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第8章 想世のタイザンフクン
第179話:女の子が多いわけ~三大電脳ドラッグ事件
しおりを挟む──VR。
ツバサの祖父世代くらいから本格的な研究が始まったが、その頃はまだ玩具に毛が生えた程度のもので大した機能はなかったらしい。
ゴーグル型モニターを身につけ、そこに仮想空間を映し出す。
コントローラーを操作することにより、仮想空間内でアクションできる。
もう少し本格的になると、仮想空間内で手にしたものの触感が伝わるグローブを装備したり、仮想空間内での五感をリアルに感じるスーツを着たり、オリジナルの音を再現できる立体音響型サウンドシステムなどを用意する。
これが限界だったという。
ツバサたちのよく知るVRシステムと比べたら、言い方は悪いが「仮想空間へ入り込めたと錯覚できる」程度のお粗末なものだったらしい。
飛躍的に進歩したのは10年前──ツバサが10歳の頃だ。
脳内のシナプスが発する電気信号を解析することで、人間の意識をダイレクトに電脳空間へ投影する、画期的なVRシステムが発明された。
こちらが本当の意味でのVRシステムとなり、仮想空間を実現させた。
メタバース、なんて単語も流行ったくらいである。
このメタバースなる単語。ツバサの祖父世代で隆盛させようとした勢力がいたそうだが、技術がまったく追いついておらず、なし崩し的に頓挫したらしい。
『――数多のメタバースが辿った悲惨な末路を忘れたか?』
当時の識者気取りは口を揃えてこう言ったという。
ツバサたちが知る電脳空間へ入り込める没入感を備えたVRシステムが開発されたのは、10年より少し前だとされている。
実用化に向けて改良を重ね、大々的に発表されたのが10年前だ。
「ツバサ君の世代ならば、物心がついたくらいでしょうかね」
クロウの推量にツバサは頷いた。
「元々ゲームは好きでしたけど、VRはもっと大好きになりましたね。なにせ自分がゲームの世界に入り込めるんです。ハマらない方がおかしい」
「うむ、それまでのゲームシステムとは一線を画すものだったからのう。おかげでeプレイヤー業界も大幅な改革を求められたわい」
ツバサもドンカイも様々な面からVRゲームに関わってきた。
それぞれ一家言を有するほどにだ。
発表から1年を待たずにVRシステムを搭載したゲームが次々発表され、2年後にはVRでゲームをやるのが当たり前になっていた。
「そう……あれはまさに革命でした。VRシステムはゲーム方面で目覚ましい発展を遂げましたが、それ以外にも様々な方面でも活用されました」
自宅にいながらネット通販で商品を試せたり──。
建設予定の建築物を仮想空間内で見学できたり──。
危険な訓練を仮想空間内で安全に練習できたり──。
「……使い方は様々です。だからこそ、世にあれだけ普及しましたし、たった10年足らずで、あそこまで社会に浸透したのでしょう」
気付けばクロウの杯は空になっていた。
ツバサが酌をすると軽く会釈して感謝の意を表してから、大杯に注いだ酒を一気に飲み干す。打ち明けるのに酒の力を借りたいらしい。
「VRシステムは画期的であり、とても便利なものでした。しかし、便利なものは得てして悪用されやすいという欠点もあります」
VRシステムとて例外ではない。
仮想現実ならば『何をしても許される』というモラルの低下──。
現実逃避するあまり仮想現実にのめり込む依存者の登場──。
その他、犯罪行為や違法行為の隠れ蓑としての利用──。
「私たちのようなロートルは年を経てからVRシステムに出会ったので、二の足を踏む者もいましたし、使うにしても慎重な者が多かったようです。ですが、ツバサ君よりも下、物心つく前からVRシステムがあった世代……彼らにとって、VRシステムがそこにあるのは当たり前でした」
