お人好しは無愛想ポメガを拾う

蔵持ひろ

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気がついたこと

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 雪隆が個人的なことで落ち込んでいても日々は進んでいく。やらなければ仕事は溜まっていくし、弟からヘルプコールがあれば手伝いに行かなければいけない。精神的な不安定さはあるものの毎日を過ごしていく。それが大人だ。一つのことで止まってはいられないのだ。
 そう、いつも通りの日常に戻っただけ。あの厄介なポメガバースの男が来なくなっただけ。そう言い行かせるも強がりだということはわかっていた。

「──これ、好きそ……いないか」
 
 しんとした夜は特に身にしみた。寒いからだろうか、特にそう思う。賑やかしでつけたテレビのバラエティ番組に美味しそうなステーキ肉が映っている。佐々木が良く土産に持ってくるものだからと声をかけたが、部屋に独り言が響くだけだった。

「何やってんだか」

 それを誤魔化すように缶ビールをあおる。最近家の空き缶が増えやすくなった気がする。
 一ヶ月たっても、二ヶ月たっても、男は現れることはなかった。自宅でふと隣を見た時に誰もいない空虚さは抑えられない。あの一方的な雪隆の絶好宣言に呆れてしまったのだろうか、憤慨したのだろうか。公園で黒いポメラニアンも見かけないし、ましてやエントランス前で待ち伏せされることも無くなった。せいせいするはずなのに、それが寂しい。
 佐々木は気まぐれにこちらを訪ねてきて気まぐれに去っていく。自分勝手だったのに、その距離感が思うよりも心地よかった事を知る。
 携帯のアラームが鳴った。明日のサロンの手伝いのためにもそろそろ寝ておこう。雪隆は冷たいベッドに潜り込むのだった。

 昼であるのに灰色の雲があたり一帯に広がる。空気全体がしっとりとして今すぐにでも雨が降りそうだ。
 お客様の数も少ない。以前からこの日は雨が降ると予想されていたし、実際天候も悪いからだろう。せっかく綺麗に毛並みを整えたのに雨に降られて台無しになることは避けたいのはわんこも同じだ。
 だが雪隆にとってわんこのシャンプーに追われている方が心穏やかでいられた。忙しい方が余計なことを考えずに済むからだ。わんこ達のことだけを考えられる。最後の一匹まで丁寧に洗う。今日は特にある理由もあって手は抜けない。

「兄さん、今までありがとう。すごく助かっちゃった。少ないけど退職金つけておくね」
「いやいいよ。俺も楽しかったし」

 全てのわんこのシャンプーが終わって手足をタオルで拭いていると、弟が近づいてくる。夏樹がこんな事を言うのも、今日が弟の店の手伝いをする最後の日であるからだ。長い間アルバイト募集していたこの場所に、ようやく働くことを希望する人物が現れたのだ。
 雪隆は元々共同経営者ではなく手伝いという名目だった。弟の手が回らない部分を隔週の土日に手を貸す。働き手が足りれば雪隆の役目は終わる。
 はじめは肩の荷が降りたと思った。しかし、雪隆は来週からのことを考えると憂鬱でもあった。
 黒いポメラニアンに出会う前ならこれからは全ての休みが自由だと好きにしていただろう。佐々木が人の姿でもくるようになってから、誰かと過ごす休日が増えた。一人の自由は減ったのに嫌だと最近は思わなくなっていた。それが当たり前になっていた。そんな今の自分が一人の休日に耐えられるのだろうか。

「新しいアルバイトはどんな人なんだ?」
「トリマー目指しているらしくて、結構筋がいいんだ。僕より小柄なのに保定もうまくて。今は平日に来てくれて研修してて、来週から土日もお願いするつもり」
「よかったな」
「うん」

 弟の嬉しそうな顔を見ると、憂鬱だった気持ちも少し和らぐ。
 夏樹はずっと専門的な知識を持つスタッフを望んでいた。もっと本格的なトリミングのサービスもしたかっただろう。しかし日々時間に追われて一人だけでは諦めていた部分もあったはずだ。
 アルバイトのお陰で夢がまた一歩近づいたかと思えば兄として嬉しいことである。
 今後わんこと交流することがなくなるのは、くしくも「他の犬に構うな」という佐々木の要求が通ったことになる。もう会うことはないだろうに不思議なものだ。
 忘れ物が無いか店内をチェックする。滅多なことではもう来ないだろうから念入りに。二階にも置きっぱなしのものはないかと階段を上がる。
 以前、佐々木が帰った際すぐに寝床等使っていたものを片付けてしまったのだろう。黒いポメラニアンがいた痕跡はまったくなかった。二階から階下を見つめる。真っ直ぐな階段では廊下が丸見えだ。
 夏樹に言われた時はそんな冗談だろうと信じていなかった。しかし、もし自分のことをじっと見つめていたのが本当だとしたら。彼はいったい何を考えていたのだろうか。寂しいと少しでも考えてくれてたのか。雪隆は首を振った。ポメガバースの専門家でないのでわかるはずがない。

