お人好しは無愛想ポメガを拾う

蔵持ひろ

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数日後

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「大丈夫か……」

 彼から音沙汰がなく一ヶ月。無事でいるだろうかと連絡をとろうとするも初めに部屋に置かれた紙は捨ててしまっていた。本当に佐々木が連絡もなしに気の赴くままこちらに訪ねてきていたのだ。
 改めて接点が少なかった事実が重くのしかかる。嫌だった。それに、本人に直接聞きたいことが沢山ある。このまま関係が切れたままでは気が済まない。
 雪隆はあの雨の日のことを思い出していた。

※※※※※

 前脚のQRコードを読み取ったその直後、雪隆のスマホが震えた。暗い公園で二人きり。虫の息であるポメラニアンの様子を見ていると、まるで永遠にも思えてしまうくらいの時間を待つ。
 やがて、パトカーのサイレンと眩しい車のライトがこちらに近づいてくるのがわかった。安堵の息をつく。
 これで警察に話せば彼を然るべき処置をしてくれる施設へと運んでくれるだろう。この時まで雪隆は佐々木の付き添いをするつもりでいた。不安だったのだ。自分が目を離した隙にこの小さな命が潰えてしまわないか。
 スーツを身につけた男性らしき人影が、雪隆に警察手帳を見せる。薄ぼんやりとした公園のあかりでははっきりとはわからなかった。いや、人の顔を意識してみるほど雪隆に余裕はなかった。
 駆けつけた警察がスーツ姿であるのは、どうやら制服警察官は付近におらず、刑事がこの公園の近くにいたためらしい。

「すみません、このQRコードを読み取ったのはあなたでよろしいでしょうか?」
「はい、そうですっ……!助けてください……血が止まらなくて」
「落ち着いてくださいね」

 雪隆の視線はポメラニアンに一心に向けられている。早く助けなければ。
 犬を一目見た警察官が、雪隆に深呼吸をするよう指示する。警察官らしき男は一旦車に戻り無線らしき連絡を取るとこちらに駆けながら戻ってきた。
 ポメラニアンは後からきた救急隊員によって担架で運び出される。
 小さく軽い命が両手から離れた瞬間、体の震えが止まらなくなった。彼を失うのが怖い。居ても立っても居られず雪隆も救急車に乗り込もうとしたが、佐々木の後輩に肩を掴まれ留められた。

「……詳しいお話は署で聞かせていただきますか?」
「はい……君は」

 声を聞いた時は暗がりからだったのでわからなかった。けれども公園の明かりが当たると見覚えのある顔が覗く。佐々木が泥酔して迎えに来た時、見かけた顔だ。
 何故刑事としているのか。それとも佐々木の保護者……?いや保護者であったらよほどのことがない限りこんなすぐに自分たちのもとに来ることは珍しいはず。
 頭が疑問で埋め尽くされ、混乱していた。
 その後、近所の警察署に連れて行かれ調書をとられた。佐々木を見つけるまでの道筋等を聞かれる。後ろ暗いことはしていないため堂々と答えていると、あっという間に終わった気がする。
 警察署から出る前に佐々木にその後の様子について聞いてはみた。だが容体や個人的なことについては身内ではないため教えられないと申し訳ない顔で言われ、諦めるしかなかった。そもそもどの病院に入院しているのかもわからないため見舞いに行きようがない。

 そうしてまんじりともなく待ち続けて数週間後。
 土日に弟の手伝いをすることもなくなったため、有り余った休日の時間を自宅でぼんやりと過ごす。静かな部屋は寂しい。その時だった。
 スマホが突然鳴り出した。並んでいる番号は非通知。もしかしてと勢いよく通話ボタンを押した。

