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夢に咲く花

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――壁に敵が潜んでいる可能性がある。破片が崩れ落ちる壁に留意せよ――


 耳のカフスを通じて伝えられてから、応援要請を受けるまでそれほど時間は経っていなかった。

 救援を求められすぐさま駆けだしたマリーをナキイは無理矢理に抱え、彼女が悲鳴を上げるのも構わず、手慣れた様子で壁をよじ登った。
 崩れ落ちる壁に目もくれず屋根を駆けるのだが、防具を身につけたマリーを片手で軽々と担いでいるのにも関わらず、ナキイの動きは俊敏で軽やかだ。

 道路をまたいで隣の建物に飛び移れば、ナキイの目は着地する瞬間まで忙しなく動き、足下に巨大蜘蛛が生えてきた時には、手に持った銃から放った固まる網でかっちり拘束した後、背中を踏みつけ乗り越えた。

 たてがみが面倒という理由だけで、いつもは薬により血の制限を課しているのもすべて開放し、己の100%で壁を登り屋根を行く。
 ヘルメットからはみ出した立派なたてがみを風になびかせて道路を飛び越える。

 目指しているのは住宅街から商業区に抜ける、比較的細い道。のいる場所だ。

 ナキイの脳裏には、昨日出会ったばかりの女性が思い浮かんでいた。
 本当なら同じの班であったはずが直前の命令変更のために叶わず、何のために本来の任務を放棄してまでここにいるのかもわからない。
 故に彼女のいる班からの応援要請に真っ先に駆けだした護衛対象にこれ幸いと便乗する形で、今彼女の元へ向かっている。

 全速力で一瞬たりとも足を止めずに行く。それでも現場に到着した時にはすでに混乱状態に陥っていた。

 兵士に対して巨大蜘蛛の数が多すぎるのだ。今通り過ぎてきたどの現場よりも数が多く、むしろここに集中させているのでないかと思わざる得ない程だ。

 応援要請すらもないもう一つの班は果たして無事だろうか。ナキイは唾を飲みこんだ。


「カダンはどうしたの?」


 マリーが狼狽え言った。

 それというのも、カダンは獣姿で巨大蜘蛛に四肢を噛まれ身動きが取れないでいるばかりか、持っていたはずの大刀も見当たらない。

 もちろんカダン一人が刃を振るったところで打開できる状況でないのは明白だが、それでも有効な手立てというのはあるのとないのとでは大きな違いを生む。


「何かあるのか?何かを、追っている?いや……」


 群がる蜘蛛に邪魔されなかなか近づけないでいるが、よくよく見れば、カダンは常にとある一点に向かっている。



「あそこ!」


 マリーはカダンが必死に向おうとしている視線の先に、壁の一部が崩れてしまった建物を発見した。

 大きく開いた穴に何匹もの巨大蜘蛛が群がり、一見すると、中の住人の生存は絶望的に思われた。


 マリーが指さした建物は今いる場所と道路を挟んで反対側。降りて向かったのでは、カダンと同じ鉄を踏むことになるだろう。

 距離は十分。ナキイはマリーを脇に抱えたまま屋根の上を走り出した。
 どうせ彼はこのまま穴まで飛ぶのだろうと、マリーは奥歯を食いしばり、ぶれないようナキイにしがみついた。雑な扱いも繰り返せば慣れるというものだ。 

 マリーが考えた通りやはりナキイは飛んだ。
 奮闘する兵士も黒く蠢く巨大蜘蛛も飛び越え、しかし壁の穴に向かい落下するのではなく、面前に壁が迫ってくる。
 マリーは来たる衝撃に備えて目をきつくつむった。


「ひっ」


 壁にぶつかる直前、マリーは身を縮こまらせきたる衝撃に備えた。だが、結局頭や体が壁にぶつかる事はなかった。その代わり固いが弾力のある何かを介して衝撃が伝わってくる。

  
「急ぎ故に乱暴になってしまい申し訳ありません」


 壁とマリーの間に挟まりながらナキイが言った。

 建物から建物から、道路を飛び越え、窓の格子に片手で捕まりぶら下がる。あまりにも強靭過ぎる。それに比べ自分はどうだろうか。マリーは顧みる。
 本当は怖かったと言えればどれだけ楽か。しかし、それはマリーのプライドがそれを許さなかった。



「いいえ、理解してるから大丈夫です」


 今はまだ勇者としてなすべきことをするべき時だ。マリーは呼吸を整えながら、意識を巨大蜘蛛に向けた。

 穴に群がっていると思われた巨大蜘蛛の大半は、すでに死んで押しやられ、中心で数匹の巨大蜘蛛が蠢くのみとなっていた。建物の中では男が一人カダンの大刀で巨大蜘蛛の頭を叩いている。

 ナキイはマリーを下ろし、彼女を視界の片隅に置きつつも、巨大蜘蛛の一匹に手袋のまま手をかけた。群がる巨大蜘蛛の中に人を見つけたからだ。
 マリーはというと、入り口の巨大蜘蛛をさっと飛び越え、大きなテーブルを交わし、おそらく家人と思われる男を止めにいった。 
 男は腰が引け、顔は巨大蜘蛛を見ずに何度も何度も大刀を振り下ろしている。


「もう死んでる!」


「はっ」


 マリーが声をかけると、男は弾けたように後退った。目は限界まで見開かれ、肩で息をしている。全身を震わせているのは、恐怖だけでない。どれほど力んでいるのか、大刀を握る手は白い。


「大丈夫、あとは私に任せなさい!」


 マリーは自信たっぷりに言った。威勢よく胸を拳で叩く。それで、フェイスガードもあげ、余裕の笑みを浮かべれば、男も多少は落ち着くと思ったのだ。

 マリーが男の手に触れ笑んだまま解けば、男はあっけなく柄を手放しマリーに大刀を渡した。

 マリーは大刀を受け取るとそれで巨大蜘蛛の首を両断した。それから出来るだけ巨大蜘蛛の体に細かく刃を入れていく。昨日死んだと思っていた個体が、急に動き出してからはずっとそうしている。
 頭を潰し、首をはね飛ばし、足を胴から削ぎ落とし、胴は輪切りに細断する。死体を見慣れた兵士でも顔を背けた容赦のなさは、一見すると狂気でしかない。


「あぁ……ああぁ……」


 男は腰を抜かし座り込んだまま床を蹴った。

 化け物が死んだ安堵感もあったが、男にとってあれほど堅かったその化け物をいともたやすく、しかも過剰なまで細切れにするマリーに畏れを感じ、同時に化け物の血に塗れていく自宅の床を片付けなければならない憂鬱さが、男から気力を根こそぎ奪っていく。

 自分よりも遙かに強そうに見える男のていたらくに、マリーが呆れてため息をついたかとういうとそうではない。
 マリーは嫌な顔一つせず男に手を貸し、二階に隠れるよう階段まで誘導した。


「子供が上にいるんです」


 震える男の訴えにも、だからどうしたと思いもしない。


「わかった。絶対に二階には上げないから安心して」


 マリーは答えながら、そうかと思った。
 男はこの化け物たちを二階に上げないために降りてきたのだ。
 二階で襲われればたとえ自分が囮になったとしても外に逃げ場はなく、別の部屋に隠れたとしてもじきに餌食になってしまうかもしれない。

 子供を守るためには、ここで何としてでも食い止めるしかなかったのだ。


「大丈夫……絶対二階には上げない」

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