飛竜誤誕顛末記

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第四章 将軍様一局願います!

第36話 遅すぎる自覚

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バルギーとの事を考えると、いつも一番に感じるのは悲しみだった。
怒りでもなく、恨みでもなく、恐怖でもなく、悲しみだ。

『そもそも、なんで俺は本気で怒れないんだろうね。そりゃ少しは怒ってるけど、でもそこまでじゃ無いんだ。本当はもっと怒るべきなのかもしれないし、恨むべきなのかもしれないのに』
【悲しさの原因もだが、なぜ恨めないのかも分からないのだな】
『うん』
【ふむ。特に難しく考える必要はないと思うが・・・】
【そうだねぇ。ケイタ、別に自分の気持ちを否定する必要はないんだよ】
『否定?』
【そう。お前さんはどうも自分が怒りを抱かない事に納得がいかないようだが、怒りを感じないのであればそれはそれで良いではないか】
『でも、普通はあんな事されたらもっと怒るべきだろ?』
【ケイタ、お前は怒りを感じる時、怒る“べき”だから怒るのか?“普通”かどうかを気にして怒るのか?】
『え?』
【もし、そうなら。それはお前の本当の怒りではない。偽りの感情だ】
【イクファの言う通りだよ。湧き出る感情というものに理屈は通用しない。時には理不尽で、時には不条理な事もある。“正しい感情”なんてものは無い】
【ケイタよ。お前が怒る時は、怒るべきだから怒るのではなく、怒りたいから怒るのだ】
【怒る“べき”や“普通”と言うものは、周りの者達の基準を考慮したものだろう?なら、それはお前さんの感情とは違うねぇ。大体、その考慮する基準ですら本当は自分が想像しただけのものなのではないかい?ケイタ、それは幻想に過ぎないものだ。惑わされてはいけないよ】
【複雑に考える必要は無い。大切なのは純粋な自分だけの気持ちだ】
【感情は考えるものではなく、感じるものだからね】
イクファとニギルが息もぴったりに交互に俺を諭してくる。
そんな2匹の話を聞いて、目から鱗が落ちた。
聞いてみれば至極当然の話だ。
そりゃそうだ。
俺の気持ちは俺のものなんだから、他者の基準で考える必要はないんだ。
むしろ、なんで俺はそんな面倒な考え方をしていたんだろう。
昔から俺は自分の気持ちに素直に生きてきたはずだ。
笑いたい時は思いっきり笑って、怒りたい時は力一杯怒って、どうしても悲しい時は我慢せずに泣く。
それで感情を発散したら、後はもう引きずることなく次の一歩を踏み出せた。
それなのに、今回は素直に自分の感情を受け入れられなかった。
無意識に自分の気持ちを抑えていた気がする。
だけどイクファ達の言葉でもう一度自分の心の内に向き合ってみたら、思った以上にすんなり自分の感情を受け入れられた。
『そっか・・・別に怒ってない事はおかしい事じゃないのか』
【お前がそう思うなら、そうだ】
イクファにそう言ってもらって、なんだかホッとした。
【ではそれを踏まえて、もう一度考えてみようか。怒りよりも悲しみを感じる原因を】
ニギルの言葉に頷く。
とりあえず2匹のおかげで、自分が怒りを感じていないと言う事は素直に受け入れられた。
それを前提に、俺は最初の疑問にもう一度向き合ってみる事にした。
俺が怒れない理由、怒りよりも悲しい理由。