「もっ、もしもし!」
「あー……ひさしぶり」

 電話の相手は少し気まずげに話をしだす。たった一ヶ月強ぶりだというのにとてつもなく懐かしく思えた。
 
「あいつから話は聞いた。散々な休日になったんだって」

 労るような口調に、失礼ながら本当にあの佐々木なのかと思ってしまう。怪我をしてしおらしくなったのだろうか。

「気にしてないから。……それより怪我の様子は?」
「ああ、最近やっと歩くのがマシになった。だからこうしてタバコを吸いに来てる」
「そうか。どこに入院してるんだ?」

 雪隆が訪ねると、佐々木は自宅から電車で三駅ほど離れている病院の名前を告げる。怪我が順調に治れば今月いっぱいまで入院するらしかった。
 不明瞭な声はタバコを咥えているのか。数分程二人の間に会話が消えた。時折風が強く吹く音と、子供のはしゃぎ声が電話から聞こえてくる。

「ごめん、言葉が足りなかった」

 意を決したように謝罪された。雪隆の激昂は佐々木にこたえたらしい。見えないが、まるで耳を垂らし上目遣いでこちらを伺う黒いポメラニアンが思い浮かぶ。そう思うと憎めない。

「……また話せる?」
「うん」

 佐々木は肯定の返事をしてくれた。
今ここで謝罪の返事はしない。雪隆は直接会って伝えたいのだ。たとえ佐々木が警察と関わりたくないような怪しげな職業についてようと自分だけが彼を癒したいのだと。
 遠くから佐々木が叱られる声で電話は終わった。来週、心の準備を決めて行こう。


 雪隆は個室のドアの前で深呼吸した。部屋の前の名札は何度も確認した。
 病院特有の消毒液の匂いや入院病棟のしんとした雰囲気。時折看護師がぱたぱたと小走りしているようなナースシューズの音。片手には瓶に入ったプリンの紙箱。本人が一番喜ぶのは肉だとは思ったが、その場で調理できるものでもないし消化のしやすそうな甘味に落ち着いた。
 ノックをして返事が来る。元気そうな声だ。
 白色のスライド式の扉を横に押して、すぐに佐々木を見つける。傍らには妙齢の男性が簡易の椅子に座っている。
 先客がいるため一旦引こうと思ったが、佐々木に引き止められる。

「雪隆。来たんだ」

 無地のパジャマを身につけてベッドから起き上がっている男に声をかけられる。ちょっとツンとしたその言い方が今は嬉しい。

「お邪魔します。……プリン、持ってきた」

 雪隆が病室に入るのとは入れ替わりに佐々木の近くに座っていた男は立ち上がった。そのまま病室を出て行く。彼はすれ違った時に目尻に皺を寄せるように微笑まれ、高級な整髪剤の香りを残して去っていった。

「……久しぶり。これ、お土産今食べるか?」
「うん」

 プリンの袋をベッド脇の机に起き、中の洋菓子とプラスチックのスプーンを取り出す。どうやらこのチョイスで正解だったらしい。すぐに瓶の蓋を開けて、柔らかな固体を口に入れていた。

「そういえばサロンの手伝いはしてる?」
「いや、新しいバイトが入ったからその人に俺がしていた仕事を頼むらしい。休日は全部自由になった」
「ふうん」

 何事もなかったかのように返事をされて仲直りをしたように錯覚する。けれどもそれは違う。水面下では何事もなくても、互いに抱えているものがあるはずだ。
 佐々木は食べかけのプリンをベッドサイドに置いた。雪隆はまだ伝えるべき言葉がある。
 
「佐々木……」
「びっくりしたでしょ。公園に刺された犬が倒れてるとかさ」

 本題を逸らすように、あの日起きたことを振り返え語る。冬にしては日差しが暖かく、さわさわと木々が揺れる音が心地よい。雪隆は静かに耳を傾けた。
 
「仕事でヘマしてポメラニアンになったのはいいけど、頭の中も体もふらふらでさ。雨も降り始めるし、なんか、寂しくなって……あんたのこと、思い出したんだよ」

 それから朦朧とした意識の中で公園にたどり着けたのはポメラニアンの嗅覚のおかげだとか、つらつらと話していた。身振り手振りを交えるその様子に、怪我をした部分はもう痛くないのだとわかった。心の中でほっと安堵の息をつく。