彼らは当然のように仮想現実を受け入れている。
そこに潜む危険性をよく知らないまま、子供たちはVRシステムを身近なツールとして使うようになってしまうのだ。
クロウはそこに危機感を抱いていたらしい。
「かつてインターネットが普及し始めた時代。ろくに法整備や道徳観が定着されぬまま爆発的に広まったため、様々な問題が生じるも解決は後回しにされてしまいました……VRシステムにおいても同じだったのです」
教師時代のクロウは、そうした局面に度々出会したそうだ。
「ならば、子供にはVRシステムをやらせなければいい。年齢制限しろ、規制しろという動きはありましたが……私は違うと思いました」
ダメと言われれば意固地になってやりたがる。
それが子供心というものだ。
「むしろ、早い内からVRシステムに触れさせ、やってはいけないこと、のめり込みすぎてはいけないこと、ゲームは一日一時間……そういったことを実体験として学ばせる。このような教育を目指すべきだと推奨しました」
「ふむ、耳が痛い話じゃのう」
ドンカイはツバサの酌を受けた後、やはり一気に飲み干してから思い当たることがあるかのような口振りで呟いた。
現実でのドンカイは横綱引退後、eスポーツプレイヤーとなり、その振興委員会の会長も務めていた。こういった問題にも直面したのだろう。
だからこそ、この2人は馬が合うのかも知れない。
「話が逸れたというか、大元まで戻ってしまいましたね……」
クロウはすまなそうに苦笑する。
ツバサは「いいえ」と小声で答えてから、再びクロウの大杯に酒を注いだ。
それを受けたクロウは杯を煽らずに話を戻していく。
「アルマゲドンには小さな子供が、それも女の子が多いという話でしたね……いわゆる“幼年組”と呼ばれた、年齢詐称プレイヤーたちです」
その幼年組は、どういうわけか女の子が多い。
マリナ・マルガリータ。
カミュラ・ドラクルン。
ミコ・ヒミコミコ。
ウノン・アポロス。
サノン・アルミス。
ツバサが出会っただけでも5人、それも10歳の女の子ばかりだ。
クロコからの報告によれば「もっとたくさんのロリショタがいっぱいです」とのこと。そして、「心持ちロリの方が多いように見受けられます」とか余計なことを言っていた。ロリもショタも大好物らしいが……。
やはり──幼い女の子が多いらしい。
ツバサとて大学でVRシステムを研究する教授のゼミにいた身。
レポートを出すつもりで軽く考察してみる。
「他のVRMMORPGなら……たとえば女性向けにデザインされた、乙女ゲー風とでも言えばいいのかな? そういう雰囲気のゲームもありました。アルマゲドンにも、若い女性を惹きつける何かがあったんでしょうか?」
「いや、そりゃなかろう。長らくプレイしてきたワシらならわかるはずじゃ。アルマゲドンは王道っぽいファンタジー設定じゃからのぅ」
「その分、あらゆるジャンルを内包していますけどね。世紀末に最終戦争が始まって、天使と悪魔が争っているかと思えば、仏教系の仏様やらギリシャ神話やケルト神話の神様もいたり、超科学兵器を操るマッドサイエンティストがいたり、かと思えば発勁やら気功波を撃てるZ戦士みたいのもいたし、妖怪変化や魑魅魍魎がいるかと思えば刀を振り回すサムライやニンジャもスレイヤーで……」
要するに──アルマゲドンは何でもアリだった。
ある意味、万人受けするとも言えるだろう。
必ずその人の好きなジャンルがどこかにあったのだ。
「だから老若男女、誰かしらの何かのツボに当たることはあったでしょう。でも、女の子たちを魅了するような要素と言われると……」
何か知っているんですか──クロウさん?