『うーん・・・悲しい原因・・・』
【何が悲しかったのだ?どんな事が悲しい】
『そりゃまぁ、やっぱり一番は信じてたのを裏切られた事かな。信頼していたのに』
【ケイタの言う信頼とは何だ】
『えっ、信頼っていったら・・・信頼だろ。何って言われても困るよ』
イクファの突っ込んだ質問に、答えにつまってしまう。
【ふむ・・・どんなところを信頼していたのだ?どんなところが裏切りだと思った】
『どんなところって・・・そりゃ色々とあるさ』
【例えば?】
『・・・俺の事守るって言っていたのに、バルギー自身が俺を傷つけてきた』
【なるほど・・あとは?】
『俺の意思を無視した・・・嫌だって言ったのに・・』
バルギーは俺の抵抗を押さえつけて体を支配した。
【それから?】
『それから・・・』
俺がバルギーに感じていた信頼感、それは。
『バルギーはさ、会った時からずっと俺の事気にかけてくれてたんだ。優しくしてくれて、守ってくれて、色々与えてくれてさ。頼りっぱなしなのは情けなかったけど、本当にありがたかったし嬉しかったんだ。何にも知らないこの世界で、俺の生きる基盤を作ってくれたのがバルギーだった。だからバルギーと一緒にいれば大丈夫って安心感があったよ。バルギーが一緒に居てくれたから俺は安心して色んな事に挑戦できた』
バルギーと出会ってから過ごした楽しい時間を思い出すのは簡単だ。
苦労して記憶を手繰らなくても、次から次へと勝手に溢れてくる。
一緒に過ごした中で育まれた信頼感と友情。
『それにバルギーは俺の過去について触れないでくれた。竜と話せる事とか違う世界から来た事とか、バレたら俺の事を政治的に利用できる道具みたいに見てくるんじゃって臆病になって言えなかったのに。大切なのは一緒に過ごした時間だって、過去は関係ないって言ってくれてさ。あれは本当に嬉しかったな。あぁ、バルギーはちゃんと“俺”を見てくれるって安心できた・・・・だけど』
だけど。
違ったんだ。
『結局バルギーは俺の事を物として扱った。都合の良い玩具としてしか見てもらえなかった』
思い出すのは、あの冷たい目。
そして俺の心を抉った言葉。
『心は要らないって言われた・・・・・』
口から出した途端、心臓を握り潰された気持ちになった。
『バルギーははっきりと“俺”は要らないって言ったんだ。“俺”を否定した。それが、一番裏切られたと思った事。一番悲しかった事』
あぁ、やっぱり思い出すと泣きたくなる。
バルギーだけには、そういう目で見られたくなかったのに。
『バルギーに無視されると凄く辛い。無視されながら触られるのはスゲェ悲しかったよ』
【なるほどねぇ。心を無視されたのが悲しかったのだね】
静かに聞いていたニギルが頷き、イクファは何故か少し不機嫌そうに唸った。
『うん、そう』
俺はずっとバルギーの心を理解したくて対話を望んでたけど、それは頑なに拒まれた。
『ちゃんと向き合いたかったのに、こっちを向いて貰えなかったのは寂しかったな』
【向き合いたかったのか】
イクファの声には何となく不服そうな色が滲んでいる。
『うん、向き合いたかった』
無視され続けたあの部屋の中での事を思い出しながら満月を見上げる。
『バルギーにはさ、俺の体じゃなくて心に価値を見出して欲しかったんだ。体じゃなくて心に触れて欲しかった。それで、バルギーの心にも触れたかった』
何を考えていたんだ?何を思ってた?
イクファ達に言われたように、それは俺が出せる答えじゃない。
どんなに考えても、バルギーの心の内は分からない。
だけど、知りたかった。
俺を無視して酷い事をする癖に、時々見せた傷ついたような影。
本当に、俺ってバルギーの中ではただの玩具くらいの価値しかなかったのか?
あんなにはっきりと心は要らないと言われたのに、諦めきれずにそれは違うという答えを欲している自分が滑稽だとは思う。
『なんで俺はこんなにバルギーにこだわってんだろうね。あんな事されたんだからさっさと見限って忘れちゃえば良いのに。もう側にも居ないんだから、これ以上何か関係が変わる訳でもないし。それなのに何で未だに悲しい気持ちが萎えないのか、ほんと意味わかんねぇ』
スンと鼻を鳴らしたら、両隣からイクファとニギルの溜息が聞こえた。