「だからさ……またそっちに行ってもいい?」

 喧嘩腰の言葉を放ったのはこちらだと言うのに、佐々木の方がしおらしくこちらを見つめる。どうした。怪我をしてそのショックで性格でも変わってしまったのか。
 そんなことを思ったが口には出さない。今言うべき言葉ではないからだ。

「どうしてだ?」

 優しくするつもりはないように見えるのに、ふれあいを求めるのはなぜ?大事にされていないのに、向こうから関わってくるのは?ただ雪隆が便利な存在だから?

「そんなの、居心地がいいからに決まってるから」

 嘘だ。咄嗟にそう思う。水商売の女性に膝枕でもなんでもして貰えば良いではないか。その意図を持った言葉を返すと、見られてたかと言う呟きと共に頭にデコピンされる。痛みで額を抑えていると、こちらを見つめていた佐々木が再び口を開いた。今度は、真っ直ぐと雪隆を見つめて。

「……好きだから。そりゃあ下心で風呂とかの世話を頼んだ時もあったけど……俺は雪隆と一緒にいると一番落ち着く」

 信じられない言葉を紡いだ張本人は頬を少し染め上げていた。どうやら冗談ではなく本当の気持ちらしい。それを隠すように雪隆は抱き寄せられた。どくどくと心臓の音がいやに響く。気持ちを、返さなければ。雪隆は佐々木を抱きしめ返した。我慢しているのにじわりと目元が濡れる。

「俺も、好きだよ……たとえヤクザだとしても」

 体の特徴的な傷跡に、仕事仲間達。何より美形だが強面な佐々木。そばにいられるなら相応の覚悟はしておこう。今思いがすれ違うことの方がよっぽど怖い。雪隆はすっかり覚悟を決めていた。

「そう──いや、俺ヤクザじゃないし」
「は?」

 さっき出ていた涙も引っ込んで、呆然と佐々木を見つめる。憮然とした態度の彼もさっきまで頬を染めていた年相応らしさは抜けていた。

「だって銃創を名誉の負傷って」
「あれは摘発の時に抵抗した下っ端が銃を一発当てたんだよ。街中に銃が横行しなくて済んだんだけど」
「先輩達がいかにもヤクザだろ!?」
「あんぐらいの格好してないとすぐ舐められるの。面子が命だから」
「ポメラニアンの時に警察に連絡されたがらなかったのは?」
「俺がその警察だから。同業者、しかも下手したら同僚が駆けつけて犬の姿見せるなんて地獄だし。絶対揶揄われる」
「……じゃあ……夜の街で女の人と絡んでたのは」
「それは、情報提供のために仕方なくっていうか……」
「いや!あのキャバ嬢におっぱい押し付けられてデレデレしていた!」
「はあ!?」

 なんだかだんだん痴話喧嘩じみてくる言い合いに、脱力してくる。なんでこんなことを病院の個室で言い合っているのだろう。

「あんたの胸以外興味ないっつうの!ほら!触らせなよ」
「な……なな何言ってっ!ダメに決まってるだろ」

 突然爆弾のような言葉を投げられ咄嗟に断る。ベッドから出ようと掛け布団を除けようとする勢いから本気なのがわかった。肩を掴んでベッドに逆戻りさせる。単純な力勝負であれば、体格差によって雪隆は負けることはない。
 いきなりそんなセクハラまがいのことを言われたことにも戸惑ったが、それ以上に彼は怪我人だ。傷口が広がったらどうする。そう言って納得させる。佐々木はぶつぶつと文句を言いながらも素直に言うことを聞く。

「それで、退院はいつなんだ?」

 雪隆は苦笑すると、残りのプリンを冷蔵庫に入れてたわいもない話をはじめた。それはまるで数ヶ月間のわだかまりなど全くなかったかのようだった。
 
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