思い当たる節がなく、想像も及ばない。
ツバサはクロウに解答を求めた。クロウはまた一気に大杯の酒を煽ると、酒気を帯びた吐息をついてから一口にまとめてこう言った。
「端的に言えば──可愛くなれるから、です」
はあ? とツバサとドンカイは揃って開いた口が塞がらない。
予想外と言えば予想外だが、言葉の意味を真に受けるなら、あれくらいの年頃の少女たちはもれなく食いつくだろう。
間抜けな顔で口を開けている2人に、クロウは頭を振った。
「絶句するのも無理はありません……が、これは事実です。塾講師をしている際、当の小学生たちから聞いた、女の子の間で話題でしたからね」
曰く──アルマゲドンのアバターは自分そっくりになる。
曰く──そのアバターは自分だけど、本当の自分である。
曰く──本当の自分は、現実の自分よりもずっと可愛い。
「……あ、そういうことか!」
クロウの話をそこまで聞いたツバサは、記憶が刺激されて連鎖反応するように思い出した。どこかで、そんな噂を聞いたことがある。
「思い出しました、確かにそんな噂がネットで密かに流行ってました」
そもそもツバサは大学でVRシステムについて学んでいた。
アルマゲドンを始めたのも、ミロに誘われる前から興味を持っていたためだ。
ゼミの教授に「調べといて」と頼まれたから──。
「それで俺、アルマゲドンをプレイしながら教授へのレポートをまとめていた時に、ネットのSNSやまとめサイトでそんな噂がありましたよ」
ツバサは思い返しながら、そのことについて解説した。
「アルマゲドンのアバターは、現実の自分と瓜二つになります」
当初、これは大変不評だったのだが、時が経つにつれてある一定の評価が得られるようになる。それも女性からの意見が多かった。
「アルマゲドンのアバターには、気になるところにあるホクロやシミがなくなっていたり、消したかった小皺やほうれい線が目立たなくなってたり……要するに、アバターのデザインは自分に変わりないんですけど──」
──いい感じで美化されている。
それが一部の女性プレイヤーや、外見にコンプレックスを持つプレイヤーに好評で、これ目当てでアルマゲドンを始める者が少なからずいたという。
なるほどのぉ、とドンカイも得心がいったようだ。
「綺麗になれる、という噂は小耳に挟んだことがあるわい。ま、ワシみたいなタイプは外見なんざ気にせんから聞き流し取ったしなぁ」
「美化云々に関しても、要するに真なる世界に魂だけで飛ばされていたわけだから、ある意味“理想的な自分”に近付けていたんでしょうね」
ホクロやシミやシワなどは、肉体に染みついた特徴。
自らの魂であるアバターにまで付くはずもない。おまけに美化までされるのだ。
「こうした噂は、SNSなどを通じてあっという間に拡散します。それを聞いた若い女性たち、特に可愛さにこだわり始める年頃の少女が興味を持てば……」
「アルマゲドンを始めてしまうわけですね」
言いづらそうなのでツバサが言葉を引き継ぐと、クロウはやるせないため息をついた。教師としては見過ごせない状況だったのだろう。
「それでなくともアルマゲドンは年齢確認が緩かったため、やろうと思えば小学生でもプレイできる環境でした。前述した通り、私はVRゲームなどを無闇に禁止するのではなく、やるのならば正しく指導しようという立場だったので……」
「クロウさんも始めたわけですね」
「まあ、そんなところです……そうしたら、この骨ですがね」
カラカラ、と骸骨を鳴らしてクロウは寂しげに笑った。
骨になったことなどどうでもいい。
子供たちが安易にVRゲームへ携わり、それが原因で誤った道に進んでほしくないという教師としての心配なのだろう。
「ゲームの詳細も知らずに、子供たちを指導できるわけもありません。それに私も少なからずゲームで遊んできた身……塾講師の合間にアルマゲドンに触れて、ワールド内で見掛けた子供たちには、それとなく指導してきたつもりですが……いや、その数の多さにはほとほと参りましたよ」