兄竜達を見上げれば、2匹は顔を見合わせながら少し呆れたような雰囲気を漂わせていた。
え、何?その空気。
【ケイタ、本当に分かっていないのか?】
イクファが少し疑うように鼻先を近づけてくる。
【もう、ほとんど答えを言っているようなものだと思うんだけどねぇ・・・】
ニギルは何でか苦笑気味だ。
『・・・何?イクファ達には答えが分かったのか?』
俺はやっぱり分かんねぇよ。
【ふふふ。イクファよ、我らが末弟はかなり鈍い質のようだよ】
【私は、このまま一生気付かないでいてくれた方が嬉しいが】
ニギルは愉快そうに、イクファは不満そうに呟き合う。
『何?なんか分かったんなら教えてくれよ』
【ケイタ、さっき言ったであろう?難しく考える必要は無い。素直に自分の感情を受け入れれば良いのだと】
『?うん』
【分からないか?】
『何が?』
イクファ達が何を言いたいのかが分からなくて首が傾いでしまう。
【ふむ・・・・】
ニギルが何か考えるように少し間を開けて、それから俺に聞いてきた。
【ケイタ、少し見方を変えてみようか?】
『見方?』
【そう。違う方向から見てみれば案外簡単に答えが見えるかもしれないよ】
ニギルの言っている事の意味が分からなくて、俺の頭はやっぱり傾いてしまう。
【ケイタ、逆に考えてみようじゃないか】
『逆・・・』
って、なんだ。
【お前さんは信頼を裏切られたのが一番悲しかったと言ったな】
『うん』
【意志を、心を、無視されたのが一番の裏切りに感じたと】
『そう』
【では、無視されなければ悲しくなかったのかい?】
『・・・・うん?』
【お前さんの心を無視しなければ、その男の行いは受け入れられた?】
『・・んん?』
【そやつがちゃんと向き合い、お前さんの心を求めたのであれば、お前さんはそれを受け入れたのかな?】
『・・・・・・・・』
【そもそもだが、お前さんはその男にされた行為自体にはあまり言及していないのが気になっているんだよ】
『・・・・・・』
ニギルの言葉に、初めて自分の言動に違和感を覚えた。
【私達島の竜は繁殖能力が無いからね、そういう行為については想像することしか出来ないのだが・・・・・そのような行為は意に染まぬ相手にされると嫌悪感を覚えるものではないのかい?それは、自分の認めた相手とする事で無理強いされる事ではないのだろう?もちろん種族によっては力尽くでの繁殖行為を習性とする者達もいるが、人間はそういう習性では無いと思っていたのだけど】
違ったのかな?と首を捻るニギルの疑問に、俺は言葉を失ってしまった。
だって、言われるまでその事については全く何も考えていなかったから。
考えるまでもなく、本来だったら嫌でも感じていた筈の事だ。
力尽くで承諾なしにされた性的な行為。
当然だけど、それはとても気持ちが悪い事の筈じゃないか?
生理的な嫌悪感を感じる事なんじゃないのか?
その考えを念頭にバルギーとの行為を思い出せば、俺はとても驚くべき事に気付いてしまった。
俺は・・・・・・・俺は、バルギーとのセックス自体に対しては嫌悪感を感じていなかった。

