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80.騎士の涙
しおりを挟む「佐田はどんな時でも、ずっと何か作ってたよね。色々な国のお菓子を調べたり、本で見つけたものをぼくたちに教えてくれたりしてた。今はどう?」
花井の瞳は、心配そうに揺れている。俺は何とか声を出した。
「……何、も」
「そう……」
だって、作りたいと思えないんだ。ここには、どんな材料もある。作ろうと思えば何だって作れるはずなのに。卵だって、牛乳だって、砂糖だって。何の苦労もなく簡単に手に入るのに、どうして。
「料理って楽しいけど、食べてくれる相手がいたら、もっと楽しいよね。ぼく、今日は佐田に食べてほしくて稲荷寿司を作ったんだ」
……食べられるだけ、食べて。残していいから。
俺は、花井に礼を言った。弁当の包みを開けると、弁当箱に一口サイズに仕上げられた稲荷寿司が並んでいる。食欲がない俺のことを考えて、小さく作ってくれたのがわかった。卵焼きは綺麗にくるりと巻かれ、胡瓜と人参の浅漬けは、つやつやしている。
いただきます、と手を合わせて稲荷寿司を食べた。薄味の油揚げは味が染みて、酢飯はほろりと口の中でほどける。
「……おいしい」
「ほんと?」
「うん。すごく、優しい味がする」
「よかった!」
花井が嬉しそうに笑う。俺はじわりと目に浮かぶ涙をこらえて、二つ目の稲荷寿司を食べた。人が心を込めて作ってくれたものは、何でこんなに美味しいんだろう。
──……優しい味がする。
俺が作ったものを食べて、そう言ってくれた人がいた。
『これが、ユウが作りたかった味なんだな』
ぽとん、と涙が落ちた。
「佐田?」
「花井、お、俺。ほんとは、作った菓子を食べてほしい人がいる。でも……」
俺は彼を傷つけた。そして、もう会えない。
泣きながら、つかえながら、俺は必死で話した。
──とても大事な人がいたんだ、と。
作りたいものが、何も浮かばない。
彼に渡せないと思った時から、俺は自分の手で何も生み出せなくなった。
放課後、花井は部活をさぼって俺の家に来た。俺たちはベッド脇のラグの上に座った。
「なんとかして、佐田はその大事な人に会わなきゃ」
真剣な花井に、俺は力なく首を左右に振った。魔術師は片道通行だと言った。もう俺はエイランには行けない。
「今の佐田は死んでるのと同じだよ! 菓子一つ作れないなんて! ぼくたちから料理をとったら、何が残るんだ」
「……花井」
何も反論できる要素がない。そうだ、スイーツ一つ作れない俺には、もう何もない。
「ぼくはさ、ずっと好きだった奴に失恋したんだよ! でも、何も後悔してない。やれるだけのことはやったから。だけど、このままじゃ佐田はずっと後悔したままだよ。まだ、終わってもいないのに」
「……終わってない?」
「だって、佐田は終わったと思ってないよね?」
花井の真っ直ぐな瞳が俺を見た。
……終わって、ないのか。
「ん? ねえ、何か光ってる」
花井がヘッドボードを指差した。この半月、何も変わった様子のなかったスフェンのペンダントが光っている。俺は思わず立ち上がった。
ペンダントは金色なのに、周りから虹色の光が立ち上る。この色は、帰還術が行われた時に見た色と同じだ。
「⋆⋆⋆⋆⋆⋆ユウ⋆⋆⋆⋆る⋆⋆⋆⋆」
「何か聞こえるけど、全然わかんない」
「花井、ごめん。ちょっと黙って」
――ユウ、おくる。うけとれ。
「スフェン?」
おくる?
何を?
俺は、スフェンのペンダントを手に取った。自分の手の中の光がどんどん強くなる。隣で覗き込んでいた花井も固唾を呑んでいる。ペンダントが虹色の光に包まれて朧気な輪郭しかなくなった時、今度は逆に光が洪水のように溢れた。部屋の中全体が光に呑まれて、何も見えなくなる。
あまりの眩しさに、目を開けていることが出来ない。
「ッ!」
「何これ!」
目を瞑っていても瞼の裏に刺さるような凄まじい光の放出があった。少しずつそれが収まって、俺たちは、ゆっくりと目を開けた。ゆらゆらと揺れる虹色の光が一つにまとまって、形を作ろうとしている。
「……? 人?」
「うん」
虹色の光を纏いながら、俺たちの前には大柄な一人の人間が立っていた。彼は不思議そうに上を見ている。
……ああ、そうだな。向こうは、こっちよりもずっと天井が高い。この部屋は、さぞ狭く感じるだろう。
眩し気に目を細めていた彼が、視線を下ろした。ようやく焦点があったのか、何度も目を瞬いている。俺を見て、眉間に皺を寄せて唇を引き結んだ。
俺は、彼から目が離せなかった。まるで体が固まってしまったかのように動けない。
彼が一歩踏み出し、ゆっくりと手を伸ばしてくる。指先でそっと俺の頬に触れると、細かな震えが伝わってきた。確かめるように何度も何度も頬を撫でる。
くすんだ金色の髪に碧の瞳。彫りの深い顔立ちは、以前よりもずっと大人びている。
全体に細くなったから? 瞳が鋭くなったから?
長い睫毛が震えて、引き結ばれていた口が俺の名の形に動く。
「ユ、ウ」
これは、都合のいい夢じゃないんだろうか。
ずっと会いたかった。何度も何度も名前を呼んだ。ごめんと叫んでは、何一つ伝えられないことに泣いた。
逞しい腕が、俺を胸の中に引き寄せる。腕に少しずつ力が込められていく。
「ジー……ド」
髪に、頬に、頭の上から温かいものが降って来る。
騎士の涙を、初めて見た。
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