カシャリ、と髪の毛どころか頭髪もないツルツルの頭を叩いて、その時の苦労を思い出しているようだ。やっぱり尋常な数ではなかったらしい。
「そういえば、クロウさんに限らず、幼いプレイヤーたちが夜更かししたり、悪さをしないようにと指導しとる補導員みたいなプレイヤーもおったのぉ」
ドンカイがそのことに触れると、クロウはカタリと頷いた。
「ええ、教師や保育員、保護者の方々の有志による活動団体もありましたね。なんでも、良識あるGMさんが発案して発足されたとか……」
「まともな神経のGMもいたんですね」
ツバサはそのGMに感心するより他なかった。
なにせレオナルドやマヤムはまだしも、クロコは変態だし、アキはニートだし、カンナは猪武者だし、ゼガイは復讐鬼だったし……。
キョウコウに至っては暴君だ──ろくなGMがいない。
「私もその団体に所属して、ウノンやサノンのような子たちに、『ゲームを楽しむのはいいけど程々にね』と指導していたのですが……焼け石に水でした」
子供たちの好奇心は止められない。
「“あの時”のようなことが、また起きなければいいと願っていたのですが……そうしたらこの通り、異世界転移ですからね。未来ある子供たちの多くが、神族や魔族としてこちらの世界に来たのは、いいのか悪いのか……」
どう捉えるべきなんでしょう、とクロウは悩みを打ち明ける。
「その答えが出るのは……随分と先になるでしょうね」
ツバサも即答できるほど達観できてない。
自分のような若い世代の多くが神族や魔族となって、真なる世界で神々の創世記みたいな活動を始めている。この結果が実を結ぶのは遙か未来のことだ。
ツバサたちのしてきたことは良かったのか? それとも悪かったのか?
「そんなもん──先の連中が決めることじゃ」
ズバリ、ドンカイが言い切った。
「過去の歴史における判断が正しかったのか、間違っていたのか、そんなもんは未来の連中が見たままに決めるじゃろうし、視点によっては良くも悪くも受け取られよう。ワシらがいちいち気にすることではあるまい」
ドンカイは手酌の酒を飲み干すと、大きく息を吐いてから述べる。
「今を生きる者は、今この時に最善を尽くすしかない──そうじゃろう?」
ツバサとクロウはドンカイの方を向いていたが、互いに顔を見合わせると、照れ臭そうに苦笑した。お互い、同じ気持ちを共有できたからだ。
「そう、ですね……違いありません」
「常にベストを尽くす、私たちにはそれしかできませんからね」
ドンカイの一言により、ツバサもクロウも迷いが晴れた気分だった。
未来を案ずるのではなく、現在に全力を尽くす。
陣営を率いるリーダーとして、先のことばかり考えて頭を悩ましていたツバサやクロウにしてみれば、迷いを晴らすような名言である。
アルコールの助けもあって、気持ちが少し楽になったツバサだが、クロウの話を聞いていた時、ある部分に引っ掛かるものを覚えたのだ。
あの時──その言葉に、クロウは重荷を感じている気がする。
その一言を発した際、骸骨の表情に陰りが差したのだ。
クロウはVRゲームをプレイする子供たちが、危ないことに関わらないよう指導したいという信念を持っている。元教師にして現塾講師ならば、そういう気構えは持っていて当たり前かも知れないが、クロウのそれはあまりに強い。
情熱を傾けるにしても──度が過ぎている。
初めて会った時、クロウは“贖罪”という言葉を口にしていたのも気に掛かるし、あの時というからには、その時に何かあったのかも知れない。
クロウが案ずるのは、VRシステムに関わる子供たちの安否。
VRシステムは世に普及したがゆえに、それ相応のトラブルも引き起こしていたものだが、ツバサが知る限り最悪と呼べるものは3つだ。
ツバサは空になった大杯に酌をしてやり、それをまた煽ろうとするクロウにタイミングを見計らって訊いてみた。
「クロウさん、もしかして……三大電脳ドラッグで何かありました?」
大杯に歯をつけたところで、クロウの動きがビタリと止まる。
これは──図星と見ていいだろう。
~~~~~~~~~~~~