「用事はおわった?そういえばポメガバースの人が店に来て、貸してた服を返しに来たよ。兄さんによろしくって」

 どうやらちゃんと義理は果たしたらしい。はじめてポメラニアン化した時も、菓子折りを持って訪ねてきたのだから、そう言うところは律儀なのだろう。

「大丈夫?」
「何が?」

 見上げられる。なんだか最近は弟に心配されてばかりだ。

「あの人、今にもポメラニアン化しそうなくらいボロボロだったんだけど。あと兄さんもおんなじくらいひどいです」

 そんなに悲壮感あふれる表情をしていたのか。鏡を覗きに行こうとすると、「表情じゃなくて、全体的な雰囲気がね」と付け足される。

「でも、ポメガの人はあんまりやばかったらちやほや屋に行くだろうから平気か」

 夏樹の独り言に雪隆は頭の中に疑問符が浮かぶ。果たしてそうだろうか。
 雪隆が騙し討ちのように連れて行った際には全力で遊ぶことを拒否していた。プロであるちやほや屋が降参してしまったほどである。特定の人のちやほやで無いと人に戻りたく無いと聞いた。
 そうだ、ならあの夜のキャバ嬢にちやほやでも膝枕でもして貰えばいいでは無いか。彼女らは接待をするのが仕事である。可愛いわんこを愛でるのなら犬嫌いやアレルギーでない限り拒否はされないだろう。
 それでも限界ギリギリの状態なら……最後に残った予想はひとつだけ。その都合の良い希望に雪隆は縋りたいと思ってしまう。
 膝枕をするのも、一緒に寝るのもあの黒くてふわふわの体を抱き締めるのも、自分だけだったのだと。

「……帰る」
「あ、うんじゃあね!」

 居ても立っても居られない。体が動けと命令している。会って話さなければ。ここで彼を見つけなければずっと後悔してしまう。
 水を抱えていた雲がついにこぼれる。フロントガラスに続々と水滴が落ちてきた。寒くなって自動車の暖房をつける。なかなか自宅が見えないことに焦りながら、車を走らせて行った。
 自宅の駐車場に車を止めると、エントランスへ向かう。黒いポメラニアンは影も形もいない。当たり前か。わざわざ寄ってくれることなんてない。傘もささず自分は何をやっているのか。
 ふと、はじめて二人が出会った公園へ行きたくなった。正体はわからないが胸がモヤモヤと嫌な予感がする。虫の知らせというものだろうか。
 早歩きだった足の速さが、駆け足、全力疾走に変わる。予感が正しければ、彼が。もう雨粒で顔が濡れることなど構わなかった。ジャケットの中に入った雨が冷たいことなどどうでもいい。早く、早く。

「……っ……」

 やっと着いた公園は日も暮れ水溜りが点々としている。当然誰もいるわけがない。当たり前か。佐々木が公園にいたのはポメラニアンだった時だ。人型であれば寄る必要すらない。何を考えていたのだろう。自分自身に呆れ、自宅に引き返そうとする。
 ……けど、ポメラニアンになってしまっていたら?彼はきっと触れられるのを嫌って見えにくいところ──例えば遊具下や薮の中──に隠れるだろう。
 雪隆は藪の中に手を突っ込みかき分ける。ざかざかと音を出し、雨で濡れた木々は重くなっていたがそれどころではない。

「佐々木さん!!」
「…………」

 あっさり見つかった。その黒い毛玉は返事をしなかった。自慢の柔らかな毛は雨にぬれ体のラインがはっきりとわかる。そうして横たわり短い舌を控えめに出している。はじめて会った時に威嚇された元気な姿からは程遠い。撫でようとすると、不自然なぬるつきが手にまとわりついた。公園の薄暗い照明のした目を凝らす。正体がわかった時戦慄した。
 血だ。このポメラニアンは怪我をしているのだ。とても声の出せる状態じゃない。本来犬の毛に絡まるように固まるはずであった血も雨で流されていて、傷が深いのが見えてしまう。鋭利な刃物でざっくりと刺されたようだった。まるで包丁で怪我した時のような。

「何でこんな……」

 幸い傷口は地面に付いておらず泥がついた様子はなかった。ゆっくりと両手でショベルカーのように掬い上げるように持ち上げる。元気な時は早いテンポだった心臓の鼓動は、今は恐ろしいくらいに静かだ。雨は二人に容赦なく降り注ぐ。急いで、でもぐったりした体を揺らさないよう公園内にある屋根つきのベンチに避難する。
 濡れるのも構わずベンチの上に下ろす。ポケットに入れていたスマホを取り出し、連絡をしようと試みる。寒さで震え思い通りにならない手を叱咤し、病院の場所を探す。
 ポメラニアン体だからやはり動物病院だろうか、いやポメガバースは特殊な可能性もある。そもそもこれ以上体を動かしていいのだろうか。やはり救急で事情を説明した方が良いか。ごちゃごちゃと心配事が湧き出てきてうまく考えがまとまらない。

「ごめん、もう少し……」

 やはり救急車を呼ぼうとスマホを握りしめた時、公園の薄暗い照明によって前足の一部分が鈍く光る。そうだ、これがあった。
 ポメガバースの命綱。居場所を警察に知らせてくれる足輪。はじめて会った時は嫌がってQRコードを読み込ませてくれなかったが、今は緊急事態だ。
 思えば異常だった。普通ならどうされるかわからない赤の他人に部屋をあげてもらうよりも足輪を使ってもらい見知った顔と警察が駆けつけてくれた方が良いはずだ。雪隆に対して傍若無人であった彼が保護者に対して気兼ねしているふうには思えない。……だとしたら警察?
 彼が反社会的組織に属していたとしたら、警察と関わることを嫌がったりしないのではないか。それに体に触れた時の丸い傷跡。特殊な武器やらで傷ついたものではないか。だとしたら佐々木を迎えに行った時にあった強面の面々も佐々木の同業者ということか。よく無事だったものだ。佐々木の連れということで絡まれなかったのか。
 一人で納得すると同時に後悔が襲う。少しの意地が雪隆に棘のある言葉を投げさせた。なぜ素直に佐々木に聞けなかったのだろう。こうして怪我をして話せなくなってからでは遅いのに。
 考え過ぎた。とにかく彼を救わなければ。前足を持ち上げ、彼が危機的状況に陥っていると知らせた。
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