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81.母と騎士
しおりを挟む「ジード……」
瞼に落ちてくる涙も、自分を抱きしめる腕も、伝わって来る胸の音も。
……ちゃんとここにある。目を瞑って恐る恐る開けても、消えはしない。
また会えて嬉しい。すごくすごく嬉しい。
ずっと会いたかった。
もう会えないと思っていた。
胸に浮かんだ言葉は全部、どこかに行ってしまった。
「ユウ」
こんなに……自分の名前を呼ばれるのが嬉しいなんて、思ったことがなかった。 ジードが俺を呼ぶ時の発音は、こっちで呼ばれるのと少し違うんだ。『ユウ』と『悠』は同じじゃない。
「⋆いに⋆た」
「会いに、き……たの?」
俺の言葉に、ジードがそっと体を離して微笑んだ。
――会いにきてくれた。
これは、夢じゃないんだ。
「⋆⋆が、ない」
「ないって、何が?」
「⋆⋆⋆じ、かん⋆⋆⋆⋆⋆」
時間。
「時間がない?」
ジードが頷いた。
「⋆⋆もどら⋆⋆⋆、まって⋆⋆⋆⋆」
ああ、そうか。
どんなものにも所属する世界がある。魔術師はそう言っていたから、すぐにジードは戻らなきゃならないんだろう。
いつのまにか、少しなら言葉がわかるようになっていた。ジードたちの言葉はあまりに音が違って聞き取れないから、ずっと翻訳機をつけていたのに。
「会いに……来てくれて、ありがとう」
俺は、ペンダントを脇に置いて、目をごしごしとこすった。ジードの姿をずっと忘れないように目に焼きつけておく。一枚だけ、スマホで写真を撮らせてもらってもいいかな。ずっとそれを大事にするから。
勉強机に置いたスマホを取ろうとしたら、ぎゅっと手を握られた。ジードは真剣な瞳で俺を見て、左右に首を振る。
「……ジード?」
「ユウ、⋆⋆⋆いこう」
「えっ?」
「⋆⋆⋆エイラン⋆⋆こう」
――ユウ、エイランに行こう
……まさか。
「佐田! その人、佐田と離れたくないんだよ!」
「……花井」
「何言ってんだかわかんないけど、絶対そうだって! 全然、佐田の手を離そうとしないし」
花井が強く叫んだ時、ガチャと部屋の扉が開く音がした。
「悠? いくらノックしても返事がないから……」
俺たちが振り向くと、母がこちらを見て目を丸くしている。
「悠、その人は」
「えっと。……向こうで、俺がすごく……世話になった人」
信じてくれるだろうか。家族に異世界の話をしても、父や姉たちは困惑して黙り込むだけだった。母だけは静かに最後まで聞いてくれた。
母は部屋に入ってすぐに正座した。俺たちも自然にその場に座る。母がジードに向かってお辞儀をすると、ジードも同じように頭を下げた。すぐには誰も話そうとしない。
母がまるで独り言のように小さな声で言った。
「……悠。お母さんね、悠の話、嘘だと思ってないよ」
「えっ」
「ずっと、違う世界にいたって、言ってたでしょう。見たことがあるの」
「見た?」
「そう、毎日毎日、悠の元気な姿を見せてくださいって神様にお願いしてたらね。ある時、ふっと悠の姿が見えたの」
母は、にこっと笑った。
「きらきらしたものをお鍋で煮てたり、その金髪の人と楽しそうにご飯を食べてた。ああ、あの子、生きてる。元気なんだわって思ったの。でも、すぐに消えちゃった。白昼夢ってやつなのかな、心配しすぎて自分がおかしくなったんだと思ってた」
母が見たのは、スロゥの皮を煮ているところだ。俺が夢を見たように、母も俺の姿を見ていたのだろうか。
「だから、悠が帰ってきた時にすごく驚いたの。もう、帰ってこないと思ってたから。……でも、帰ってきてからの方が、悠は元気がないよね」
「……母さん」
母は、ジードを真っ直ぐに見た。
「どうして、ここにいらしたんですか?」
ジードは何も答えない。俺の手をぎゅっと握ったままだ。俺は喉がからからだった。何とか、言葉を絞り出す。
「か、母さん。よくわからないけど、ジードは俺に会いに来てくれたみたいなんだ。お、俺も」
ジードと一緒にいたい。
そう思ったら、勝手に涙が出た。こぼれた涙は止まらなくなって、ラグの上に染みを作っていく。繋いだ手を離したくなんかない。ジードが母に向かって叫んだ。
「⋆⋆ユウ⋆⋆⋆⋆⋆たい。⋆⋆⋆⋆⋆したい。エイラン⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆」
母は、目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをした。ジードの言っていることが全然わからない。
「……あなたと一緒にいたら、悠は笑っていられるの?」
「⋆⋆します。ユウ⋆⋆⋆⋆⋆⋆する」
「必ず? 悠はどうなの?」
「ユウ⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆」
母とジードが俺を見る。どうして二人は会話が通じるんだ。俺には何もわからない。
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