VRシステムが広まってから数年後。
このソフトを入れればフィードバックの性能が上がるとか、このアプリでアバターの反応速度が良くなるとか、様々なシステムがプログラミングされた。
市販品は勿論のこと、個人で組み上げる者もいる。
そうした中、使用者に異常を及ぼすアプリが現れたのだ。
VRシステムは脳波の電気信号を解析することで、人間の意識を電脳空間へ投影するものだが、これらのアプリはその電気信号に多大な負荷をかけてしまい、人間の脳細胞に致命的なダメージを負わせるらしい。
これらは電脳ドラッグと呼ばれた。
すぐさま対策が練られ、規制対象にされたのは言うまでもない。
その電脳ドラッグの中でも多くの被害者を出し、社会に悪影響という名の波紋を及ぼしたものが3つあり、これらは三大電脳ドラッグとして忌避されていた。
──性愛の妙技──。
主に大人向けの18禁VRシステムで使われた電脳ドラッグ。
普段の性感の数十倍から数百倍のエクスタシーを感じられるという触れ込みだったが、その強烈すぎる快感によって再起不能となる(性的に)。
使用者の半数以上が廃人となったため、即座に禁止されたものだ。
これが世間に知れ渡った、最初の電脳ドラッグである。
──智慧の聖水──。
これを使用すると記憶力、集中力、学習能力などが大幅に向上したため、学生の間で大流行。しかし、使えば使うほど脳内シナプスが異常なまでに酷使されることが判明。結果、多くの学生が若年性痴呆症のような状態に陥った。
上は大学生から下は小学生まで──。
若年層に多数の被害が出たため、社会問題となった電脳ドラッグである。
──英霊への道──。
アシュラ・ストリートを終わらせた電脳ドラッグ。
このアプリを使った者は神経伝達、反射速度、動体視力……そういった運動能力に関わるものが大幅に強化され、アバターの戦闘能力が上がるとされた。
そのため電脳ドーピングという異名もある。
ある男がこれをアシュラ・ストリートに持ち込んだところ、瞬く間にプレイヤーの間で広まり、使用者は軒並みランキングを上げた。
までは良かったのだが──これにも痛烈な副作用があった。
電脳空間内で底上げされた運動に関わる神経と現実における肉体の間に、致命的なズレが現れるという症例が見付かったのだ。
早い話──思うように身体が動かせなくなる。
これはニュースに取り上げられるや否や、「アシュラ・ストリートが悪い」みたいな報道をされたため、アシュラの運営会社が槍玉に挙げられてしまい、結果的にサービス停止に追い込まれてしまった。
英霊への道とアシュラ・ストリートはまったくの無関係なのに──。
「……ひょっとして、智慧の聖水ですか?」
性愛の妙技や英霊への道の被害者は大人ばかりだった。
元教師であるクロウに関わりがありそうな電脳ドラッグと言えば、学生の間で大流行した智慧の聖水ぐらいしかない。
クロウは何も答えない──沈黙のみを返してきた。
そして、大杯に注がれた酒を今まで以上のペースでしゃれこうべの中に流し込んでいく。首を限界まで逸らして、顔を空に向け……。
まるで、大杯で表情を隠すようだった。
しばらくそのままでいたクロウだが、顔を元に戻すと伏し目がちになってため息をついた。先ほどのようにすぐに話せることではないらしい。
「それを語れば、愚痴というより懺悔になってしまいます。せっかくの宴席で、そんな重苦しい話をするのは忍びない……」
ノーコメント──とさせてください。
クロウは座したまま頭を下げると、話せないことを謝罪した。
ツバサもドンカイも「いいえ」「お気になさらず」と小声で伝え、それ以上は何も言わずに、自分たちもちびりちびりと酒を飲んで押し黙る。
それはきっと──クロウにとって精神的外傷なのだ。
興味本位で根掘り葉掘りほじくるような真似はするべきじゃない。
いずれクロウから明かしてくれる時が来るだろう。その時まで、触れずにそっとしておけばいい。時が解決してくれるのを待つしかあるまい。
クロウもドンカイも、皿のような大杯をまた空にしていた。
