵力を薙ぎ払う。
援軍の餓鬼を呼び出しても、あっという間に溶かされてしまう。
「不思議に思わんかったのかのぅ?」
ヌンは溶ける水を支配下に置き、周囲を取り巻かせていた。
「おまえさんら、ここへ辿り着いたということは暴君の水で覆われた異相を越えてきんじゃろ? その時、こんなことをチラッとも考えなんだか?」
どうして――この結界は溶かされないのか?
「そりゃ簡単、おまえさんたちが溶けずに済んだのと同じ理由よ」
マッコウに限らず、最悪にして絶死をもたらす終焉は全員LV999だ。
それほどの実力にまで至れば、暴君の水など物ともしなくなる。しかし、鬱陶しいことには変わりない。結界でも張れれば別だが……。
そこまで考えてマッコウはハッと顔を上げた。
頬杖をやめて太った首を左右に巡らせると、アリガミが嫌がらせのために開けたという結界の裂け目を確認してみた。
どの裂け目からも――暴君の水が流れ込んでない?
ヌンに視線を戻せば、その暴君の水らしきものを手足の如く操っている。
「アンタ、まさか……ッ!?」
「あいつらは水の形をした凶暴な生き物じゃ。生き物らしく本能があるのか、自分より強い者には逆らわん。そして……」
ヌンの頭上に巨大水球が浮かぶ。
それはマッコウと餓鬼軍団を飲み込むに十分な水量だった。
「こうして飼い慣らすこともできるわけよ」
暴君の水が爆ぜ散り、暴虐的な村雨が吹き荒れた。
~~~~~~~~~~~~
アリガミはちょっと悩んでいた。
「うぬぅ~……やや旗色が悪いですかね?」
侵入した結界の裂け目を確保するように佇んでいたアリガミは、半分まで燃え尽きた煙草もそのままに、仲間たちの戦況を見守っていた。
遠隔視には及ばないが、遠見の技能を使っている。
そして、偵察役なりに状況を考察してみた。
マッコウさんは――カエルの王様に足止めされていた。
混乱を招くための嫌がらせとして、この結界がある異相を満たしていた暴君の水というのを引き込むため、結界のあちこちに切れ目を入れたのだが、あまり効果がなかった上に利用された感があった。
ヌンは暴君の水を自由自在に操っている。
当人は飼い慣らしたと言っていたが、ほとんど調教だ。
結界の外を取り巻く水より、ヌンが操る暴君の水が何倍も強い。
切れ目から流れ込んだ暴君の水は、すべてヌンの操る水に取り込まれている。おかげで増量パワーアップを果たしているようだ。
グレンくんは――謎の格闘家青年にやられていた。
分析系技能で調べたところ、どうやら彼もプレイヤーから神族に成り上がった口らしいが、LV999の猛者である。なんでこんなところにいるんだろう?
とにかく、その格闘家青年にグレンは一敗を喫していた。
心臓を破られ、背骨をへし折られ、あまつさえ殴り飛ばされて山の中腹へクレーターが生じるほどめり込まされたのだから、見事な敗北だろう。
ただし、グレンの本領はここからだ。
あの程度でくたばる器なら、凶軍にスカウトされるわけがない。
格闘家青年の強さはまだ計りきれないが、きっと彼らは激戦を繰り広げることだろう。そう考えると、グレンには予定通りの働きを期待できない。
本来、グレンには結界の主を屠ってもらうはずだった。
そうすれば結界内の世界は、厳しい異相の環境によって滅ぼされる。
アリガミたちの手間も省けるというものだ。
なのにエンオウなる格闘家青年の強さに惹かれ、そちらを喧嘩相手と認めてしまったため、自由になったヌンがマッコウの進撃を阻んでいた。
この時点でかなり効率が悪い。
おまけに――厄介な動きをしている者が2人いる。
エンオウのお供でモミジという魔女のチビっ子と、ヌンの孫娘という金髪ボインのライヤだ。彼女たちが国民を安全地帯へと避難させていた。
水聖国家も島国だが、それとは別に離島が存在する。
小さな離島は無理をせずとも国民全員を乗せられるスペースを持っており、そこに国民を誘導しているのだ。
遠方の村にいる国民は、ライヤとその兄弟が小規模の空間転移能力を用いて人員輸送をしている。王都の住民もどんどん離島へと送られており、マッコウの足止めをするヌンの働きがそれに拍車をかけていた。
おまけに、離島に渡ったモミジは結界を張り巡らせている。
アリガミも始めて目にするタイプの複合結界だが、正攻法で破るのはまず不可能なタイプだ。走査をかけると防御力が高すぎて破り方がわからない。
あれ――アリガミでも難しくね?