『えぇ??』
自分の中の気付きに対する驚きが思わず口から漏れた。
ちょっと待って。
いや・・・。
えぇ・・?
だって、相手は男だぞ?
しかも尻を掘られたんだぞ?
俺は相手が男でもOKなの?
もしかして、俺ってそう言うの気にならないタイプだったのか?
気持ちよければ誰でもかまわない的な?
いや、確かにお店のお姉さん達と遊ぶのは好きだったけど。
でも。だけど。いや・・。
え、俺って誰彼かまわない無自覚ビッチなの?
思わずムンクの叫び状態で自分のクソっぷりに衝撃を受けていたけど、途中でいやいやと思い直す。
違う、そんな事はない。
だって、思い出してもみろ。
あの奴隷商での屈辱的な出来事を。
あの時、俺はあの変態共に体を触られて確かに生理的な嫌悪感を覚えていた。
鳥肌の立つ気持ち悪さを感じていた。
だけど。
バルギーにはそれは感じなかった。
初めてキスされた時、驚いて混乱したけど気持ち悪いという感情は無かった。
いつも無理矢理体を開かれるのは、それなりに恐怖は感じたし、何でこんな事をするんだと言う悲しさもあった。
でも、嫌悪感は無かった。
もしかして親しいと思っていた相手だから、そう言うのを感じにくかったとか?
なんて考えてみるけど、いくら何でもその考え方が苦しいのは自分でも分かった。
だって、それなら相手がイバンとかカディとかでも同じだったかと言われれば、絶対に違うと即答できる。
もしバルギーじゃなくて相手がイバンだったら、カディだったら、俺に触れてくるあの手が親しい他の誰かだったら。
想像してみてゾッとする。
無理だ。
いくら親しい相手だろうと、男にあんな事されるのは気持ちが悪い。
じゃぁ、なんでバルギーは大丈夫なんだろうか。
バルギーとの行為で俺が受け入れられなかった事は・・・。
俺の意志を無視して触られるのが悲しくて嫌だった。
心を無視して玩具扱いされるのが何よりも嫌だった。
体だけを求められて、バルギーの中で“俺”自体には何の価値も無いのだと突きつけられるのが果てしなく苦しかった。
そこまで考えて、ニギルの逆に考えてみろという言葉を思い出す。
逆に・・・。
もし、バルギーが俺の意志を尊重してくれたなら?
体じゃなくて心を求めてくれたなら?
バルギーの中で、“俺”という存在が特別な意味を持っていたとしたならば?
俺に対する行為が、そういう感情からきているものだったとしたら?
それを想像して。
俺は。
自分の顔が徐々に熱くなっていくのを自覚した。
水が沸騰するかのようにゆっくりと、でもとても激しく。

【イクファ、ケイタの顔の色が変わっていないかい?何だか赤いよ】
【むっ、どうしたのだケイタ!まさか具合が悪いのか?!】
黙り込んで考え事に没頭する俺を静かに見守っていた2匹だったけど、熱を持った俺の顔を見て騒ぎ出す。
『気にしないで・・・これは、具合が悪いとかじゃ無いから・・・うん』
熱を冷ますように両手で頬を包む。
ただの想像にしか過ぎないし、実際には無かった事だけど。
それでも、もしもを想像して俺が感じたのは。
言いようの無い喜びだった。
もしも、バルギーが求めるのが俺の体じゃなくて心だったのならば。
俺の心に居座る悲しみは逆の感情へと転換しただろう。
もしも、俺の心を求めて意思を尊重してくれた上で、体を求められたなら。
俺はそれを拒絶する言葉をきっと持っていなかった。
つまりは。
そう言う事なんだ。
俺の想像した“もしも”が、俺の願望。
俺の望む事。
つまり、俺は・・・。
『あー・・・・・・なんか凄い事に気付いちゃったかもしれない・・・』
自分の鈍さと迂闊さが恥ずかしくて、頬を包んでいた手でそのまま顔を覆い隠す。
俺がバルギーとの関係にこだわった理由。
湧き上がる悲しさの理由。
自分の気持ちに気付けば、なんてことはない。
全ての疑問に合点がいった。

“バルギーにはさ、俺の体じゃなくて心に価値を見出して欲しかったんだ。体じゃなくて心に触れて欲しかった。それで、バルギーの心にも触れたかった”

イクファに言った自分のセリフを思い出して、更に羞恥する。
言われた通りだ。
ほとんど自分で答えを言っているじゃないか。
むしろ、そこまで言っておいて何で俺は気付いていなかったのか。
恥ずかしくて恥ずかしくて両手の下でうひーと叫べば、笑いを滲ませたニギルの声が降ってきた。
【・・・・答えが見つかったのかい?】
『・・・多分?』
【ふん】
ニギルに答えれば、イクファが嫌そうに小さく鼻を鳴らした。

俺がまず向き合うべきだったのはバルギーの心じゃなく、その前に己の心だった。
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