さすが大人の“漢”たち。彼らのペースに若輩のツバサは追いつけそうにない。女の身体だからアルコールに弱いとは思いたくはなかった。
それでも、この場でツバサは若い娘のフリをしているので、酒瓶を手に2人へ酌をしてやろうとする。無論、たおやかな演技でだ。
その時──何かが羽ばたく音がした。
こんな地の底でしかも夜、鳥が羽ばたくわけもない。
蝙蝠でもいるのかと思って、音のする方へ何気なく目を向けてみた。
確かに蝙蝠がいた。それも胴体だけで中型犬ぐらいはある大蝙蝠だ。
羽ばたいてきた大蝙蝠はテラスの桟に止まり、ツバサたちの宴席を覗き込むように何度か首を傾げ、蝙蝠とは思えない表情を浮かべた。
ビンゴ! と言いたげに──笑ったのだ。
その瞬間、ツバサは戦慄して手にした酒瓶を投げつけていた。
『見付けましたよ、こんなところに……ッ!』
聞き覚えのある慇懃無礼な声を発した大蝙蝠は、ツバサが投げつけた酒瓶が身体に当たったことで喋るのを遮られた。
酒瓶は割れ、中身の酒が大蝙蝠に浴びせられる。
ツバサは稲妻を走らせると、その酒に引火させて大蝙蝠を燃やした。
迂闊だった──油断もあったかも知れない。
キサラギ族の里には、兆しの谷をカバーするほどの結界が張られている。
張ったのはクロウとホクトだ。
結界がある──その安心感がこの油断を招いた。
しかし、あの大蝙蝠は結界をすり抜けてきたらしい。
結界が壊されたのなら、クロウやホクトが気付かないわけがない。実際、LVの高い使い魔ならば、そういう侵入系技能を付与できる。
蝙蝠といえば吸血鬼の代表的な眷族。
そして、キョウコウの配下にいたデブ執事──ダオン・タオシー。
あの男はかつて吸血鬼真祖だったはずだ。
「ツバサ君、今の蝙蝠はまさか……」
クロウも気付いたのだろう。
ツバサはそちらを振り向き、深刻な表情で告げた。
「はい、奴等に──キョウコウにこの場所を知られました」
~~~~~~~~~~~~
「幸いにも圏内だったようですね。私の使い魔が辿り着けましたよ」
極都──玉座の間。
いつものように惰眠を貪るネルネを膝に乗せたキョウコウは玉座にいる。
執事たるダオンは丸い腹を突き出して報告した。
「“還らずの都”探索のために派遣したプレイヤーは、私がこっそり血を飲んでおいたので、その血の臭いを辿れます。遠すぎると臭いが途切れてしまいますが……これも圏内だったので助かりました」
吸血鬼真祖から引き継いだ技能である。
今では死神という種族にランクアップしたダオンだが、この技能はまだ使えるのでプレイヤーたちの位置を把握するGPS代わりに使っていた。
「あの血の気の多そうな女騎士さんがちょっかいをかけられたことに腹を立て、殴り込んできたところを見れば、近所というのは予想できましたがね」
「うむ……そのために、ここに居城を建てたのだからな」
キョウコウは──“還らずの都”のおおよその位置は見当がついていた。
だからこそ、この超大陸の中央に陣取ったのだ。
「後は簡単──いくつかのグループに分けて探索に出していたプレイヤーたちを呼び戻し、いつまで経っても帰ってこないグループの臭いを使い魔に辿らせました。結果は上々、まだ見ぬ現地種族の村を発見するに至ったわけです」
あれが女騎士カンナが共に暮らす──現地種族だと推測できる。
「例の爆乳小僧もそこにいたか……」
男の心を持ったまま女神になった──斗来坊の弟子。
その居場所を確認できたことが嬉しくて、キョウコウは目を細めた。
だが、何よりも予てから求めていた朗報にほくそ笑む。
「はい、ツバサさんですね。彼のお姿も確認できましたよ。そして、現地種族は角を生やした鬼のようキサラギ族……以前、キョウコウ様が仰っていた“還らずの都”を守っているという種族でございますね」
間違いありません、とダオンはいやらしい笑みを浮かべた。
「──“還らずの都”を発見いたしました」
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