次元を切り裂いて結界を乗り越えちゃえばOK! と高を括っていたが、しっかり対策が施されていた。あの魔女っ子もただ者ではない。
よくよく見れば、彼女もLV999だから当たり前か。
現在、王都に集まっていた高LVの一団を全滅させたランダちゃんとオセロットくんが離島に向かっているが、彼女たちも手を焼くはずだ。
考察を終えたアリガミは、少なからず焦る。
「……マズいな、あの離島ごと真なる世界へ逃げるつもりだよね?」
生存者を真なる世界へ返すのは――非常にマズい。
例の地母神が率いる接触禁止な四神同盟にでも保護されたら、ヤバい事態を招きかねない。ロンドさんも「面倒くせえなぁ!」を顔をしかめるだろう。
凶軍の存在とその犯行、そして異相に潜む亡命国家。
これらの事実があちらに知れれば、十中八九こちらの邪魔をしてくる。
「それはヤバいな~。オレの給料査定にも響いちゃうよ」
アリガミは灰が一気にフィルターに到達するまで、一気に煙草を吸い込むと盛大に紫煙を吐いて、ちびた煙草を吐き捨てた。
片手に持ったままの凶悪な七支刀を肩へと担ぎ上げる。
マッコウさんに「臨機応変にやんなさい」と命じられているが、今がまさに機に臨み変に応じる時だ。アリガミも動くことにした。
『何事にも万全はなく、物事が思い通りに進むことはないわ』
用心深いマッコウさんのポリシーだという。
『こんなこともあろうかと! なんて口癖の人がいたけれど……最悪の事態を想定して保険をかけるのは賢者の嗜み……わかるわね、アリガミ?』
その保険こそがアリガミだ。もしもの時の伏兵である。
優雅な煙草休憩も終わりらしい。
戦況分析は済んでいるので、どこをフォローするかは決まっていた。
「マッコウさんには予定変更でカエルの王様を貪っちゃっていただくとして……グレンくんは、あの厄介そうな格闘家青年を平らげてもらいますか。どっちも負けることはないと思うからね。そうなるとオレが行く先は……」
国民の避難先――魔女っ子が守る離島だ。
そろそろランダとオセロットが到着するが、彼女と彼の過大能力ではあの頑丈すぎる結界を破れまい。そこでアリガミの出番と相成るわけだ。
魔女っ子の結界、難しくはあるが破れなくはない。
アリガミは男の子らしい悪巧みをした。
「どれ、あの2人が困ってるところに颯爽と駆けつけて、スパッと魔女っ子の結界を叩っ斬り、オレのスゴくてカッコいいところを披露しちゃうか……」
なあっ!? とアリガミは語尾で叫んでしまった。
背中が頭上へと脱けて――そこから魂が昇天するような感覚。
その感じたものが、度を超した悪寒だと気付くのに数秒を要した。
ありえないほどの寒気にしばらく呆然としてしまう。
「悪寒というか寒気というか……怖気か?」
心にも肝にも背骨にも、極寒の針を差し込まれたような感触だった。
その正体を探ろうと無意味に辺りを見回してしまうが、めぼしいものは何も見当たらない。やはり気のせい……勘違いだろうか?
怖気を探ろうとするアリガミは、思わず息をするのを忘れていた。
脅威は見当たらないのを確認すると、情けないため息を長々と吐き出し、深呼吸をしながら気を取り直して、離島へ降りていくことにした。
ドゴン! と轟音とともに結界に激震が走る。
巨大な何かがぶち当たり、力任せに結界を突き破ってきた。
稲光にも似た閃光をまき散らして、結界の壁がこじ開けられていく。それは巨大な移動物体の先端のようだが、男なら見惚れる丸みを帯びていた。
「お、おおお、お、お……おっぱい!?」
それも並外れた爆乳だ。
「なんで……あんな柔らそうな爆乳がこんな硬い結界を破れるの!?」
アリガミは見当違いな叫びで困惑する。
やがて結界を破る爆乳の全貌が露わになり、それが神族でもなければ魔族でもないことが見て取れた。あの爆乳は彫像のものだった。
船の舳先を飾る船首像――女神像なのだ。
たわわな超爆乳を抱える女神像に見覚えがあるなー、とかアリガミが呆けていると、船の本体までもが力尽くで結界を乗り越えてこようとしている。
船を覆う結界の力で強引に割り込んできていた。
細長い気球を背中に2つ背負った――宇宙戦艦顔負けの飛行船。
見覚えがあるはずだ、アリガミは開いた口が塞がらない。
「あ……あの地母神が駆る飛行戦艦!?」
どうしてこんなところに!? と言葉を続けるつもりのアリガミだったが、ある事実に気付いた瞬間、それどころじゃなくてなった。
ムンクの叫びみたいな顔になって、声にならない悲鳴が迸る。
爆乳は2つじゃない――4つあった。
女神の船首像の上、つまり飛行船艦の舳先に人影が立っていた。
美しく長い黒髪をなびかせた長身の美女。
ありあまる母性を具現化させたかのような超爆乳。
それを支えるように乳房の下で腕を組むが、ただでさえ大きい胸をより誇示している。まとった真紅のロングジャケットはその超爆乳を包みきれていない。
俗に北半球と呼ばれる乳房の上側、深い谷間も覗けた。
結界破りの衝撃もなんのその。
ジャケットのコートのように長い裾をはためかせ、安産型の巨尻やぶっとい太腿でパツパツのズボン。その片足を上げて舳先に乗せていた。
乳房越しにこちらに目線を送る彼女は、アリガミと視線を合わせる。
「見つけたぜ――殺し屋ども」
ツバサ・ハトホルは快心の笑みを浮かべた。
アリガミは再び背中が脱けるような悪寒を味わう。いや、当人を前にした今となっては、本当に自分の中身が空へ逃げていくような感覚に陥りかけた。
そのまま空へ逃げたい気分だ。逃げられるものなら……。
怖気の正体――それを思い知らされた。
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